044 「平井呈一 生涯とその作品」 紀田順一郎監修 荒俣宏編 松籟社




 
おれが春夫んとこにいってたんだ。なんだかしりゃしれねえが、あれが彫刻かなんか指差しやがって、彫刻ってえのは見る姿勢ってえのか、見る角度が大切だって言いやがったんだよ。なんだかしれねえが、高太郎か誰かんとこで、そんなことを聞いてきて言ってるんだと思うんだ。うん。そいでね、おれもはっと気づいたんだ。翻訳ってえのも、もとの作品を見る角度が大切だ。その方角がはっきり定まらねえと翻訳もつまらねえや。そしたら、あいつもそうだとかなんとかうなずいていたが、おれの訳ってえのは、いつもこの角度ってのをでえじにしてやってきたわけよ。

 これ、春夫は佐藤春夫、高太郎は光太郎の誤植で、高村光太郎のこと。1973年、昭和で言えば48年時点での、平井呈一の発言です。このとき、72歳。

 平井 呈一は1902年(明治35年)6月16日生まれ、1976年(昭和51年)5月19日に没したひと。本名は程一。永井荷風と佐藤春夫に師事して、とりわけ荷風の門人としては「偏奇館」に出入りして、門外不出の日記の浄書を複本作成することから、中央公論社での個人全集出版の企画交渉まで一任されるほどの信頼関係にありました。ところが、破局は突然やってきて、荷風は日記(出版されることを前提にした日記文学)「断腸亭日乗」と「来訪者」という小説で平井呈一を偽筆・贋作をしたと攻撃に出て、平井は世に出る機会を逸して、文壇からほぼ追放状態とされるに至ります。

 ・・・と、いうのはあくまで表面上のこと。行動した荷風の側だけを見ればの話。平井呈一はといえば、たとえ尋ねられてもこたえず、由良君美が「『来訪者』という作品はかなり本当ですか」と訊いたときには「本当といえば本当だし、嘘といえば嘘だね」なんてこたえていたそうです。


平井呈一

 今回取り上げる本は、 紀田順一郎の「『平井呈一 生涯とその作品』に寄せて」を冒頭に、荒俣宏の「あとがきと感謝の辞」を末尾において、第一部が編者による「平井呈一年譜」、第二部が「未発表作品・随筆・資料他」となっています。

 荒俣宏によれば、平井呈一が没し、正妻も亡くなられ、千葉で同居していた婦人も逝去され、平井呈一の謦咳に接し得た者が、紀田順一郎、荒俣宏を除いてすべて鬼籍に入られたことから、「今これをまとめないと永遠に平井程一の真実は伝わらなくなる」との危惧からまとめられたものです。

 永井荷風との一件については、かつて紀田順一郎も「日記の虚実」(新潮選書 昭和63年)という本の一章で、「断腸亭日乗」の不正箇所を指摘するなどしていましたが、もちろん、この本でも、これまででもっとも詳しく述べられています。これはできれば多くの人に読んでいただきたいところで、私が中途半端なまとめ方で語ることは避けたいと思います。ただ、「来訪者」の多くが虚構であり、荷風自身も平井呈一と完全に絶縁したとは言い難く、一方で平井呈一は一切弁解せずの姿勢を崩さなかったことのみ、ふれておくこととします。

 ここでは平井呈一の人となりについて―まず、折に触れて紀田順一郎が書いたり(インタビューなどで)語ったところによれば、荷風が書いたような「強慾冷酷」とは正反対のひとで、―

つねに端然と和服を着こなし、会えば開口一番「お宅さんは皆さんお達者?」と尋ねる、その気さくな口調がいかにも下町生まれの年輩者らしい、心づかいを感じさせられたものである。文壇や学会などとはほとんど無縁の存在だったが、ひとたび幻想文学を語り出すや飽くことを知らず、興が乗るほどに枯れた表情に赤みがさし、「なんてったって幻想文学は文学なんだからね。SFなんてものは、ありゃ紙芝居なんだからね」と威勢のいい下町ことばがポンポン飛び出す。

 当時中学生だった荒俣宏が手紙を出せば、ていねいな返事が返ってくる。待ち合わせたら、渋谷の喫茶店に、和服姿の腰に手ぬぐいをぶらさげて、下駄をカラコロと現れた・・・。ふとしたことで怒らせてしまうと「バカヤロ、コノヤロ」で、破門されてしまう。でも、忘れてまた受け入れてくれる・・・。

