045 「聖杯の神話」 ジャン・フラピエ 天沢退二郎訳 筑摩叢書




 先日お話しした平井呈一の代表的な訳業に、アーサー・マッケンの翻訳がありましたね。そのマッケンの中編小説「大いなる来復」は、話者が戦争中にロンドンを逃れて訪れたウェールズの海岸町ラントサリントで、不思議な出来事を解明しようとする話です。このなかに、オーエンという娘が見たヴィジョン―そこには、黄金の鐘と五彩の厨子、そして癒やしの杯・・・つまり聖杯”Grail”が現れます。

 聖杯。英語なら”the Grail”、”Holy Grail”、フランス語なら”Le Graal”、”Le Saint-Graal”と呼ばれるものですね。近頃はゲームにまで登場するとかいう話で、ご存知の方はこう説明するかも知れません―

 キリストが最後の晩餐で使用した杯

 アリマテアのヨセフが十字架上のキリストの血を受けた杯


 ・・・どちらも間違ってはいないんですが、後者は「聖杯伝説」の説明(の一部)です。「聖杯伝説」というのは、キリストが最後の晩餐で使用して、アリマテアのヨセフが十字架上のキリストの血を受けてブリタニアにもたらしたという聖杯を、騎士たちが探す話です。その例をいくつか挙げると―

 クレチアン・ド・トロワの「聖杯物語」
 ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルチヴァール」
 マロリーの「アーサー王の死」
 これらが脚色されたのがワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」


 ・・・ということになります。しかし・・・この「聖杯」の定義がこれで正しいのかというと・・・ああ、今回は「・・・」ばかりだ(笑)

 そもそも、「伝説」というものはその多くが、作者はどこのだれやらわからないものであったり、文字も使われていなかった頃から口誦で語り伝えられてきたものであったりします。しかし、「聖杯伝説」に関しては、知られている限り、クレチアン・ド・トロワという実在したフランス詩人が1180年から1190年の間に書きかけて蜜柑のまま・・・じゃなくて、未完のまま遺した韻文作品が、この伝説の事の発端であるらしい、ということになっています。

 いや、キリストの最後の晩餐で使われた、とか、十字架上のキリストの血を受けた・・・ってぇことは、クレチアンさんが書くより、せんからそんな言い傳へみてぇなもんがあった、と考(かんげ)ぇるのが筋ってもんじゃ・・・すみません、前回の平井呈一について話したときの気分が抜けていませんな(笑)

 聖遺物伝承という意味ではたしかにそう、しかし、「聖杯」”Le Graal”というモチーフはクレチアンより以前にはどこにも見られないんですよ。だからまずはクレチアン・ド・トロワを繙くべきなんですが・・・原典が翻訳されていないんですね。かろうじて読めるのはヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルチヴァール」(郁文堂)くらい(これは私も持っており、読みました)。

 そこで、入門書となるのが今回取り上げるジャン・フラピエによる「聖杯の神話」です。そんなに難しい本ではないんですが、もともとはソルボンヌでの講義録だったそうで、研究者にとっても必携の書、文献要覧まで付いており、それでいて入門者にもやさしい配慮が施されています。


Chretien de Troyes

 クレチアン・ド・トロワによる未完の聖杯伝説は一般には「ペルスヴァル物語」とか、もっと簡潔に「ペルスヴァル」と呼ばれていますが、正確には「聖杯の物語」。この物語はクレチアン・ド・トロワの最後の作品で、フランドル伯フィリップ・ダルザスの依頼に応じて執筆されました。

 物語は森の寡婦が騎士社会から隔離して育ててきた息子が、春のある日はじめて騎士たちの姿を見て、魅了されることからはじまります。嘆き悲しむ母が頽れるのを見捨てて出立した若者は、アーサー王の宮廷で騎士に叙任され、騎士ゴルスマンに手ほどきを受けて、偶然その姪にあたるブランシュフロールの城を敵の包囲から救い、そこに滞在するうちに、見捨ててきた母のことが気がかりになって出立、やがてとある河で舟で釣りをしている人物、漁夫王に出会います。その王の館に行くと、夕べの宴の折りに、聖杯の行列が現れます。腰か腿に不治の傷があって立てない漁夫王と歓談していると、ひとりの小姓が白銀に輝く槍を持って入ってきます。その槍の穂先からは血が流れており、小姓の手につたって流れています。次に、ふたりの小姓が純金の燭台を捧げて入ってきます。若者は、この聖杯でだれに食事を供するのですか、と尋ねかかって、しかし騎士は寡黙たれ、というゴルスマンの教えを思い出し、問いを発することを思いとどまります。食事が終わり、王は別室へ退き、若者は就寝します。翌朝、目を覚ますと城内には人っ子ひとりいません。

