054 「陰獣」 江戸川乱歩 角川文庫




 今回取り上げるのは江戸川乱歩の中篇小説「陰獣」です。この中篇小説は、乱歩自身も発表当時はともかく、後には高い評価を与えることになった作品です。私も乱歩の小説のなかでは、これがもっとも好きですね。

 この小説は、語り手である寒川という探偵小説作家の回想の形で書かれています。

 あらすじを、これは少し詳しくたどっておきましょう―


 去年の10月、探偵作家である「私」は、上野の博物館を訪れたおり、儚い雰囲気の上品な美女に出会った。彼女のうなじには、赤あざのようなミミズ腫れができていて、それは背中のほうにまで続いているようだった。彼女の夫は実業家の小山田六郎で、彼女の名は静子、探偵小説を愛読しており、「私」のファンだと言った。その後、数か月にわたって文通を続けることになった。

 2月のこと、静子は手紙で、「心配ごとがある」として、大江春泥という探偵小説家の住所を知らないだろうか、と問い合わせてきた。大江春泥は、猟奇的なの犯罪者心理を描いて人気があったが、人嫌いであることもあって、理詰めの本格探偵小説を書いている「私」は彼と交流がなかった。しかも春泥は一年ほど前から行方不明であると返事した。

 すると、静子のほうから、相談があると「私」を訪ねてきた。じつは静子は、女学生のとき平田一郎という男に迫られて、肉体関係を持ったことがあったが、父の事業が不振で一家が夜逃げしたために、静子は平田から逃げることができた。しばらくして父が亡くなり、静子は小山田と出会って結婚した。ところが最近、平田から手紙が届いて、いまは大江春泥という猟奇的な探偵小説を書く作家になっており、静子に復讐すると書かれていた。その手始めに、ある夜の静子の行動を、房事まで含めて事細かに書いてきた・・・。

 相談を受けた「私」は、静子のために以前春泥の担当をしていた知り合いの博文館の雑誌記者本田に話を聞いた。彼によると、春泥はほとんど人に会わないが、つい先日浅草公園で道化の格好でビラを配っていたのを見たという。また、本田は静子に届いた手紙の一部を見て、春泥の字だと認めた。

 「私」は、大江春泥が最後に住んでいた住居を訪れ、近所に聞き込みするが、彼の行方に関する手がかりはつかめなかった。一方、静子にまた手紙が届いた。当初の予定を変更し、静子の愛する夫のほうをまず殺す、という内容だった。小山田邸へ呼ばれた「私」は、静子から、春泥が屋根裏にひそんで、自分たちのことを覗いている、と言われた。春泥には「屋根裏の遊戯」という著作があって、それを実行に移したのかもしれないと考えて、屋根裏にのぼったところ、そこに人が通った跡と、ボタンのようなものが落ちているのを見つけた。

 3日後の3月20日の朝、小山田六郎の変死体が発見された。吾妻橋の西詰にある乗り合い汽船で、便所から川面を覗くと、裸の六郎氏の死体があった。死因は背中の傷。不思議なことに、鬘をかぶっていた。静子は、夜、窓の外にあの男の顔があったと言って、警察へ保護を求めた。しかし、警察の懸命の捜査にもかかわらず、大江春泥の行方はわからなかった。一方、未亡人となった静子と、「私」の距離は、急速に縮んでいった。亡き六郎が、加虐趣味で、静子に鞭をふるっていたことも知った。

 その後、小山田邸から車で送ってもらったとき、運転手の片方の手袋のボタンが取れていることに気付いた。ついているほうのボタンを見ると、屋根裏で見つけたボタンと同じだった。運転手は、この手袋を、亡くなった小山田六郎からもらったのだと言う。すると、屋根裏にのぼったのは、春泥ではなく、小山田六郎ということになる。ここから「私」は組み立てた推理を文書にして、事件を担当している検事に送ろうと考えた。

