#23 気のいいテオ ― あるいは毛虱隊長の死




私が読んだ本によりますと、ゴーチエははじめ画家を目指したそうですね。画学生時代から持ち前の陽気さを発揮して、周囲の友人たちから「気のいいテオ」と呼ばれるようになったということでした。そしてネルヴァルの影響で詩作にもはげみ、新興ロマン派詩人の仲間入りをしたのですね。当時フランスにおいて冷たく遇されたロマン派の音楽、演劇に心酔して、ベルリオーズやワーグナーを支持する姿勢を表明しています

ゴーチエの活躍といえば「赤チョッキ」だな。
1830年、ヴィクトル・ユゴーの劇作「エルナニ」の上演に際しては、古典派支持者とロマン派支持者が劇場の内外で対立して、いわゆる「エルナニ合戦」を引き起こした。このとき若きゴーチエは、赤いチョッキに緑のパンタロン、黒いビロードの上衣という姿で、ユゴー陣営のために気勢をあげ、古典派とブルジョワに反逆したのは有名なエピソードだ

なんだか生活に不自由のないおぼっちゃんの振る舞いのように聞こえますけれど、そうではないのですね

決して裕福ではない家に生まれ、両親から二人の姉、妻子まで養わねばならず、生活は苦労が多かったらしい。それでいて生涯変わることのなかった、鷹揚で明るく屈託のない性質は讃えられてもいいと思うね。苦労人って、どちらかというと功利主義に走ることが多いのに、ゴーチェは芸術のための芸術を追求して、芸術からあらゆる効用を排除しようと努めた。そうした俗悪なものを軽蔑し、平凡を嫌う姿勢が、怪奇味のある小説を書かせたともいえるだろう

ロマン主義の勃興という時代背景も後押しになったと言っていいですね



怪奇幻想では優美が読んだ短編、「死霊の恋」、「ポンペイ夜話」が代表作だね。ほかに長編で「ミイラ物語」、「スピリット」がある

エジプトやミイラを題材にした小説が目につきますね

「ミイラ物語」でのエジプトの景観の描写は見事なものだよ。もっともゴーチエはエジプトには行ったことがない。「エジプトには何度もいらっしゃったのですね」と訊かれて、「まだ一度も行ったことはありませんが、この眼でしかと見ました」とこたえたそうだ

まさに「幻視」の作家ですね。可視の境界を超えた彼方に潜むものを描き続けたのですね

優美、うまいことを言うね

マルセル・シュネデールの受け売りですよ(^^ )

(笑)画家を志しただけに、絵画的な描写はさすがといっていいよね



怪奇幻想以外では―じつは個人的にはこちらの方が好きなんだけど、いわゆる〈剣とマントの小説〉である「キャピテン・フラカス」がおもしろい。
若くして蟄居の身にあった男爵シゴニャックが、お家再興をはからんものと旅芸人の一座とともにパリへ向かう。途中からキャピテン・フラカスの芸名で河原乞食の仲間となって、フランス中を巡業し、一座のお姫様役イザベルとともにパリへのぼる・・・これがまた、恋あり、涙あり、決闘あり、誘拐あり・・・(笑)

おもしろそうですね〜(^o^)

あと、大好きなのが「モーパン嬢」だ。これはある貴族の孤児である娘が、結婚する前に男性の正体を知ろうと思いたって、剣と乗馬を習い、男装して遍歴の旅に出る。これも恋と涙と冒険の、ちょっとエロティックな物語だよ

うわ〜これもおもしろそうですね〜(^0^)

「モーパン嬢」、すなわち「マドモアゼル・ド・モーパン」は田辺貞之助の訳が昭和24年に白水社から出ている。ところがね、昭和5年にも平凡社から出ていたんだよ。表題は「女怪」で、西洋の古色蒼然たるヌード写真が挿絵代わりに挿入されているんだけど、ほとんど意味不明だな(笑)・・・それでね、この翻訳者が江戸川乱歩なんだよ

