027 「何かが空を飛んでいる」 稲生平太郎 新人物往来社




 唐十郎の戯曲―というより、「芝居」と言った方が似合うかな、とにかく、そのなかに、カツ丼が空中を飛んでいるというシーンがありました。状況劇場で小林薫が主役を張っていた頃か・・・いや、根津甚八の時代かもしれない。根津甚八が腹話術をやったり、小林薫がシェークスピアの扮装で、芝居のなかで「シェーさん」なんて呼ばれたり・・・息子の大鶴義丹がまだ子供で声だけ出演したりしていた頃の芝居だったと思います。私の世代だと、「空飛ぶ冷やし中華」なんていうのをおぼえている人もいるかもしれません(笑)

 今回は空飛ぶ円盤についての話をします。



 空飛ぶ円盤について語ろうとすると、ひとは必ず「信じているんですか?」と訊ねてくるわけですが、これは単純な質問のようでいて、なかなか簡単にこたえられない。なぜなら、その質問をしてくる人の側には、たいがい空飛ぶ円盤というものが宇宙人の乗り物であるという前提があると想像できるからです。だから、うっかり「あるんじゃないかな」なんてこたえたら、宇宙人の存在まで信じていると認めてしまうことになりかねない。

 「空飛ぶ円盤は実在する」のか、あるいは「実在すると信じているのか」という質問にこたえるためには、まず、空飛ぶ円盤を文字どおりUFO(未確認飛行物体)ととらえて、これを誰が製造したのかということや、そもそも乗り物であるかどうかということも、すべて保留としたうえで考えてみる必要があるわけです。

 UFO、すなわち「未確認飛行物体」。むかし、「謎の円盤UFO」というTV番組があって、この「UFO」は「ユー・エフ・オー」と読まれていました。これが(正しく)「ユーフォー」と発語されるようになったのは、私の知る限りピンク・レディーの歌よりも早く、漫画家のつのだじろうの作品のなかで、学校の先生が生徒の質問に対して「ユーフォー」と言ったのが、これを読んだ子供の間で広まったからではないかと思います。

 ここからはあくまで「未確認飛行物体」という意味において、「UFO」ということばを使うことにします。

 このUFOというもの、人類が空を飛ぶことができるようになったとたんに現れているんですね。そして、はじめのうちは太陽系の惑星から宇宙人がやってくるときの乗り物で、人類が月に着陸した頃からは、太陽系の外からやってくるようになる。科学の進歩に合わせて、こうした現象も進化している。言い換えれば、数々のUFO事件は、人間の想像力の限界の歴史をあらわしているかのようです。

 こう言うと、「いやでも、19世紀より以前の古い文献にもUFO目撃譚らしき記録は残されているではないか」という反論があるかもしれない。だからといって、いまUFOの存在が証明されていないのに、古い記録に出ているそれがUFOに似ているからUFOの記録であろう、だからUFOは実在する、という理屈は、仮定をもとにした論理の堂々巡りです。

1 UFOが実在するのか(実在すると仮定すると)
2 それらしい目撃譚が記録されている
3 故にUFOは実在する

 これでは、証明になりませんよね。この種の詭弁は世のなかのあらゆるところで、うっかり使われることもあれば、ズルいひとが自説を通すためにわざと使っていることもあるので、みなさん、ご用心ください。

 UFOについてはいろいろ文献が出ていますが、玉石混淆・・・というよりほとんど「石」です。これ1冊あれば充分かなという本が、今回取りあげる稲生平太郎の「何かが空を飛んでいる」です。

 「何かが・・・」というのは、必ずしもUFOに関する事件やその証言を否定しているわけではないということ。いろいろな事実関係についてはこの本に負うことにして、少し考えてみましょう。



 「UFO」ではなくて「空飛ぶ円盤」という呼び方、これはいつからはじまったのか?

 1947年、民間パイロットのケネス・アーノルドがワシントン上空で9つの高速で移動する謎の物体を目撃して、このとき「水面を切るように投げた皿(ソーサー)のように」飛んでいたと報告した。ここから「空飛ぶ円盤」 ”flying saucer” と呼ばれるようになったのですね。従って、「円盤」というのは正しくは「飛び方」を表現して使われたことばだったということになります。

 1950年にはフランク・スカリーの「空飛ぶ円盤の背後に」の出版によって、早くも円盤の墜落回収事件まで話題にのぼり、1953年にはジョージ・アダムスキーが「空飛ぶ円盤着陸せり」を発表して、またたく間に円盤をめぐってマス・ヒステリアともいうべき状況となって、今日に至る・・・。アダムスキー型円盤、ご存知ですね。円盤と聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのがこれではないでしょうか。しかし、アダムスキーの著作はもともとフィクション―つまり小説だったらしいのです。どうも、出版社が勝手にノンフィクションとして売り出してしまったということらしいのですね。