 それは、小山田六郎が犯人だとする文書で、小山田六郎は、大江春泥の「屋根裏の遊戯」を読んで、春泥の自筆原稿の写真が載った本も持っていた。その写真の上には、薄い紙を当てて、字をなぞったあとが残っている。また、六郎は、以前から、妻の静子が結婚前に交際していた平山一郎の存在を知っていた。ヨーロッパに長期出張に行った六郎は、現地でSM趣味を持ち、帰国してから、妻に鞭をふるうようになった。しかし、しだいにそれだけでは飽き足らなくなった六郎は、妻の昔の恋人の平山一郎、すなわち大江春泥の名前をかたって彼女に手紙を出した。そうして、屋根裏から、妻が苦しむ様子を眺めていた。夫婦の寝室を西洋館へ移したあとは、屋根裏がないため、鬘をかぶって禿を隠し、窓から覗いて静子を驚かせた。ところが、足を滑らせて落下し、背中を打ちつけて死亡。死体はそのまま下の墨田川に落下し、下流の吾妻橋の方へと流れた。途中、浮浪者が六郎氏の身につけていた高価な着物を剥ぎ取ったのであろう―。つまり、「私」は、六郎の死を殺人ではなく事故と推理した。

 「私」は、検事に提出するつもりのその文書を、まず静子に読んで聞かせた。「私」は家を一軒借りて、静子との逢引き用に使うことにした。それから20日あまりというもの、思う存分彼女の肉体を堪能した。そうするなかで、静子は亡夫の六郎が使っていた鞭を「私」に差しだした。亡夫とのSM遊戯のせいで、静子自身もすっかり変態になってしまったのであろうか。「私」は乞われるままに、静子を鞭で打った。

 20日をすぎたころ、小山田邸を訪ねた「私」は、運転手が故小山田六郎から手袋をもらったのは、11月28日だったこと、12月25日には、日本間の天井板をすべて外して洗った、ということを知った。これでは六郎が手袋をはめて天井裏にのぼり、手袋のボタンをそこに落としたとする説が成り立たなくなる。

 推理を考え直した「私」は、静子に呼び出され、逢引き用の一軒家で静子に向って、新しい推理を語った―大江春泥の名前で小説を書いていたのは、静子だ。春泥本人に化けていたのは、静子の雇ったルンペン。静子自身は春泥の妻に化けていた。そうして、小山田六郎がヨーロッパに長期出張に行っている間、大江春泥として執筆を続けていたが、六郎が帰国すると、執筆できなくなった。一年前に大江春泥が行方をくらましたのはそのためだ。静子は良人の不在中に経験した変態的な生活に憧れ、また犯罪や殺人そのものに言い知れぬ魅力を感じるようになっていた。鬘をかぶった夫は情痴の最中に窓から突き落とした。そして「私」を利用して、自分に自分で脅迫状を書き送って春泥に怯える妻を演じ、「私」は間抜けにも六郎が春泥を騙って妻静子を脅し事故死した、などという推理を立てたのだった。

 「私」は、この推理を聞いてショックを受けている静子を残して家を出た。それからまもなく静子は自殺した。

 それから半年が経った。「私」の推理は正しかったのか・・・静子はなにひとつ告白していない。もしかしたら、静子が自殺したのは、「私」に見捨てられて絶望したためではないのか。もはや確かめようがない。春泥=平田は未だ実在しているかもしれない。「私」の取り返しのつかない疑惑は日とともに深まってゆく・・・。



江戸川乱歩

 「陰獣」は1928年(昭和3年)の「新青年」3号にわたって連載され、初回が掲載された号は三版まで増刷されたほど反響があった探偵小説です。上記のとおり、一応犯人を静子としつつも、最後の12章ですべての推理は誤りだったのではないかという「私」の疑念を示し、その疑念は解決を見ないまま結末を迎えています。森下雨村はこの結末を「すばらしい」と評しており、一方甲賀三郎などははこの最後の章を「不要」としています。どうもこの結末は評価が割れたようですね。後に乱歩は12章を削除して、「私」の疑念をあまり強調しない形に書き換えたのですが、後の桃源社版全集(1961~63年刊)で初出時の形に戻しています。

