004 「中世のアウトサイダー」 フランツ・イルジーグラー、アルノルト・ラゾッタ著 藤代幸一訳 白水社




 前回、Hoffmann君が1993年にベルリン・ドイツ・オペラで当時の総監督ゲッツ・フリードリヒが新演出したワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の舞台に登場した旅芸人の話をしていたので、中世のアウトサイダーについて、そのまんま表題となった本があるので取りあげます。

 原題は“Bettler und Gaukler , Dirnen und Henker”、すなわち「乞食と大道芸人、娼婦と刑吏」。ここで取りあげられている、偏見と差別のなかで生活した社会の下層階級にある人々は、表題のほか、ならず者、浮浪者、ハンセン病患者、狂人、風呂屋、床屋、いかさま医者、魔法使い、占い女、ジプシーなど。

 この本は、14世紀から30年戦争(1618~1648)前夜までの乞食、大道芸人といった社会の下層階級に属する者の、主にケルン市における実態を鋭くえぐり出そうとするものです。

 普通の市民は公文書において、たとえば「このたび、名誉ある誰某は・・・」などと記載されます。この「名誉ある」という枕詞は決まり文句ではあるけれど、その意味は大きく、つまり同じ市内に居住して市民生活を営みながらも、名誉なき人々もいたということを意味するわけです。それがたとえば職業差別としては徴税吏をはじめとするいくつかの職業の者に対して、ケルン市の上層部の被選挙権を拒否されるというかたちであらわれていました。

 乞食は、1450年の文書によれば、乞食は病院に収容すべきであるとの記載があり、このころは未ださほどの偏見もなく受け入れられていたところ、1572年には市参事会布告によって市外追放されています。1437年のニュルンベルク乞食規則では、浮浪者でも「他国出身のよそ者」を槍玉にあげて「市外追放すべし」としている。もっとも、万聖節と万霊節は物乞いを許しているところがおもしろい。つまり、社会的に居場所がまったくなくなってしまったわけではないということなんですね。

 精神障害者については、公共に危害を及ぼすおそれがなければ自由に歩き回っていた。凶暴性がある場合などは、拘禁し、家や塔などに閉じこめられるのが伝統的な形式。ここでは、16世紀半ばのドイツ諸都市おける精神病者の管理ぶりが当時の資料によって詳述されています。症状の軽い者については、一生留め置かれることはなく、しばらくすると釈放(追い出)される例も多かったようです。1611年に釈放された精神薄弱者の記録では、ここで「愚者の船」と称する小舟も登場しています。

 映画館もテレビもない社会、そこには遊びと芝居、気晴らし、娯楽を提供する人々がいました。君主の宮廷で、貴族の城館で、大小の都市での祭りの際などで、芸人や楽士は大モテ。しかし、歴史的に見て芸人は必然的に旅芸人であったので、「よそ者」、すなわち 放浪者なんですね。当然、彼らの活動はケルンのような大都市に集中して、そこではよそ者、流れ者に対する不信感よりも好奇心が勝って、お上も娯楽を欲する民衆の欲求を大幅に認めざるを得なかった。ちなみに、象、ワニの見世物や、熊使いによる熊踊りの芸、それに「化け物みたいな」障害児、生き埋めにされながら蘇生した18歳の小僧の見世物などが記録に残っています。

 楽士と芸人たちはその出自がほとんどが貧者、不具者、孤児の集団です。犯罪やいかがわしいこととがあると、いつでも疑われやすかった。芝居が広場で演じられれば、雑踏する見物人は掏摸のいい鴨になったのですが、これも役者の一座の者や興行主の手伝いが、観客の目を芝居に引きつけている隙にうまくやるのだとよく疑われたそうです。こうした差別は地域により、たとえばケルンではほとんど見られなかったようなんですが、1365年のマリーエンブルクの市条例は、「いかなるフィーデル弾きも、いかなる種類の物乞いも、求められない限り、市民のテーブルに近づくべからず。禁を犯した場合、拘留または首枷に処すべし」と、押しよせる芸人を悪鬼のように扱っています。旅芸人に比較的寛容な都市であっても、芸人や楽士は周辺集団から雇われることもあり、他の社会的アウトサイダーとの接触が避けられない流しの暮らしから、根本的に不道徳であるとの偏見を持たれていたんですね。

 このように、西洋キリスト教社会では「芸人」はひじょうにambivalentな存在であったことは、ウォルフガング・ハルトゥングの「中世の旅芸人」(法政大学出版局)にも詳しく述べられています。芸人の活動に関して「禁止令」が幾度となく発せられたのは、それがたびたび破られたからにほかならない。旅芸人を法の保護を剥奪された人である、としたり、だからといって身分上、泥棒や強盗の仲間ではない、としたり、中世における各地での法は恣意と任意で揺らいでいたのです。

 ちなみに前回、Hoffmann君が話していたワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は16世紀半ば頃という設定、主役たる靴匠ハンス・ザックスの生没年は1494~1576年。ザックスが生まれた年にデューラーがこの町で結婚していて、ザックスはこの23歳年長の画匠が亡くなった際には一篇の詩を捧げています。つまり、ザックスとデューラーはほぼ同時代のひと。現在、ザックスの造った靴はひとつも残っていませんが、謝肉祭劇は残されており、傑作と呼ばれる「阿呆の切開手術」はブラントの「阿呆船」の系譜にも連なる愚者文学の白眉。じっさい、ザックスが1562年、67歳のときに自ら作成した蔵書目録にはゼバスティアン・ブラントの「阿呆船」の名が見えるんですよ(「阿呆の切開手術」の邦訳は南江堂から出た「ハンス・ザックス 謝肉祭劇集」に収録されています)。


横縞(ボーダー)服の芸人がいることに注目!

