006 「愛書狂」 ギュスターヴ・フローベール ほか 生田耕作編訳 白水社




 前回のParsifal君の発言、「浮世離れ」を受けて、「浮世離れ」にかけては人後に落ちない自信のある私、Hoffmannが再登場です。ちょっと軽めの話題で息抜き気分のintermezzoですよ(笑)

 第1回で取りあげたゼバスティアン・ブラントの「阿呆船」に話を戻しまして、その第一の詩は、章頭に主題となる三行の詩句「まず皮切りに一踊り。/積んだ書物は山ほどあるが/とんと読みゃせぬ分りゃせぬ」を掲げ、次に表題「無用の書物のこと」ときて、まず風刺されるのは、知識ある本を買い集めるだけでまったく読まない者―

 わたしが船首におりますは、
 伊達や酔狂ではござらぬて、
 期するところがあればこそ。
 書物がわたしの生きがいで、
 宝の山と積んである。
 中身はまったく分からぬが、
 蠅一匹にもふれさせず、
 あがめまつってありまする。
 話題の学芸百般は
 ほとんどわが家に積んであり、
 書物の山を見ていれば、
 それで満足文句なし。

 頭を割るほど苦労して
 なんで覚えにゃならぬのだ。
 学問しすぎりゃ気がふれる、
 わたしは貴公子、学問は
 他人にまかせておけばよい。

 この阿呆が病人かと問われれば、私なら「病人」と即答します。そう、ビブリオマニア、すなわち愛書狂という名称で呼ばれるところの不治の病に取り憑かれた、不運な星の下に生まれた病人です。

 「書物」ビブリヨンと「熱狂」マニアによって合成された、この人間の一変種の呼び名は「愛書狂」のほか、「書痴」「書豚」などと訳されることもあります。

 愛書家の聖書と呼ばれている「フィロビブロン」を、ダラムの司教にして大蔵大臣も務めたリチャード・ド・ベリーが上梓したのが1344年。愛書趣味って、古くからあったんですね・・・って、当時は写本だから書物はほとんど工芸品。とはいえ、印刷術が発明された15世紀に至っても、もっとも多く版を重ねたのが、聖書を別にすればこの「フィロビブロン」であるとも言われておりますから、同好の士は世に数多存在していたということです。



 もっとも、リチャ-ド・ド・ベリーは聖俗最高位を極めたくらいの大人物なので、「愛書家」の名にふさわしくても、「愛書狂」と呼ぶには少々ためらいも。「フォロビブロン」で論じられているのは至極真っ当な読書家の心得。目次からいくつか引用すると―


 知恵の宝はおもに書物のうちに収められている
 書物をどこまで愛すべきか
 書物の購買価格
 戦争に対する書物の不平
 古代の作品を愛するが、現代の研究をないがしろにしない
 なぜ法律書よりも人文系の本を好むか
 書物の保存に払うべき適正な配慮
 この書籍収集は学徒の公益を目的とし、自己満足ではない

 いかがでしょうか? ド・ベリーの書物への愛と情熱を疑うわけじゃありませんが、「熱狂(マニア)」呼ばわりはふさわしくないような気がします。

 ずっと時代は下って、1842年、神学博士トマス・フログリノー・ディブディンがその名も「ビブリオマニア」と題した本を出版して、愛書狂という病について、次にあげるような書物への異常なまでの熱情がその徴候であるとしています。


 1 紙面の大きい書籍
 2 断裁していない書籍
 3 挿絵の多い書籍
 4 一冊しかない書籍
 5 上質皮ベラムを使った書籍
 6 真正版の書籍
 7 古体活字の書籍

 そう、マニアの名を冠するならば、少々タガが外れているくらいでないと(笑)

 これとは微妙に異なりながら、上記に該当する人ならば、合併症の如くほぼ兼ね備えているであろう病が「蔵書狂」。もはや、本というものが本来読むものであるという観念を失い・・・ということはすなわち書物の内容という本質的な価値をのけものにして、その市場価値とか稀少性、あるいはめずらしい装幀やら挿絵やらを第一とする人々です。これで正々堂々と変態ならぬ病人としての「ビブリオマニア」の定義らしくなってきたんじゃないでしょうか。

 このような病が蔓延することとなった背景には、19世紀後半、ブルジョワジーが経済力を持ちはじめ、個人にも本を買う余裕ができるようになってからのこと・・・と言うと、それでは14世紀に書かれた「フィロビブロン」やブラントの「阿呆船」の第一の詩はどうなるのか、という疑問に思われるのはゴモットモ。

