037 「誰も読まなかったコペルニクス」 オーウェン・ギンガリッチ 柴田裕之訳 早川書房




 1543年に刊行された「天体の回転について」は、医者にして天文学者であったニコラウス・コペルニクスが著した、全6巻からなる学術書です。「天体の回転について」というのは通称で、正式な題名は「天球の回転についての六巻」。第1巻では「地球は球体で、運動している」ことを示し、球面三角形についての論述と星の表を記しています。第2巻は「球面天文学」について。第3巻では「分点の歳差と太陽の視運動」について。第4巻では「月」について。第5巻、第6巻では「惑星」について記されています。


Nicolaus Copernicus

 申すまでもなく、コペルニクス(1473~1543)の時代、すなわち15世紀から16世紀の常識は、宇宙の中心は地球であり、その周囲を月と太陽、そのほかの惑星が回っているという「天動説」でした。これに異を唱え、「地動説」を唱えたコペルニクスの著書は異端の説、その著書は天下の奇書として受け取られました。

 ただし、天動説にもいくつかのvariationがあって、元祖は惑星が地球を中心に同心円を描いて回るという「同心天球モデル」。しかし、これだと惑星の軌道が説明しきれないということで、15世紀に出てきたのが、プトレマイオスによる天体モデル。これは「周転円」や「離心円」、「エカント」といった概念を取り入れたもので、以来これが主流となっていました。

 いまの感覚では理解しがたいかもしれませんが、実験に基づく経験主義科学以前の時代、世界を理解するにはすべてが演繹法によっていました。まず絶対不変の「公理」があって、これを組み合わせることで新たな法則を導き出すという方法です。その「公理」は、もちろん「聖書」。聖書に記されたことばは一字一句誤りがないという前提がありますから、地球が太陽の周りを回っているなどという説は、そんな事実もありえないし、そんな主張をすること自体が考えられなかったわけです。

 ニコラウス・コペルニクスは1473年、現在のポーランドにあるトルンという町に生まれ、クラクフ大学でリベラル・アーツを学ぶ傍ら、天文学者アルベルト・ブルゼフスキに師事。中退してボローニャ大学に入学。ここでドメーニコ・マリーア・ノヴァーラ・ダ・フェッラーラという長い名前の天文学者の弟子となったのですが、このひとがそもそもプトレマイオスの天体モデルに懐疑的だったのですね。卒業後はパドヴァ大学で医学を修め、当時医学を志す者の常として、同時に占星術も学びました。2年後にはヴァルミアで司祭兼医師となります。

 そうして著された論文は、当初発表するつもりもなかったのですが、弟子の勧めで出版することとなり、しかし校正作業中に脳卒中で倒れ、校正刷りが届けられたのは亡くなる当日だったと言われています。

 聖書の公理が絶対であったといっても、コペルニクスは聖書を疑ったわけではありません。世界をより深く知るための天文学であって、別にキリスト教支配から脱するつもりではなく、むしろ信仰心からの学問でした。どうも、神がこの宇宙を創ったのなら、その宇宙を照らすランプは部屋の中心に据えられるのがもっとも効率的だろう、と考えていたようです。カトリック教会側にしても、頑迷固陋だったわけではなく、コペルニクスに著書の出版許可を与えたばかりか、出版の後押しさえしているのです。むしろ、コペルニクスを罵倒したのはプロテスタントのルターなんですよ。


「天球の回転について」に描かれているコペルニクスの天体

 「地動説」はコペルニクス以後、ティコ・ブラーエ、ヨハネス・ケプラーを経て、ガリレオ・ガリレイに引き継がれてゆきます。ティコ・ブラーエはコペルニクスの説を信じておらず、プトレマイオスの説を補強しようと考えて観測に観測を重ね、さらに観測の精度を上げて、しかしプトレマイオスの説とはどんどんずれてゆく結果に戸惑いつつ生涯を終えたひと。その膨大な観察記録を受けついたケプラーは、惑星の軌道が楕円であると考えました。そしてコペルニクスの地動説を受け継いで、改良した望遠鏡で臨んだのがガリレオです。教会は、望遠鏡なんてものをとおして見た風景など真実の世界ではない、などとわけのわからない難癖をつけたうえ、ガリレオを庇護していたヴェネツィアのパドヴァ大学がよほど腹に据えかねたとみえて、1603年にはヴェネツィアを都市丸ごと破門とするに等しい措置をとります・・・が、まったく動じないヴェネツィア側に折れて、1年後に破門取り消し。こうしてヴェネツィアはヨーロッパ随一の学問の自由、知的自由が許された場所として有名になったのです。

