102 「ヴォイツェク」 (「ゲオルク・ビュヒナー全集」全1巻) ゲオルク・ビュヒナー 内垣啓一訳 河出書房新社




 「ヴォイツェク」"Woyzeck"は、1835年頃に執筆されたゲオルク・ビュヒナーによる未完の戯曲です。下級軍人ヴォイツェックが、浮気をした情婦のマリーを刺殺するまでに至る物語ですが、未完であったためビュヒナーの生前は発表されず、死後40年を経て原稿が復元され、日の目を見ることとなりました。ただしその草稿にはそれぞれ執筆時期の違う断片的な30の場面が描かれており、決定稿・未定稿の区別や場面配列も不明であるため、編纂者の解釈によって場面配列が異なっています。アルバン・ベルクのオペラ「ヴォツェック」の原作としても有名ですね。

 モデルとなった事件

 もともとこの戯曲はじっさいに起こった殺人事件をもとにして書かれたもの。下級軍人であったヨハン・クリスティアン・ヴォイツェック Johann Christian Woyzeck (1780年1月3日 - 1824年8月27日)が41歳のとき、5歳年上の愛人を刺殺し死刑判決を受けたという事件です。


Johann Christian Woyzeck

 先にこの事件について語っておくことにします。ヨハン・クリスティアン・ヴォイツェックはライプツィヒに生まれ育ち、8歳の時に母を、13歳の時に父を亡くしています。はじめは彼は鬘職人の下で徒弟奉公、その後各地を遍歴してさまざまな職業を経験した後、志願兵となりました。

 1807年にウィーンベルク(あるいはウィーンベルガー)という名の女性と知り合い彼女との間に子供がひとり生まれましたが、入籍はしていません。1818年にライプツィヒに戻り、幼なじみであったヨハンナ・ヴォーストと交際するようになりますが、ヴォイツェックは彼女が他の兵士とも関係を持っていることで嫉妬し、しばしば彼女に暴力をふるっていたようです。そして1821年6月21日、ヴォーストはヴィオツェクと約束をしていたのですが、これをすっぽかしてほかの兵士に会いに行ったため、その日の晩、ヴォイツェックは短刀で彼女を刺殺し、その晩のうちに逮捕されます。

 事件は表面上痴情のもつれによるありふれた殺人事件でしたが、ヴォイツェックの言動から犯行時に精神異常に陥っていたことが疑われたため、精神鑑定が行なわれることになりました。医師であり宮廷顧問官であったヨハン・クリスティアン・アウグスト・クラールスJohann Christian August Clarusが数度の面談を行ったのち、ヴォイツェックの犯罪責任を問えるものとした鑑定書を提出、これによって1822年2月22日にヴォイツェックに死刑判決が下されます。

 しかしその後、ヴォイツェックは獄舎を訪れた教誨師に、変な声を聞いた、幽霊が現れるのを感じたなどと話し、またヴォイツェックを住まわせていた人物からも、彼の精神異常を思わせる言動があったという報告があたため、1822年11月10日に執行延期となって、クラールスによって再度の精神鑑定が行われることに。2度目の鑑定は詳細を極め、ヴォイツェックとの面談だけでなく多数の証言を集めて彼の経歴、生活状態、精神状態が調べ上げられました。クラールスはこの鑑定書において、ヴォイツェックの精神異常の兆候を多数認めながらも、最終的には彼の犯罪責任能力を認めうるとしています。

 ヴォイツェックの幻聴は、「言い争う声」や「変な声」が聞こえるほか、地面の下から鐘の音や「おい、来るんだ!」という声が聞こえたというもの。また心臓の動悸に悩まされており、幻覚として「炎の帯」や「三つの炎の顔」が空中に浮かんで見えたということです。ヴォイツェック自身はこれらの幻聴・幻覚を「幽霊」や「フリーメイソン」の仕業と考えていました。

