096 「カリスマ」 チャールズ・リンドホルム 森下伸也訳 ちくま学芸文庫




 目次によると、第I部は序説、第II部は理論編、第III部が実例編で、第IV部が結論という構成。序説は本書の目指すところが示され、理論編は近代思想史、マックス・ウェーバー、エミール・デュルケムの理論を論じて、精神分析理論はその前史たるメスマーからはじまり、フロイトへ。カリスマ現象は病的なものなのか、現代版の通過儀礼なのかといった検討の後に理論がまとめられる。実例編ではナチズム、マンソン・ファミリー、人民寺院、シャーマニズムに則した分析。最後に結論、今後のカリスマの可能性についても言及されています。

  
Adolf Hitler、Charles Milles Manson、James Warren "Jim" Jones

 この本ははじめ、新曜社から1992年に刊行されていました。1992年といえば、その3年後、すなわち1995年にオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が発生しており、訳者はマスコミが報じる事態があまりにもこの本に書いてあるとおりで、まるでリンドホルムは事件を先取りして分析したかのように感じたとのことです。そこでこの文庫版では、宗教学の大田俊寛による12ページほどの「解説 リンドホルムのカリスマ論とオウム真理教」が巻末に追加されています。

 リンドホルムの主張の要点を挙げてみると―

1 「カリスマ=自己喪失欲望」論

 カリスマ現象の源泉は、自己喪失の願望、すなわち幼児期における自他未分化へ回帰しようとする根源的な欲望にある。その点で、宗教的・政治的カリスマ集団への参加は、恋愛やアイドルへの傾倒、アルコールや麻薬への耽溺などと等価である。

2 「カリスマ=現代のシャーマン」論

 カリスマ的指導者は多くの場合、境界的パーソナリティあるいは深刻な自己愛障害の持ち主であり、そのパーソナリティは、自我構造の破壊から誇大妄想を伴った啓示の経験を経て新しい人格として再生するという、シャーマンの成立過程とほぼ同一のプロセスをたどる。

3 「カリスマ=ナルシシズム」論

 アイデンティティが崩壊の危機に瀕している現代では、カリスマ的パーソナリティ、またはそれに近いナルシシズム障害を病んだ人格が大量に作り出される条件が備わっている。

4 カリスマ集団の深層相互作用論

 ナルシシズム障害を病んだ大衆は、先達たるカリスマ的指導者を自己喪失願望の対象として集合する、ここにカリスマ集団が成立する。

5 カリスマ集団のラベリング理論

 カリスマもカリスマ集団も、それ自体は善でも悪でもない。それが危険な性格を帯びるのは、なんらかの危機的状況によって集団の構成員が極度の妄想の取り憑かれた場合、また「異常」のレッテルを貼られて、それぞれの集団の反社会的病理性や暴力性が肥大化し顕在化した場合のみである。

6 カリスマのコンティンジェンシー理論

 社会秩序が相対的に安定し、自己喪失願望を充足するほかの選択肢が機能し続ける限りにおいては、カリスマ集団という選択肢がとられることは少ない。だが、現代は自己喪失の欲望を満たすべき人間間の接触が乏しく、条件が満たされない場合には、集団の狂気という亡霊が何度でも現れてくるに違いない。


Charles Lindholm

 この本の翻訳者はたいへん几帳面な方で、冒頭の「訳者まえがき」で著者の紹介をした後、リンドホルムが論じているところの要点を上手くまとめて、さらに著者が練り上げた考察の道筋を提示してくれています。これだけ読んで、この本を読んだ気になってしまいそうな人もいるかも知れません。しかし、こうして骨子を示しておいてくれると、かなり見通しがよくなって、少々難解な部分についても論点を見失わずにすんで、理解の助けとなってくれますね。上記6項目も、その訳者によるまとめを(若干手を入れましたが)臆面もなく利用させていただいたものです。この「訳者まえがき」には称賛を贈りたいと思います。