 そのアダムスキーの「空飛ぶ円盤着陸せり」の出版は先に述べたとおり1953年ですが、その本のなかでは1946年から円盤を多数目撃したとある。アーノルドの1年前です。アーノルドに合わせたのでしょうか。なんか、都合がいいですよね。そして、1952年には円盤から降りてきた異星人と会見を果たしたと主張している。この異星人とは金星人で、太古から地球を監視、現在のような核兵器の使用は地球を破滅に招くと強く警告したという・・・。この本の出版以降、宇宙人と会見したり、金星や火星に連れて行ってもらったと主張する人がどっと名乗り出てくることになります。これ、おぼえておいてください。

 ちなみにその後のアダムスキーは、引っ込みがつかなくなったのか、1962年には土星に行ったと言いだして、ケネディ大統領やローマ法王にも会ったと主張。各種講演会では8歳からチベットのラサに送られたとか、父親はポーランドの王族で母親はエジプトの王女、月の裏側には地球人とよく似た住民がいる、太陽は熱くない、などと言い出す始末。撮影したUFO写真には吊り糸が発見されており、普通に考えたら虚言癖の持ち主としか思えない。

 ともあれ、当時空飛ぶ円盤という事件がヒステリックなまでに話題にのぼったのは、ひとつには共産主義、すなわちソヴィエトに対する恐怖や赤狩り運動と連動していたためだと考えられます。つまり、ソヴィエトの新兵器・秘密兵器ではないか、という不安です。そして「円盤=ソヴィエトの秘密兵器」説が鳴りを潜めた後、宇宙人の侵略といった幻想・妄想に発展していったのです。証明できないのですから、とりあえずは「妄想」と言わざるを得ません。



 ここで、少し長いのですが、ひとつの「目撃証言」を引用してみましょう―

 クリスマスの数週間前、とある闇夜の夜更けのこと、私ともうひとりの若者はリメリックから・・・帰途につくところだった。リストウェルの近くまできたとき、私たちは約八〇〇メートル前方の光に気づいた。それは最初どこかの家の明かりにしか見えなかったが。近づくにつれて、私たちの視界からはみだし、前後左右に動いているのがわかった。それは火花ほどの大きさに縮んだかと思うと、今度は黄色に輝く炎へと膨らんだ。リストウェルに辿り着くまえ、右手九〇メートルのところに、私たちは最初の光に似たふたつの光に気づいた。突然、それぞれの光は、高さ一・八メートル、幅一・二メートルほどのさきほどのような黄色に輝く炎へと膨張した。そして、それぞれの光の中に、私たちは人間のかたちをした光輝く生き物を見た・・・。

 これを宇宙人の目撃証言だと思いますか?

 これが20世紀のものなら、これを聞いた現代人は宇宙人を連想するでしょう。さよう、たしかに20世紀の「目撃証言」なんですが・・・これの出典はW・Y・エヴァンス・ウェンツの「ケルト諸国における妖精信仰」(1911年)で、某アイルランド人が1910年に体験した「妖精目撃事件」を語ったものなのです。この某アイルランド人が、1960年頃に同じ体験をしたら、円盤とその搭乗員を目撃した、と思うのではないでしょうか。

 念のため申しあげておきますが、この妖精らしきものを、「古くから地球には宇宙人が訪問していた証拠だ」なんて言うひとがいるわけですが、先ほど古い記録から円盤の実在証明できないと言ったように、仮定に基づいた推測には意味がありません。むしろ、20世紀、とくに人類が飛行術を発明したとたんに妖精が現れなくなった(目撃例が激減した)ことのほうが、はるかに意味深い。つまり、人間の想像力の限界です。これに合わせていわゆる超常現象も変化している、いや、このさい、人間の妄想が変化している、と言いたいくらいなのです。

 これまでに報告されたUFOの搭乗員の形態には厖大なヴァリエーションがあります。このことは、地球外生物仮説(ETH)を支持する人々にとっては大きな障害でした。なぜなら、あまりにもいろいろなのがやってくるのはさすがにおかしい、まるで地球が宇宙人に大人気の観光地みたいだ・・・。それに、そのUFO搭乗員ときたら、妙に人間に親切で、なにかと助けてくれたり、このままじゃ地球があぶないよ、と警告してくれたりするやつがいるかと思いきや、人間を誘拐して人体実験したりするやつもいる。善良なのもいれば、邪悪なのもいるのです。

