093 「ヨーロッパの歴史的図書館」 ヴィンフリート・レーシュブルク 宮原啓子、山本三代子訳 国文社




 この本の序文から―

 作家で図書館員でもあったレッシングが1773年に―


「山のような本がこれほど多額の費用をかけてもち込まれたが、それをどのようにして学問や学者に役立てるかということこそが問題なのだ。それが図書館(員)のとるべき行動であり、行動のないところに歴史はない」

 ゲーテは1801年に―

「ひとは、蔵書を前にして予測もできないような利子を黙々と生んでくれる巨大な資本を前にしたときのように感ずるのである」

 この本はヨーロッパ15ヶ国に現存する49館の歴史ある図書館を取り上げた本です。各図書館に関する解説はわりあいあっさりめ。図版も豊富ながら、その印刷はいまひとつ。コントラストが甘くてややボケ気味に見えるのが残念です。

 図書館というものは、ここに紹介されているようなものでなければ存在価値がないし、そもそも今後も存続できないだろうな、と言うのが正直な感想です。

 ここに紹介されているような、どんな図書館なのか?

 聖ニコラウス教会図書館なら、70冊の写本、171冊のインキュナブラ、1640-50年に作成された6巻からなるアムステルダム版の地図。クザースス修道院図書館なら、314冊の写本と219冊のインキュナブラ。

 本だけではありません、チェコ政府のブジェズニツェ城内図書館なら、彩色された書棚や壁画、美しい天井画。ウィーンのオーストリア国立図書館なら、モーツアルトが宮廷コンサートを披露した大広間、古い地球儀のコレクション。レーゲンスブルクのトゥルン・タクシス侯爵家図書館には、丸天井に描かれたフレスコ画。オットーボイレンのベネディクト会大修道院図書館では、華麗なバロック様式、ヴァルトザッセンのシトー会女子大修道院図書館なら―回廊を支えている人間の姿をした10本の像が書物の製造に関連するそれぞれの階級の代表的人物をあらわし、回廊の胸壁にはたとえばセバスティアン・ブラントの「愚者の船」からとられた場面が描かれ、天井画は、宗教的で超自然なもの、すなわちその部屋の意義と内容を示唆している・・・。


写本"manuscript"とは、手書きで複製された本や文書のこと。木版印刷や活版印刷術が普及する以前に、筆写された本。中世ヨーロッパではキリスト教の修道院をおいて、写字生によって作られていました。我が国の「写経」も同様のものと捉えられます。

 図書館とはなにか。「書物の殿堂」? そもそも図書館はアレクサンドリア図書館のように、古代地中海世界において存在していたわけですが、ヨーロッパ各地に図書室や写本室が見られるようになったのは、修道院が発達してからのこと。つまり修道院附属図書館なんですが、厳密に言えば「附属」ではなくて、修道院が本を持つことが求められたということ。つまり「知の武器」。「知の小宇宙」。

 グーテンベルクの活版印刷により、インキュナブラが出現すると、各地に市立図書館ができていった。「知の小宇宙」は建造物そのものから「神学の間」「哲学の間」といった各部屋へ、そして書棚へと移っていく。

 さて、そのあたりまで歴史をたどってくると、もうあまり意味がなくなってくる。図書館というものは本が保管されているだけの場所ではなく、博物館、美術館でもなければならないのです。それは、貴重な写本が美術品でもあるという意味ではありません。


インキュナブラ"incunabula"は、西欧で作られた最初期の活字印刷物のこと。15世紀のグーテンベルク聖書以降、1500年あたりまでに、活版印刷術によって印刷されたものを指すことばです。"incunabula"とはラテン語で「ゆりかご」の意味なので、日本語では揺籃期本とも言われます。

 「知の武器」、「知の小宇宙」たるものを収める図書館というものの本質が博物館や美術館と同じだと考えられる理由は―つまり、図書館の本は「蒐集品」、「蒐集」されたものであるからこそ、価値があるということです。その「蒐集」の原動力はプロメテウス的姿勢への渇望です。「蒐集された」という意味付けができなければ、そもそも価値がない、ただ紙切れを束ねただけのものを並べている「置き場」なのです。

 翻って、我が国の地方自治体が管理・運営している(あるいは、していた)図書館をご覧なさい。政治家とか役人なんて、知性の知の字も持ち合わせていません。むしろ「痴」。役人はあてがわれた予算を使い切ることしか考えていないし、政治家に至っては私利私欲以外の一切に関心がない、カネの亡者。だから、図書館の職員はもっぱら非正規で低賃金、図書館というものの目的や存在価値など一顧だにされない。

 するとどうなるか。「ツタ○図書館」なんて、「書物の殿堂」どころか、廃棄本を並べたゴミ屋敷ができあがる。「ツ○ヤ」なんて、宮城県多賀城市で市立図書館の管理者を選定する市の協議会会長だった人物が、便宜を図った見返りに天下りして、賄賂をせしめる「クズ屋」です。

 もう少し真面目に言うならば、多賀城市で「○タヤ」が市立図書館の管理者として選定された理由は、市の協議会会長の天下りを受け入れて、報酬という名の賄賂を支払ってくれる業者だから。賄賂を渡しても儲かる、うまみがあると判断したから。この恥知らずの悪徳業者が図書館を管理することになった理由に、本に関することは、徹頭徹尾、無関係です。