 ・・・と、言っておきながら、申し訳ありません、訳文は問題なしとはできません。例を挙げると―

 現代社会の世俗的領域には非常に多くの選択肢が機能しており、それらはカリスマがもたらすのと同質の、しかしおだやかに飼いならされた熱狂の経験をあたえている。

 しかしながら、メンバーたちの歴然たるプラグマティックな功利主義にもかかわらず、こうした集団は、少なくとも既に手ほどきを受けた者どうしの内輪のサークル内では、カリスマ的なカルティズムの方向へつき進んでいく傾向をもっている。

 それがどの程度のものであれ、そうしたヒエラルヒー化した構造のなかで生じるカリスマ的霊感は、親社会に対する不安定な適応に深刻な脅威をあたえる。なぜならそうした経験は、超越にいたるもうひとつの、より直接的な水路となるものだからである。


 ・・・わかりますか? ひとつのセンテンスも、一度読んだだけではよく分かりません。原文を参照していないのでたしかなことは言えないのですが、なんだか鼻面を引き回されているような感覚と、指示代名詞の多用から見て、どうも律儀に逐語訳しているようです。たとえば文章内に割り込んでくる「比喩的な意味でも文字通りの意味でも」などの形容の鬱陶しさ、「およそ想像しうるかぎりのありとあらゆる形態の合理性から間違いなくはずれた個人に対する集団的忠誠心」といった横のものを縦にしただけのような回りくどい言い回しを読まされると、多少意訳になってもかまわないから、もう少しまともな日本語の文章にしてもらえませんかと言いたくなります。理論の組立がよく分からないところを気にせず読み進めてゆくと、論理が飛躍したまま暗喩で断定されているように感じられてしまいます。いい意味でも、ちょっと良くない意味でも、「訳者まえがき」は必読です。

 訳者は、この「まえがき」のなかで、第II部を難解と感じられる方には、まず第III部から読むことを勧め、とくに現代的カリスマ集団とシャーマニズムの類似性と異質性を論じた第11章を「興味深い」としていますが、この訳文で第11章から読みはじめて正確に理解するのは難しいと思います。チャールズ・リンドホルムの著書はこれ一冊しか翻訳されていないようなので、他の本の翻訳で補完することもかなわず、さしあたり「訳者まえがき」を読んでから、大田俊寛の「解説」を読み、その後で本文の訳文を多少頭のなかで再解釈しながら読むしかないでしょう。


 さて、この本には、先に述べたとおり、オウム真理教に関する考察が付け加えられているので、私もここで―

 オウム真理教に関連して、絶対に忘れてはならないこと

 ―と題して、2、3お話ししておきます。

1 TBSが坂本弁護士一家を殺害した?

 坂本堤弁護士一家殺害事件は御存知でしょうか。1989年(平成元年)11月4日に旧オウム真理教の幹部6人が、オウム真理教問題に取り組んでいた弁護士であった坂本堤(当時33歳)とその妻子合わせて3人を殺害した事件です。

 この事件は、1989年(平成元年)10月26日、東京放送(現在のTBS)のワイドショー番組「3時にあいましょう」の制作スタッフがオウム真理教の幹部に対して弁護士の坂本堤がオウム真理教を批判するインタビュー映像を放送前に見せたことが原因で発生しています。事件は9日後の11月4日。坂本弁護士一家殺害事件の発端は、このTBSの不祥事によって発生している。TBSのこの不祥事は、オウム真理教への強制捜査(1995年3月22日)が行われたのちの一連のオウム真理教事件の捜査の途上で浮上したもので、TBSは、当初は否定してましたが、1996年3月になってから、この事実を認めました。事実は変わらないのですから、当初否定したというのは、恥知らずにも嘘でごまかせると判断したのでしょう。

 坂本弁護士一家はTBSが殺したも同然なのです。


2 神奈川県警はオウム真理教の犯罪行為に加担した?

