032 「魔女論 なぜ空を飛び、人を喰うか」 大和岩雄 大和書房




 
学生時代、同級生に自ら「悪魔学の権威」と称している男の子がいました。よくよく尋ねてみると、どうも読んだ本は初期の澁澤龍彦程度で、ハタチかその前後あたりの年齢ですと、「異端」を気取るのも無理はなかったのかなといまでは思っています。みなさんはいかがでしたか?(笑)

 一同、苦笑い(^_^;A(^o^;A(^~^;A

 
今回は、魔女についてのお話です。一応、表題の本を参考といたしますが、後で述べる理由もあって、必ずしもこの本に準拠した内容とはなっていません。


Albrecht Duerer

 魔女といえば、”Witch”(ウィッチ)という呼び名が一般的ですね。古語は”Wycche”、語源は”Wise ones”、すなわち”Wise people”「秘儀に通じる者」という意味です。つまり、もともとは直接的に悪魔と結託した者をさすことばではないのです。

 いまでも、フランス語なら”Sorcier”(ソルシェール)、ドイツ語なら”Hexen”(ヘクセン)・・・”Sorcier”とは「運不運を告げる者」という意味ですから、魔女というのはもともと予言などを行う秘儀に通じた超能力者、古代社会における巫女のような存在だったということになります。つまり、黒魔術ではなくて白魔術。古代の女族長社会・共同体における巫女の役割といえば、ひとの悩みや病を癒し、豊作や大漁といった豊穣信仰と結びついたものです。

 予言というと、シェイクスピアの「マクベス」に登場する3人の魔女を思い出しますよね。ぐつぐつ煮立った瓶という小道具に、「きれいは汚い、汚いはきれい・・・」という呪文の、アレです。ここでは、本来魔女というものが持っていたイメージが、すでにかなり変質しているとみていいでしょう。この、冒頭の魔女たちの台詞を深読みするひともいるようですが、シェイクスピアの宗教感覚は、ジェームズ一世あたりの影響以上のものは見られない、悪魔信仰に関する点ではとるにたらないものだというひともいます。とはいえ、このように書かれたということは、この時点ですでに魔女が不気味にして恐ろしいものという存在感を持ち始めていたということを示しています。

 文学にあらわれた魔女といえば、古くはホーマー(ホメロス)の「オデュッセイア」で、部下たちを豚に変えてしまうキルケーがいます。ただ、これをもって魔女は恐ろしいものというイメージが定着したと考えるのは早計でしょう。ひとを獣に変えるのは堕胎や去勢といった性的な表象であると同時に、豚はエジプトのトーテム信仰と無関係ではないことを念頭に置くべきです。

 多くの人は、現在のような魔女のイメージが定着したのはキリスト教以降と考えているかもしれませんが、ローマ時代には魔女と黒魔術とが結びつけられていたみたいですね。ホラーティウスには恋の成就のための魔術を施す魔女が登場しますが、その描写は奇怪な老婆です。ペトロニウスの「サチュリコン」では醜怪な老魔女が、鵞鳥の肝臓だのを使って祈祷の末、胡椒といらくさの実を油で練って皮製の陽根になすりつけ、主人公(男性です)の肛門に挿入して・・・まあ、いろいろと(笑)

 2世紀になると、以前名前が出ましたね、アプレイウスの「黄金の驢馬」があります。よく、文学作品において魔女の存在について言及されるようになったのは2世紀頃からと言われていますが、それはこの著作を想定してのこと。このなかには、テッサリアの人妻である貴婦人が、夜になると月桂樹と茴香を水に混ぜたものを飲む、すると身体に羽が生えて梟に変身して飛翔するという話があります。これなどは、中世ヨーロッパに広く見られる魔女像の原型といっていいでしょう。それに、彼女はひじょうに淫乱で、自分を拒む男を罰したというので、このあたりも後の時代の魔女のイメージに近いところがありますね。

 ついでなので説明しておくと、夜の飛行というのは民間ではかなり信じられていたようです。キリスト教ではない、ディアナ信仰では、この月の女神が安らぎを得られない魂を引き連れて空中を騎行する習慣があるとされており、フランスには女性の姿をした精霊たちが、「アボンドの奥方」の指揮のもと、森を駆け回ったり、家々に侵入したりするという迷信がありました。家の者が食べ物と飲み物を用意しておくと、物質的な財産で恩返ししてくれるというので、夜になると戸棚を開けてから眠る人々もいたそうで、これに便乗して、女装した盗賊が家に侵入して、踊りながら財産を奪っていくなどということもあったそうです(笑)しかし、このディアナや「夜の奥方たち」という存在は魔女ではありません。



「愛の魔法」(作者不明、15世紀フランドル絵画)


 13世紀頃までは教会もこうした民間信仰をきびしく禁じたりはせず、聖職者たちも、人間が眠りについているときに、悪魔が罪を犯すようにそそのかすことはあっても、その夢を現実のものとして飛行などできると考えるのは神の教えに反している、とは言っていたものの、これを断罪するようなことはありませんでした。こうしたお伽噺を信じるのは愚かで無知な人々だけだという立場をとるにとどまっていました。