 ところで、そもそも人間の善悪の尺度なんか意味がないのは妖精も同じなんですね。それにくらべたら、搭乗員たちは、善悪がはっきりしすぎているくらいです。やはり、それは搭乗員の思考や行動が人間の想像だからではないでしょうか。

 遭遇の基本的パターンも妖精とUFO(及びその搭乗員)で共通する点が多くみられます。深夜、馬(または自動車)が理由もなく立ち止まってしまう、さらにこのとき、不思議な光を知覚し、音(発信音)も伴うことがある・・・そして遭遇した人間はしばしば身体に変調をきたす。相手は概ね小人で、地面に近い空中に浮いていて、しばしば光を発している。その容貌は切れ長の目を持ち、身体に対して頭部が大きい・・・いかがでしょうか、なにかに似ていると思いませんか?

 そう、胎児です。切れ長の目と、身体に対して頭部が大きいというのは、これは胎児のイメージそのものなのです。胎児というものが象徴しているのは・・・もちろん、「無意識」領域ですよね。

 
左は映画「2001年宇宙の旅」。右はAubrey Beardsleyがたびたび描いた胎児。

 先ほどもすこしだけふれましたが、宇宙人に誘拐されたというひとがいます。そしてUFOの内部にしばらく監禁されたと証言する人たち―。

 もっとも早い事例は1950年代。1960年代以降、とくに1970年代あたりから報告が増えている。こうしたひとたちの証言は、たいがいUFOの目撃記憶に奇妙な空白があって、しばらく後―場合によっては数年の後―に医療機関などで退行催眠を施されたところ、「誘拐」された記憶が甦ったというもの。つまり、「誘拐」というのは、厳密に言えば、退行催眠を施された時点で「発生」しているのです。しかも、医師によって退行催眠が施されるまでの間、円盤研究者と接触したり、円盤に関する文献を読んだりしているわけです。ということは、退行催眠で甦ったとされるその記憶は、事後の経験によって汚染されている可能性がある。「取り戻された」とされる記憶が捏造でないと保証できるでしょうか。すくなくとも、日常接したことのある各種の情報から、なんらかの影響を受けたことを否定することはできないのではないでしょうか。なぜ記憶をなくしていたのかということが問題なのだ、と主張する人もいますが、退行催眠で「誘拐」されたことを思い出したからといって、UFO搭乗員が被害者に対して記憶を抹消する操作を施したのだろう、などと言うのは先ほどと同じ、論理の転倒ですよ。

 それでは「誘拐」の被害者の身にはなにが起こっていたのでしょうか、それとも、何事も起こってはいなかったのでしょうか?

 深夜のドライブ・・・道はどこまでも真っ直ぐで、ハンドル操作もほとんどない。するとひとは覚醒と睡眠の狭間の状態に陥りやすくなる・・・まさに幻覚、幻視や幻聴が生じてもおかしくない状態になります。現代でも、真っ昼間、自動車を運転していて、ひとをはねてしまったのに、運転手はまるで気づかなかったなんていう例があります。

 また、1961年に誘拐された夫妻が白人(妻)と黒人(夫)の夫婦だったという例・・・時期から見ても、行く先々でこの夫婦が好奇と軽蔑の目で見られたことは間違いありません。じっさい、黒人の夫の方は、モーテルでも黒人であることを理由に、満室という口実で宿泊を拒否されるのではないかという不安を常に抱いていたそうです。当時の、とりわけ差別意識の強いアメリカ南部の旅行では、相当な緊張を強いられていた・・・こうした抑圧された不安と恐怖も、無視することはできません。そうした不安が幻覚などに投影されるわけです。

 そして夫婦間の問題もある。誘拐された被害者が夫婦関係の危機にあった例があって、なかには被誘拐体験を「思い出した」ときには、すでに夫婦間の破局を迎えた後であった被害者もいます。破局の理由が不妊だった夫妻が、円盤内部で身体検査をされ、生殖機能のテストを受けたと証言しているのは、もう話ができすぎですよね。

 ほかに、流産した経験を持つ女性が、その後「誘拐」されたときに、円盤内部で子供に会う、それはかつて胎内から奪われた胎児が成長したものであると本人は確信した・・・これなどは、つらい過去の経験を、なにものか(この場合UFO搭乗員)に責任を転嫁することによって解決しようという心理のあらわれとしか思えません。

 してみると、UFO搭乗員が人体実験を行っているのも意味深です。生殖機能の検査であったり、あるいは棒を臍に挿し込むといった、あからさまに性的な象徴と思われる行為と聞けば、だれしもフロイトの「衝動理論」を思い出すでしょう。