 そしてこの事件の初動捜査。坂本弁護士一家失踪当初、坂本が所属していた「横浜法律事務所」等の関係者からオウムの関与を指摘する声があったのですが、「横浜法律事務所」所属弁護士の大部分は日本共産党系とされる「自由法曹団」に所属しており、横浜法律事務所が労働問題や日本共産党幹部宅盗聴事件において警察側と対立していたことから、神奈川県警は捜査の「手抜き」をしていました。

 そればかりか、神奈川県警は、記者クラブにおいて「坂本は借金を抱えて失踪した」「(仕事で得た)大金を持ったまま逃げた」「(学生時代から関わりのある)共産主義過激派の内ゲバに巻き込まれた」などの事実無根の噂(大嘘・デマ)を新聞社数社に流しています。もちろん、オウム真理教もこれに便乗しています。事実無根のデマを流すなど、これは神奈川県警の不手際―というより、悪質な犯罪行為と呼ぶべきものではないでしょうか。

 これだけはありません。坂本弁護士が妻の都子さん、一人息子の龍彦ちゃん(1歳2か月)とともに行方不明になってから3か月が経過した頃、神奈川県横浜市の磯子警察署と横浜法律事務所に、地図入りの次のような手紙が送られてきていました。

「龍彦ちゃんが眠っている。誰かが起こして、龍彦ちゃんを煙にしようとしている。早く助けてあげないと! 2月17日の夜、煙にされてしまうかも、早くお願い、助けて!」

 地図には、断面図のような絵が添えられており、一本の木が描かれ、傍に×印がつけてありました。差出人の名前はない。封筒は新潟県高田市の消印で、日付は2月16日。

 これは長野県警が捜索することになり、2月21日には神奈川県警も合流。地図に示された場所の捜索を行ったのですが、何の手がかりも得られないまま、捜索はわずか半日で打ち切り。

 手紙の送り主は、犯行グループのひとり、岡崎一明だったことが、のちに明らかになりました。岡崎は麻原教祖の側近中の側近で、専用リムジンも運転していた古参信徒。麻原から修行の成就者と認められ、麻原の「尊師」に次ぐ「大師」の地位を、教団で二番目に得ている人物。岡崎が匿名の手紙を出したのは、麻原以下25人が、「真理党」から衆議院選挙に立候補していた時期でした。1990(平成2)年2月3日公示で、18日が投票日。岡崎も東京11区の候補者だったのですが、選挙戦さなかの2月10日、オウムから脱走を図ります。このとき、2億2000万円の現金と8000万円の預金通帳を持ち逃げしようとしたところ、これは幹部の早川に阻止されてしまいました。そこで岡崎は、麻原に対して、退職金名目の「口止め料」を要求。麻原がなかなか応じないので、自分の本気さを示す目的で手紙を送ったのでし。坂本弁護士と都子さんの遺体遺棄現場を示した手紙も投函しのですが、ようやく麻原が830万円の支払いを了承したため、郵便局に出向いて回収していたのです。

 神奈川県警は、それから半年以上たった同年9月になって、手紙を書いたのが岡崎だと知り、当時住んでいた山口県宇部市へ出向いて、3日間にわたる事情聴取を行っています。岡崎は、自分が手紙を投函したこと、麻原から金を受け取ったことは認めたものの、当然、坂本事件への関与は否定しました。なぜか神奈川県警はそれ以上の追及はせず、悪質ないたずらと断定。

 坂本弁護士一家の3人の遺体が見つかったのは、6年近く後のこと。地下鉄サリン事件をきっかけに、オウム真理教に対して大規模な強制捜査が行われ、岡崎がようやく自供を始めてからです。すると、龍彦ちゃんの遺体は、地図が示した場所のすぐ近くから発見されました。地図が正確なのも当然で、岡崎は、そこに龍彦ちゃんを埋めた張本人だったのです。