 死刑執行は1824年8月27日。ライプツィヒでは30年ぶりとなる公開処刑であり、また最後の公開処刑でもありました。



ライプツィヒの広場で行なわれた処刑の様子


 
ビュヒナーの「ヴォイツェク」

 1837年の作者ビュヒナー急逝後、遺稿は断片的であったため、発表されることもなく、ところがビュヒナーの未発表の草稿が残されていることを伝え聞いた作家・編集者のカール・エミール・フランツォースが、遺族から草稿を借り受け、ほとんど判読不能になっていた原稿に化学処理を施して解読。発表されたのは1875年10月です。このとき難読のために題名および主人公の名である「ヴォイツェック(Woyzeck)」は当初「ヴォツェック(Wozzeck)」と考えられていました。これが訂正されたのは1920年にヴィトコウスキーによる遺稿集が出版されたとき。アルバン・ベルクのオペラが「ヴォツェック」とされたのはこうした事情によるものです。

 「ヴォイツェック」の舞台初演は1913年、ビュヒナーの生誕100年を記念して、ミュンヘンのレジデンツ劇場で行われています。第一次世界大戦後にはすでにドイツ現代劇における重要な作品と見なされるようになっており、1920年代には多くの演出により盛んに上演されていました。この舞台を観たアルバン・ベルクは、その後オペラ「ヴォツェック」作曲、こちらの初演は1925年12月。エーリヒ・クライバーの指揮によりベルリン国立歌劇場で行われています。



Karl Georg Buechner

 さて、「ヴォイツェク」は、またビュヒナーはどのように位置付けられてきたのか―かつて主流であったのが、社会進歩的解釈。つまり、ビュヒナー及びその作品を、貧富の差別やブルジョワ階級の腐敗を告発する作家であり、作品であるとするもの。この解釈では、すべては社会の環境に原因があるということになります。

 第二に、ニヒリズム的な解釈があります。これによると、悲劇は社会秩序の歪みから生じるのではなく、世界の本来的な構造にその原因がある、ということになります。ヴォイツェクの情婦殺しは、世界が恒常性を持たないことによる、最後のよりどころを失った虚無的な絶望によるものという解釈です。

 第三に、神学的な解釈があります。これは主人公の破滅に神の救済を見出そうとするものです。つまり、苦しみを通じて神のもとに達するという解釈。しかし、「ヴォイツェク」に関しては、ビュヒナーには最後に法廷場面が加える構想を持っていたことが明らかであるため、ここで神の救済という要素は考えにくい。

 このあたりの問題提起は、編纂者による校訂によっても多少微妙に左右されるところかもしれません。上記の三つの解釈は、どちらかというと「ヴォイツェク」という作品そのものよりも、ビュヒナーとその時代に、解釈者の世界観を反映させているように思えます。いわゆる、解釈の方法論の問題が浮き彫りにされていますね。

 虚心坦懐に読めば、ヴォイツェクの精神疾患はほとんど典型的なものです。これを社会との関わりに引き寄せるならば、社会におけるヒエラルキーの問題でしょうか。つまり、抑圧者と搾取者があって、そのためにヴォイツェクが狂気に至ったということ。それでいいのでしょうか。ここで抑圧者というのは、やはり大尉と医者ということになりますね。大尉はヴォイツェクに対してマリーの姦通を揶揄しています。また、大尉は自分を善人だと思っていて、ヴォイツェクを不道徳であると非難している。医者もまた、日給2グロッシェンの代価としてヴォイツェクを実験台として使い、その言動を「興味深い症例」としてしか見ていない。

 それでは、こうしたことがすべて階級的な対立関係のなかで行われていると見ればいいのでしょうか。どうもそのようには考えにくいと思います。大尉の思考はたいへん独善的ですが、その独善的に過ぎる思考から一歩も外に出ることはありません。つまり対話が成立していないようなところがある。医者にしても、患者を「もの」としか見ていない、「症例」にしか関心がない医者です。これを社会的な階級の対立に持ち込む必要があるのか、疑問です。だいいち、大尉や医者の描かれ方は、あまりにも戯画的に過ぎやしないでしょうか。