 つまりですね、中世初期の本といえば、これすなわち写本のこと。修道士たちが膨大な時間をかけて書き写し、飾り立てた豪華な工芸品です。13世紀くらいまでは、教会か貴族の書架を満たすことはできても、個人読者の手に届くものではありませんでした。それがだんだんと知識人というものが発生して概説書を作り出すようになって、本が持ち歩かれるようになり、多分13世紀末頃から紙の使用もはじまって、15世紀に至ってグーテンベルクが印刷機を発明した・・・と。こうして時代が下ってゆくにつれて、本を個人が所有できるようになるわけです。ついでに言っておくと、こうした流れの結果、本が教育のみならず文化全般の普及を押し進め、本を読むのに教師も教育も不要となった、このことがユマニストが権威者たちを否定していく土壌ともなって、「阿呆船」や「痴愚神礼讃」が著されたわけです(ここ大事! テストに出るよー)。



羊皮紙に書物を書写する修道士

 ともあれ、近代までは、書物というものは教会や貴族の書庫に眠っていたわけで、その時代にも個人で書物を買い込んでいたひとがいたとしても、それは金持ちにしかできないこと。でもね、金持ちが金にあかして買うというのは、それが本であれなんであれ、「熱狂(マニア)」とは無縁にして邪道の世界。やっぱりね、貧乏でカネがなくて、それでも本を集めるからこそ「愛書狂」の名にふさわしいんですよ。

 さて、「愛書狂」はギュスターヴ・フローベール、アレクサンドル・デュマ、シャルル・ノディエ、シャルル・アスリノー、アンドルー・ラングによる、ビブリオマニアを描いた短編小説集です。生田耕作による編訳。

 火事場泥棒でスペインに一冊しかない本を手に入れたが、それがために放火・殺人の疑いをかけられ死刑を宣告されようとしている男、弁護士がその無実をはらそうと、もう一冊の同じ本を探し出してきて、被告の元に見つかった本がもう一冊あったのだから、これをもって犯人とは断定できない・・・と弁護した。男はあっと一声叫ぶと腰掛けの上にくずおれ、弁護士にむかってその本を貸してくれるよう頼み・・・。(フローベールの「愛書狂」)
 ちなみにこれ、フローベール14歳のときの作。じっさいに起こった事件をもとにして書かれた小説なれど、見事な短篇小説。栴檀は双葉より芳し。

 劇場で隣り合わせた紳士が熱心に読みふけっているのは「仏蘭西風菓子製法」という表題。叔父のために同じ本を手に入れたいと、その紳士に声をかけた話者は、このちっぽけな古本の数奇な来歴を知ることとなる。(デュマの「稀覯本余話」)

 ノディエの「ビブリオマニア」の主人公にはモデルがあって、その人物は愛書家というより蒐集狂に近く、競売場ではガラクタ本の類まで見境なく買い込み、その書斎は物置同然、足の踏み場もなく、やがて住居のある建物全体を買い取り他の借家人を次々と追い出して、さらに家屋を6軒購入したが、それらもまた本の置き場となってしまい、死後に残された蔵書数ははおよそ60万から80万冊に達しており、うち約15万冊は紙屑として処分され、蔵書目録を編むのに3年の歳月を要したと言われています。その売り立てによって、膨大な蔵書がパリの古書市場に流れ込み、何年にもわたって古書の価格を下落させたんだとか・・・。

 ああ、このひとたちのDNAは哀愁と滑稽の二重螺旋構造に違いない。



 意外にもビブリオマニアを描いた文学作品というのが多くはないのは、この病があまりに特殊で、感染していないひとにとってはビブリオマニアの心境たるやまるで理解不能であるからでしょう。おかげでそうした作品はたいして売れもせず、それこそ一部のビブリオマニアのみを対象に、少部数豪華限定版で高価にて販売されてきたようです。

 でもね、いいじゃないですか。先ほど、「書物の内容という本質的な価値」なんて口が滑ってしまいましたけどね、本質的な価値というなら切手収集の切手はどうなります? たいがいの収集品は本質的な価値なんてどうでもいいことにされているじゃありませんか。

 少なくとも本の場合、そのなかには人智がつまっており、その古さや稀少性以外にも、造本や印刷(工芸)、挿絵(美術)があり、その優劣が版の違いによって異なってくるといった要素がある。

 非合理結構、非効率おおいによろしい。私は、徹頭徹尾合理的で無駄のない完璧な人間よりも、理屈の付かない愚行の果てに哀愁と滑稽味漂わせているような、そんな人間の方が好きですね。

 いにしえの愛書狂、蔵書狂に栄光あれ!


