063 「賢者の石」 コリン・ウィルソン 中村保男訳 創元推理文庫




 
コリン・ウィルソンが人類の能力・意識の拡大、進化の可能性を描いた小説です。いわゆる「クトゥルー神話」も取り入れられており、一応SF小説に分類されているようですが、ジャンル分けはあまり意味がありません。

 冒頭は、主人公がヴォーン・ウィリアムズの第四交響曲を聴いていて、この作曲家が書いた音楽論を読んでいるシーンで、少年時代の回想につながります。13歳にして44歳の科学者と知り合い、養子となって、アリゾナ州の隕石の落下穴を調べ、シベリアのツングスカ(ツングース)を調査する・・・そうして死の問題から不老長寿の研究を始め、その後年長の相棒となる心理学者とともに、事故で頭部に重傷を負って脳脊髄液を大量に失った技師を観察した後、ニューマン電極の微少な欠片が前頭前部葉で神経症道の増幅器として作用したことによる、人間の意識の拡大を発見する。こうして得た能力を使って過去に向けての透視を行い、人類の起源を探ろうとしたところ、何者かの思わぬ妨害に遭遇する・・・。


Colin Wilson

 おなじみ、「ネクロノミコン」も登場するなど、storyを彩る要素は盛りだくさんです。本筋にさほど大きな関わりを持たない、たとえばシェイクスピアに関する考察、牧師館でのポルターガイスト現象などの話は、あれもこれもと取り入れて、広げた枝葉がそこまでで止まってしまい、また本筋に戻るような印象もありますが、個人的にはこうした「寄り道」のある小説は嫌いではありません。

 テーマはほぼ一貫しており、長篇の半ばあたりから明らかになってきて、やがて大きな流れとなって人類誕生の秘密に至り、そこに〈古きものども〉の存在を認めることとなります。結論はこの著者らしく、人間は自らの主人たらねばならないという、ある種の「超人思想」です。

 ニューマン合金などは意識の拡大への「近道」であって、現実にそんなものが存在するわけもなく、寓意にすぎません。また〈古きものども〉の滅亡の原因を無意識の力が強大になりすぎて、それが反乱を起こした結果自らを滅ぼした、というのは、現代の人類に対する警鐘のようにも思えます。その意味では現代の「おとぎ話」ふうでもありますね。コリン・ウィルソンの著書をいくつか読んだ限りでは、思索自体にさほど深いものは感じられず、借り物が多い上に、問いかけだけをして終わってしまうこともあり、本によっては思い込みによるものか、誤った記述も見受けられます。

 私がこの小説をおもしろく読めるのはどうしてなのか・・・考えてみると、どうやら常に問題の本質を人間個人の、自己の問題ととらえているからではないかと思われます。直面している問題を、科学や技術の暴走とか、管理社会や体制の問題として「対社会」に逃げてはいないからです。この小説中では人間の意識の拡大という形で表現されていますが、これをある種の「変革」、「主体性の獲得」ととらえたときに、安易に「対社会」の「反抗」に頼るのではなく、あくまで自己認識の問題として乗り越えようとするところが、青臭い発想のようでありながら、事の本質を突いていると思えるからです。

 「賢者の石」とは12世紀以来、錬金術師が金属を変成するために必要な動因となるものが必要であるとして、名付けたもの。ほかに、賢者の粉末、第五元素などとも呼ばれ、これが液体金属に触れると、それを金に変えると考えたものです。その物質に関する記述はまちまちで、たとえば色は暗赤色であるとされたり、ケシの花のようとされたり、石榴石のようだとされたり・・・。賢者の石によって変成された卑金属からどれだけの金が生じるのかも、さまざま。2倍という人もいれば、鉛は変じて50倍の金になると信じた人もおり、10万倍、100万倍と言う人もいました。いずれにせよ、「賢者の石」というものは、観念としてはすべての対立を超越した崇高な調和、絶対の自由、時間、空間、因果律からの解放をあらわしており、究極の解放を招来させるために必要な最後の一点が「賢者の石」なのです。いかがでしょうか。「賢者の石」”The Philosopher's Stone”というのは、直接的には頭の中に埋め込む金属片を意味しているわけですが、コリン・ウィルソンがこれを小説の表題とした理由には、なかなか意味深いものがあるのではないでしょうか。

 ちなみにこの長篇小説は2部構成となっており、第1部の表題は「絶対の探究」、第2部の表題は「夜の涯への旅」です。バルザックとセリーヌですね。

 なお、コリン・ウィルソンが「クトゥルー神話」を手がけたのは本書だけではなく、「精神寄生体」(学研M文庫)、「ロイガーの復活」(ハヤカワ文庫)、「古きものたちの墓」(扶桑社ミステリー)があります。「宇宙ヴァンパイアー」(新潮文庫)もそのひとつに数えるひとがいるようですが、これは違うんじゃないかな。ただし、映画化された「スペースバンパイア」”Lifeforce”(1985年 英・米)はまったく別物となっていて、原作はあんな単純な話ではありません(笑)



「スペースバンパイア」 ”Lifeforce” (1985年 英・米)から―


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「賢者の石」 コリン・ウィルソン 中村保男訳 創元推理文庫

「必須の疑念」 コリン・ウィルソン 井伊順彦訳 論創海外ミステリ





Diskussion

Parsifal:ラヴクラフト以降書き継がれた「クトゥルー神話」作品のなかでは、よく出来ている作品だと思うんだけどね。


Klingsol:たしか、もともとコリン・ウィルソンはラヴクラフトを評価していなかったんだよね。

Hoffmann:そう。そしたら、オーガスト・ダーレスが、あなたがそんなに優秀なら自分で書いてみなさいよ・・・と言ってきて、それで書いてみたら、ラヴクラフト評価もずいぶん変わったということなんだ。

Kundry:Hoffmannさんはコリン・ウィルソンはほとんど全部読まれたのですよね。

Hoffmann:翻訳が出たものはね。でも、1970年代半ばあたりから以降はだんだんつまらなくなってきたし、Parsifal君が言うように、思い込みや間違いも目についてきてね。それに、超人思想とか意識の拡大というのは、一歩間違えると胡散臭さ爆発だ(笑)

Parsifal:たしかに、この「賢者の石」でも、胡散臭さの一歩手前だよね。ぎりぎり踏みとどまっていると思うんだけど。

Hoffmann:「クトゥルー神話」を取り入れたことで、中和されたんじゃないかな。それと、良くも悪くも、あれこれと、音楽とかシェイクスピアとかモチーフを広げていったところが、おもしろいんだよね。

Klingsol:個人的には、初期の、というか最初の「アウトサイダー」だけでいいと思っていたけど、やはり評論と違って、小説はいま読んでも悪くないね。

Hoffmann:この程度で、知的好奇心をほどよく刺激する・・・なんて言ったらちょっと甘すぎるとは思うけど。はじめて読んだのが未だ十代の頃だったから(笑)

Kundry:私は、ちょっと前に出たミステリ、「必須の疑念」(論創海外ミステリ)を読みましたが、愉しめましたよ。

Parsifal:ニーチェだ、ハイデガーだ、ってやつだね。普通のミステリファン向けではないけど、あれもたしかにおもしろい。