076 「エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一」 デヴィッド・J・カーツァー 漆原敦子訳 早川書房




 本書は歴史ノンフィクションです。

 1858年のある夜、イタリアはボローニャのユダヤ人商人の家を教皇警察隊が取り囲み、教皇ピウス9世の命により、6歳の少年エドガルドを連行され、少年は改宗者を収容する修道院、ローマの「求道者の家」に送り込まれます。エドガルドは家族が知らぬ間に洗礼を受けさせられてキリスト教徒となっており、異教徒であるユダヤ教徒とキリスト教徒の同居を認めない教会法による逮捕でした。

 モモロ・モルタールとマリアンナ・モルターラのユダヤ人夫婦には8人の子供がおり、エドガルドは長男。家族は少年の返還を求めるが聞き入れられない。教皇側はエドガルドが自ら進んでカトリック教徒になりたかったのであり、無理矢理に連れ去ったのではないと主張し、エドガルド夫婦の主張とは真っ向から対立しました。エドガルドに洗礼を授けたのが、カトリック教徒であったアンナ・モリージというエドガルド家の召使でした。洗礼を授けることができるのは、神父に限らず一定のやり方を守ればだれでも授けられるということなんですね、おお怖・・・。

 じつはここに、重大な時代背景があります。19世紀に入ると、フランス革命の影響を受けてイタリアにも自由平等の精神が芽生え、教皇の世俗支配に反対する勢力が力をつけつつありました。1830年代には一時的ではありましたが、ボローニャにもジョバンニ・ヴィチーニを代表とする暫定政府が成立していたのです。しかし、エドガルドが連れ去られた1850年代は再び教皇領となっていて、教皇がエドガルドを両親に返すのを拒否したことは、教皇権至上主義者にとって当然のこと。これを機に、個人の権利や宗教的平等という近代的思想に対して教皇権の威信と権限を示そうという思惑もあったのです。だから、教皇側はエドガルドが自ら進んでカトリック教徒になりたかったのであり、無理矢理に連れ去ったのではないと強弁したのです。

 こうした時代背景を意識していたのかしていなかったのか、家族は海外に支援を求めました。イタリア半島は統一前の混乱期、その情勢に注目するフランスのナポレオン三世が事件に介入、英国ユダヤ系貴族も抗議の声を上げ、さらにすでに国際金融資本として活動していたやはりユダヤ系のロスチャイルド家も遠くアメリカで動き出します。ローマ教皇庁と家族、そして各国の思惑が入り乱れて、事件は国際問題化します。

 結果的に、この事件は教皇庁の横暴を象徴する事件となって、各地で続くイタリア統一を求める勢力を活発化させることとなり、1861年、ついにイタリア半島は王国として統一されたのです。


ピウス9世。この事件の主犯格です。

 もともと、14世紀以降イタリアに渡ってきたユダヤ人には多くの制約が課せられていました。たとえば、ボローニャで1733年に出された勅令では、「ユダヤ人は、キリスト教徒の召使を使ってはならない」とされていました。また、18世紀末、ナポレオンの進攻により、ゲットーに閉じ込められていたボローニャのユダヤ人は解放されたのですが、ナポレオンの撤退により、権力の座に復帰したモデナ公が再び多くの制約を復活させていました。ただし、モデナ公も数々の制約を復活させながら、ユダヤ人の識別紋章を廃止したり、ゲットー外の居住や店舗所有を認めたりなど、ゲットーに関する制約を緩めるとともに、キリスト教徒がユダヤ人に嫌がらせをすることを諫めてもいました。

 19世紀に至るとイタリア統一の波はボローニャにも迫り、1859年ヴィット―リオ・エマヌエーレ二世を国王とするサルディーニャ公国がロマーニャを併合し、宗教の自由と法の前の平等、異端審問の廃止を宣言し、ボローニャのユダヤ人にもイタリア人と同じ権利が与えらました。そして、1861年にはヴィット―リオ・エマヌエーレ二世がイタリア王国を宣言、1870年にはイタリア王国がローマを併合したことにより、ピウス9世の教皇領はヴァチカンだけとなります。

 このときモモロとマリアンナはローマが陥落して、これでようやくエドガルドを取り戻せると喜んだのですが、ここで予期せぬ出来事が・・・エドガルドが両親と別れてから12年という歳月が流れ、エドガルドはピウス9世を父と慕うキリスト教徒となっていたのです。両親がローマに来たときには、エドガルトは警察に強制的に連れもどされるのを恐れてオーストリアに逃れてしまう始末。両親はこの10年あまりの間ヨーロッパ各国政府やユダヤ人組織に働きかけ、なんとか子供を取り返そうと努力をしてきたのに・・・両親の悲しみや失望はどれ程のものであったか・・・。