 この結末は、常に相対的にしか認識し得ない現実というものの多様な相貌を示していると見ることもできるし、現実を推理の可能性の範囲内でしかとらえることのできない探偵小説の宿命に、探偵小説、推理小説の限界を示していると見ることもできるでしょう。

 はたして真犯人は静子なのか、実在する平田一郎=大江春泥が犯人なのか、さらに、小山田六郎は殺されたのか事故死なのか・・・この問題に細かい検討を加えるとすれば、脅迫状の筆跡についても触れられていないことがネックになります。静子が書いたものなら、筆跡の偽装があったはず、この点が不明です。それに(大江春泥が実在して屋根裏に潜んでいた場合)脅迫状にはのぞき見た小山田夫妻の房事が書かれていたにもかかわらず、そこには鞭打ち等の変態的な行為は書かれていなかったらしいのですね。これは、「私」が小型の鞭を見つけたときに、「ご主人は乗馬をなすったのですか」と尋ねていることからわかります。こうした脅迫状の問題も屋根裏のボタンも、静子犯人説を支えるものになりますが、この2点をもって真犯人を確定するには足りません。つまり、この小説は、いわゆる「どんでん返し」を2回行って、その2回目で解決不能にしてしまっているわけです。それが「陰獣」の最大の特徴なのです。

 小説の冒頭で、「私」は、探偵小説家には二種類あるとして、次のように分類しています―


 「犯罪者型」:「犯罪ばかりに興味を持ち・・・犯人の残虐な心理を思うさま描かないでは満足しない」
 「探偵型」:「健全で理智的な探偵の経路にのみ興味を持つ」

 そして「私」は自分が「探偵型」に属するとして、「犯罪者型」である大江春泥に批判的な立場であることを表明しつつ、「私はけなしながらも、彼の作にこもる一種の妖気にうたれないではいられなかった」と告白してもいます。

 小説の中で、「私」はどのように行動しているのか。どうも、脅迫状の件で静子から相談を受けても、これを静子に接近する機会と密かに喜んでいるばかりで、具体的な大江春泥=平田一郎の捜索を行っていないんですね。静子には「大した事件ではありませんよ」と言って―


 愚かな私は、彼女の主人さえ知らぬ秘密について、彼女と二人きりで話し合う楽しみを、できるだけ長くつづけたかったのだ。

 ・・・などと語っています。じっさい、六郎がの遺体が発見されてから後、静子との関係は親密の度を加えてゆき、六郎の嗜虐趣味を受け継ぐような形で静子未亡人との関係続けることになるわけです。つまり、「私」はstoryの進行とともに「探偵型」から「犯罪者型」へ移行していってしまう。いつの間にか「私」は大江春泥の側に行ってしまう、大げさに言えば大江春泥と同一化を果たしてしまうのです。

 ああ、やっぱりな・・・とは思いませんか。

 乱歩の作品を貫く大きなテーマのひとつに、「隠れ蓑願望」があります。この「陰獣」などはまさにこれがあらわれた好例とも言える作品ですよね。「大江春泥」という名前からは「江戸川乱歩」の名前を連想するのは難しいことではないでしょう。「平田一郎」、乱歩の本名「平井太郎」をもじったものと言ってもいいですよね。小説中でも大江春泥の作品として挙げられているのが「屋根裏の遊戯」「一枚の切手」「B坂の殺人」「パノラマ国」「一人二役」「一銭銅貨」。どれも乱歩の小説の題名をもじったものです。大江春泥の厭人癖も引っ越し癖も乱歩と同じ(乱歩の引っ越しは生涯46回)。さらに、小山田六郎の禿頭。

 そこここの人物に、乱歩自身が投影されている。しかし、もっと重要なことは、最終的に静子犯人説が立てられた時点で、大江春泥=平田一郎は実在しない(らしい)人物として、小説の世界から退場してしまうのです。乱歩はここで自らを滅失させてしまったのです。

 若い時分に押し入れに隠れたり、休筆宣言をして放浪の旅に出てしまったり、とあるホテルに滞在して1か月もボンヤリして、人と交わることを避けていたりした乱歩が、この小説ではついに時分を消失させてしまう。探偵小説で作者が物語から姿を消してしまえば、探偵役の登場人物(「私」)がなにをどう推理して結論を出そうと、それが真実であるという保証はなくなってしまうわけです。だから、この小説の結末は解決不能なまま放り出されてしまうしかないのです。

