#02 皮肉な恋の物語


ところでHoffmannさん、これ、落丁ですか?

うん? ・・・ああ、「雲隠」の巻だね。これは空白でいいんだ、内容が1行もないんだよ

このあとはいきなり光源氏の死後の話になってしまいますね

「雲隠」というのは高貴なひとの死を意味するそうだ、つまりここで光源氏は死んでしまったということなんだが、どうやら紫式部は光源氏の死を書かなかったらしい、だから空白のままなんだ

そうだったんですか

フランスの閨秀作家マルグリット・ユルスナールがこの「雲隠」にあたる短編小説を書いているよ、いわゆる偽作というやつだな。翻訳は・・・ええと、これだ、「源氏の君の最後の恋」。読んでみる?

ええ、読ませてください

・・・

老いてもはや盲目となった光源氏の庵をかつての恋の相手のひとり、母性的でおだやかな、しかし比較的影の薄い、花散里が名を偽って訪ねてくる。

眼の見えない光源氏はその心やさしい女性と最期の日々をすごす。

「そなたは器用で心やさしい。恋にかけては世にも倖せな人であった源氏の君でさえ、そなたほど優しい恋人を得たとは思われぬ」

ついに秋の終わりに死に瀕して、光源氏は告白する。「死にゆく者をみとってくれる若い女性よ、わたしはそなたをあざむいていた。わたしは源氏なのだ」

花散里はこたえる。「あなたさまは、愛されるためには源氏の君である必要はございませぬ」

死の床で光源氏はかつて愛した女たちを次々と思い浮かべてゆく。

葵の上、夕顔、空蝉・・・しかし花散里の名前だけが思い出されない。花散里は、堅い枕にがっくりと頭を落とした源氏の上に身をかがめてつぶやく。

「お館には、いま名をおあげにならなかったもうひとりの女が居りませんでしたか? やさしい女だったでしょうに。そのひとの名は花散里ではありませぬか? 思い出してくださいませ・・・」

しかし光源氏の表情はすでに死者だけのもつあの清澄さを示しつつあった。

・・・

はあ、読み終わりました

・・・



・・・皮肉な恋の物語ですね



引用文はユルスナール「東方綺譚」多田智満子訳(白水社)から