 この悲しみに追い打ちをかけるような事件がモモロの身に降りかかります。1871年、モモロは召使ローザ・トニャッツィを家の窓から突き落とした殺人罪の罪に問われてしまいます。当初は自殺と判定されたこの事件、モモロがユダヤ人であることから、論理も常識も通用しないままに殺人事件の犯人にでっち上げられてしまったのです。最終的にモモロは無罪となったのですが、病弱の身で7か月間もの間拘置され、釈放された1か月後には亡くなってしまいました。


Edgardo (Pio Maria) Mortara(1870)

 この事件は、ひとつのユダヤ人家族がイタリア統一という歴史の流れの中で、ローマ教皇権力と国家統一勢力との闘争に翻弄された事件であったとみるのが本書の立場です。イタリアのユダヤ人はイタリア王国の実現により法の前では平等であり、自由となることができたはずであるのに、この事件は、相も変わらず(キリスト教徒から)ユダヤ人が差別・迫害に晒され続けている現実をさらけ出すものでもあったわけです。


Edgardo Mortaraと(実の)母。

 エドガルドはその後神父となり、布教活動に携わりました。エドガルドがフランス南西部のペルピニャンで説教を行った時に、マリアンナはエドガルドに会いに行き、20年ぶりの再会を果たしています。上の写真はおそらくそのときに撮られたものでしょう。エドガルドは、第一次世界大戦が終わるころにはベルギーのブエイの大修道院に移り、そこで修行の日々を過ごした後、1940年に亡くなっています。

 各宗教や欧米諸国の政治的思惑が入り乱れた事実もさることながら、私が注目したのは、ナポレオンが戦火とともに持ちこんだ人権思想についてです。19世紀に入ると、フランス革命の影響を受けてイタリアにも自由平等の精神が芽生えてきた・・・ここまではいいとして、その自由平等、人権思想によって、教皇の世俗支配に反対する勢力が力をつけていったという件。つまり、カトリック権力の傲慢で非人道的所業こそが自由平等、人権思想の敵だということです。ことに長らく迫害を受けてきたユダヤ人にとっては、年来の仇敵。

 根強いユダヤ人差別やキリスト教、カトリック教会の傲慢さの方が問題でしょう。カトリックは、ナチスなんぞよりもはるか以前からユダヤ人を服装で識別しようとしていたんですよ。そもそも論でいえば強制的洗礼などというものが有効であることがおかしい。キリスト教徒にとって、原罪を許す行為である洗礼を受けずに、天国へ召されることは最大の不幸である。だからカトリックの女中は、いまにも死にそうに見えたユダヤ人の男児に洗礼を施した。ただそれだけのことだと思っていたわけですが、ここにキリスト教徒の驕りと鼻持ちならない選民意識が浮き彫りになっているのです。その傲慢の末に誘拐という立派な犯罪行為を行いながら、その連れ去った側、命じた側は「ユダヤ人家庭にキリスト教信者を置いておくのは好ましくない」という原則に基づいたまでだという理屈を振りかざし、そればかりかエドガルドは進んでキリスト教徒になったのだと強弁したのです。

 この事件は誘拐にほかならず、「教皇の庇護の下へ護送される」などというのはレトリックに過ぎません。しかも国際世論に屈せず、子供を手放さない教皇の思惑は、既に宗教的指導者としてのローマ教皇の力は衰え、非宗教的な新しいイデオロギーによってイタリアが統一されようとしているこの時代に、個人の権利や宗教的平等という近代的思想に対して、教皇権の威信と権限を示そうというものであったということが、許し難いと思われるのです。

 成長してカトリック司祭として天寿を全うすることとなるエドガルドは、両親への愛を表明しながらも彼らが改宗することを望み続けていました。なんのことはない、カトリックに「洗脳」されてしまったんでしょう? この少年は洗脳されて、崩れゆく足下を踏みしめて一歩も退かない愚かな教皇のために、キリスト教の引き立て役として、いいように利用されただけなんですよ。オ○ム真理教とか統○教会と一緒にするなって? それなら、キリスト教の場合にだけは、なぜ「洗脳」と呼ばないのか、その理由を教えてください。このカトリックのやり口が、そこらへんの新興宗教の勧誘とどこが違うんですか? 異教徒に対する傲岸不遜な態度、ユダヤ人に対する差別感情、軽蔑感情、己に対する鼻持ちならない選民意識・・・これらの感情の存在を否定できますか? この選民意識がそこらへんの成金のそれと、質的にどう違うというんですか?