"Woyzeck"の草稿

 ビュヒナーが描こうとしたのは、あくまでヴォイツェクという、特定の「個(人)」の存在ではなかったのか、という気がします。「ヴォイツェクの狂気はあくまでヴォイツェクの内面から立ち上ってくるもの。「火焔」「喧噪」「恐ろしい声」はすべて、ヴォイツェクの内面にあるものであって、かつヴォイツェクにつきまとい、ヴォイツェクを支配下に置こうとするものです。

 狂気というのは、正しい意味で「グロテスク」なものです(あくまで「正しい意味で」)。すべての合理性思考の体系化を拒絶する魔的な要素です。マリーの姦通によって、かろうじてバランスを保っていた生活基盤が崩れ去り、月が赤くなって血ぬられた鉄剣となり、救いようのない、「死」のimageが振りまかれる。

 これを、ロマン主義的に解釈すると、「さまざまな魂の持ち主たちのあらわれる運命の風景」を描いたもの、ということになります。心理学的にも病理学的にも不安な幻影にとらわれた哀れな男、病的な性衝動にとらわれた女、描かれているのはみーんな典型的アブノーマルな人間。すべては気分、衝動、生を維持する目的と情熱だけで、その行動はあたかも夢遊病の如し・・・これも違うのではないでしょうか。

 独善的というだけでその思考は至って単純素朴な大尉や、ヴォイツェクの上っ面しか見ていない(ということは人間関係を結ぼうとしない)医者の存在は、ヴォイツェクにとってさほどの意味を持つものでもないことになります。鼓手長に至っては、男性性の野獣的なヴァイタリティを誇示すること以外の台詞はなく、ヴォイツェクは格闘でたたきのめされるも、終始無言でいる。鼓手長など、まったくヴォイツェクには関わりのない人間なのです。もちろん、鼓手長の側だって、マリーとの関係には、単に性的欲求を満たすためだけの目的しかないのです。

 一方のマリーは鼓手長から贈られたイヤリングをつけて鏡に見入っている、そしてヴォイツェクに対する罪悪感に悩んで聖書に懺悔している。一体、単純でなく、独善的でなく、他人と人間関係を結ぼうとしている、正常な理性状態を保っているのはだれでしょうか。

 ヴォイツェクの妄想、たとえばアンドレースと藪のなかで杖を刈っている場面での世界終末のヴィジョン、これは聖書の黙示録に仮託したものです。不倫を犯して罪悪感に苛まれるマリーの台詞も聖書からの引用があります。これは聖書しか知らない無学な人間というよりも、ありふれた市井の人間を描いている、ということでしょう。

 もちろん、そのありふれた人間が、貧困で最低限の生活をしており、わずかな給金で医者のモルモットになっているわけですが、これをもって非人間的な社会的状況をあらわしているからといって、社会全体の悲惨な労働条件を風刺しているだなんていうのは考えすぎ。研究者とか評論家というものは、なんでもかんでも自分の時代の問題意識に敷衍させようとして、とりわけマルクス主義以来の「疎外」だの「帰属」だのといったテーマを見出そうとするんですが、ときにその牽強付会ぶりはいささか滑稽です。また、ハンス・マイアーあたりが主張する、周囲の社会環境が人間の運命を決定づけることをあらわしているという解釈も決して否定はしきれないんですが、だからといって下層階級とか格差という類型で区分すると見えてこなくなるものがあります。アルバン・ベルクのオペラの場合も、登場人物の顔が白塗りになっている演出を観たことがありますが、「これはだれでもこうなる可能性があるんだよ」というメッセージの代わりに、ヴォツェック(オペラではこの名前)の個(人)としての悲劇は薄められてしまっていました。舞台で描かれ、演じられているヴォツェックの境遇が、抽象的な「象徴」になってしまうためです。