 魔女概念の転換期は14世紀です。カルロ・ギンズブルグによれば、14世紀半ばにヨーロッパをペストが襲ったとき、各地で疫病の原因をユダヤ人に帰する風潮が見られ、暴動が起こり、多くの罪もないユダヤ人が虐殺されたそうです。それまでも西欧には、ことあるごとに災厄の原因としてユダヤ人やハンセン病の患者などが告発されてきた歴史があったのですが、このときはユダヤ人と一部のキリスト教徒が毒薬を散布しているとして非難された・・・この人身御供が、やがて魔女へと対象を広げていったのです。

 この頃、異端審問官の報告をもとに作成されたと思われる教皇の大勅書に、ある地域で何人かのキリスト教徒が不実なユダヤ人とともに、キリスト教に反する禁じられた宗派や儀礼を密かに設立し広めている、という内容があります。そしてやはり同じ時期に、ドミニコ会士ヨハン・ニーダーの「フォルミカリウス」という有名な本が書かれていて、これには、ベルン地方に人間より狼に似た男女の妖術師がいて子供をむさぼり食っているとか、ローザンヌでこれらの妖術師たちが悪魔を呼び出し、その門弟になるためにキリスト教信仰を放棄し、十字架を踏みつけ、洗礼を受けていない子供を殺して鍋で煮込み、その脂で魔術や変身用の軟膏をつくった・・・といった報告が記されています。

 まさにそのあたりから、巷間伝えられるサバトのイメージが確立されていったと見ていいでしょう。

 迫害の対象は比較的限られた社会グループ(ハンセン病患者)から、人種的宗教的に限定されながらもより広汎なグループ(ユダヤ人)に移行し、ついには潜在的には限界のない宗派(魔女や妖術師)に到達したわけです。しかもこの第3のグループは、かつて第1、第2のグループに陰謀をそそのかした犯人だというもっともらしい前科まで付けられていました。異端審問官が、魔女の身体に悪魔との契約の印(たとえばほくろやあざがそれであるとされた)を見つけようとする・・・これは、ハンセン病患者やユダヤ人における、服に縫いつけられた烙印を求めるのと同じこと。つまり、新たなスケープ・ゴートに仕立てられてしまったということです。

 もともと「聖書」には魔女を忌避する箇所はありません。異端審問の場で教会側が根拠としたのは「新約聖書」「ヨハネ伝」の「人これを集め火に投げ入れて焚くべし」の一行だけ。ここで述べられている「これ」とは魔女のことだという、牽強付会もはなはだしい理屈によっていたのですね。しかし、それだけで魔女裁判が始まったわけではありません。

 いずれにせよ、 ここにおいて”Witch”が「悪魔に使われるもの」と解釈されるようになり、これはさらに、16世紀フランスのジャン・ボダンによる「魔女とは悪魔と結託することで、己の目的を遂げようとする者」であるという定義に連なっていきます。つまり、思いきり狭義の解釈としたのです。

 従って、こうした一面から見れば、悪魔も魔女もキリスト教側がつくりだしたといっていいものです。黒ミサにしろ、サバトにしろ、その詳細・精緻を極める描写など、すべては魔女たちの自白・陳述という体裁でキリスト教会側から公表されたものなのですからね。

 さて、いよいよ魔女狩り時代の到来ですが、以降は別なお話ということにしたいと思います。

 今回取りあげた本では、原始時代からの大母信仰と魔女のイメージの系譜をたどっており、そこではインドのシヴァとカーリー、エジプト、日本の山姥などにも言及され、さらには吸血鬼との関連やカニバリズムについても考察されていますが、サバトや魔女狩りにはふれられていません。いろいろな事例や資料がやや未整理な感じで羅列されており、同じ話の繰り返しが気になります。これは、もともと「魔女はなぜ空を飛ぶか」という本と「魔女はなぜ人を喰うか」という本の2冊をそのまま合本としたためかと思われます。

 このほか、何冊かの「魔女」関連の本を参照したのですが、サバト、魔女狩りと無関係には扱えないと思われましたので、取りあげる本も新たに、論をあらため、また話者もあらためることにしたいと思います。



(Kundry)



引用文献・参考文献

「魔女論 なぜ空を飛び、人を喰うか」 大和岩雄 大和書房

「闇の歴史 サバトの解読」 カルロ・ギンズブルグ 竹山博英訳 せりか書房



Diskussion

Hoffmann:話者もあらためるの? もうギンズブルグが参考文献にあがっているけど(笑)

Kundry:サバトにはまた深い考察が必要になりそうですし、魔女狩りはそのサバトとは切り離せませんよね?

Klingsol:異端審問ひとつとっても大きなテーマだね。しかも、魔女狩りと一体だ。

Parsifal:はじめに言っていた「悪魔学」”Daemonologie”とは別な話だな。いいよ、続きは引き受けた(笑)