 2月21日の捜索が時間をかけて丹念に行われていたら、神奈川県警の捜査員が岡崎を厳しく尋問していたら、もっと早く見つけることができたことは確実です。これほどまでに、神奈川県警捜査本部の初動捜査は杜撰かつデタラメだったのです。坂本事件の発生直後に、神奈川県警が真剣に捜査に取り組んでいれば、間違いなくもっと早期に解決していたでしょう。すべての証拠が、オウムの犯行を示唆していたのですから。そして、坂本事件で麻原教祖を検挙していれば、その後の教団の拡大や武装化を防ぐこともできたはず。松本サリン事件や地下鉄サリン事件は起こらずに済み、多くの人命や、数え切れない人々の平穏な生活が失われずに済んだのです。龍彦ちゃんの捜索を半日で打ち切るなど、まったくやる気のない神奈川県警の姿勢を目の当たりにし、自分の身辺に捜査は及ぶまいと甘く見たからこそ、麻原彰晃は際限なく増長していったのです。

 神奈川県警の坂本弁護士一家失踪事件の初動調査の「手抜き」「怠慢」「無能」「杜撰さ」「やる気のなさ」が、松本サリン事件や地下鉄サリン事件など、多くのオウム関連事件が発生する要因のひとつとなったのです。

 神奈川県警は、オウム真理教を野放しにしたという点で、その犯罪行為に加担したも同然なのです。

 
※ 私は、神奈川県警内部、それもある程度の権限を有する立場に、オウム真理教の信者がいたのではないかと推測しています。


3 著名人たちの厚顔無恥な日常(いま)

 そして当時、オウム真理教教団を擁護して、いまでは「なかったふり」をしている著名人を忘れてはいけません。

 もっとも常軌を逸していたのが中沢新一です。宗教学者の中沢新一は「狂気がなければ宗教じゃない オウム真理教教祖が全てを告発」と題した麻原との対談で、教団を弁護。さらに、「オウム真理教のどこが悪いのか」、麻原を「高い意識状態を体験している人」と称賛していました。言っていることは支離滅裂。「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」によれば、こうした中沢の擁護発言記事によって、少なからぬ人々に「オウムは間違っていない」という誤った印象を与え、教団への疑惑を「宗教弾圧」と称して攻撃する根拠ともなり、また、この記事を読んでオウムに入信したという者も現れたとのことです。

 当時オウム真理教を肯定的に論評していたのは、中沢新一、島田裕巳、吉本隆明、荒俣宏、栗本慎一郎、ビートたけし、池田昭などです。

 
※ このうち、島田裕巳は「一応」総括らしきことをしています。


(Parsifal)



引用文献・参考文献

「カリスマ」 C・リンドホルム 森下伸也訳 ちくま学芸文庫
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Diskussion

Hoffmann:Parsifal君は遠慮しているけれど、訳文には問題があるね。

Parsifal:それでも本の内容はよさそうに思えるんだけどね。訳者も上手くまとめてくれているし・・・。

Kundry:この「訳者まえがき」がなかったら、途中で放り出してしまったかも知れません(笑)

Klingsol:原書はフランス語か。

Hoffmann:たとえば、人民寺院の話のなかで―

 彼がブラジルから帰ってくると、集会は行動の「反社会的」な側面、とくに性的な慣行に関心を集中させるようになった。

 ―とある。「彼」というのはジム・ジョーンズのことなんだけど、この文章の主語は? 「関心を集中させるようになった」って、だれが? なにが? 集中させる、ということは、集中するのはだれ? 信者かジム・ジョーンズ自身なのか・・・。

Kundry:つまり、「ブラジルから帰ってきてから、彼が集会において語っている内容は、性的な慣行に関心を集中させていることがうかがわれた」という意味なのか、「ブラジルから帰ってきてから、彼が集会で語ることは、信者たちの関心を性的な慣行に集中させるものだった」という意味なのか・・・ということですね。たしかに、どちらともとれる変な日本語ですね。

Hoffmann:翻訳で大事(でえじ)なのは、外国語が分かるかどうかということと同じくらい、日本語が上手くなけりゃいけないということなんだよ。

Klingsol:訳語も首をかしげるところが少なくない。チャールズ・マンソンが自分の能力を説明するのに「特有の率直さで」とあるけど、ここで「率直」なんてことばが妥当だとは思えない。「彼の深い怒りと恥辱というゆがんだ拡大レンズに映る誇張された形態の自己に・・・」なんて箇所もあるから、そもそも原著者も隠喩を多用しているのかも知れないけどね。