 由良君美がインタビューで語ったところでは―

文士の体臭がぷんぷんしている人でした。文士でありながら美事な翻訳家でもあるといったような一種の両棲類的存在でしたから、若い僕にはたまらなく魅力でしたね。一度弟子にして下さいと言ったら、ニヤニヤ笑ってね「弟子だ先生だっていうんじゃなくて、同臭の人間としていきましょうやね」なんて言われた。

 また、紀田順一郎と荒俣宏の監修による新人物往来社「怪奇幻想の文学」で、平井呈一に翻訳を依頼したときのことは、「本を読む 023」でお話ししておりますが、平井呈一が、「タイムマシンに乗った19世紀の人物が、亜空間から迷い込んできたかのように」登場する場面を、いまいちど引用しておきましょう―

 当日部屋で待っていると、エレベーターの開く音がし、続いてリノリウムの床に「ピタピタ」と草履の音がしたと思う間もなく、受付の扉からヒョイと和服姿の老人の顔が覗いた。編集者が「うーん」と唸った。
「わたしゃね、今日のこの機会を待っていたんですよ」打合せが終わって、うまそうにタバコを吹かしはじめた際の平井の一言を、いまもって忘れることはできない。


 ちなみに、これは平井呈一を直接知っているひとに聞いた話なんですが、そのひとが子供に腫れ物ができた、なんて話をすると、どこぞのお札がいいよ、とか、どこそこのお水をもらっておいで、なんて言う、あたかも江戸文人のようなひとだったということです。


書影

 それでは、平井呈一による翻訳書について、手許にあるものから、思いつくままにいくつか紹介します―

小泉八雲 作品集 全12巻 恒文社

 「日本瞥見記 上・下」
 「日本雑記 他」
 「怪談・骨董 他」
 「東の国から・心」
 「仏の畑の落穂 他」」
 「日本 ― 一つの試論
 「小泉八雲 思い出の記 小泉節子・父『八雲』を憶う 小泉一雄」
 「中国怪談集 他」
 「飛花落葉集 他」
 「仏領インドの二年間 上・下」


 まずは大物から―ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の翻訳です。誤訳もないわけではなく、あれは意訳だと言って攻撃するひともいるんですが、文学作品として、じつに雰囲気のあるいい訳です。なお、全12巻ですが、各巻に番号は振られていません。

 諸君はこれまでに、どこかの古い塔か何かの、どんづまりは何もないただのクモの巣だらけの、どっち向いてもまっ暗がりななかの急な階段を登ってみようとしたことがあるだろうか。あるいは、どこか断崖を切り開いた海ぞいの道を歩いて行って、もうひと足曲がるとそこはもう絶壁になっているようなところへひょっこり出たとか、そんな経験をされたことがおありだろうか。(「骨董」から「茶わんのなか」冒頭)

 いかがでしょうか、学校で習った語学知識では、「どんづまり」「どっち向いても」「ひょっこり出た」ということばなど、なかなか出てこないのではないでしょうか。

「アーサー・マッケン作品集成」 全6巻 牧神社

I 「パンの大神」「内奥の光」「輝く金字塔」「白魔」「生活の欠片」
II 「赤い手」「三人の詐欺師」
III 「恐怖」「弓兵・戦争伝説」「大いなる来復」
IV 「夢の丘」
V 「秘めたる栄光」
VI 「緑地帯」「池の子たち」


 牧神社は「ぼくしんしゃ」と読むんですよ、「まきじんじゃ」なんて読まないように(笑)これはちょうど紙不足の時代に出たので、あまり資質がよくないのが残念。その後沖積社から復刻版が出たようですが、これが私をアーサー・マッケンの虜にした本です。「パンの大神」は創元推理文庫の「怪奇小説傑作集 1」にも収録されているほか、同じ創元推理文庫からは、「三人の詐欺師」が「怪奇クラブ」という表題で出ており、また「夢の丘」も出ていましたね。
 創元推理文庫の平井呈一については後でまとめておきます。

「こわい話 気味のわるい話」 全3巻 牧神社

第一輯
 「はじめに」 平井呈一
 「ミセス・ヴィールの幽霊」 デフォー
 「消えちゃった」 A・E・コパード
 「希望荘」 メイ・シンクレア
 「防人」 H・R・ウエイクフィールド
 「チャールズ・リンクワースの懺悔」 E・F・ベンソン
 「ブライトン街道で」 リチャード・ミドルトン
 「見えない骨牌」 A・M・バレイジ
 「クロウル奥方の幽霊」 レ・ファニュ

