#03 エロティシズム談議


今日は一日かかってこの種の小説を何冊か読んだのですけど、ひじょうに暴力的なものが多いのですね、まさに作者のひとりの名前からサディズムということばが生まれたとおりに・・・

エロティシズム文学に暴力的な傾向が色濃いのは、そもそもエロティシズムが非日常性、死への憧れと不可分なものであるからだな

非日常性と死への憧れ、ですか?

うん、このふたつの要素がエロティシズムをエロティシズムたらしめるものでね、生の本能という秩序をなす規則的社会に、存在の死にもひとしい侵犯を行う、エロティシズムは社会的・宗教的タブーへの挑戦という形をとって現れる

それで暴力的だと・・・でも、ありふれたポルノ小説だってこのようなものはあるのではないですか?

マンディアルグによれば、エロティシズム文学と呼ばれるものと、いわゆるポルノグラフィと呼ばれるものとの質的な相違は、まず第一に文体と独創性にある、ということなんだ

文体はともかく、独創性ってどういうことですか?

構成上の独創性、言語における独創性、作品構築のうえでの独創性のゆえにエロティシズム文学は高貴な文学として存在するのに対して、ポルノグラフィはそれらの要素がすべて欠落した俗悪なものにすぎない・・・

俗悪でないものとは?

ポルノがテーマにするのはごく日常的な性の営みでしかないのに対して、エロティシズム文学が扱うのはある種の不可能性を持っている、したがってそれは精神の創造行為であり(想像行為じゃないってことだね)、法を超えて進む過激さ、禁制と障害の破壊、限界の踏み越えであり、そこにおいてはじめて作家は自由を見出し、すべてを可能とする未知の領域が開かれる

・・・

ちっとも具体的じゃないね(笑)
ポルノは、まあ、言ってみれば単なる肉体の生理的満足の追求にすぎない。だからポルノにおけるイマジネーションが扱うのは、たとえば女教師、婦人警官、西洋の古典なら修道女かな、これって、いかにも非日常のようでいて、よく考えたら、じつに貧困なイマジネーションの産物でしかないと思わない? 非日常というのは、近所のお姉さんを想像のなかで犯すっていうようなことではないんだよ(笑)

(笑)もっと観念的なものだと?

そもそも男性の性欲は観念的なものだと思うよ。だけどね、読んでいて、もしも最近ちょっと気になっている知り合いの女の子のことを思い浮かべて、登場人物(そのとき、その小説のなかで裸になっている登場人物だよ)にその女の子のことを重ね合わせてみたりなんかできるようなら、それはポルノであって、エロティシズム文学ではない・・・ということさ

エロティシズムとは禁じられたものへの憧れ、観念の錬金術、というわけですね。もしもHoffmannさんがエロティシズム文学と呼ぶに足る小説を書くとしたら、どんなものになりますか?

う〜ん、たとえば・・・中世の囲郭都市、その廃墟を舞台にして、舞踏病の患者と、それからぜひとも手の指の間に水かきのある女の子を登場させたいね

それって・・・(笑)

(笑)まあ、非日常というのはそこまで極端・・・かもしれないってことだよ



(精神の創造行為ですか・・・)