 フロイトは、自分の扱っていたヒステリー患者が幼児期に大人から性的ないたずらをされた経験を持っているとして、一度は、無意識領域に蓄えられた幼児期の経験が精神疾患の原因になると説いた・・・ところがわずか1年あまりでこれを撤回、幼児期に性的に弄ばれたというのは患者の幻想であると、自説を翻してしまった・・・。このフロイトの考えが正しかったことを証明する方法はないのですが、UFO搭乗員による「誘拐」という「取り戻された」記憶にこそ、この理論がふさわしいように思えます。つまり、本人は嘘をついているつもりなんか毛頭ない、ところがその記憶は無意識のうちに捏造されたものなのではないか、ということです。ことにトラウマにかかわる精神療法では、記憶は「創出」されるもの・・・とは、Parsifal君が映画「惑星ソラリス」について話したときにも言及されていましたよね。

 こうした被誘拐事例が1980年代に増加しているのも理由のないことではありません。ちょうど、ある多重人格の女性が、退行催眠によって、幼少時に(性的)虐待を受けたことを思い出したという本を出版して、各地で同様の記憶を回復した人々が続々と名乗りをあげはじめた時期なのです。



 誘拐、人体実験といった、宇宙人のネガティヴな面に対して、ポジティヴな面を強調する話もあります。宇宙人たちは人類よりもはるかに高度な科学技術を持っており、悠久の太古から地球(人類)を見守ってきて、核兵器や環境破壊によって人類は破滅の危機に瀕していると「警告」を発している、という話です。いわゆるUFOカルトでよく語られるお話ですね。

 でもどうですか、ちょっとわかりやすすぎやしませんか? ここまでくると時の為政者に対する左翼運動家の演説、あるいは(カルトを含む)宗教家の教義となんら変わりがないように思えます。だってアナタ、宇宙人ですよ、宇宙人。こんなに親しみやすくて、我々にも理解可能なメッセージでいいの? さっきの妖精との比較じゃないけど、善悪という概念から、その判断基準まで、なにもかもが我々人類と同じなんてこと、ありうるか? 逆にいえば、ソイツラの言ってることやってることは、歴史上古くからある終末論、救世主論そのまんまなんだよ(呆)

 (ゲホゲホ)失礼、ちょっとコーフンしてしまいました。

 もうひとつ、疑問があります。このような人類を善導する宇宙人とコンタクトをとったひとたちの証言によれば、彼らは金髪碧眼だということなのですね。早い話が白人種のイメージです。ところが、人間を誘拐したり人体実験を施したりするネガティヴな宇宙人は背が低くて(東洋人のように)吊り目で、先に述べた胎児のようなイメージになる、さらに皮膚の色は浅黒いか灰色。善良(宇宙)人種は金髪白人種のイメージで、邪悪(宇宙)人種は異人種のイメージ・・・ここには、レイシズムの匂いが感じられるのです。そう、レイシズム―つまり人種差別・民族差別です。白人種至上主義といった方が理解しやすいでしょうか。

 人類にとってもっとも危機感をもたらすものが核兵器である時代には核兵器、環境破壊が問題になってくれば環境問題と、「警告」の内容はその都度、時流に合わせて変化しているうえに、そんな善意の「警告」を発してくれる宇宙人はその容貌も金髪白人種、ところが善意よりも悪意を強調して、この異類に対して恐怖と憎悪を投影するときには、いわゆる劣等民族というものに対する古くからのイメージに合わせているわけです。おーおー、じつにわかりやすいハナシですナ。



 UFOが墜落したとか、回収されたとかいった事件が、政府や軍によって隠蔽されている、などと取りざたされています。

 古くは1948年にニューメキシコ州で、なんと搭乗員の死体までもが回収されたと、当時あるジャーナリストが書いています。もっともこのジャーナリストの情報源となったふたりの人物は札付きの詐欺師だったことが分かって、まもなく問題にされなくなりました。ところが、こうした事件の概要が―たとえデマやホラでも、いちど発表されてしまったからには、「いや、今度はホント、間違いない」と言って、新たな事件を証言するひとが出てくるのは確実で、じっさいそのとおりになっているのです。

 よく考えてみてください、空からなにかが落ちてきた、そして爆発した。ここまではいいとして、どうしてこれを即円盤に結びつけるのでしょうか? ふつうなら、軍の機密兵器(たとえばミサイル)などと考えるのが順当ではありませんか。

 しかも、そうした事件の証言や報告が信頼に足るものなのかというと、円盤の墜落・宇宙人の死体の回収に関する情報は、なぜかほとんどが二次情報なのです。つまり、家族とか友人知人の誰それが参加した(らしい)、見た(そうだ)、というもの。たしかに、この種の情報の件数はかなりの数にのぼり、これらの情報が多くの点で一致するところから、その信憑性を支持するというのが研究者たちの主張であるわけですが、そもそも噂というものは、不特定多数のひとたちが同じような話をするから「噂」なのです(笑)