第二輯
 「ラント夫人」 ヒュー・ウォルポール
 「慎重な夫婦」 ソープ・マックラスキー
 「色絵の皿」 マージョリ・ボーエン
 「失踪」 ウォルター・デ・ラ・メア
 「手招く美女」 オリヴァー・オニオンズ

第三輯
 「壁画の中の顏」 アーノルド・スミス
 「一対の手 ― ある老嬢の怪談」 アーサー・キラ・クーチ
 「徴税所」 W・W・ジェイコブズ
 「角店」 シンシア・アスキス
 「誰が呼んだ?」 ジェイムズ・レイヴァー
 「二人提督」 ジョン・メトカーフ
 「シャーロットの鏡」 R・ヒュー・ベンソン
 「ジャーミン街綺譚」 A・J・アラン
 「幽霊駅馬車」 アメリア・B・エドワーズ
 「南西の部屋」 M・E・ Wフリーマン

 第一輯の「はじめに」によれば全10巻(十輯)の予定だった模様。ところが、第三輯に「『こわい話・気味のわるい話』は平井呈一氏白玉楼中の人となられたため、本巻を以て終巻といたします―牧神社」とあります。予定どおり第十輯まで刊行されたら、どんなセレクションになっていたのでしょうか。なお、この3巻本は後に創元推理文庫から「恐怖の愉しみ」(上・下)で再刊されています。

「おとらんと城綺譚」 ホーレス・ウォルポール 思潮社

 平井呈一による、ふつうの(ってのもヘンな言い方だが)日本語訳は、以前お話しした、新人物往来社の「怪奇幻想の文学 Ⅲ 戦慄の創造 ゴシック・ロマンスの古典から現代」(1970年)に「オトラント城綺譚」として収録されており、1975年には牧神社からも出たほか、最近では東雅夫編「ゴシック文学神髄」(ちくま文庫)にも収録されていました。上に挙げたのは擬古文訳。ちょっとくらべてみましょう―

マチルダは母ヒッポリタのいいつけで、自分の部屋にさがったものの、おちおち心もおちつかず、とても床にはいるなどという気にはなれなかった。

さてもマチルダ姫は、母君の宣(の)らするまゝにおのが曹司(へや)に退りけるも、いかにか心おち居ず、臥床に寝まる心ぞなかりける。


 須く擬古文訳に臨みたるべし、ただこれをこそ望ましけれとより外に言ひやうもなし。難儀のありといふは、気をとりなほし、馴れなづみ給へ(笑)

「晩秋」 ダウスン 平井程一訳 山本文庫 昭和11年8月2日

「ディレムマ その他短編全集」 アーネスト・ダウスン 平井呈一訳 思潮社
 (収録作)
 「献辞 佐藤春夫」
 「はしがき」
 「ある成功者の日記」 
※ 上記「晩秋」はこの小説の表題を変えたもの。訳文は手を入れられている。
 「良心の問題」
 「遺愛のヴァイオリン」
 「エゴイストの思い出」
 「十日の菊」
 「ブリタニーの林檎の花」
 「驕りの眼」
 「マリー伯爵夫人」
 「フランシス・ドンの死 ― 一つの研究」
 「アーネスト・ダウスン アーサー・シモンズ


 怪奇小説ではありませんが、アーネスト・ダウスンも忘れられません。山本文庫は文庫本よりもさらにひとまわり小型の袖珍本で、翻訳者名は本名の「平井程一譯」となっています。東京大学教授の英文学者、故由良君美が若い頃に、この山本文庫の近刊書目のページで「ダウスン『晩秋』平井程一訳」とあるのを見つけて、読みたくなったが、いくらさがしてもみつからなかったそうで、あるインタビューで「これを必死に捜したんですが、どうも出版されなかったらしいですね」と語っているんですが、そう、ちゃーんと出版されていたんです。だから、この本はちょっと自慢なんですよ(笑)
 なお、後者は函入りながら、紙不足の時代故か函の紙質が悪く、そもそも新本で売られていた頃から概ね破損状態だったので、古書店で見かけたときにはその点を考慮に入れておいた方がいいでしょう。


