#12 エロティシズム各論 ― 吸血鬼篇




吸血鬼においては、生から死への一線が踏み超えられている、これはわかるよね。
つまり、吸血鬼という存在は、死者が能動化して生の領域に闖入し、生きている人間を性的に
陵辱するものだ。このような伝説が形成された原因としては、生者の死に対する両極的感情が
ある。死者を悼み追慕する感情と、死者を嫌悪し恐怖する感情だな。

彼岸信仰は死後の生―とまで言わないにもせよ、死後の世界を肯定するものだから、死者は
生者のもとに帰ってくる恐れがある

死者が死者として帰ってくるということ、それ自体は必ずしも禁忌ではありませんよね

うん。もともと、死者が生者(女)を孕ませることがあるという信仰は、世界じゅうに古くから見ら
れる。「生まれ変わり」なんていうのも、死者がふたたび新生児のうちに蘇生するということだね

古くは、民族によっては、新生児とは常に祖先の霊の生まれ変わりであるとする信仰があるそ
うですね

キリスト教はこの生者と死者との交接をやっきになって禁じようとした。
そこで、中世においては、人々を脅かす不安のひとつに、淫夢魔、すまわち女の姿で男を襲う
スクブス、逆に男の姿で女を襲うインクブスという存在があり、これが死者を仲立ちにして睡眠
中の生者と交わろうとする悪魔だった

すると、そのような存在はキリスト教信仰がつくりだしたものなのですね

そういうことだね。死者との交接―というよりもその結果、妊娠すること、それ自体に恐怖の要
素があったわけではないのに、キリスト教がこれを禁じるために、悪魔の存在を持ち出したん
だな。つまり、永遠に不滅の生は魂だけでたくさんだ、と・・・(笑)



この悪魔の次に現れるのが吸血鬼で、死者との性的な交接は吸血という行為へと変化したわ
けだ

この変化が意味するのは、人々の不安を投影するものとして、吸血鬼という存在が必要とされ
るようになったということですね。つまりキリスト教によって禁じられた肉体の不滅という概念
が、かえって吸血鬼信仰を生んだのではないでしょうか?

そうなんじゃないかな。
いうまでもなく、血は生命力をあらわす、というより、生命力そのものだ。だから血を流すという
ことは死者に近づくことになる。逆に、死者は生者から捧げられた血によって死の淵から生の
世界へ浮上することが可能になるわけで、血、あるいは血を捧げるということは、生と死の一
線を踏み超える手段なんだよ

たしかに、古来からあらゆる呪術に血が使われるものがありますね



吸血という行為が接吻もしくは性行為を象徴していることは誰でもわかるよね。さらに、輸血が
性行為の象徴であることは、ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」でもあからさまに語られている

登場人物のひとりが、そのように感じていますね

アーサーは、あの輸血をした時から、自分たちはほんとに結婚をしたのだ、ルーシーは神の照
覧のなかで自分の妻となったのだと感じた・・・

と、いうことは・・・(^^;)

・・・ここで血は精液をも象徴しているのだね。
また、古くから歯は男根のシンボルでもある。すると、吸血鬼の行為はほとんど性行為と同じも
のじゃないか。
吸血という行為において、被害者は性的侵入と外傷的侵入の混乱をきたす。これはつまりマゾ
ヒズムと無縁ではない、そもそも性行為は苦痛を伴う場合がある(わかりやすくいえば処女膜
破瓜だ)から、程度の差こそあれ、誰にでも多少なりとも見られる倒錯要素だろう

サディズム的傾向はその裏返しですね



吸血という行為で思い出す詩があるんだよ。ボードレールの「悪の華」の一篇で、「あまりにも
快活な女(ひと)に」と題された詩だ。

きみの頭(こうべ)、きみの身ぶり、きみの風情は
美しい風景のように 美しい。
笑いは、きみの顔のうちに戯れて、
明るい空に吹くさわやかな風のよう。

とはじまり、最後の3節は・・・

同じように、いつかある夜、私は、
逸楽の刻(とき)の鐘の鳴りひびくころ、
きみのその身の宝物へと、
卑怯者さながら、音もなく這い寄って、

きみの愉しげな肉体に懲罰を加え、
きみの赦された乳房を傷つけてみたい、
そして、驚いているきみの脇腹に
広く深い傷を穿ってもみたい、

そして、目くるめくばかりの快さよ!
ひときわ輝かしく、ひときわ美しい、
この新しい唇のあいだから、
私の毒液をきみに注ぎたい、わが妹よ!

・・・この詩が、吸血という行為と、性的な行為をつなぐ橋になっていると思わない?

なるほどですね・・・(-_-)
そういえば、恋愛は拷問もしくは外科手術に似ている、と言ったのはボードレールでしたね

ああ、「火箭」だね・・・なるほどだなあ(-_-)





引用文はブラム・ストカー「吸血鬼ドラキュラ」平井呈一訳創元推理文庫、「ボードレール全集」第T巻阿部良雄訳筑
摩書房から