 どうもコペルニクスから話が逸れてしまいましたが、もう少しだけ付け加えておくと、その後ガリレオが審問を受けたのは、メディチ家に招かれてフィレンツェに行ったところ、ここはカトリックの支配が強く、ローマへの出廷を求められたため。また、ガリレオは審問の結果、涙ながらに自らの学説を放棄させられた、といったイメージを持っている人が多いようですが、当時すでに名声を得ていたガリレオに対する審問は形式的なもので、検察官もガリレオの友人、非難されるというよりも「あのさあ、コペルニクスの説を教えンの、やめない?」といった調子で、審問の結果、ガリレオは一切罰せられてはおりません。ガリレオという人は処世術に長けており、上手いこと立ち回ったという面もあり、また信仰に関しては、自然もまた神によるもうひとつの聖書だと考えていたようで、決してアンチ・カトリックではなかったのです。その意味では、ドイツ人ケプラーの方がプロテスタント信仰であったこともあり、コペルニクス、ガリレオとは異なる考え方があったのですが、それはまた別な話。



Nicolaus Copernicus

 
さて、今回取り上げる本の表題は「誰も読まなかったコペルニクス」とありますが、これはアーサー・ケストラーが初期天文学の歴史を描いた「夢遊病者たち」という本のなかで、コペルニクスの「天体の回転について」を「誰にも読まれなかった本」と書いたことから取られています。

 しかし著者は1970年、エディンバラ王立天文台の書棚を埋める天文学の本のなかに見つけたコペルニクスの初版本に、最初から最後までびっしりと書き込みがされていたことから、現存するコペルニクスの本をすべて調べてみたいという思いに取り憑かれたということです。そして国内はもちろんのこと、アイルランド、スイス、デンマーク、ポルトガル、中国、オーストラリアに旧ソ連と、何十万キロも旅して、「誰にも読まれなかった」とするケストラーの主張が完全に誤りであったことを確かめます。そうした確信に至るまでにほぼ10年を費やし、本の及ぼした影響を実証するのには30年の歳月を要したそうです。じっさいに確認した本は600部、その一点一点について説明した「コペルニクスの『回転について』の註釈付き調査」という本を書き上げ、今回取り上げている本は、その「・・・註釈付き調査」ができあがるまでの個人的回顧録だということです。

 冒頭の第1章は、法廷で著者が証言するところからはじまります、この裁判は、かつて神学生だったという被告人が、盗品である「回転について」を持って州境を越えたとして告訴されたことによるものです。書き出しが法廷だからというわけではないのですが、本を探し出すのも、見つけた書き込みの引用も興味深く、その書き込みをした人間の特定を試みるのも、たいへんおもしろく読めます。推理小説を読むように、心躍るものがあります。

 試みに、方々からいくつか引いてみましょう―

 これはいったい誰の本だったのだろうか。

 私は神父に自分の見つけたものについて話し、クラヴィウスの筆跡の見本が手に入らないかと尋ねた。

 筆跡は同一であり、ブラーエはこの本にも書き込みをしたことが確信できた。

「バチカン本に書き込みをしたのが誰だかわかったよ。パウル・ヴィッティッヒだ」

 ・・・私は三人のうち誰がこの言葉を書いたのかで頭を痛めることになった。ラテン語ではなくギリシア語の文字なので、筆跡の比較は役に立たない。私はライプツィヒにもう一度行ってインクの跡を詳しく調べるしかないと思ったが・・・


 いかがでしょうか。いまどきは、大切な本に書き込みなど・・・と考える人も多いかもしれませんが、小学生や中学生が教科書の隅にパラパラ漫画を書いたのと一緒にしちゃいけませんよ。16世紀に刊行された専門的な学術書のこと、書き込みをしたのもそうした学術書を必要とした人たちだったのです。はからずも国境を超え、時代をも超えたネットワークとなって、その学説の受容の跡をたどることも可能にしてくれる、あるいは本文と同等以上に重要な情報なのです。

 滅法おもしろい本ですから、あとは読んでのお楽しみ―。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「誰も読まなかったコペルニクス 科学革命をもたらした本をめぐる書誌学的冒険」 オーウェン・ギンガリッチ 柴田裕之訳 早川書房

「奇書の世界史 歴史を動かす”ヤバイ書物”の物語」 三崎律日 KADOKAWA



Diskussion

Klingsol:この本は翻訳が2005年に出たときにすぐ読んだよ。おもしろいよね。

Kundry:勉強になりました。

Hoffmann:たしかに推理小説を読むような面白さもあるし、副題にあるとおり「書誌学的」というのが、なにより本好きにはたまらないよね。

Parsifal:なんと、いま調べたら品切れか絶版なんだよね。文庫にもなっていない。いい本なのにもったいない・・・。

Hoffmann:いいものが売れるというわけではないからなあ。

Kundry:それにしても、表題からして、いきなりFBIが登場するとは思いませんでした(笑)

Klingsol:当時の本は(というか、19世紀に至っても本によっては)未製本で売られて、買った人が自分で製本屋に好みの製本を依頼したんだよね。だから、調査した本の写真をもっと掲載して欲しかったね。

Parsifal:それは、きっと「コペルニクスの『回転について』の註釈付き調査」という本の方に載せているんじゃないかな。

Kundry:昔はもちろん手製本ですよね。

Klingsol:機械製本が急速に普及したのは19世紀後半だ。コペルニクスはもちろん手製本の時代だね。古くから古書価の高い本だったから、修復されることはあっても、製本し直されることは、まずなかったんじゃないかな。

Kundry:書き込みもまた愉し(笑)

Hoffmann:マルジナリアだね。