#22 エロティシズム各論 ― マンディアルグ篇






マンディアルグのエロティシズム文学論についてお皿を洗っておくと・・・

・・・・・・(・_・)?

・・・(-_-;)おさらいしておくと、エロティシズム文学といわゆるポルノグラフィとの質的な相違はまず文体と独創性にある。エロティシズム文学は、構成上の独創性、言語における独創性、作品構築の上での独創性によって、高貴な文学として存在する・・・

ポルノグラフィにはそういった要素が欠落しているのですね

ポルノが主題にするのはごく日常的な性の営みであるのに対して、真のエロティシズムはある種の不可能性によって自らを他と区別している。ありきたりの男女の手にはまるで届かない世界を、事物のうちに描き出す、強力にして鮮明な作家の創造的空想(ファンタジー)にもとづいている。
したがってマンディアルグのような作家たちが関心を抱くのは、精神の創造行為であり、驚異
に満ちた人工的産物、すなわち文学というわけだ。法(のり)を超えて進む過激さと、禁制と障害の破壊、限界の踏み越えの先に、作家は自由を見出し、すべてを可能とする未知の領域が開かれる・・・

さて、エロチスムが素晴らしいのは、ほかのどんな手段にもまして楽々と、文学を、とはつまり人工の形態を、ある種の絶対性へとおしすすめ、すくなくとも、おなじようなものではあるが、日々平凡なことがらの語り手が率先して身をおく狭苦しい世界にたいして、ある種の彼岸へとおしすすめることができる、ということである。



マンディアルグはべつにエロティシズム専門の作家ではないけれど、「かつて一度、真のエロティスムの名で呼ぶにふさわしい本を書こうとした・・・」と言っている、それがこの「閉ざされた城の中で語るイギリス人」だ。

この本について、マンディアルグ自身は「この本がいつの日か、私が限りない敬意を抱きつづけているエロティスム文学の巨匠たちの末席に連なることを、私は秘かに期待しているのです」と言っている。いや、これは無類の美しさがある、じつにすばらしい文学作品だよ。

この小説は、もともとピエール・モリオンという匿名の作者による1953年の地下出版物として現れた。発行所は「オックスフォード・アンド・ケンブリッジ」とされており、もちろんこんな出版社は実在しない。こうした出版物は、作者が匿名であることと、その高度に文学的な内容から、名のある一流作家の筆すさびではないかと推測されるのが常だ。この小説もいろいろと憶測がとびかったらしい

そういうことは、よくあることなんですか?

たとえば「O嬢の物語」の作者ポーリーヌ・レアージュは、じつはその本に序文を寄せているジャン・ポーランそのひとであり、ジョルジュ・バタイユもその作品をピエール・アンジェリックとかロード・オーシュ(“便所の神”の意)という匿名で出版した。アポリネールにしても、「一万一千本の鞭」はもともと匿名出版だな。それに「イマージュ」の作者ジャン・ド・ベールもその正体は有名な作家の夫人らしい

く、くわしいですね、Hoffmannさん・・・(^^;)

(笑)この小説がマンディアルグの名前でガリマール書店から新装出版されたのは1979年だけど、それ以前からピエール・モリオン=マンディアルグ説はあったらしいね。
日本でも澁澤龍彦が1967年時点のエッセイで、この小説の作者を「ほとんど九九パーセントまで、これはマンディアルグ自身の手に成るものと断定して差支えなさそうである」と書いている

はたしてそのとおりだったわけですね

翻訳はその澁澤龍彦によるものと生田耕作によるものがある。どちらも名訳だよ





物語は、ブルターニュ地方の海岸の村ガムユーシュ、ここに世人の容易に近づき得ない別荘を建て、俗世間とのいっさいの交渉を断って暮らしているホレインショー・マウントアース卿(フランス風にモンキュと名のっている)に、語り手である「私」が招かれ、その生活をつぶさに見聞するというものだ。

豪奢な城では次から次へと淫靡な性の饗宴が繰り広げられ、料理人のエドモンドという女は巨大な氷の模造男根に肛門を貫かれ、13歳の処女ミシュレットは蛸の群れている水槽のなかに放り込まれたうえ、二匹の犬に陵辱される・・・

そうした場面の合間には、城の主人モンキュの回想や哲学的な長広舌が挟み込まれている。そして凶暴の度を増してゆくモンキュは、「実験」と称して、誘拐してきた若い母親を十字架にしばりつけ、黒人奴隷に陵辱させながら、まだ赤ん坊であるその息子を惨殺する。実験というのは、我が子が目の前で惨殺されている瞬間でも、若い女の肉体は否応なく快感を味わうものか、ということを確認するためのものだ・・・

・・・(・・;)