 ナチスのホロコーストのときに、カトリック教会は指一本動かしていません。そりゃあそうでしょう、自分たちはむかしっから、同じこと、下手するともっとひどいことをユダヤ人に対して行ってきたんですから。ヨーロッパにおけるユダヤ人の迫害についてはナチスによるホロコーストばかりが有名ですが、アウシュビッツだっていきなりはじまったことではないのです。

 洗礼をしないと人間の「原罪」によって、天国へ行けないって? そんな、あるんだかないんだかわらないものよりも、キリスト教徒は歴史上、明らかに「あった」キリスト教徒の犯罪行為について考え直しなさいと言いたいですね。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一」 デヴィッド・J・カーツァー 漆原敦子訳 早川書房

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Diskussion

Hoffmann:6歳ぐらいから洗脳を施せば、実の両親のことなんかどうでもよくなってしまうという実験例かな?

Kundry:また皮肉のきつい発言を・・・。

Klingsol:いや、そのとおりかも知れないな。「アヴェロンの野生児」を思い出すね。教育次第ってことだ。そして、もう「回復」することはない。もちろん、「教育」というのは「環境」のことだよ。マフィアがマフィアの環境で育てれば立派なマフィアの一員になるだろう。それと同じことだよ。

Hoffmann:Parsifal君の言うとおり、キリスト教の場合だけ「洗脳」と呼ばない理由はない。

Klingsol:これは最近世間で取り沙汰されている「宗教二世」問題と同じものだね。

Kundry:まあ、実の親だから尊敬しなければならないという理由はありませんから、本人がそれでいいというのなら・・・。

Hoffmann:それはナポレオン以来、個人の権利を尊重することが当たり前になっているから言えることなんだよ。相手は6歳の子供だよ。マフィアの一員になっても、泥棒の一味になっても、本人がそれでいいなら無問題と言えるか?

Parsifal:じっさいに、使用人が雇い主との関係が悪くて、嫌がらせにその家の子供に洗礼を授けた、なんて事件は結構あったらしい。

Hoffmann:やっぱりユダヤ人を標的にした嫌がらせ・犯罪行為なんだよ。

Klingsol:キリスト教徒の思い上がりに加えて、近代的思想に対して教皇権の威信と権限を示そうという思惑が働いていたこと、これをもって、教皇の犯罪行為であったと断じて差し支えないと思えるね。もっとも、代々の教皇について調べてみると、あまり見上げた人物とは言えないのが多いんだ。

Hoffmann:だから威信も権利も失っていったんだ、フランス革命のせいにばかりできることではない。

Parsifal:これは暴論と言われるかも知れないけど、歴史上、キリスト教っていうのはユダヤ人を見下すことによってしか、成り立っていなかったようなことろがある。ペストの話のときにも言ったけど・・・。

Kundry:Parsifalさんは御出身の学校がミッション系ですよね?

Parsifal:だから普通の人よりも多くの牧師、神父に出会ってきたんだけど、ひとつ言えるのは、ほとんどの聖職者が自分の頭で考えていないということだ。なんでもかんでも「聖書の教え」「主の教え」なんだよ。この「主」を「麻原○晃」や「文×明」の名前と取り替えたって、純粋な意味での「信仰」の質そのものには変わりがないんだよ。

Klingsol:ショーペンハウアーなら、自分で考えているのではなくて読んだ本で考えているにすぎないと言うだろうな。

Kundry:たしかに、「聖書の教え」「主の教え」って、ひどく無責任に聞こえますね。

Parsifal:ある高校生の告解の内容を、学校に通報した神父もいたよ。

Hoffmann:前にも話したけど、2002年にアメリカでカトリック教会による児童への大規模な性的虐待と組織的隠蔽が大スキャンダルになったよね。バチカン管轄下のカトリック教会は、数百人の少年をレイプした司教たちを、コトが露見しても教区を移動させるだけですませて、被害者の両親に対しては逆ギレするか、それでおさまらないときは口止め料を払うという対応を、少なくとも50年以上続けていた。解散命令が出なかったのが不思議・・・じゃないな。不思議じゃないのは、カトリックの組織も勢力も巨大だからだ。カトリックが立派な宗教だからというわけではない。税金滞納して差押えまで執行されていても、よりによって財務省の副大臣におさまり続けようとするくらいなんだから・・・宗教も議員も、別に立派でなくても、大きな顔して存続できるんだよ。

Parsifal:結果的に辞任はしたみたいだけど。やめたからこれで済んだと思っていそうだな。首相は任命責任について問われて「重く受け止めている」・・・って、受け止めるだけなら簡単だ(笑)