(Hoffmann)


引用文献・参考文献

「愛書狂」 ギュスターヴ・フローベール ほか 生田耕作編訳 白水社

「書痴談義」 ピエール・ルイスほか 生田耕作編訳 白水社
「書斎」 アンドルー・ラング 生田耕作訳 白水社
「書物の狩人」 ジョン・ヒル・バートン 村上清訳 図書出版社
「書物と愛書家」 アンドリュー・ラング 不破有理訳 図書出版社
「フィロビブロン」 リチャード・ド・ベリー 吉田暁訳 講談社学術文庫
「書物の敵」 庄司浅水 講談社学術文庫
「書物憂楽帖」 ジェラルド・ドナルドソン 加島祥造訳 TBSブリタニカ
「ヨーロッパ中世社会史事典」 アニェス・ジェラール 池田健二訳 藤原書店
「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」 紀田順一郎 松籟社
「薔薇の名前」(上・下) ウンベルト・エーコ 河島英昭訳 東京創元社



Diskussion

Parsifal:僧院で修道僧の写字生が写本を製作している情景は、映画「薔薇の名前」でも描写されていたね。


映画「薔薇の名前」(1986年)から

Klingsol:あの映画で描かれているのは14世紀頃の北イタリアの僧院だったね。羊皮紙が痛むから暖房も入れられない部屋で、作業は一日10時間から12時間に及ぶこともあったそうだ。それに羊皮紙は両面を使うけれど、片側は毛が生えていたので、書きづらかったらしい。その苦労はウンベルト・エーコの原作にも書かれていて―

 当時の私は、まだ人生のわずかな部分しか写字室で過ごしたことがなかったけれども、その後になって多くの時を過ごして写字室の事情に通じるようになったいまでは、かじかんだ指先にペンを握りしめながら冬の長い時間を机に向かって過ごすことが、どれほどの苦痛を写字生や写本装飾家(ルブリカトーレ)や学僧たちに強いるものであるかを、充分に承知している(通常の気温のときでさえ、六時間も書きつづければ、手に恐ろしい書痙が生じて、まるで踏みつけられたみたいに親指が痛みだすのだ)。だからこそ、写本の余白などに、写字生が忍耐(および焦燥)の証に記した落書をしばしば見出すことがある。〈ありがたや、もうすぐ暗くなる〉とか、〈おお、せめて一杯の葡萄酒があったならば!〉とか、さらには〈今日は底冷えがする、明かりが乏しい、この羊皮紙は毛が多くて、どうもうまく書けない〉とか。

Parsifal:死体で発見された写字生の使っていた机を見に行くシーンだね。

Klingsol:より精確に言うと、死んだ写字生は翻訳をしていたんだ。その書見台に置かれていたギリシア語の本はルキアーノスで、原作によると―

 ・・・ルーキアーノスとかいう人の作品で、驢馬に変身した男の物語であった。そう言われたときに、同じようなアープレーイウスの物語を私は思い出した。見習修道士は読んではならない、といつもきびしく忠告されていた。

Parsifal:アプレイウスは「黄金のろば」だね。

Kundry:あの映画で樽から脚が出ている死体がありましたよね。あれ、たいていのひとはあの映画を思い出しますよね?

 
映画「薔薇の名前」(1986年)から 右は「犬神家の一族」(1976年)から

Hoffmann:「いつか見た死体」だね(笑)

Kundry:あれはやっぱり「犬神家の一族」の影響というか、模倣なんでしょうか?

Klingsol:あれは一応原作どおりなんだ。

 豚小舎の前には、豚の生き血を湛えた大きな容器が前日からどっかと据えつけられていたが、その巨大な甕の口から、奇妙な十字架に似た物体が、まるで二本の杭を襤褸切れにくるんで地面に突き立てた案山子みたいに、突き出していた。
 よく見ると、それは人間の両脚であり、血の甕のなかへ逆さまに突っこまれているのだった。

Klingsol:―とあるから、影響されたとすれば、原作の段階だね。

Hoffmann:それからあの映画の話だと、登場人物のひとりであるホルヘ修道士は作家のホルヘ・ルイス・ボルヘスがモデルで、演じているのは20世紀前半に活躍したロシア出身のオペラ歌手、フョードル・シャリアピンの息子さんなんだよね。

Kundry:たしか、来日したときに帝国ホテルの料理長がこのひとのために考案したのが「シャリアピン・ステーキ」なんですよね?

