107 「軍国歌謡集」 (「海岸公園」) 山川方夫 新潮文庫




「他人を愛するのなんて、僕には負担なんだ。僕は僕の責任だけで手いっぱいなのに、そんな幻影でよけい不自由になんかなりたくない。人間は、それぞれ身動きもできない、けっして他人と本当に癒着しあえない特殊な個体なんだ。それが僕の信条だ」


 「軍国歌謡集」は夭折の作家、山川方夫の短篇で、新潮文庫の「海岸公園」に収録されていました。

 私が新潮文庫から出ていた山川方夫の短篇集、「愛のごとく」と「海岸公園」を読んだのは18歳の時です。

 語り手である21歳の主人公は映画のエキストラで生活している友人「大チャン」の下宿に転がり込んでいる。主人公のことを「アンタさん」と呼ぶ彼は、面倒見のよい、無垢な善人。

 夜になると、その下宿の外の道から女の歌声が聞こえてくる。その女は必ず軍歌を歌いながら歩いて行く。大チャンはその歌声は自分が忘れていたものを思い出させてくれる、自分の救いだ、ぜったいに窓を開けてはいけないと言う。

 ところが一週間ほど後、大チャンの不在時に主人公は窓を開けてしまう。子供みたいな顔の少女は顔を伏せて逃げる。

 ある日、主人公は歌の主の娘に呼び止められ、「・・・あなたは、とってもいやらしい人です。いやな人です。私は大嫌いです。私、あなたのこと、憎んでいるんです」、そして窓を開けて見られたことで、あなたのことを気にせずにはいられなくなった、と抗議される・・・。

 その後歌声は聞こえなくなるが、大チャンは仕事で夜が遅くなり、毎日その日の歌を言い当ててみせる。主人公は嘘をついて、大チャンの言うとおりだとこたえる日々・・・。

 大チャンはある日、歌の主である娘に出会った、直感で分かった、四ヵ月もの間歌で結ばれていた彼女と結婚する、でも歌のことはお互い口に出して言わないでいるんです、と言ってその女性を主人公に紹介する。その女は主人公が知っている娘ではない。その女が帰った後、窓の外から歌声が・・・。



山川方夫

 山川方夫は1930年(昭和5年)生まれ、1965年(昭和40年)に交通事故により34歳で亡くなっています。短篇、ショート・ショートが得意で、その点では長篇・大作好きの私の嗜好とはやや異なるのですが、山川方夫に関しては例外中の例外です。短篇「お守り」は海外の雑誌にも翻訳紹介され、「海岸公園」は第45回芥川賞(1961年上半期)の候補作、「愛のごとく」は第51回芥川賞(1964年上半期)の候補作となっています。

 思春期というものが、自我という怪物にはじめてお目見えする時期だとすれば、青春というのは、この得体のしれないばけものと格闘を演じる時期、そしてそこから抜け出すには未だ時間がかかるもの・・・。そんな格闘を演じている当人も、その自我も、端から見ればじつに滑稽なものです。しかし滑稽とは言っても、笑えるようなものではない。悲喜劇です。

 冒頭に掲げたのは、主人公が歌声の主である娘に対して、喫茶店で言うことばです。

 いやあ、お恥ずかしい。私に、この山川方夫の短篇集を読むようにと勧めてくれたのは、3歳年上の女性の先輩だったんですよ。その先輩の目に、私がどんな18歳に映っていたのか、なんだか想像がつきますよね。ええ、きっとその想像どおりだったのだと思います。

 いま読めば、いかにも戦中派の観念的な「愛」が語られていると思うんですよ。いまの若い人が読んだら、頭ン中で自我が膨れ上がって、身動きがとれなくなっている往年の文学青年の自家中毒と見えるのではないでしょうか。でもね、よーく思い起こしてみて下さい、男性なら身に覚えがあるひと、少なくないんじゃないでしょうか。