 この画像は前回Hoffmann君が話していた、1993年にベルリン・ドイツ・オペラで当時の総監督ゲッツ・フリードリヒが新演出したワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第三幕。縞模様の服を着た旅芸人の姿が見えます。縞模様の衣服というのは、中世初期ドイツの慣習法で私生児や農奴、受刑者たちに強制されることが多かったものです。中世末期になると南ヨーロッパの諸都市では旅芸人のほか、道化、売春婦、死刑執行人といった人たちに課せられたものです。つまり、そのような職業に従事する人々がまっとうな市民と混同されないように、との目印だったわけです。都市によってはハンセン病患者、ジプシー、さらにはユダヤ人や非キリスト教徒に課せるとの規定が制定される場合もあったようです。この、ゲッツ・フリードリヒの演出では、ヴァルター・フォン・シュトルツィングが歌っているときに、こうした人々が聴衆に加わってくるということに意味があったわけですね。

 そして付け加えるべきことがもうひとつ、フーコーの「狂気の歴史」にはこんな一節があります。

 ところが、ニュールンベルクのような他の都市の例もある。それらの都市はたしかに巡礼地ではなかったが、その都市じたいが生みだすよりはるかに多数の狂人を集めている。彼らは都市の予算によって生活費をまかなわれ宿泊所をあてがわれているが、すこしも治療をうけていない。つまり彼らはただ 単に牢獄におしこめられているというわけだ。で、ある種の重要な都市―交通および商取引の要地―では、相当な人数の狂人が商人や船頭に連れてこられ、出身地の町をみずからの存在で浄化し、連れてこられた先で「放たれた」のだと考えられるだろう。

 ・・・ということは、つまり受け入れている都市があった、ということなのです。時代を下るにつれて、やがてゆるやかに「監禁」が徹底してゆくわけで、そのあたりの変遷と背景は、いまいちどフーコーに戻って、あらためて考えてみる必要がありますね。


(Parsifal)


参考文献

「中世の旅芸人」 ヴォルフガング・ハルトゥング 井本ショウ二/鈴木麻衣子訳 法政大学出版局 (ショウは「白」偏に「向」)
「ザックス謝肉祭劇選」 藤代幸一/田中道夫訳 明星大学出版部
「狂気の歴史 古典主義時代における」 ミシェル・フーコー 田村俶訳 新潮社
「精神疾患と心理学」 ミシェル・フーコー 神谷美恵子訳 みすず書房
「悪魔の布 縞模様の歴史」 ミシェル・パストゥロー 松村剛/松村恵理訳 白水社



Diskussion

Hoffmann:いろいろと、フォローありがとうございます。

Parsifal:参考文献に挙げた「中世の旅芸人」(法政大学出版局)も面白い本だね。旅芸人なんていうとのんきで気ままな生活ぶりを想像する人もいるかもしれないが、とんでもない。

Hoffmann:まさにアウトサイダーなんだ。

Kundry:ケルンといえば、ヨーロッパの難民問題で取り沙汰されることの多い都市ですね。

Parsifal:ケルンという都市の歴史的伝統かな。集団暴行事件なんかもあったけどね。容疑者の大半は移民だったけど、ドイツ人やアメリカ人も結構いたらしい。第二次大戦後はユダヤ人迫害という暗い過去を持つことから、ドイツでは犯罪と難民を結びつけることをタブー視してきた影響がある。そのため、移民による犯罪に関する報道が自主規制されたり、移民排斥を訴える連中には、やや一方的に「極右」のレッテルを貼って対応してきたところもあるんだよね。

Kundry:アウトサイダーと言うと、ラヴクラフトやコリン・ウィルソンを連想してしまいがちですけれど、たいへん魅力のあるテーマですね。もちろん、差別問題と密接に関連するためですが。


Klingsol:それでは、脇から恐縮だけど、我が国の旅芸人(被差別芸人)に関する参考図書として入手しやすいものを2点挙げておこう。沖浦和光「旅芸人のいた風景 遍歴・流浪・渡世」(河出文庫)と、同じ著者による「日本民衆文化の原郷 被差別部落の民族と芸能」(文春文庫)。そもそも文化というものは聖と俗の混交から生まれるのであって、旅芸人こそ、現代TVで見られる芸能人の源流なんだよ。

Hoffmann:「河原者」とか。いずれとりあげてもらえればありがたいな。