 ”Majestic Twelve”、「MJ-12文書」という有名な報告書、みなんさんもお聞きになったことがありませんか? この文書は、UFO研究者の間では、1952年11月18日付の文書で、CIA初代長官から次期大統領アイゼンハワーに宛てられた、MJ-12作戦の概要説明文書、宇宙人の乗ってきた円盤が墜落して、これを時の大統領トルーマンが12名の権威者による委員会を設置して調査させた、その報告書ということになっています。「・・・なっています」なんて言いましたが、これは実在する文書、でっちあげではありません。ただし内容は不明、このように、実在するものを織りまぜることが、「もっともらしさ」への近道なのですね。

 この文書はひと頃、「ロズウェル事件」の最高レベルの証拠と言われましたが、そのロズウェル事件というのは、1947年アルミホイル製のレーダー反射板をぶら下げた観測気球の残骸が回収された事件。これが1978年頃から、異星人の乗った宇宙船の墜落事故だ言われるようになったもの。これはベトナム戦争やウォーターゲート事件あたりをきっかけに、政府に対する不信感が高まってきたためでしょう。じっさい、1960年代には宇宙人の陰謀という話はあっても、政府の陰謀なんて話が語られることはなかったんです。観測気球であれ、じっさいに落ちてきて回収された事実があるので、30年も前の古くて又聞きも多い証言のなかから都合のいいものを選択すれば、どんな「真相」でも作りあげることができるという例です。「軍が墜落した円盤を回収しているところを見た」と証言するひとは次々と現れたんですが、その人たちの証言は矛盾だらけ、墜落地点もバラバラ、墜落した日もバラバラ、回収された宇宙人の屍体の数も1体から8体までバラバラ、もう薔薇の花が満開です。ちなみに、観測気球が回収されたのはロズウェルから北西120kmにある牧場で、これを「ロズウェル事件」と呼ぶのは、静岡県三島駅付近で起きた事件を「東京事件」と呼ぶようなものですね。

 過去に、この「MJ-12文書」が流出したという事件があったので、ここでお話ししておきましょう。1984年にTVプロデューサーのもとへ未現像の35mmフィルムで送られてきたとされていて、このプロデューサーはUFO研究家に相談、その後調査と検証が行われました。そうしたところ―記載されている委員会のメンバーの階級が間違っている、日付の書式やカンマの打ち方、使われている用語、ページのナンバリングが当時の政府文書とは考えられないものである、フォントからは1952年には未だ作られていないモデルのタイプライタ-が使われていることが判明、押されているゴム印は当初相談を受けていたUFO研究科が持っているものと同一、大統領命令の番号があり得ない番号、トルーマンのサインは他の文書からのコピーである、といったことが指摘されました。従って、ここで流出したものは真っ赤な偽物であることがほぼ確実視されて、海外でも真面目なUFO研究家はMJ-12文書の信憑性には疑問を持っていたところ、1989年に、そもそもTVプロデューサーから相談を受けたというUFO研究家が偽造を告白しています。ああ、お粗末(笑)

 円盤の残骸や宇宙人の死体が運び込まれて、現在も研究されているという第18格納庫、これもオハイオ州に実在していて、ここには来る日も来る日も、事の真偽を問い合わせる手紙が舞い込んでくるそうです。担当者は毎日毎日、「そんなものはございません」という返事を送っているのでしょうか(笑)

 さらに、政府は宇宙人と秘密協定を結んで、アメリカ空軍は宇宙人の提供による円盤のテスト飛行を行っている、という噂もあります。その代償に、宇宙人は地球人を誘拐して人体実験を行い、アメリカ政府はこれを黙認していると・・・これもアメリカ人が大好きな陰謀説の一種ですね。

 1970年代からアメリカでは情報自由化への動きが高まり、多くは国家安全保障を理由に機密解除には至らなかったものの、結果、非常に数多くのUFO関連文書が公開されました。人々の反応は、なんだ、FBIもCIAも軍部も、かなり以前から円盤について調査していたんじゃないか、と・・・こうした背景があって、アメリカ政府と宇宙人の秘密協定なんていう新説が出てきたと思われます。

 少なからぬUFO関連文書が存在したのは事実なのですが、これはあたりまえのこと。正体不明の飛行物体が、自国の領土(領空)内をうろうろしている、まして墜落したらしきものまである。となると、政府としては調査するのが当然です。まして東西冷戦下においておや。1940~1950年代には、この正体不明の飛行物体への不安が、共産主義=ソヴィエトに対する恐怖と連動していたに違いありません。もちろん現在でも、どこの国のものとも知れない飛行物体が許可もなしに領空を侵犯すれば、全力をあげて調査にかかるにきまっています。