「ワイルド選集」 全3巻 オスカー・ワイルド 平井程一訳 改造社

1 「ドリアン・グレーの畫像」
2 「サロメ」「理想の良人」「ウィンダミア夫人の扇」
3 短編小説 「アーサー・サヴィル卿の犯罪」「カンタヴィルの幽霊」「秘密のないスフィンクス」「模範金満家」
  童話 「幸福な王子」「わがままな大男」「まことの友」「若い王さま」「漁師とその魂」「星の王子」

 戦後、平井呈一が文学者として翻訳に力を入れはじめた時期のものです。広告には「第4巻 誌・獄中記」、「第5巻 評論」もあるのですが、私は持っておらず、荒俣宏も「第四、五巻をいまだに確認していない」と書いており、おそらく出ていないと思われるため、「全3巻」としました。

「メリメの手紙」 メリメ 平井程一訳 春陽堂 昭和8年7月15日


 「はしがき」によると、アンリ・ペエヌデュ・ボアの英訳からの重訳らしい。


「古城物語」 ホフマン 平井呈一訳 奢覇都館 
※ 「覇」にはサンズイ

 E・T・A・ホフマンの「世襲権」の英訳からの重訳。いまは創元推理文庫の「迷いの谷 平井呈一怪談翻訳集成」に収録されています。


「床屋コックスの日記・馬丁粋語録」 サッカレ 平井呈一訳 岩波文庫


 平井呈一の文体がもっともふさわしく思われるのが、このサッカレ。これはちょいと引用しとかなきゃあね―


 或る朝のこと、このおふくろがぽっくり死んじまった。なまんだぶ、なまんだぶ。で、私(あっし)ゃこの廣い世間にひとりぼっちおいてけぼりを喰っちまってさ、錢といったら、その日の朝のパン代が一錢しきゃない。でもね渡る世間に鬼はないとはよく言ったもんさね、近所の衆が寄ってたかって―こう申しちゃ何だが、正直これ、貧乏人のくよくよしねえ連中とくると、なまじっか、やれ何何卿でございの、何何子爵でございの、いかめしい肩書のくっついた手合なんかより、ずっと氣魄が親切にでき上がっているもんでね、かわいそうにサルんとこの餓鬼が親なし子になった。・・・サルじゃねえやい、うちの阿母(おっかあ)はモンモランシーてんだいって私(あっし)が言ったら、みんな腹抱えて笑っていたっけがね。・・・やれやれ可哀そうにというんで、さっそく私に食うことと屋根(とや)の心配をしてくれたものさ。


 どうして、私ゃ、こういうのに滅法弱くてね・・・って、いかん、ながながと写していたら文体まで釣り込まれちまうてもんだ・・・。ひとさまのなさることにかぶれるのもいい加減にしねえと、くわばらくわばら。


「Yの悲劇」 エラリー・クイーン 平井呈一訳 講談社文庫
「僧正殺人事件」 ヴァン・ダイン 平井呈一訳 講談社文庫
「黒死荘殺人事件」 J・D・カー 平井呈一訳 講談社文庫


 クイーンとヴァン・ダインの2冊に関しては、今回取り上げた本の「第二部 未発表作品・随筆・資料他」「二 評論・随筆・解説他」に収録された、平井呈一自身による「東都書房『世界推理小説大系』月報より」から引用しておきます―


 今回の分は訳者として格別申し上げることもございませんが、ただ、故人になったある歌舞伎役者の名優を思い出しながら訳し出した名優あがりのドルリー・レインをはじめ、人物の一人一人を、なるべく粒が立つようにと心がけましたが、成功しておりますかいかがですか。

 ヴァン・ダインの「僧正殺人事件」は、数年前、ある人の翻訳ではじめて読み、正直のはなし、その愚劣さ加減にほとほと呆れた経験をもっている。・・・
 ・・・。江戸川乱歩先生から拝借したご蔵書を一読してみて、わたしは一驚した。
 原作を読んでみると、まえに翻訳から受けた印象とまるで違った、ほとんど裏と表といってもいいくらい、正反対にちかい感銘をえたのである。・・・
 前回の「Yの悲劇」のときにも、口幅ったいようだが、わたしは邦訳の決定版をつくる意気込みでとりかかったのであるが、さいわい、多数の読者から、お前の翻訳ではじめてクイーンの面白味を満喫したという過褒のことばを頂戴して、訳者冥利につきる喜びを感佩したが、今回の「僧正」も、楽しみながら仕事をしたことだけは事実である。


