#14 きみはそこにいて・・・




物語は主人公の青年、といっても37歳か・・・その農夫アントワーヌのもとに、次々と不思議なこ
とが起こるという、謎解きミステリ風にはじまる・・・

それがじつは、主人公の意識は、死にかけた人間の脳をコンピュータに転移したもので、主人公が見たり、感じたりしているものは、プログラムが創り出した幻影の世界であるという、SF小説なのですね

アントワーヌは、西側の情報ネットワークに東側ネットワークを監視するプログラムを導入した情報処理学者の「脳」、それがプログラムとなって形成した「自我」なんだよね

主人公アントワーヌの住んでいる村ジュリアンの世界はコンピュータが創り出した虚構に過ぎない、ということがわかったときには主人公に劣らず、びっくりしました。魅力的なジュリエットも、親方もおかみさんのジェルメーヌも、みんなコンピュータのプログラムでしかないのですね

ところが、読んでいる側としては、この偽りの世界に親しみを感じてしまう・・・

主人公がこの虚構の世界を、素朴で幸福な生活を守ろうと、コンピュータを操っている相手と戦いはじめるところでは、すっかりこの自然豊かな虚構の世界に感情移入してしまっていました(^^)

そしてアントワーヌは、納屋に放火して大勢の人々を集めるなどといった方法でコンピュータに負荷をかけ、ついにこの戦いに勝つ・・・

虚構の世界ということを忘れてしまうほど、感動的ですね



主人公が村のはずれ、森の縁まで歩いてゆくシーンは鳥肌が立ちましたよ

コンピュータのプログラムの限界のところだね

ある地点から突然、暗い虚無が広がっているという・・・

 虚無の内部の暗い虚無のほかに何もなかった。
 アントワーヌはさっと振り向いた。背後には、完全に正常な森が相変わらずそこにあった、大木が朝日に照らし出されていた。
 それから、あらためて、彼は前方を見つめた。またしても彼は暗い虚空を、虚無を、無を発見した。まるでそれは、その向こうには光も、物質も、運動もない世界の端に到達したかのようだった。彼が目の前に見ているのは死ですらなかった、それは非存在、時間そのものが何らの意味もない絶対的な〈不在〉だった。

この体験が複線になっているんだと思うけど、主人公は最後に、ひとつの結論に至るんだね。
つまり、現実はそれ自体としては存在しない、ただ意識と現象とのあいだに相互作用があるのみである、物質的に世界が存在するといっても、意識の認識構造から独立しては存在しえない、と・・・

量子物理学の考え方なんですね。主人公が戦いの末、「電子の生活」を勝ち取ったあと、中庭に出て・・・

 彼は深呼吸をして、なおも前方を見つめつづけた。樹木、畑、丘などは、それ自体としてはいかなる現実性も持っていない、というよりむしろ、それは彼を通してしか、彼がそれらに対して行う観察の行為のなかにしか〈存在〉していないのだ。しかし〈本当の〉世界ではこれと違うのだろうか? それにその別の世界は、彼がいま生きている世界よりも〈現実的〉だろうか? いずれにせよ、量子物理学は、世界が幻想にすぎない、人間意識の結果にすぎない、とまで言おうとしている。そうした見方からすれば、たとえ世界は物質的な現実性を持っているように見えても、意識の認識構造から独立しては存在しないのだ。





この小説が発表されたのは1985年だね。まあ、東西冷戦下を舞台にしているところがいまとなっては古いかな。と同時に、東西両ブロックの軍事防衛ネットワークという設定が当時としては近未来的かもしれない。いずれにせよ、なかなかよくできた小説だよね

私はこの認識論的な哲学が小説のなかで浮き上がることなく、充分に愉しめる小説であるのがよかったです(^^)

・・・そうだね

一見すると、身も蓋もない量子物理学が真の現実への目覚めに貢献しているなんて、すばらしい発想の転換ですよ(^^)

・・・うん・・・でも・・・

・・・どうかしましたか? (・_・ )

いや・・・認識しているといえば、優美だってそこにいるじゃないか。話したり、笑ったり・・・

・・・(*^_^*)

・・・恥ずかしがったり(笑)





引用文はイゴール&グリチカ・ボグダノフ「盗まれた記憶」三輪秀彦訳白水社から