 むしろ私は、ビュヒナーには、じっさいの事件で精神疾患で責任能力のないヴォイツェクを、「局部性精神錯乱」とまで診断していながら、刑の引責能力ありとした鑑定医師と、これに従ってヴォイツェクを死刑に処したライプツィヒの裁判に対する批判的意図があったのではないかと思います。刑の執行が1824年、およそその10年後の執筆ですからね、当時の情報量と情報伝達速度を鑑みれば、10年前というのはごくごく「最近」の出来事です。そう考えると、この戯曲に登場する医者も、この鑑定をした医師クラールスのパロディかもしれません。


ビュヒナーの墓(チューリヒ) チフスにより23歳で死去

 ビュヒナー作品の受容についてお話ししておくと、ビュヒナーに最初に注目したのが自然主義の作家たちであり、ゾラの「ナナ」と比較するなどして、自然主義の先駆者と見たのは理由のないことではありません。ここには舞台用美文ではなく、美化や虚飾を排した日常そのままの(断片的な)ことば遣いがあるためです。

 古典主義ドラマとは異なって、脈絡なく独立した場面場面を放り出して、観ている側はそこに投げ込まれたかのような気分になる、いわゆる「つぎはぎ」の効果も指摘されており、これなどはほとんど20世紀文学的な特徴を持つ劇であることを示していると言っていいでしょう。

 舞台初演が1913年、それから舞台にかけられるようになって、アルバン・ベルクによるオペラの初演が1925年。じつは1920年代というのは、精神疾患者の犯罪はアクチュアルな問題だったので、さかんに上演されたという事情もあったんですよ。加えて、固定観念や幻覚症状が後の表現主義の先駆とされたことも大きく与って、さかんに上演されたのでしょう。


 映画も観る 「ヴォイツェク」 "Woyzeck" (1979年 西独) ヴェルナー・ヘルツォーク

 以上、これだけお話ししてしまうと、単独で語ることもあまりないので、ここで「映画も観る」のコーナー、ヴェルナー・ヘルツォークの「ヴォイツェク」も取り上げてしまいましょう。主演はクラウス・キンスキー。



 「ヴォイツェク」はこれまでかなりの回数、映画化が試みられ、じっさいに公開もされています。いちばん早いものは1930年にゲオルク・クラーレン Georg Klaren によって映画化が構想されており、ただしじっさいに撮影されて公開されたのは第二次大戦後。タイトルは「ヴォイツェク」"Woyzeck"とそのままで、表現主義の映画として評価を得たのですが、マルクス主義的な傾向のためまもなく上演が差し止められてしまいました。私はその映画を観ていないんですが、マルクス主義的かあ・・・やっぱりね、監督が原作をそのように捉えたということなのか、検閲官(?)がその映画をそのように観たということなのか・・・いずれにしても、どうもみなさん、考えることがことが画一的ですNA。

 

 その後に作られた映画のなかでもっとも有名なのが、このは1979年のヴェルナー・ヘルツォーク監督、クラウス・キンスキー主演による「ヴォイツェク」です。なんでも、クラウス・キンスキーがヴェルナー・ヘルツォークに「『ヴォイツェク』を撮れ」と、さかんに言っていたらしい。演じたかった役だからでしょうか、さすがの怪優ぶりです。むしろ演技は抑制気味、わざとらしい予定調和は微塵も感じられません。主人公の情婦マリーを演じたエーファ・マッテスもいい演技を見せており、第32回カンヌ国際映画祭で助演女優賞を受賞しています。

 ヴェルナー・ヘルツォークも、この作品を手垢にまみれていそうな短絡的なメッセージ性で塗りつぶしてなどいませんよ。クラウス・キンスキーを得たことを無駄にはしていない、ヴォイツェクという「個」の悲劇を描いて間然するところがありません。なんでもかんでも俳優の顔面を白塗りにすればいいと思っているような演出家とは違います。