 いかがでしょうか、すでに別な翻訳で読んだひとでも、それでももう一度読んで、まったく飽きさせません。「Yの悲劇」では探偵役の、引退したシェイクスピア俳優ドルリー・レインが、あたかも下町の演芸場から現れた旅回り一座の座員のようで―

「ニューヨークからご遠路わざわざ光来になるからには、ただのご無沙汰伺いじゃないでしょう。そう言や、まるひと冬お見限りだったからね。―ロングストリート事件の解決以来でしょう。こりゃ子供だって見当がつく。いったい何です、こんどの騒ぎは?」

 ほかの登場人物の台詞だって、「当たるも八卦、当たらぬも八卦、そんなとこですかな?」とか、きわめつけは「やい、このおったんちん!」(笑)ですからね。ただ、使われていることばに、現代においては「差別語」とされるものがあるため、再刊は望めないと思われます。古書店で見つけられた際には入手しておくことをおすすめしますよ。わたしはこれまでに3冊買いました(笑)

 いよいよ東京創元社。文庫本の前に、そのベースとなったシリーズから―

「怪奇小説傑作集 I」 (世界大ロマン全集 24) 江戸川乱歩編 平井呈一訳 東京創元社 昭和28年8月20日
 (収録作)
 「幽霊屋敷」 ブルワー・リットン
 「エドマンド・オーム卿」 ヘンリ・ゼイムス
 「ポインター氏の日録」 M・R・ゼイムス
 「猿の手」 W・W・ジャコブズ
 「パンの大神」 アーサー・マッケン
 「いも虫」 E・F・ベンスン
 「秘書奇譚」 アルジャーノン・ブラックウッド
 「炎天」 W・F・ハーヴィー
 「アウトサイダー」 H・P・ラヴクラフト

 これはその後ラヴクラフトをJ・S・レ・ファニュの「緑茶」に差し替えて、創元推理文庫の「怪奇小説傑作集 1」に入りました。なお、〈世界大ロマン全集 38〉が同じ江戸川乱歩編の「怪奇小説傑作集 II」なんですが、こちらの翻訳は宇野利泰です。

「魔人ドラキュラ」 (世界大ロマン全集 3) ブラム・ストーカー 平井呈一訳 東京創元社 昭和31年10月10日

 以前、「吸血鬼ドラキュラ」のときに話に出た本。これは抄訳版。

「復讐 ヴェンデッタ」 (世界大ロマン全集 11) マリー・コレリ 平井呈一訳 東京創元社 昭和32年1月25日

 明治期に黒岩涙香が「白髪鬼」という表題で翻案した、19世紀末イギリスのベストセラー小説。抄訳。

「怪奇クラブ」 (世界恐怖小説全集 3) アーサー・マッケン 平井呈一訳 東京創元社 昭和34年2月5日


 表題作のほかに「大いなる来復」を収録。表題作は「三人の詐欺師」。「装飾的妄想」の章が省略されているが、これは後の創元推理文庫版では翻訳されて入っている。
 なお、このシリーズで出たデニス・ホイートリの「黒魔団」も平井呈一の翻訳で、これは後に国書刊行会の「ドラキュラ叢書」に入っています。


「消えたエリザベス」 (世界推理小説全集 65) リリアン・デ・ラ・トア 平井呈一訳 東京創元社 昭和33年3月10日


 著者はアメリカの女流作家にして18世紀の研究者。1753年に起こったじっさいの事件について、当時の刊行物、その後の資料から、その新装を突き止めようとするもの。じつは、このエリザベス・キャニング失踪事件については、アーサー・マッケンも同様の趣向で“The Canning Wonder”(未訳)という本を書いているんですよね。

 それでは、これより創元推理文庫―

「怪奇小説傑作集 1」 ブラックウッド他 平井呈一訳 創元推理文庫
「怪奇クラブ」 アーサー・マッケン 平井呈一訳 創元推理文庫 (「大いなる来復」も併録)
「夢の丘」 アーサー・マッケン 平井呈一訳 創元推理文庫
「吸血鬼ドラキュラ」 ブラム・ストーカー 平井呈一訳 創元推理文庫
「恐怖の愉しみ 上・下」 平井呈一訳 創元推理文庫


 以上はここまでで説明済み。「吸血鬼ドラキュラ」は当初「世界大ロマン全集」版の抄訳で文庫化され、その後全訳となり、表題が「魔人ドラキュラ」から「吸血鬼ドラキュラ」に変わったというのは、以前お話ししたとおり。