 ・・・でも飛んでいるやつはどうもソヴィエトとは関係ないらしい・・・どころか、普通の飛行物体とは違うようだ、でも、べつに飛んでいるだけで利害の面ではなにもない・・・結局その正体が判明しないままに、調査の経過と結果は報告書にまとめられる。これは、どこの国でも、とくに政治と役人の世界では同じことですよね。



 先ほど「陰謀説」と申しましたが、とりわけアメリカにおいて、どうも無意識のうちに人口に膾炙すること著しいのが「陰謀論」です。つまり、世界は何者かによって操られている、という考え―信仰と言ってもいいものです。その「何者か」は、ユダヤ資本だったり、ロックフェラーだったり、フリーメイソンだったり、イギリス王室だったり、多国籍企業、秘密結社、そのほか、操っている主体はいろいろと想定されています。

 人間には、世界が見えないというコンプレックスのようなものがあるのですね。だからこれを体系付けたいという欲望にとらわれていて、たとえば知識欲などはそのあらわれだと思われます。いってみれば推理小説を最後まで読むような満足感を、世界に対して抱きたいという心理ですね。つまり「すっきりしたい」と。

 そこでいちばん簡単なのは、世のなかのすべてを操る主体を想定することです。これには注意してください、宗教だって同じことをしているのですよ。宇宙人とアメリカ政府の協定といった陰謀説も、その末尾に連なるものです。宇宙人(またはUFO搭乗員)による誘拐も、陰謀説で説明できると同時に、陰謀説を裏付ける事例として機能しているわけです。もちろん、宇宙人が太古から地球(人類)を見守ってきた、というのもこの陰謀論の一形態です。

 この陰謀説の延長線上にMIBが現れるのです。”Men In Black”、すなわち「黒服の男」です。同名の映画では、一見、コミカルな描き方がされていましたが、一般にはMIBの正体はCIAや軍の、つまり政府筋のエージェントで、UFO関連情報を隠蔽しようと暗躍しているものと考えられています。

 UFO目撃者のもとに現れて・・・これがまたクサイ科白を吐くんですなあ。曰く「一切口外するな、フィルムは引き渡せ、もし従わねば身の安全は保証できない」、曰く「奥さんに綺麗なままでいてもらいたかったら拾った金属片を渡してもらおう」、コインを手品のように消してみせて、「この次元に住む人間は誰もこの硬貨を二度と見ることはない」・・・あげくの果ては、「エネルギーが切れてきた、帰らねば」なんてのもあります(笑)

(一同、爆笑) あははははは゜゜(^0^。)°゜。゜゜(^0^。)°゜。あはははははは

 MIBのセリフはクサイのが特徴なんですね。しかも、「手を引け、口外するな・・・さもなくば・・・」って脅迫めいたことを言いながら、じっさいに肉体的な危険にさらされたひとはいないのだそうです。せっかくの凄みのきいたセリフなのに残念なひとたちです(笑)

 ところが1960年代以降、正体不明の人物が空軍、あるいは国防省の人間だと名乗って、UFOの目撃者や研究者を訪問し、時には写真を没収したり、沈黙を守るよう要求したという事実はあったらしいのですね。じっさい、1967年には国防総省から、類似の事件があった際には通報するようにとの公式文書が各種機関に対して出されている・・・まんざらデマでもないようなのです。しかも、MIBに関しては、知人やそのまた知人の体験として語られるのではなく、MIBの訪問を受けた当人が報告しているのが、UFO墜落・回収事件とは違うところです。

 しかし、黒服の訪問者というのは、民間伝承に目を向ければ、典型的な悪魔・死神の訪問の型をなぞっているものです。また、この黒服の男が3人で現れるというパターン、これは三位一体、「聖書」の東方の三博士を思い出させます。東方の三博士というのは、イエスが生まれたときに、星がのぼったことからユダヤの王が誕生したのを知り、東方からイエス生誕の地ベツレヘムにやってきたのでしたね。つまり、天空を流れる星に導かれてやってきた。一方、MIBはUFOに導かれてやって来たというわけです。とすると、MIBは東方の三博士の陰画といっていいのかもしれません。


Hans Memling ”La Adoracion de los Magos”「東方三博士の礼拝」(1470年)

 よく、この世界には、まだまだわれわれ人類には未知のものがあって・・・と言われますが、ひょっとすると、未知のものなんかないんじゃないかと思えてきます。すくなくとも、人間の想像力は既知のものから逃れることはできないのではないでしょうか。


