#04 永遠の美


あの映画も公開当時は、偶像を破壊した、世のモーツァルティアンを怒らせた、なんて言われたらしいけど、そうだろうか? ちょっとモーツァルトの伝記や書簡に目を通したことのあるひとなら、あんな人柄くらいは概ね予想どおりだったんじゃないかな。そういう意味では別に話題性をねらったスキャンダラスな映画というわけではないよね。あの映画を観たという職場の先輩は「音楽なんてなんだい、あんなもんなんじゃないか」と莫迦にしたように言っていたけど・・・

それは違うと思いますね、「あんなもの」、あんな下品で遊んでばかりいたような、いかにも軽薄そうに見える若者が、なんの苦労もなく鼻歌交じりに作曲した音楽がすばらしい、それこそが偉大というべき奇跡なのではないですか

優美、いいことを言うね(^^)「あんなもの」であり、「あれほどのものである」と・・・サリエリじゃないけど、モーツァルトは女神ミューズが微笑んだ男なんだよ。モーツァルトは人格者ではなかったかもしれないけれど、モーツァルトの音楽は真に偉大であり、それを生み出した作曲家が凡人であるわけがないよね。映画の最後の方では、「レクイエム」の作曲が凄絶だったろう?

ええ・・・でも、あの「レクイエム」を作曲しているときの鬼気迫るモーツァルトの描写には、ちょっと異質なものを感じました。むしろ、さりげなく、ふざけながらも、作りあげられた作品は完璧なまでにすばらしいものであった、というのがモーツァルトというひとの奇跡だったと思うのですけれど・・・

なるほど、それはたしかにそのとおりだ。まあ、映画だから後半、クライマックスを持ってくる必要もあったのだろうね。それと、父親に対する反発と、その父の死に伴う罪悪感など、モーツァルトの心理の深層をあざやかに描いている、なんて批評もあったようだけど、とくに目新しい解釈でもない・・・





やっぱりこの映画の主人公はサリエリですよね。サリエリがどんなに努力しても、どんなに精勤にはげんでも、神が微笑んだモーツァルトにはかなわない・・・

そう、推敲に推敲を重ねた努力の結晶も、品性下劣で尊大かつ傲慢なあの若造が女の尻を追いかけ、遊びながら作った音楽にはかなわない・・・まあ、下劣といったって、生活がだらしないのは精神的に子供で浮世離れしているから、傲慢と見えるのは、当時の音楽家というのは身分も低かったのに、貴族や宮廷に対して決して卑屈にならず、堂々と自分の主張を通そうとする態度から、と言うこともできるけどね

さっき、Hoffmannさんはモーツァルトが凡人であるわけがない、と言われましたけど、晩年、年老いて世間から忘れ去られたサリエリは、自分も、この告白を聞いている神父も、みんな「凡人」だと言い放ち、周りの患者たちに「凡人どもよ」と呼びかけますね

この物語はね、神、あるいは自然が作り出した美に対して、人間の努力のいかにむなしくはかないことかを示しているんじゃないかな・・・じつは以前、この「アマデウス」を観たときに、ヴィスコンティの映画を思い出したんだよ。「ベニスに死す」という映画、知ってる?

ええ、トーマス・マン原作の小説を映画化したものですね、全編にわたってマーラーの音楽が流れてとても効果的な・・・じっさい主人公がマーラーに擬せられているような映画ですよね

うん。主人公の作曲家アシェンバッハが美を創造しようとして、しかしどんなに苦闘しても望みはかなわず、自然がふと生み出した美ータジオ少年の純粋な美しさに憧れ、破滅してゆく・・・これ、サリエリも同じだと思うんだ。己の労苦が報われることなく、永遠の美が、決して自分の手には届かぬことを知った芸術家の絶望・・・アシェンバッハはタジオ少年に惹かれ、コレラの蔓延するベニスにとどまり、自分に向けられているタジオの視線を幻視するうちに死んでしまう・・・

・・・

サリエリのとった永遠の美の破壊ーモーツァルト殺害という行為は、アシェンバッハの行為の陰画と言っていいんじゃないかな。サリエリの、モーツァルトに対する感情にも、どことなく同性愛的なものが感じ取れるよね

・・・言われてみればたしかにそうですね

「アマデウス」は憧憬の物語なんだね。美に憧れ、ついには破滅してゆく男、「凡人」の物語。この映画を観たひとは、誰しもこの「凡人」は自分自身の姿でもあるに違いない、そんな感想を抱くのではないかな





それでは凡人は天才の作品でも聴きましょう、破滅したくはありませんけど(^^)

(笑)それじゃあ、なにを聴こうか・・・天気のいい昼下がりだから、ディヴェルティメントか・・・そうだ、クラリネット五重奏曲にしよう

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