「吸血鬼カーミラ」 レ・ファニュ 平井呈一訳 創元推理文庫
 (収録作)
 「白い手の怪」
 「墓堀りクルックの死」
 「シャルケン画伯」
 「大地主トビーの遺言」
 「仇魔」
 「判事ハーボットル氏」
 「吸血鬼カーミラ」


 アイルランドの作家女、ジョゼフ・シェリダン・レ・ファニュの短篇集。表題作はレズビアン的な雰囲気の漂う、女性の吸血鬼が登場する小説。吸血鬼小説としては、ストーカーよりも早い。

「恐怖 アーサー・マッケン傑作選」 アーサー・マッケン 平井呈一訳 創元推理文庫
 (収録作)
 「パンの大神」
 「内奥の光」
 「輝く金字塔」
 「赤い手」
 「白魔」
 「生活の欠片」
 「恐怖」
 「アーサー・マッケン作品集成解説」

 ここまで出すなら、もう「アーサー・マッケン作品集成」を全部出して、さらに未訳のものを訳してもらえないかなと思うんですけどね・・・。せめてMartin Seckerから出たCaerleon版作品集の全9巻に収められたものくらいは、日本語で読めるようになってもいいのではないでしょうか。


「幽霊島 平井呈一怪談翻訳集成」 A・ブラックウッド他 平井呈一訳 創元推理文庫
 (収録作)
 「アウトサイダー」 H・P・ラヴクラフト
 「幽霊島」 アルジャーノン・ブラックウッド
 「吸血鬼」 ジョン・ポリドリ
 「塔のなかの部屋」 E・F・ベンソン
 「サラの墓」 F・G・ローリング
 「血こそ命なれば」 F・マリオン・クロフォード
 「サラー・ベネットの憑きもの」 W・F・ハーヴェイ
 「ライデンの一室」 リチャード・バーラム
 「”若者よ、笛吹かばわれ行かん”」 M・R・ジェイムズ
 「のど斬り農場」 J・D・ベリスフォード
 「死骨の咲顔」 F・マリオン・クロフォード
 「鎮魂曲」 シンシア・アスキス
 「カンタヴィルの幽霊」 オスカー・ワイルド
 「付録I 対談・恐怖小説夜話 平井呈一・生田耕作」
 「付録II THE HORROR」(収録作は省略)
 「付録III エッセー・書評」(収録作は省略)

「迷いの谷 平井呈一怪談翻訳集成」 A・ブラックウッド他 平井呈一訳 創元推理文庫
 (収録作)
 I M・R・ジェイムズ集 「消えた心臓」「マグナス伯爵」
 II アルジャーノン・ブラックウッド集 「人形」「部屋の主」「猫町」「片袖」「約束」「迷いの谷」
 III 初期翻訳
  「シルヴァ・サアカス」 A・E・コッパード
  「古城物語」 E・T・A・ホフマン
 IV ラフカディオ・ハーンの怪奇文学講義(省略)
 V エッセー(省略)

 「幽霊島」は2019年、「迷いの谷」は2023年に出ました。ここにE・T・A・ホフマンも復刻されています。ここであらためてふれておきたいのは、ポリドリの「吸血鬼」について―ここに収録されているのは新人物往来社版「怪奇幻想の文学 Ⅰ 真紅の法悦 吸血鬼小説」を底本とするもの。以前にも話したことがありますが、昔「新青年」に佐藤春夫名義で載った訳が平井呈一訳なんですが、このときは本が見つからなくて、平井呈一が新たに訳しているんですね。つまり、改訳にあたるわけです。一方、佐藤春夫名義で発表されたものは、その後種村季弘の「ドラキュラ・ドラキュラ」(大和書房、その後河出文庫)に収録されて、そこでは「平井呈一訳」と表記されています。従って、両方並べると、平井呈一の初訳と新訳が揃うんですよ。


「世界怪奇実話集 屍衣の花嫁」 平井呈一編訳 創元推理文庫

 収録作は省略。「世界恐怖小説全集 12 屍衣の花嫁 世界怪奇実話集」の、じつに約60年ぶりの復刊。


「真夜中の檻」 平井呈一 創元推理文庫

 (収録作)
 「真夜中の檻」
 「エイプリル・フール」
 「海外怪談散歩」(収録作は省略)
 「西欧の幽霊」(収録作は省略)
 「私の履歴書」

 平井呈一が中菱一夫名義で発表した短編小説2編と折にふれて書かれたエッセイをまとめたもの。ほかのアンソロジーにも収録されていましたが、こうしてまとめてもらえるとやはりうれしいですね。とくに、ゴシック調の「真夜中の檻」がすばらしい。夏、地方の旧家における、時間が止まったような異様なatmosphereが見事というほかありません。


