033 「闇の歴史 サバトの解読」 カルロ・ギンズブルグ 竹山博英訳 せりか書房




 それでは前回の魔女の話を受けて、今回はサバトと魔女裁判についてです。

 まずはサバトについて、考察してみましょう。

 ギンズブルグなどは、魔女崇拝はもともと原始宗教の祭儀が変形・退化したものであるとして、古代においてさかんだった豊穣信仰の名残と見ています。サバトの起源もここにあるという説は、いまではかなり一般化しています。また、ミシュレによれば中世のサバトは封建領主に反抗する農奴たちの秘密の集会ではないかということになります。

 それではなぜ魔女狩りの時代に至って、サバトが悪魔をたたえ、悪魔と性的な関係を結ぶ、現実に行われているものとされてしまったのでしょうか。

 この疑問にこたえる前に、記録に残されている―ということはキリスト教会側の文献に記録されている、ということです―サバトとは、いったいどんなものだったのか、説明しておく必要があります。

 ”Sabbath”とは”Se'battre”(狂躁)から発したことばです。これは夜間に集う邪悪な饗宴のこと。

 サバトは主として水曜日と金曜日の晩に催されることになっていて、出発前には衣服を脱ぎ全裸となって、身体の各所に香油を塗り込む。その香油の原料は、朝鮮朝顔、いぬほおずき、ベラドンナ、とりかぶと、大麻のエキスなどといいった、いずれも麻酔剤・刺激剤として知られるものです。子供を煮詰めて採った脂肪に各種の植物や蝙蝠の血などを練り混ぜてつくるなどとも伝えられていたようです。もちろん、じっさいには、こうした香油に、効果はまったく認められないそうなんですが、行為そのものによってある種の自己催眠のような効果はあったのかもしれません。自己催眠によるトランス状態のようなものですね。

 箒にまたがって空中を飛翔してくるというのはキリスト教会側の想像であり、また、トランス状態に陥った妖術師たちの幻覚でもあったのでしょうか。ドアや窓ではなく、煙突から出かけるという陳述もあります。

 サバトは人里離れたドルイド教の祭壇など、古代の宗教の遺跡で行われることが多かったとされており、徒歩で、あるいは山羊や馬の背に乗って集まってきた男女たちの中心の玉座についているのは、半ば山羊の姿をした悪魔です。その姿は角を生やし、驢馬の耳と山羊の蹄、巨大な男根を持つ怪物で、その息は硫黄のような悪臭だったということです。


Francisco Jose de Goya y Lucientes

 さまざまな証言・資料から平均的なプログラムを再現すると、おおむね次のとおり―

01 口頭によるキリスト教信仰の否認
02 悪魔の名による洗礼
03 悪魔のお祓いによる聖油の除去、十字架を踏みつけるなどの象徴的な行為
04 名付け親を排除して新たな保護者(悪魔)を選ぶ
05 服従の証に悪魔に衣服を捧げる
06 魔法の円の中心に立ち、悪魔への忠誠を誓う
07 「死の本」による命名
08 子供を犠牲にして悪魔の尻に接吻する
09 悪魔への1年ごとの貢ぎ物を誓う
10 新信者は身体のどこかに悪魔の刻印を印す
11 悪魔への特別奉仕の誓い


 ・・・もちろん、サバトの秘密を漏らさぬ誓いもあり、さらに饗宴と輪踊りと乱交へと続きます。

 以上は裁判における自白を元に再構成したものですから、必ずしもこのとおりとは限らないのですが、具体的に描写すると―

 ある者は悪魔に、身体のどこかに洗礼を無効にする印をつけてもらい、ある者は己の涜聖行為(さまざまな悪事、呪いの儀式や獣姦など)を報告し、最後に一同は悪魔の尻と性器に接吻する。

 悪魔は不潔なことばや涜神のことばを吐き、赤蕪や盗んできた聖体パンなどを使った黒ミサに至る。これは、聖職者の身でありながら、密かにサバトに参加する悪徳司祭などもいたらしいということを示す。なかには仮面で顔を隠した貴族や貴婦人も参加していたとも言われている。そしてこの聖体パンは好んで精液で汚した・・・。