 文学研究というものは、そもそも解釈の多様性を担保にしています。だから、ミステリと言われるジャンルでも、現代ではなにも解決しないまま、作者自身が解決不能であることを意識している作品が少なくありません。ところが、「陰獣」では、作者がそのような意図をもって書いたのかどうかさえ、明確に判断できないような不安定性があります。作者自身が退場(滅失)しており、なおかつそれが作者の意図であったのかどうかさえ、断定できない構造となっているのです。そのような小説が昭和3年に発表されていたことに、「陰獣」という作品の価値があるのではないかと思います。


(Hoffmann)


参考文献

「陰獣」 江戸川乱歩 角川文庫




Diskussion

Parsifal:大江春泥という名前や作品の題名で乱歩を連想させるようにしたのは、読者をミスリードさせようとしたのかもしれないね。乱歩みたいな男が犯人だと思わせておいて・・・。

Hoffmann:静子犯人説であっと言わせようということか。

Klingsol:結局「私」の推理は状況証拠ばかりだからね。たとえば、小山田六郎は事故死なのか、殺人なのか・・・この点で、乱歩の筆にちょっとほころびがあると思うんだよね。静子犯人説で、夫の帰国後猟奇癖を満足させることができなくなって、「変態的な自由の生活にやみがたいあこがれをいだくようになった」「犯罪そのものに、殺人そのものに、言い知れぬ魅力を感じた」・・・という推理はいいんだ。ところが、「年をとったあなたの夫に不満を感じてきた」とか、「いやな夫には別れ、莫大な遺産を受け継いで」というのは、推理というより「私」の空想になっている。

Hoffmann:同感だ。夫を疎ましく思っているような描写はまったく足りないし、「私」の静子への執着から来る手前勝手な空想としか思えない。遺産に関しても、突然ここで金銭的な動機を持ち出されても・・・説得力がないよね。

Kundry:「陰獣」の美学としては、老いた夫がどうとか遺産がどうとかいった世俗的な動機よりも、犯罪そのものや二重、三重生活へのあこがれといった動機の方がふさわしいですよね。

Hoffmann:そう、犯人には、この小説が書かれた時代のことばで言えば「変態的な」欲求、あくまでfetishismの要請するところに従って行動してもらいたいんだな。金銭目的なんて入り込んでもらいたくない。fetishismこそが尊い(笑)

Parsifal:そうした内的な動機がふさわしく思えるのはたしかだね。世俗的な動機なら松本清張のような社会派を待てばいい(笑)

Kundry:ところで、「変態」とか「変態的」ということばも、いまの感覚とはかなり異なったニュアンスで使われていますよね。

Hoffmann:fetishismの領域ならすべて「変態」と呼ばれた時代だよね。

Klingsol:時期的に見て、クラフト=エビングの性的倒錯の研究書の翻訳紹介によるところが大きいだろうね。「色情狂編」(日本法医学会/春陽堂)は1894年(明治27年)に出ているし(明治政府により発禁処分)、「変態性欲心理」(大日本文明教会)が出たのは1913年(大正2年)だ。後者は谷崎潤一郎も読んでいるよ。1914年(大正3年)9月発表の「饒太郎」では、主人公がクラフト=エビングを読んでいる場面がある。出版されて、すぐに読んだんだね。もちろん、乱歩も読んでいたようだ。

Hoffmann:フロイトより早いんだよね。

Parsifal:「変態」は一種の流行だったのかもね(笑)雑誌だって猟奇的事件を煽情的な記事にして売り上げを伸ばしていたんだから。

Klingsol:それは、大衆紙が続々と発刊されていたという時代背景もあるね。

Hoffmann:とりわけこの時代には「新しいもの」、海外の研究成果などを求める気風が強い時代だったんだろう。

(追記) 「映画を観る 20『江戸川乱歩の陰獣』その他の江戸川乱歩原作映画から」upしました(こちら