平井呈一 昭和35年頃、お孫さんと。洋装の写真はめずらしいですね。

 前回もお話ししましたが、新訳だからっていいとは限らない。日常語(らしきもの)で綴られた文章はたしかに読みやすいかもしれませんが、新聞記事みたいな翻訳だったら出さない方がいい。往年の名訳が既に世に出ている作品において、これを退けるような新訳なんてそうそう出てくるもんじゃありません。よく、抵抗なく読める翻訳、なんて言うひとがいますが、そう言っているひとが抵抗を感じる日本語が、じつはよほどまともな日本語だった、なんてことでなければいいんですけどね。あえて言えば、たとえば永井荷風や泉鏡花の日本語、翻訳ならば堀口大學や平井呈一の日本語に抵抗を感じるようなひとは、そもそも日本語をよく知らないのではないかと、翻訳を疑う前に、自分を疑ってみた方がいいでしょう。

 そもそもが、翻訳論で言われる読みやすさとか、初歩的な誤訳のない正確さなんていうのは翻訳論以前の問題なんです。名訳っていうのは、こういうものをさして言うことばなんですよ。

 そう、作品を見る角度が定まらねえと翻訳もつまらねえや(笑)


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「平井呈一 生涯とその作品」 紀田順一郎監修 荒俣宏編 松籟社
「牧神 マイナス3号」 牧神社
「季刊 幻想文学 4」 幻想文学出版局
「日記の虚実」 紀田順一郎 新潮選書
「怪奇幻想の文学 Ⅲ 戦慄の創造」 新人物往来社
「おとらんと城綺譚」 ホーレス・ウォルポール 平井呈一訳 思潮社
「床屋コックスの日記・馬丁粋語録」 サッカレ 平井呈一訳 岩波文庫
「Yの悲劇」 エラリー・クイーン 平井呈一訳 講談社文庫

 ほか本文中に挙げたもの


Diskussion

Kundry:堀口大學と平井呈一と、Hoffmannさんにとって、翻訳の二大巨頭ですね。

Parsifal:まったくすばらしいよね。やっぱり、翻訳というのは独自のスタイルがないとね。

Kundry:その点、ここでも澁澤龍彦との共通点を感じますね。

Klingsol:荒俣宏の本というのはほとんど読んでいないんだけど(笑)この1冊の価値というか、意義は、他のすべてを圧しているんじゃないか?

Hoffmann:いまでも、平井呈一の翻訳本は探しているんだけど、なかなか見つからなくてね。webで検索じゃつまらないから、古書店街をぶらぶら・・・(笑)

Kundry:やっぱり、Hoffmannさんは昭和のOGさんですね(笑)

Parsifal:むしろ、平井呈一には似つかわしいよ(笑)

Klingsol:訳文には必ずしも問題なしとしないけど、Hoffmann君の言うように、翻訳論で言われる読みやすさとか、初歩的な誤訳のない正確さなんていうのは翻訳論以前の問題なんだよ。

Parsifal:もっと言ってしまうと、科学論文じゃないんだから、少々の誤訳なんか問題ではないんだ(笑)それを超えるものがあるか、ないか・・・。

Hoffmann:誤解を怖れずに言うと、翻訳というのは「芸」なんだ。必要なのは語学力じゃない、日本語をよく知らないとだめなんだよ。

Parsifal:一般の翻訳家が使わないことばがあるよね、あれ、使わないんじゃなくて使えないんだよ。だから新聞記事なんだ。文体がない。

Hoffmann:最近もてはやされている小説なんて、下手くそな翻訳、直訳に近い欧文臭いやつ、そういったものの模倣なんだよね。いや、文体も個性もない、貧困な日本語ってのは模倣しやすいんだよ(笑)

Kundry:また話が危なっかしい方へ(笑)それでは、Hoffmannさんが認めていらっしゃる方は?

Hoffmann:「認めている」だなんて、そんな偉そうに上から目線で言えるものじゃないけどさ(笑)・・・アーサー・マッケンについては南條竹則に期待したいな。