003 「狂気の歴史 ― 古典主義時代における」 ミシェル・フーコー 田村俶訳  新潮社




 「本を読む」の第3回はミシェル・フーコーの「狂気の歴史」、今回も私、Parsifalが担当いたしますよ。

 第1回でHoffmann君が取りあげた「阿呆船」が、我が国では「愚者の船」と訳されることもあるほか、フランス・ユマニスム研究の渡辺一夫は「狂人船」という訳をあてています。これは Narr という語が、語源的には「狂った者」に近いため。

 そこで、「阿呆船」と「狂気」ときたら、今回はミシェル・フーコーの「狂気の歴史」です。


Michel Foucault

 フーコーはこの本のなかで、西欧の歴史において、「狂気」が、もともとはどのように扱われていたのか、その扱いがいつ、どのような事情で、どのように変質していったか、ということを論じています。

 そもそも「阿呆船」というのは、北方ルネサンスにおけるイメージのひとつで、「阿呆」を大勢乗せた船が、ヨーロッパの川に浮かんで、都市から都市をさすらうというもの。フーコーはこの阿呆船を、狂気に対するルネサンス人の感受性が反映されているものととらえ、ボスやブリューゲルの絵画、ブラントの「阿呆船」やエラスムスの「痴愚神礼讃」といった文芸作品に、その精神があらわされていると見ているのです。

 つまり、阿呆船は中世と「古典主義時代」との狭間に生まれた過渡的なイメージだということ。この時代に、「阿呆船」のイメージが前面に出てきた事情を、フーコーは「死の舞踏」で象徴されるヨーロッパ人の死への普遍的な恐怖によって説明しています。15世紀半ばころまでは、ヨーロッパには至るところ死が充満していた・・・つまりペストです。中世からルネサンス時代前期にかけて、ヨーロッパには間歇的に疫病の波が押し寄せ、そのたびに夥しい数の人が死んでいる。なので、当時のヨーロッパの人々にとって、死はひじょうに身近なものだった。そういう身近な存在としての死を擬人化したのが「死の舞踏」のイメージというわけです。
 ところが15世紀の末以降、疫病は姿をひそめ、死は身近なものではなくなってきた。そこで人々の間には、安堵と喜びの笑いが戻ってきて、その笑いの精神が阿呆船のイメージと結びついた・・・というのも、阿呆は何もかも笑い飛ばす、死でさえも例外ではない、阿呆(狂人)の笑いが死の笑いを笑っている、というわけです。このあたりまでが第一章。

 この「狂気の歴史」は初期の著作故か、ちょっと「調子が高い」印象ではあるものの、そんなに難解な本ではなく、フーコーの論考はわりあい明快なので、下手な読書感想文みたいになってしまうかもしれませんが、要約するのも技術の内だから、ここで全体を俯瞰しておきましょう。

 まずひと言でまとめてしまうと、中世は「狂気」が受け入れられていた時代、「古典主義時代」には閉じ込められるようになり、近代になると「狂気」は「病気」となり、管理されるに至る、という見取り図になります。ちなみに「古典主義時代」とカギ括弧で括ったのは、これがフーコー独自の定義で17世紀半ばから18世紀末までとされているためです(以下、カギ括弧は省略しますよ)。

 中世と古典主義時代の境目あたりで「阿呆船」というイメージがあらわれた。この時代、社会には狂気に対して親しみの感情と排除したいという感情が相半ばしていて、それが阿呆船というイメージにつながった。狂気といっても阿呆と呼ばれる程度のものであれば、社会のなかに居場所があり、排除といってもせいぜい厄介払い程度の感覚だった。

 17世紀から18世紀にかけての啓蒙の時代と呼ばれる時代にあって、狂気が社会から排除され、監禁されるようになる過程のなかで、阿呆船の時代は、その直前の時代、中世と古典主義時代の境目にあった―つまり阿呆船には、狂気を親しいものと感じる感受性と、それを排除しようとする傾向とが同居しており、狂気は正気の真逆ではなく、正気の程度を図る物差しとして認識されていた。その排除の傾向は、未だ問答無用の排除ではなく、中途半端な厄介払い程度のもの。監禁まではいかなくて、とりあえず阿呆たちを船に乗せて、追っ払おうとするくらいのものだった。阿呆たちは船に乗っているだけだから、他の人々の眼には見えている。しかし、彼らがそうした人たちの社会に暖かく迎え入れられることはもはやない・・・阿呆船は、統合と排除の中途半端な結合であるというわけです。

 一方で中世はハンセン病が蔓延していて、患者を隔離(監禁)する「癩施療院」があったが、ハンセン病が落ち着いてくると、この監禁施設が余ってしまって、ここに狂人を収容するようになった。

 1656年にパリで「一般施療院」が設立され、狂人を含む反社会的な人々をここに閉じ込め監禁したのが、古典主義時代の開始となる。そこで監禁されたのは、じつは乞食や怠け者といった連中で、狂人も、怠惰な人間という理由で監禁された。つまり施療院は治療施設ではなくて、監禁して処罰する施設だった。

 その背景にはブルジョワジーの台頭があって、かつての権力者(王侯貴族)と違って、ブルジョワジーは労働を自分たちの存立の根拠としていたので、労働能力のない者は社会から排除すべきであるとの風潮が強くなったため。たとえば諸悪の根源とされたのが、中世では尊大傲慢、ルネサンス期は貪欲、古典主義時代になると安逸怠惰であるのもそうした事情から。こうして18世紀末に至るまで監禁が続く。