このひとが演じているだけで、ただごと(ただ者)ではない雰囲気が醸し出されてしまうんですが・・・。

 この映画のDVDは残念ながら国内未発売、私が入手したのは独Anchor Bay盤、英語字幕あり、リージョン・コードAllです。テクストはほぼ原作に忠実なので、ドイツ語は分からなくてもstoryをご存知の方ならば問題ありません。


(Hoffmann)




引用文献・参考文献

「ゲオルク・ビュヒナー全集」 全1巻 手塚富雄・千田是也・岩淵達治監修 河出書房新社

https://amzn.to/3T71OI3 鳥影社ロゴス企画版 全集

https://amzn.to/49ZmkRM 岩波文庫版 「ヴォイツェク」「ダントンの死」「レンツ」



Diskussion

Klingsol:「ヴォイツェク」に関して語るのは難しいなあ。

Hoffmann:Klingsol君にして難しいか・・・。

Parsifal:マリーはゲーテの「ファウスト」のグレートヒェンと比較されることがあるけど・・・・。

Hoffmann:ゲーテは女性を理想化して書くけれど、マリーはそんなに理想化されていないよ。

Klingsol:ところで、じっさいのヴォイツェクの診断名は「局部性精神錯乱」なんだよね。まあ、病名はなんでもいいんだけど、これ、医学的な観点から言えば、それ以外の部分では正常だということになるんだよね。

Kundry:いささか神経過敏で妄想にとらわれているけれども、刑の引責能力はあるとされたわけですからね。

Parsifal:その、固定観念や幻覚症状を持った人間に喋らせているわけだ、この戯曲は。そこが戯曲における言語上の大冒険なんじゃないか? いや、ドイツ語で読むと、ヴォイツェクの独白なんか、じつに斬新なんだ。

Hoffmann:それが後の表現主義の先取りと言われたところだね。

Parsifal:人間の本能とか無意識といったものを言語化しようとしたのかもしれない。そうなると、表現主義どころかシュルレアリスムだよ、ロマン主義どころじゃない・・・。

Klingsol:ライプツィヒの裁判に対するプロテストという意図はたしかにあったかもしれない、個人的にはそれだけではないと思うけど・・・。ドイツはいまは死刑制度がないけれど、ビュヒナーは死刑制度そのものに対する疑義も持っていたのかもしれないよ。

Hoffmann:やっぱりね、たとえばマリーの不倫にしても、貧困とか下層階級とかその社会環境の問題よりも、人間の内面の闇の部分から捉えるべきだと思うんだ。「社会が悪い」「貧困の犠牲」といった社会批判にしてしまったら、いっぺんに矮小化されてしまうような気がする。

Parsifal:闇の部分だって、非合理なものだし、じっさい、ヴォイツェクの独白はシュルレアリスム的な無意識の言語化と見ることもできるんだからね。

Kundry:何気なく、大胆なご意見ですね。さまざまな解釈を可能にする多層的な作品であることはたしかですね。

Parsifal:大胆ついでに言ってしまうと、医者は冷徹な人間だけど、大尉は単純な小市民で、caricaturizeされてはいるけれど、意外と好感が持てる人物だと思うな(笑)

Klingsol:ああ、それは、医者は台頭しつつある市民階級(専門家)だけど、大尉は凋落しつつある封建主義社会の一員でしかないからだろう。地位は異なっても、ヴォイツェクと同じ立場なんだよ。

Hoffmann:ヴォイツェクの台詞に、「月はまるで血のついた刃物だな!」というのがあるんだけど、シェーンベルクのモノドラマ「期待」に似た台詞があるんだよ。暗い夜、ある不安な期待に導かれてひとりの女が森の中をさまよい、ベンチに腰を下ろすとそこになにかある。ふれてみるとそれは血に染まって死んでいる恋人だった。月の光の中で手についた血を見て、「月は赤い血を塗るわ」と―。これを聴いていると、「ヴォイツェク」を思い出してしまう・・・。



(追記)

 アルバン・ベルクの歌劇「ヴォツェック」について (こちら