 このように、本を蒐集する主体はどこにもいないのが現状。

 なぜ井上ひさしの蔵書は約14万冊、立花隆は3万5千冊、草森紳一は2DKの仕事場兼住居に約3万5千冊、帯広の生家に建てた塔型の書庫に3万冊、このほか近所の農場でサイロを購入して書庫代わりとしていたのか。なぜ山口昌男は福島の廃校となった小学校を買って、それぞれの教室を書庫にしていたのか。どうして渡部昇一は15万冊の蔵書を収納するために、77歳にして書庫の建設費として数億円の銀行ローンを組んだのか。

 蒐集の熱によって集められたものでなければ、世界そのものと拮抗できるはずもないからです。そんな図書館が、知の歴史のない、経済原理だけで動く安サラリーマン(役人)や無知無教養な政治家が横行する我が国に存在するはずもないから。

 おまけに一冊の本は情報ネットワークの端末のひとつ。「知の武器」であるためには、データの相互参照ができなければならない。つまりデータベース化。それでこそ、世界そのものと拮抗できることになる。図書館が採用している古色蒼然とした図書分類法なんぞでカタが付く問題ではないのです。人間ひとりひとりが、「自分の図書館」を持つよりほかに、方法がありますか?

 現に、図書館の利用者数は減少するばかり。当然です。

 真面目に考えれば、公共施設としての図書館に未来はないし、本来求められるような「知の殿堂」たる図書館は期待できないのです。利権や政治的なしがらみが絡んでくる公共施設では無理。さらに言えば、文化全般が、国や地方公共団体の資金で運営されて、(利権が絡むから)「金は出すけど口も出す」という、我が国ならではのシステムでは成立し得ないのです。ましてや、民間企業の支配下に貶めて、経済原理でがんじがらめになれば、(ツタ○がやっているように)いいように「食い物」にされるだけ。そりゃそうでしょう、民間企業が金儲けにならないことに手を出すわけがない。多賀城市の市民は、図書館を利用するとしないとにかかわらず、この恥知らずな民間企業を肥え太らせるために税金を収めているのです。そして笑いが止まらない元協議会会長への賄賂も、元をたどれば市民が負担している。税金→図書館運営費→悪徳企業→賄賂、という図式ですよ。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「ヨーロッパの歴史的図書館」 ヴィンフリート・レーシュブルク 宮原啓子、山本三代子訳 国文社
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Diskussion

Hoffmann:地方自治体任せでは無理だな。我が国には知的探求の歴史も素地もないから。頭ン中がカラッポの役人に理解できることではないよ

Kundry:国会図書館はどうですか?

Klingsol:保管場所以上のものではないなあ。たいした本でなくても、利用しづらい。

Hoffmann:そう考えると、大英博物館なんて、並べているのはもっぱら略奪品なんだけど、一般に公開しているだけまだしも立派なものだね。

Kundry:大学の研究室だと、多少は違ったものかと思いますが、一般の人は利用できませんね。

Hoffmann:めずらしい古書なんかが大学の図書館に入ってしまうと、もう市場に出てこないんだよね。

Klingsol:町の図書館だったら、利用されて痛んだ本は、どんなに貴重なものでも、裁断処分だよ。

Hoffmann:それで空いたスペースにツタ○がゴミ同然の本、たとえば10年以上も前の××県のラーメン屋ガイドブックを並べる・・・どんなに汚い手を使ってでも市の予算いただき放題、じつに立派な犯罪行為あっぱれな商行為だ。

Parsifal:20世紀になると、すべてにおいて専門性が強化されて、だから研究者でもなければ本なんか読まなくなったからね。読まれているのはせいぜい通俗読みものだ。だからそこらへんの図書館なんて、無料で利用できる「貸本屋」でしかないんだよ。永久に残されるべき本が集められているわけではない。

Kundry:たとえば、画家個人のための美術館とか、ああいったものがもっとあればいいんですけどね。

Parsifal:話は変わるけど、図書館と言えば、最近読んだ本で面白かったのが、ジーン・ウルフの「書架の探偵」(酒井昭伸訳、早川書房)。主人公は、なんと、図書館に収蔵されている本だ。故人であるミステリ作家の脳を生前にスキャンして、作家の記憶や感情を備えているという設定で、ある人物の不審死を調査するというstory。好評だったようで、続篇の「書架の探偵、貸出中」(大谷真弓訳、早川書房)も出た。

Hoffmann:アイルランドの作家、ジョン・コナリーの作で「キャクストン私設図書館」(田内志文訳、東京創元社)もユニークな小説だよ。長篇ではなくて4篇の作品集なんだけど、登場人物が実体化して現実世界に現れるという体裁で、表題作ではアンナ・カレーニナが鉄道自殺を繰り返す。ほかに登場するのはドラキュラ伯爵、ハムレット、シャーロック・ホームズ・・・。個人的には長篇小説の方が好みだけど、奇譚集として読めば、なかなか味わい深いものがある。


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