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「何かが空を飛んでいる」 稲生平太郎 新人物往来社版
「定本 何かが空を飛んでいる」 稲生平太郎 国書刊行会
※ 国書刊行会版は表題作に「影の水脈」「他界に魅せられし人々」を併録して復刊したもの。

「UFO事件クロニクル」 ASIOS 彩図社


Diskussion

Klingsol:「何かが空を飛んでいる」・・・いい表題だね。至極まっとうな立場だ。


Parsifal:1950年代は、太陽系のことも十分にはわかっていなかったから、生命があるかもしれないと思っていたんだろうな、宇宙人は金星とか火星からやって来る。そのうちにどこだか銀河から来るようになって、しまいには○次元から来た、なんてことになっちゃうんだな。


Kundry:かなり以前に読んだので、もうよくおぼえていないのですが、宇宙人に火星だったか木星だったかに連れて行ってもらったら、そこで獲れたジャガイモは地球のジャガイモよりも5倍以上の栄養があった、というのがありましたね(笑)


Hoffmann:アメリカもいい気なもんだよあ。白人種(アメリカ人)の優越感情に宇宙人の善意の警告を放り込んでかき混ぜてできあがったような映画が「地球の静止する日」”The Day the Earth Stood Still”(1951年 米)だ。ロバート・ワイズ監督の古典SF映画なんだけど、これぞ「世界の中心である我らがアメリカ」が、アメリカ人こそ世界を動かすべき資格を持つことを主張するための、自己満足押しつけ映画でね、その後「グリーン・ベレー」(1968年 米)とか「インデペンデンス・デイ」(1996年 米)といった自己批判精神欠如映画の系譜を連ねてゆくこととなる、その意味では思い上がり映画の草分けだよ。

Kundry:結構有名な映画ですよね。その善意の宇宙人はあっさり銃撃されてしまうんですよね。

Hoffmann:そう、周到な準備をしてきて被害を被ることなく、その目的に従って「要請」することもできたであろうに、これは無防備なままに正論を吐く純情さを強調しているんだろうけど、本当にこんな調子でやってきたら、ただの莫迦にしか見えないよね。つまり手前勝手な下々の者どもの無理解に苦悩する無私の正義感、悲劇のリーダーを気取って、被害者ヅラしているアメリカという国の姿が透けて見えるわけだよ。何事かを「・・・反省しなければならない」とか「・・・改めなければならない」と主張するひとが、その発言のアタマに「我々は・・・」と付けるよね。でも、じつはこういうやつは「自分だけは正しい」「自分だけは間違っていない」「反省すべきは自分以外の他人全員」と思っているんだよ。だから自分は上から目線で他人に指図するのが当然だと・・・。

Parsifal:被害者面・・・というのは、相手を攻撃するための免罪符になるからね。自分は被害者だと主張することで、相手に対して上から目線で自分たちの方がすぐれているんだと言いながら、国家規模でゆすり、たかりを続けている例もあるよね。

Hoffmann:だから、アメリカだって、攻撃されたがっているんだよ。それが実現したのが真珠湾であって、そのときのうまみをいまも忘れてはいない。だからブッシュはフセインをさんざん煽ったんだけど、とうとう待ちきれなくなってイラク空爆に踏み切った。あのとき、小泉が「(ブッシュにとって)苦渋の決断であろう」と発言して、「ブッシュはあんなに攻撃したがっていたのになにが苦渋?」と言われたんだけど、フセインの方からなにか仕掛けてくるのを待ちきれなかったんだから、たしかに苦渋の決断だったのかもね。

Kundry:表向きは大量破壊兵器を廃棄させることでしたね。検証はされていませんが・・・。

Hoffmann:攻撃されたがっているというのは薄々自覚もあって、だから9.11のアメリカ同時多発テロ事件のときには自作自演説も出てきたわけだ。

Klingsol:たしかに、攻撃されたがっているというのは、UFOフォークロアにもよくあらわれているね。

Parsifal:アメリカ文学にしてもアメリカ映画にしても、「なぜ?」という問いを発しないよね。「起源」に対する関心がない。アメリカが病んでいるときに、「世界は病んでいる」と言うのは・・・。

Hoffmann:ジョージ・ブッシュが「世界はもう待てない」と演説しただろう。アメリカという国は、アメリカ人と「世界」は同一であるべきだという己の発想の異常さに思い至らないんだよ。さっき「自己批判精神欠如映画」とか「思い上がり」とか言ったのはそういう意味だ。「アメリカの問題」を「世界の問題」と信じ込めるんだから、反省のまなざしがあるわけがない。


Klingsol:”globalization”(グローバリゼーション)というのは、アメリカならアメリカのローカル・スタンダードを世界標準にすり替えようという価値観の一元化のことだからね。まあ、国連なんてどんなに人口の少ない小国でも一票の権利を持っているから(どこかの国の「一票の格差」どころではない)、そうした群小国家を取り込まなければならないわけで、アメリカあたりはこの構造故に外交戦略を決定しなければならず、閉口させられることもたびたびなんだろうな。だから「ウチとおまえさんの利害は一致しているんだよ」とやるための戦略かもしれない。


Kundry:いま調べたらこの映画は2008年にリメイクされているようですね。そちらの邦題は「地球が静止する日」。この1951年版は「地球の静止する日」。いずれにせよ、リメイクされているくらいですから、人気が高いのでは?