 古典主義時代の終焉は、1792年に精神科医ピネルがビセトールの施療院から狂人を解放したとき。これはブルジョワ社会が発展して労働力の需要が高まってきたため、多少労働力が劣っても、能力に応じて働かせるべきだ、と考えられるようになったから。ところが重度の狂人は社会に適応できないし、犯罪者も社会に野放しにはできない、なので一部は解放されなかった。ここで狂人は「監禁」の対象から「保護」の対象となる。

 ただしここでいう「治療」とは、医学的な治癒を目指したものではなくて、狂人を社会的・道徳的な常識にかなった行動に導くことだった。だからこの保護施設では、医師は治療行為よりも道徳的な導きをその役割としていた。医師と患者の関係は監視と裁定で、医師は常に患者を監視して、患者を裁定する。狂人は社会から排除はされないが、新たな形で拘束されるようになった。

 従って、近代的な医学が狂人を発見したわけではなく、狂人の存在が近代の医学の展開を促したのである。そして19世紀になると、狂人保護院は精神病院となり、精神病院の成立によって、精神医学が登場することとなった。

 ・・・いかがでしょうか。つまりフーコーは狂気(狂人)の側から理性的な社会を解釈しようとしているわけです。いまでこそ、歴史の暗部―社会から排除された存在(アウトサイダー)についての研究によって西欧社会をとらえ直そうとする歴史学もめずらしくはないかもしれませんが、この著作が出版された1961年の時点では、新しい観点だったのではないでしょうか。レヴィ=ストロースの影響もあったのかもしれませんね。

 もちろん、フーコーの歴史研究の姿勢はそれだけではありません。古く「狂気」のひとくくりで呼ばれたもののなかには、文字どおりの阿呆のほか、鬱、ヒステリーなど、いまなら精神疾患とはとらえられていないものも含まれていたでしょう。このあたりはフーコーも目配りを欠かしてはいませんが、そもそも精神医学には、鬱にしてもヒステリーにしても、病気ではなくて「状態」ととらえる考え方もあるので、現代の基準で過去を計っても仕方がない、それはフーコーの方法とは真逆です。そうではなくて、歴史とは、過去のそれぞれの時期において、そのそれぞれの基準を導いた(主導した)もの、たとえば宗教だったり、ブルジョワの台頭であったり、なんらかのイデオロギーが、どのように関わった結果であるのかを解明することが、フーコーの取り組みだったのだと思います。なぜなら、その「結果」である現代は、まさに解明されたイデオロギーによって支配され、成立しているからです。


(Parsifal)



参考文献

「精神疾患と心理学」 ミシェル・フーコー 神谷美恵子訳 みすず書房
「フーコー・コレクション 1 狂気・理性」 ミシェル・フーコー 小林康夫/石田英敬/松浦寿輝編 ちくま学芸文庫
「グーテンベルクの銀河系 活字人間の形成」 マーシャル・マクルーハン 森常治訳 みすず書房


Diskussion

Klingsol:ミシェル・フーコーは、ルネサンス期の空想的な文学にあらわれた船のなかで、「阿呆船」だけは実在した船であり、じっさいに阿呆という船荷を都市から都市へと運搬したと主張している。しかし阿呆だけを満載した船が阿呆を追放するのに使われたという記録はない。このことは指摘しておきたいな。

Hoffmann:今日の話を聴いていると、、1993年にベルリン・ドイツ・オペラで当時の総監督ゲッツ・フリードリヒが新演出したワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を思い出してしまうな(同年に来日して東京での公演あり。)その演出では第三幕の歌合戦のシーンに旅芸人が次々と姿を姿を現す。とくに、ヴァルター・フォン・シュトルツィングが歌っているとき、聴衆にひとりまたひとりと旅芸人が加わってくるあたりは効果的だった。「民衆」を重視するフリードリヒらしい演出であると同時に、中世の「アウトサイダー」を登場させるとは目の付けどころが違うなあと感嘆したものだよ(1995年の再演を収録したDVDでは、カメラワークの悪さでそのあたりの演出意図がほとんど分からないのが残念)。

Kundry:マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」が参考文献になっていますね。

Hoffmann:マクルーハンなら、なにについて論じていても参考になりそう・・・というかネタ本じゃないのか(笑)

Klingsol:あと、最後のところで言及された、精神疾患は疾患ではなくて「状態」である(ではないか)・・・というのは、フランスあたりの精神医学界から言われはじめたのだったかな。もしフーコーがこうした論考を発表しなかったとしても、狂気を社会との関わりのなかでとらえ直すひとは、必ず出てきただろうね。


Parsifal:社会というよりも、社会に作られたシステムとの関わり、だね。そのシステム、つまりブルジョワ的権力機構の秩序のなかに狂気が位置付けられたことによって、精神医学や心理学の成立条件が整った、というわけだ。

Klingsol:いずれ「監獄の歴史」も取りあげてもらわないとね。ピラネージはもちろん、映画「薔薇の名前」とか「シャッターアイランド」あたりをからめても・・・(笑)

Parsifal:方々に分岐していくなあ(笑)