「愛とは、ですね。つまり、自分が、相手の心の中に位置をしめているという幻影です。相手の中に、自分というものが、ある場所をもっているという意識なんです。それを信じる力だといってもいいと思いますね」

 これは大チャンのことばです。じつは、主人公と同じようなことを考えているんですよ。それなのに、どうしてこうも違ったことばになるのか・・・。

 ちなみに当時、この本を友人S藤君に勧めたんですよ。私は読み終わったS藤君に尋ねてみました。

「短篇集2冊のなかで、どれがいちばんよかった?」
「そりゃあ、あれだろう」
「やっぱりそうか、あれだよな」
「うん、あれだ。最高だ」

 S藤君も私と同じ、「軍国歌謡集」がいちばんのお気に入りでした。これは満更悪くない「青春の」思い出です(笑)


(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「海岸公園」 山川方夫 新潮文庫
「愛のごとく」 山川方夫 新潮文庫



「お守り・軍国歌謡集」 山川方夫 (P+D BOOKS)
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Diskussion

Parsifal:この娘は仕事の帰りが遅くなって、夜道を歩くのが怖いから軍歌を歌っていたんだったね。

Klingsol:その、遅くなる理由が、社長が疑獄事件に引っかかりそうだったので・・・というのが時代を感じさせるね。

Hoffmann:その後は定時に帰れるようになって、歌わなくなったんだ。

Parsifal:その娘が喫茶店で主人公に詰問するよね。「ねえ、どうしてあれからあと、窓を開けなかったの? 私を、見なかったの?」その後主人公が窓を開けなかったので、主人公がかえって自分のことを意識していると考えたわけだ。泣かせるねえ(笑)

Hoffmann:そのあとに、冒頭に引用した主人公のことばがある・・・そして後日、娘から「お別れ」の手紙が来る。

Klingsol:窓を閉じるとは心を閉ざすことなんだ。

Kundry:それよりも、私は大チャンの方が気になりますね。四ヵ月も歌で結ばれていた女性と偶然出会った、と言って主人公に紹介する。その女が帰った後、歌声が聞こえてきて、「・・・・・・違う。違う」と。みなさんはおそらく主人公に感情移入されているのだと思いますが・・・。

Hoffmann:自分ではないけれど、「大チャン」もいたよ、たしかに。でもね、底なしの善人なんだな、これが。

Parsifal:今日は倒置法が多いね(笑)

Klingsol:正直言って、青春なんて言えば聞こえはいいけど、自意識の肥大した若者の観念的な自我はいただけない・・・と言いたいところだけど、ムカシを思い起こせば身に覚えがないでもないからね(笑)

Kundry:Klingsolさんにしてそうなんですか? 意外ですね(笑)

Hoffmann:ちなみにこの「軍国歌謡集」は昭和37年頃に書かれたことは分かっているんだけど、なぜか生前は発表されておらず、死後5年たってから、全集に収録されたものなんだよね。埋もれてしまわなくてよかった。

Parsifal:新潮文庫はとっくに品切れか絶版だけど、講談社文芸文庫で「愛のごとく」が出ていたね。ただし、そこには「海岸公園」は収録されているけど、「軍国歌謡集」が入っていない。

Klingsol:個人的には「夏の葬列」も好きだね。以前、たしか集英社文庫で出ていた。これには「お守り」と「海岸公園」も入っていたけど、いまは入手困難かな。集英社文庫からは「安南の王子」も出ていたはずだ。

Hoffmann:「夏の葬列」は結構よく収録されているから、わりあい入手しやすいんじゃないかな。最近では創元推理文庫の「親しい友人たち」にも収録されていたよ。

Kundry:ところで、Hoffmannさんに山川方夫を勧めてくれた女性の先輩と、Hoffmannさんとのご関係は?(笑)

Hoffmann:ゲホ、ゲホゲホ・・・なにもないよ(笑)ホントに。

Parsifal:また倒置法だ(笑)