 やがて、場合によっては人肉嗜食の饗宴に至ることもあり、宴もたけなわとなると、悪魔はひとりの娘を引っ捕らえ、彼女と交わり、そこここで手近な男女を相手にした乱交がはじまる・・・魔女裁判における、悪魔と交わった女たちの告白によれば、悪魔の精液は氷のように冷たく、またその性器には鱗があり、相手となった娘は、挿入するときはともかく、抜き取るときには猛烈な激痛に苦しんだという。また、その長さは1メートルもあるとか、半分は鉄で、半分は肉でできているとか、先端がふたつに分岐していて、膣と肛門の両方を同時に楽しむことができるようになっている、という証言(自白)もある・・・。



Carlo Ginzburg


 
こうして描き出してみたサバトの情景ですが、地方ごとに相違が見られ、そもそも「サバト」という呼称からして別な呼び名もあるのです。ところが、その集会の参加者の告白は驚くほど内容が一致しているのですね。そして15世紀初頭から17世紀末にかけて、悪魔崇拝裁判に基づいて書かれた悪魔学の論文も、こうしたサバト像をなぞるように著されているのです。

 そうした悪魔崇拝の証言には、異質の文化層、すなわち知識人と民衆の文化が重なり合っているのです。たとえば夜の飛行に関する一般的な証言例では、不思議な女性神につき従ってそれに参加したと断言している女性たちが呼ぶ女性神の名は、ディアーナ、ペルヒタ、ホルダ、アブンディアなどと、地域によってさまざまです。これでは、悪魔崇拝というものを「異様に広い」意味でとらえなければ、これらを悪魔崇拝と断定することなどできないはず。つまり、ここにはさまざまな民衆文化に起源を持つ諸要素が見られるのです。
たとえば、動物への変身や夜の飛行は、ディアナ信仰のような、民衆文化に根ざしたシャーマニズムを起源とする信仰から発生したイメージと思われます。

 
研究者によっては、魔女裁判に出てくるサバトの叙述は判事に強制されたほら話でもでっち上げでもない、じっさいに行われた儀礼の正確な叙述であって、判事によって悪魔的な方向ゆがめられたが、じっさいは、先史時代から近代まで生き残った、キリスト教以前の豊饒信仰である、としています。

 こうしたことから、いまに伝えられている淫猥にして凄惨なサバトのイメージは、尋問する異端審問官の想像力による虚構の物語だとするひとがいます。たとえばドランクルという司法官は、女妖術師から好色淫靡な告白を引き出す手腕にかけてはもっとも長じたひとだったそうで・・・言い換えれば、サディスティックにして好色な嗜好を満足させるためのテクニックに秀でていたということですね。

 では、ほとんどがキリスト教会側、裁判官側の捏造とみていいのか?

 これが、ことはそれほど単純ではなさそうで、むしろ、尋問者、被尋問者(魔女、妖術師)の深層心理が共同で描き出したものというべきなのではないでしょうか。ミシュレは、女妖術師たちが裁判官の寛大な処置を期待して、彼らの恐怖と卑猥な事柄を好む情熱に訴えようとした、ここに尋問者と告白者の無意識の共犯関係が生じていた、と指摘しています。そもそも、女妖術師を裸にして、悪魔がサバトの席上で付けた印をさがすなんて、これがサディスティックな嗜好のあらわれでなくてなんなのか・・・。

 「深層心理が共同で描き出した」というのはどういうことか? その背景には、かつて紀元2世紀頃、キリスト教徒が動物崇拝、食人、近親相姦といった罪で告発されていたという歴史があります。噂では、入信者はまず子供の喉を切り裂いて、その肉を喰い、血をすすることを強いられる、とされていました。これは、当時書かれた「弁明書」によれば、新しい宗派に対するユダヤ人の敵意の産物だということなのですが、じつは同様の中傷がかつて紀元前2世紀頃、ユダヤ人に対して行われていたのです。人肉嗜食や近親相姦といったものは、人間にとって、古くからの敵対イメージの典型だった。つまり、サバトの性的乱行、儀礼的食人、動物の姿をした神の崇拝という型にはまった否定的なイメージは、古くからの無意識裡の妄想や恐怖をあらわしていたのではないかということです。

 これが時代を下ると、また告発者と被告発者が入れ替わって、今度はキリスト教徒の側からユダヤ人の悪行として取り沙汰されることになる。そしてユダヤ人にそそのかされたハンセン病患者たちが井戸に毒を投げ込んでいるとして、じっさいに大量虐殺されているのです。