Hoffmann:そう。歯が悪かったので柔らかいステーキを作ったんだ。

Parsifal:マスネの歌劇「ドン・キショット(ドン・キホーテ)」はシャリアピンを想定して作曲されたんだったね、初演も歌っている・・・。

Hoffmann:その息子さんシャリアピン・ジュニア氏がホルヘ修道士役で出演しているんだよ。当時81歳、撮影時に予想外に火のついた梁が頭部を直撃してしまい、あわてて安否を尋ねる監督に、血を流しながら「いい画は撮れたか?」「81歳だ、死んでもおかしくない。それより撮影が大事だ」と叫んだそうだ・・・って、ぜんぜん関係ない話になっちゃったな。


映画「薔薇の名前」(1986年)から

Parsifal:まあまあ、「脱線」こそが我々の持ち味だから(笑)

Kundry:話を戻しましょう(笑)いずれにせよ、「愛書趣味」というものは、女性にはなかなか理解の難しい「趣味」かもしれませんね。

Hoffmann:たとえば桑原武夫のように、本を読むなら安くて中身がよければそれでよい、造本などに凝った高い本など必要ない、という批判は能率・実利一辺倒で面白くない。もっとも、世の女性は、そういう男がいたならば夫にするとよろしい。ただし男性はそういう男を友にしても退屈だからやめときなさい、と言いたいね(笑)

Parsifal:いまなら置き場所の問題に関しても、携帯性の点でも電子書籍が第一選択肢、という人もいるだろうね。

Hoffmann:蔵書ばかりでなく、レコードやCDでもそうなんだけど、文献や音源を自分のものとしてコレクションして、視覚的にも触覚的にも愉しむ道を、私は選びたいなあ。デジタルデータの合理性の前にそうしたいっさいの情緒を失ってしまうのは、いかにも寂しくて、個人的には耐えられそうもない。


Kundry:本当に必要なものなのかどうか・・・って考えてしまうんですよ。

Parsifal:つい、「資料」の名目で入手してしまうんだけど、言い訳と言われれば返す言葉がない(笑)

Klingsol:紀田順一郎の「蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」(松籟社)によれば、 井上ひさしの蔵書は約14万冊、草森紳一は2DKの仕事場兼住居に約3万5千冊、帯広の生家に建てた塔型の書庫に3万冊、このほか近所の農場でサイロを購入して書庫代わりとしていたこともあるという。山口昌男は正確な数は本人にも不明、福島の廃校となった小学校を買って、それぞれの教室を書庫にしていたとか。
 大西巨人は7千冊、渡部昇一は15万冊で、書庫の建設費は77歳にして借り入れた数億円の銀行ローン。立花隆は地下1階、地上3階のビルに3万5千冊・・・。


Hoffmann:ナンダ、私なんか、まだまだ買えるな(笑)

Kundry:でもみなさん、学者さんや研究されている方でしょう?

Klingsol:紀田順一郎は、人文系の学者・研究者の蔵書が増える理由を、テーマを思いつくごとに参照すべき文献が数十冊規模で増えるからだろうとしている。次の研究に取りかかった段階で不要なものを処分すればいいんだが、発表された研究には批判があるかもしれないし、自身で改訂の必要を感じるかもしれない・・・。

Hoffmann:図書館は・・・あてになりそうもないよね。とくに近頃の、天下りを受け入れる代わりに地方自治体を食い物にしているツ○ヤのクズ本の廃棄場と化した図書館では・・・。

Kundry:またホントのこと過激な発言を(笑)

Hoffmann:ツ○ヤもうまくやったよね。地方公務員なんて、文化なんてものにはてんで関心がないし、あてがわれた予算は無駄になったってかまやしない、使い切ればそれでいい、という最低レベルのサラリーマンでしかない。おかげで廃棄するしかないような「クズ本」で地方自治体の予算いただき放題なんだから、笑いが止まらないだろう。

Parsifal:結果、10年以上も前のラーメン屋ガイドなんか並べて、貴重な郷土史本などが廃棄されているんだから、じっさい、自治体の図書館なんぞに期待できることはないね。


Klingsol:まともな図書館でも、さんざん時間も手間もかけたあげく、「貸出禁」「ゼロ禁(複写紙にかけるのを禁止された破損本)」ということもあるからね。

Parsifal:ますます蔵書の必要性が高まるなあ。重要な資料となる本は手に取って見るだけでも違うとは、学生時代に教授から言われたことだけど・・・できることなら自分のものにしたほうがいいんだよ。

Hoffmann:もっとも、愛書狂、蔵書狂と呼ばれる病人の場合、自分のものにした時点で満足してしまうんだろうけどね(笑)

Kundry:どうも付加価値といったものに対する意識の違いでしょうか。実用性が第一なら電子書籍でもいいかなと。

Parsifal:逆に、必要な本が電子化されていないという理由で蔵書が増えそうだ(笑)

Klingsol:それに、参考文献が多いとき電子書籍では対応しづらいのはたしかだね。広げるスペースさえ確保できるなら、紙の本の方が楽だよ。これから机を買おうという人には、置き場所の許す限り、大きな、広い机を選びなさいとアドバイスしておきたいね。