 城を出た若者が出会った従妹、さらにアーサー王廷を訪れた貴婦人の口から、若者があのときに問いを発すれば、城も漁夫王も救われたはずであったことを知らされ、若者は聖杯探索の旅に出て、5年の月日を無為に彷徨して、聖金曜日、伯父にあたる隠者の庵を訪ね、この隠者から聖杯とはなにか、を教えられます。それによると、食事を供されていたのは隠者の兄であり、若者の母親は隠者とその兄の妹にあたる。漁夫王は食事を供されていた王の息子に違いない、聖杯に容れて供されたのはただオイストのみである、これが王の生命を支えている、聖杯とはかくも聖なるものなのだ―と。

 
※ 「オイスト」とは聖体の意。本書213ページを参照されたし。


聖杯の行列と槍

 ・・・クレチアン・ド・トロワが「聖杯」の正体について書いたのはほぼここまで。「キリストが最後の晩餐で使用した杯」とか、「アリマテアのヨセフが十字架上のキリストの血を受けた杯」である、とする根拠はありません。いや、この先を書き継いで完成させていたらどうなっていたか、これは推測するよりほかにないのです。

 クレチアン・ド・トロワの死によって中断された「聖杯物語」には、直ちに続篇が書かれました。見取り図代わりに箇条書きにしておくと―

・ 作者不詳の第一続篇、これに続く第二続篇、さらに第三続篇、これはマヌシエ作。ここで完結しています。

・ これとは別に、ジェルベール・ド・モントルイユ作の「ペルスヴァル続篇」というのがあって、これは未完結。これは第二続篇と第三続篇の間に挿入されるべきものだとする説もあります。

・ さらに13世紀になって書かれた散文作品「ペルレスヴォー」もクレチアン・ド・トロワの続篇として書かれたものです。

・ 12世紀末から13世紀初頭にかけての韻文作品では、上記の系列とは別に、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルチヴァール」があって、これはクレチアン作品を参照して書かれたもの。

・ もうひとつ、ロベール・ド・ボロンの「聖杯の由来の物語」という作品があって、これは1220年代に5部作「散文ランスロ」に発展していきます。

 最後に挙げた「散文ランスロ」5部作の構成は以下のとおり―

1 「聖杯の由来」 アリマタヤのヨセフとその息子ヨセフスが聖杯をブリテンに持ちこむ。
2 「メルラン物語」 マーリンと若き日のアーサー。(この巻には「メルラン続伝」もあり、若きアーサーの冒険を描く)
3 「ランスロ本伝」 ランスロットと他の円卓の騎士たちの冒険、およびランスロットとグィネヴィアの不義。
4 「聖杯の探索」 聖杯探求とガラハッドによる完遂。
5 「アーサー王の死」 モードレッドの手にかかってアーサーは死に、王国が崩壊する。

 この5番めの「アーサー王の死」を15世紀にマロリーが引き継いで(storyとしては「ランスロ本伝」あたりから)語り継いでいくことになります。

 問題は4番めの「聖杯の探索」、ここにおいて、クレチアン・ド・トロワにはじまった聖杯伝説は、一応の決着を見ることになるのです。

 聖霊降臨節の前日、ひとりの貴婦人が現れてランスロを連れ出します。ランスロはとある修道院で成人した息子ガラアドと対面、騎士に叙任します。晩餐のとき、聖杯が現れる。だれも口をきけないなか、広間は光と芳香で満たされ、食卓には食物は供されて、聖杯は消えてしまいます。この奇蹟の後、騎士たちは聖杯探索の旅に出ます。聖杯城にたどりつくのは、ペルスヴァル、ボオール、ガラアドの3人。さらに9人の騎士が加わります。これは3+9=12で、十二使徒をあらわします。聖体拝領ふうの秘蹟の儀式、さらに聖地サラスにおいてガラアドは聖杯のなかを見て、落命する。

 ・・・以上、急ぎ足で「聖杯伝説」の全体を俯瞰してみましたが、本来はまず、クレチアン・ド・トロワの未完の物語をたどりながら聖杯、血の滴る槍といったオブジェの象徴性、発せられなかった質問の意味、漁夫王とその父、とくに漁夫王の不治の傷とはなにか、といった問題を解き明かしてゆくことが先決です。

 そこで今回取り上げた本が、たいへん参考になります。

 一点だけ、その要旨をまとめて示しておきましょう―漁夫王の負傷についてです。身体に欠損を生じ、自由の利かない「不具の王」です。豊穣のモチーフに不毛のモチーフが混ざり合っているのは、四季のサイクルと合致します。植物神話特有の循環です。ペルスヴァルが質問を発しさえすれば、その傷は癒えたのに、(質問をしなかったので)もう傷も癒えず、領土を保てない・・・というのは、王の負傷が生殖機能を損傷しているということを意味します。