 夜の飛行や動物への変身といった民衆文化的なテーマが、さまざまな地域で、さまざまな民族によって、再構成された神話がある・・・これを投影していったのは、まずハンセン病患者、ユダヤ人。そして対象をほとんど無限に拡大可能とする魔女や魔術師。ここに至って、その民衆文化的テーマと敵対的宗派のイメージとが融合してできあがったのがサバトなのです。これがはじめて固定化されたのは15世紀初め頃。これと同種の「発見」が、以後2世紀以上にわたって、ヨーロッパ各地で繰り返されることとなりました。サバトの型にはまったイメージは不動のものとなって、キリスト教徒以外のあらゆる「信仰」に対する「迫害」を激化させるのに、おおいに役立つこととなったのです。


 
カルロ・ギンズブルグの最初の著作である「ベナンダンティ 16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼」は、16世紀から17世紀にかけて、フリウーリ地方の農民たちのなかで、ベナンダンティと呼ばれる集団が行っていた儀式をテーマに取りあげています。その儀式とは、年に4回、四季の斎日の木曜日の夜に魔女や魔術師と戦う、というもので、この戦いでベナンダンティが勝利するとその年は作物が豊作になるというもの。これが異端審問により、魔女のサバトと見なされたわけですが、ギンズブルグはここに古代の豊穣儀礼の名残を見て、その裁判記録から、ベナンダンティの儀式が異端審問官の圧力により徐々にサバトに変貌してゆく過程を追っていくという、今回取りあげた本で語られていることの実例ともいうべき内容となっています。


Johann Jakob Wick

 さて、このほか、ギンズブルグにこだわらずに、サバトに関する構成要素のいくつかについて、自説も含めた解説を試みると―

 悪魔と交わっても快感がなく、苦痛を感じるとか、その性器や精液が氷のように冷たいとかいうのは、現代でもヒステリー患者の症例にみられるものです。さらに、おおむね魔女は淫乱で、近親相姦のみならず獣姦、死体や悪魔とも交わるとされていますが、死体や悪魔はともかく、こうした行為は、じつは冷感症の患者に多く見られる例ですね。

 悪魔の巨大な男根は、モンタギュー・サマーズなどに言わせると、模造男根ではないかということになり、この説はかなり支持者が多いようです。実用を度外視すれば、我が国にも巨大なご神体があり、さほど驚くことでもなさそうです。その悪魔の姿にしても、サチュロスと旧石器時代の神を合体させ、ゴシック風に具象化したものにすぎないと断じる学者もいます。

 サバトに赴くにあたって、山羊や馬の背に乗って行くというのは、もちろん悪魔の姿が山羊と人間のあいのことして描かれていることとも関連していると思われますが、山羊も馬も家畜ながら農場よりも荒野を連想させるものであること、山羊は険しい岩山に生息し、好色の汚名を着せられた、まさに”scapegoat”、社会のはみ出し者の代名詞であること、さらに馬は欲望・本能の象徴であることと無関係ではないでしょう。たとえば、”nightmare”(悪夢)は”night”(夜)と”mare”(雌馬)の合成語ですよね。


Henry Fuseli ”The Nightmare”

 人肉嗜食や近親相姦といったものは、繰り返し述べたとおり、人間にとって、古くからの敵対イメージの典型、というより敵対者に悪意あるレッテルを貼り付けるときの常套手段です。動物への変身や夜の飛行も、先ほど話に出たディアナ信仰のような、民衆文化に根ざしたシャーマニズムを起源とする信仰から発生したイメージと思われます。それに空中飛行の夢が性的な象徴とされているのはよく知られていることですよね。

 ちなみに、マルキ・ド・サドが若い頃に起こした事件に、ジャンヌ・テスタル事件というのがあります。娼婦を連れ帰って、涜神的な行為に及び、娼婦にも強制したという事件なんですが、それが巷間知られているサバトにおける涜聖行為そのままなんですね。サドもサバトの真似事がしたかったんですよ。なんだか、いかにも罰当たりな涜聖行為も、存外陳腐な想像力から生み出されたものにすぎないのでは・・・という気がしませんか?