このあと、「私」は、このままでは自分の生命も危ないのではないかと恐れ、城から脱走する。
三週間後、地方新聞の三面記事により、ガムユーシュの城が大爆発で消失したことを知る・・・これは、かつて城の主人が、いかなる刺激にも射精を完遂することができなくなったら、巨大な男根(城)を射精(爆発)させると言っていた、まさにその結果なのであろう・・・

そしてこの小説はモンキュが言った、次のことばで結ばれる

「エロスは、黒い神だ」

まさに「法を超えて進む過激さ」、「禁制と障害の破壊」、「限界の踏み越え」ですね(・o・;)

ちなみにパゾリーニの映画「ソドムの市」はサドの「ソドムの百二十日」を原作としているけど、この映画監督は明らかに「イギリス人」を読んでいる、映画のなかにこの小説の木霊(エコー)が見てとれるよ

もともと「イギリス人」が「ソドムの百二十日」を下敷きにしているとも言えますよね

マンディアルグの文体・言語については、フランス語で読んだわけではないので、短編集「満潮」の翻訳者による解説を借りると、まず文体の独創性と文章表現の創意に触れ、接続詞や関係代名詞の多用で語句は重層的に積み重ねられ、ときに簡潔な文章を小休止のように配置するといったきわめて知的な文章であること、仮定法で現実と非現実の境界がゆらめき、読者を不安定な世界に誘い込む効果がみられることを指摘している。

まあ、これはこの短編集に収録された小説について言っているわけだけど、センテンスの長い凝った文体はこの「イギリス人」にも共通するものだね







マンディアルグはエロティシズム専門の作家ではないとおっしゃいましたけれど、ほかにもエロティックな小説がありますよね

ある意味、すぐれた小説はエロティックなものにならざる得ない、そんな文学観の持ち主だよね

Hoffmannさんもそうですよね〜たぶん・・・((( ^^)(((^^;)

(笑)「海の百合」という小説も有名だな。
真夏の地中海で、18歳の娘ヴァニーナが、ひとりの若者を選び、絶対服従を申し渡したうえで、自ら計画したとおりの手順を踏ませて処女喪失の儀式を執り行う、それだけなんだけど、なかなか詩的で美しい

ちょっと、読んでみたいです(^^;)

ただ、これはあまり好きじゃないんだ。小説の後半でヴァニーナが、戦争中母親が父親の目の前で暴行を加えられたうえ、父母ともに殺されたという話をするシーンがある。なんでこんな挿話を入れたんだろう? まるでこの娘の行動が心理学的に分析できるのかと思わせるようなエピソードだ。これはよけいだな



それではほかになにかいい小説はありますか? できれば、あまり残酷でないもので・・・(^^;)

(笑)「満潮」という小説がある。短いながら、宝石のような美しさと魅力にあふれた作品だよ

またしても海ですね(・_・ )

うん。マンディアルグの海―自然の力としての海と、伊勢海老や蟹といった海の幸、とりわけ甲殻類などの海産物への偏愛ぶりから、これらの小説を読み解くこともできるんじゃないかな―それだけで一回分になるかもしれんぞ(笑)

さて、「満潮」だけど、これは20歳の「私」が16歳の従妹ジュリーを相手に、海辺で性の儀式を行い、潮の満ち引きについて教育するという話だ。つまり・・・

・・・じつは、それ、読みました・・・(*・_・*)

・・・真昼の満潮時に合わせてジュリーの喉のなかに・・・

・・・「生命の贈り物」を「投げ入れ」るのですね(*-_-*)

「まさに生じつつある海の巨大な動きの成果と」して・・・これは死と暴力よりも生の高揚と官能の賛歌ともいうべき作品だね(-_- )

従順で無邪気なジュリーがとても魅力的ですね




「満潮」といえばこの本・・・さっき話に出た短編集ではなくて、生田耕作による翻訳なんだけど、この扉のページ・・・

Σ(・o・)サインがありますね、どうしたんですか?

マンディアルグ本人に会って、サインしてもらったんだよ( ̄ー ̄)niyari

まあ・・・(・o・);;

・・・家宝だぞ(笑)





引用文献・参考文献
ピエール・モリオン「閉ざされた城の中で語る英吉利人」 生田耕作訳 奢霸都館
マンディアルグ「城の中のイギリス人」 澁澤龍彦訳 白水社
マンディアルグ「満潮」 生田耕作訳 奢霸都館
マンディアルグ「満潮」 細田直孝訳 河出書房新社
マンディアルグ「海の百合」 品田一良訳 河出書房新社
澁澤龍彦「エロス的人間」 中公文庫
ほか

注;「奢霸都館」の「霸」には「シ」(サンズイ)が付きます・・・この字が出ないんですな(-_-;;;