 アルベール・ベガンは「現存の詩」(国文社)のなかで、「聖杯伝説は、今日ではリヒャルト・ワグナーの鈍重で粗雑な翻訳をとおして、ようやく生きのびているありさまだ」と書いていますが、たしかに、いささか粗雑といわれてもしかたがない要素は認められるかも知れませんが、ワーグナーは「パルジファル」の作曲―というより、台本の執筆において、存外「聖杯伝説」の本質をとらえていたのだな、とも思えます。

 なお、訳者はこの本を読むにあたって、「ただちに『聖杯の物語』の物語自体に接近されたい場合は、第七章からお読みいただきたい」としています。私も第七章から読み、それからはじめに戻りました。


Richard Wagner”Parsifal”


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「聖杯の神話」 ジャン・フラピエ 天沢退二郎訳 筑摩叢書
「新版 リヒャルト・ワーグナーの芸術」 渡辺護 音楽之友社
「パルチヴァール」 ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ 加倉井粛之 他訳 郁文堂
 ※ 今回、たいして参考にはしていないが、なにしろ原典を日本語で読めるのはこれしかない。


Diskussion

Hoffmann:本来ならParsifal君が取り上げるのにふさわしい本なんだけど・・・って、Klingsol君もKundryさんも資格十分だな(笑)

Parsifal:いや、かえってやりにくいから、Hoffmann君に頼んだんだよ(笑)どうもありがとう。

Hoffmann:勉強になったよ。でも、本を読むだけならどうということもないんだけど、話すとなると、難しいね。そもそも「聖杯」という日本語を使うとき、英語なりフランス語なりの、どの語をさしているのか示しておかないといけないんだけど、今回はできるだけ話を単純にしたかったので、途中から省略したよ。

Klingsol:「聖杯」にしろ、”Le Graal”にしろ、その定義からしてなかなか複雑だからね。ひと言ではもちろん、ちょっとやそっとでは説明しきれない。

Parsifal:とりあえず、フランス語の”Le Graal”から始めればいいんじゃないかな。最初に聖杯の物語が作られたのがフランスなんだから。

Hoffmann:じつは、聖杯伝説に関しては参考書もあまり持っていなくてね、しかたがないから渡辺護の「新版 リヒャルト・ワーグナーの芸術」(音楽之友社)の「パルシファル」の項目を読んだんだよ。「パルシファル伝説と作品の象徴的意義」にはこう書いてある―

 ワーグナーにおいて、グラールはキリストが最後の晩餐においてそれからぶどう酒を飲み、また彼の最後にその血をみたした聖杯となっているが、この思想は、ワーグナーの依拠したと思われるクレティアン・ド・トロワにも、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハにも現れていない。

 そして聖杯グラール、槍、そのほか登場人物について、古伝説(すなわちクレチアン・ド・トロワ)からヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの「パルチヴァール」、アーサー王伝説も引きながら結構なページを割いて解説している。さすがに渡辺護の著作はそこらのいいかげんなCD解説書とは違うよね。CD解説書は字数の関係もあるかもしれないけれど、「パルジファル」を聴こうというのなら、これくらいは読んでおかないと・・・と、あらためて思ったよ。

Parsifal:いまどきの指揮者や歌手、「斬新な演出」をする演出家も、「聖杯伝説」なんて読んではいなさそうだね。

Klingsol:知っていても無視しちゃうんだろうな。昨今は「演出のための演出」だからね。ケッタイというか、面妖な演出ばかり見せられている・・・なんで、オペラを観ていて、「社会問題」に関する演出家の主張を見せられなければならないのか、理解できんよ。

Hoffmann:「パルジファル」のDVDをキャプチャしようと思ったら、最初に再生した上演ではそもそも聖杯が出てこない。次に観たのは、小さなガラスのコップみたいなのが出てきて、それが聖杯ということらしいんだな(笑)まあ、それぞれ意図はあるんだろうけど。結局バイロイトでのWolfgang Wagner演出(1981年)のDVDで、ようやく「それらしい」シーンにお目にかかることができたよ(笑)

Kundry:アーサー・マッケンの小説が話の枕になったのは、偶然ではないんですよね。つまり、「聖杯伝説」にはケルト神話の影が・・・。

Hoffmann:ケルト神話に不思議な力を持つ大鍋が出てくるんだけどね。はっきりと聖杯のもとになっていると断定できるものではないんだな。結局、聖杯伝説はクレチアン・ド・トロワより以前の起源を探ることはできていないんだよ。だから、マッケンも、単純にケルト神話とは結びつけないで、ウェールズの聖者伝説にからめて語っているんだ。