Klingsol:リメイクは新ネタがないときにもよくやるみたいだけど・・・この映画に関しては、やっぱり政治的意図があるのか・・・なんて言ったら「陰謀論」みたいだな(笑)

Parsifal:まあ、1950年代あたりのアメリカ映画は、たいがい多かれ少なかれ反共思想とその宣伝要素を含んでいるものだよ。有名なところでは、1957年の「極地からの怪物 大カマキリの脅威」”The Deadly Mantis”。北極の氷のなかから目覚めた巨大な古代カマキリが南下してワシントンD.C.を襲う・・・カマキリの前足はソヴィエトの国旗の鎌そのものだ。「地球の静止する日」とほぼ同じ時期には、火星人がキリストに指示を与えていた神であった、というゴリゴリの反共産主義映画が公開されている。つくづくアメリカという国は病んでいるなあと思うよ。円盤というのも、その病の表象なのかも?

Hoffmann:今日の話のそのまんまの表題で、”Men In Black”「メン・イン・ブラック」(1997年 米)なんて映画もあったけど、あれなんかはコメディだからそのあたりは薄められている・・・かな?

Parsifal:「メン・イン・ブラック」は「インデペンデンス・デイ」の翌年だね。地球上には1,500もの宇宙人が人間に混じって生活していて、「MIB」はこの移民宇宙人の動きを監視する極秘機関ということになっている。ほとんどの宇宙人は善良だが、なかには不法入国(入星)してくる宇宙人もいて・・・というstoryだな。あの映画での移民宇宙人はアメリカにおける移民生活者の暗喩だろう?

Klingsol:明らかにそうだね。多民族国家アメリカでなければ成立しなかった映画だよ。あの映画以降、「監視」が無条件に正当化されたんだ。いまでは、街なかに監視カメラが設置されていることをとやかく言う人はいなくなったよね。


Parsifal:「防犯カメラ」と名前を変えてね(笑)


Hoffmann:キューブリックはわりあい反体制な作風だったけど、スピルバーグはすっかり「取り込まれて」いるよね。


Kundry:物語の軸は都市伝説「MIB」になっているわけですね。


Klingsol:あの映画に取り入れられた都市伝説は細部にまでわたっていろいろあるよ。たとえば、宇宙人がやたら水を飲ませろと言うのは、UFO事件で着陸した円盤か現れた宇宙人が水を要求するという、よくあるパターンだ。このとき、砂糖を入れろというのも、宇宙人が甘いもの好きというよくある話。MIBの組織がエイリアンからの押収物をパテントにして収入源としているのは、現在のアメリカの高度な技術は、墜落した円盤から得られたテクノロジーを解析して開発可能になったものだとする都市伝説そのままだ。ニューラライザーという一瞬にして記憶を消し去るペン型の装置は、宇宙人に誘拐された人間が記憶をなくしていることから、宇宙人が記憶を操作する(できる)とされている話から応用されている。


Parsifal:どこかで聞いたようなものばかりなので、観る人たちにも馴染みやすいんだな。

Kundry:MIB=東方の三博士説は意外ですね。

Hoffmann:この本には、多くの研究者からはたんなる妄想として斥けられたが、ある研究者は政府が円盤の真相を握りつぶそうとしている証拠だとして、さらに一部の研究者は世界征服を画策する国際ユダヤ金融資本の手先だと考えた・・・とあるな。

Klingsol:また「陰謀論」か(笑)

Hoffmann:ところが、MIBに関しては二次情報ではなくて、MIBの訪問を受けたという当人が証言・報告している。だから困っちゃうんだな。そこで、東方の三博士という、フォークロアの可能性を持ちだして「?」で終わらざるを得ない、というわけだ。

Klingsol:多民族国家だからね、英語の発音の苦手な奴が水をもらいに来たり道を尋ねてきたりすることくらい、いくらでもあると思うんだけどね(笑)


Parsifal:この本の著者はほかにも筆名をもっているよね。別名で書いている本にもいいものがあって、いつか取りあげたいと思っているんだよ。