 こうしてみると、人間の想像力というものは思いのほか、貧困なイメージの枠にはめられていて、そこから一歩も出てはいない、画一的なものだと思えます。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「闇の歴史 サバトの解読」 カルロ・ギンズブルグ 竹山博英訳 せりか書房

「ベナンダンティ 16-17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼」 カルロ・ギンズブルグ 竹山博英訳 せりか書房


「新版 魔女狩りの社会史」 ノーマン・コーン 山本通訳 ちくま学芸文庫
 ※ 基本図書。
「妖術師・秘術師・錬金術師の博物館」 グリヨ・ド・ジヴリ 林瑞枝訳 法政大学出版局
「恐怖の博物誌」 イーフー・トゥアン 金利光訳 工作舎
「夜の中世史」ジャン・ヴェルドン 池上俊一訳 原書房
「魔女」上・下 ジュール・ミシュレ篠田浩一郎訳 現代思潮社

「魔女狩りと悪魔学」 上山安敏、牟田和男編著 人文書院
「魔女・産婆・看護婦 女性医療科の歴史」 バーバラ・エーレンライク、ディアドリー・イングリッシュ 長瀬久子訳 法政大学出版局
「魔女・怪物・天変地異 近代的精神はどこから生まれたか」 黒川正剛 筑摩選書



Diskussion

Parsifal:Kundryさんが参考文献に挙げた本を取りあげて、サバト、魔女狩りについての話に続けてみたよ。

Kundry:ありがとうございます。

Parsifal:ただ、ギンズブルグ説には批判もあるんだよね。

Kundry:最近読んだ「魔女・産婆・看護婦 女性医療家の歴史」という本には、魔女というのは女性の民間医療者で、魔女の集会というのは、女性医療者たちの情報交換の場だったのではないかと書かれていました。つまり、魔女狩りは女性の民間医療者への弾圧であるという説ですね。

Klingsol:ミシュレも同じようなことを言っていたね。しかし魔女狩りといっても、少なからぬ数の男性も被告となって有罪判決を受けているんだよ。それが説明できないんだな。その本は私も読んだけど、まず女性が迫害を受けていたという主張ありきで、その主張に沿ってフェミニズム理論で固めてみた、という以上の印象はなかったな。

Parsifal:カトリックとプロテスタントの抗争だったという説もあったね。でも、それでは説明できない地域や時代もあって、証拠がないということにかけてはどれも同じだ。

Hoffmann:助ける者のいない、ひとり暮らしの貧困層の高齢女性に関しては、やはり女性への差別と迫害、それにギンズブルグの異教信仰説、ユダヤ人やハンセン病患者への差別が生んだ人種差別と弱者への差別感情などがからみ合っているんじゃないかな。原因がはっきりとこれひとつ・・・なんて考えられないよ。

Klingsol:「ベナンダンティ」によると、被告のフリウーリ地方の方言がネックになって、裁判はかなり手間取っていたらしい・・・そんなところにも原因がありそうだね。

Parsifal:人間の嫌悪感というものからアプローチしてみたいね。キリスト教もユダヤ人も、相手に食人、近親相姦のレッテルを貼り付ければ自分が勝てる、あるいは優位に立てると考える根拠は、嫌悪感だろう?

Klingsol:嫌悪感と・・・選民意識じゃないかな。とくにカトリックは排他的だからね。


Hoffmann:どうも、狂信的なイメージが強いんだけどね。キリスト教徒以外はすべて悪魔崇拝の枠にはめてしまったわけだから。

Parsifal:それがユダヤ人、ハンセン病患者に対して行われていたところ、魔女狩りに至れば対象は無限に拡大できた・・・キリスト教徒だって無事では済まされなくなってきたんだよ。となると、やはりHoffmann君が言うように、原因はひとつではないような気がするな。

Hoffmann:もしも当時、Klingsol君が「鹿と鳥の文化史」で話したような信仰をしていた民族なんかがいたら、火あぶりにされたんじゃないか?

Kundry:日本の民衆文化だって、仏教の伝来で同じような立場におかれたんですよね。仏教が政治利用されたということもありますが・・・。

Parsifal:政治利用されない宗教なんかないよ。戦争というのはすべて宗教戦争だ。

Klingsol:民衆文化の方が邪気がなくて平和・・・とは必ずしも言えないな。結構、閉鎖的な村社会のものだから。

Hoffmann:日本の場合は国全体が村社会だけどね。素朴かと思いきや、単なる粗野だ(笑)