意外ですね(・_・ )

じつはこの本に関しては乱歩に詳しいあるひとから、これは乱歩の兄弟だか親戚だかの誰かが翻訳したものに名前を貸したんじゃないかと聞いたことがある。まあ、乱歩自身が翻訳したのではなくて、名前を貸しただけというのはまず間違いないだろう。かなり以前、乱歩のエッセイを読んでいたら、ある小説の作者として名前を貸したが、もともと誰が書いたものなのかも知らない、というような記述があった(笑)これもそんなところかもしれないね

のんきな時代だったのですね(^^ )

稀覯書というようなものではないけれど、誰もあえて探すような本ではないから、かえって見つけにくい。かなり以前に古書店で見つけて買ったんだけど、その後一度も見たことがないなあ。まあ、珍本と言っていいだろう





ゴーチエにはまた別な一面がある。むしろこれこそゴーチエの真髄と言ってしまいたいのが「女議長への手紙」だ。これは文学者連中のためにサロンを開いていた、「女議長」という渾名のサバティエ夫人に、ローマから宛てられた手紙形式の戯文集だ。ここではゴーチエが筆にまかせてほらを吹いて愉しんでいる様子が見てとれる。これは「サバチエ夫人への手紙」という表題で翻訳が出ているよ。ちょっと引用してみよう・・・

・・・ある店先で金鎖を見ていますと、私たちの眼に下着だけの美しい娘の姿がとまりました。彼女は肩掛けだけはおっていて、その布先が尻をなでているのです。靴下もはかず、スリッパをひっかけておりまして、乳房はまる見えなのです。その眼は眼尻が切れ長で頭を七めぐりするほどで、口はと言えば、鮫のように歯が三列に並んでいるみたいです。

 別の夜のこと、私たちはある若い娼婦を訪れたのでした。彼女は最初ばか丁寧でしたが私たちがスパイでないことを見て取りますと衣装を脱ぎ、胸当てのホックをはずして、魅惑的な素肌を撫でまわすことを許しました。彼女の乳房が部屋中にはじけ拡がり、床はくぼみ、コンドッティ通りに溢れ出て、コルソ街を通ってヴェニス広場までころがっていきました。

・・・た、たのしそうですね(^^;)

(^-^)ゴーチエが喜々として与太をとばしているのがわかるだろう?

(^_^;)いえ、Hoffmannさんが・・・





もう一箇所引用してみよう

 ヴァレーの国で、私たちは私の空想の怪物つまり三つ乳の女と出会いました。しかしその三番目の乳房というのは甲状腺腫で、それだけがひとつ固いのでした。私はこのスイスのイシス神に、私を誘惑するシナ風のファンタジー、割れ目のある膣を持っているかどうか、訪ねる気にはなりませんでした。

残念ながらこの翻訳にはかなり問題があって、とくにここの「割れ目のある膣」というのはまったく意味不明だね。ちょうどこの部分は澁澤龍彦の「マルジナリア」でも言及されていて、そちらの訳によるとこうなる―

私はこのスイスのイシス神に、彼女が横に裂けた膣の持ち主であるかどうかを訊いてみる気にはなりませんでした。これこそ私の欲望をそそるシナ風の幻想なんですがね。

横にって・・・(^o^;)どういう意味ですか?

「シナや日本の女の膣が横に裂けているという迷信は、十八世紀ぐらいまでかなり広くヨーロッパに流布していた・・・つまり地球の反対側にあるものは、なんでも私たちとは反対の存在様式を示すだろうという思想である」と澁澤が解説しているね

想像すると、ちょっと怖いですね(^^;)
それにしても、はじめの翻訳ではまるで意味が通りませんよね。それに、澁澤訳の最後のセンテンスが文中に訳されていますけど、日本語としては悪文ですね。「これこそ私の欲望を・・・」という部分ですが・・・

これ、ドイツ語に訳された本を持っているので、照合してみたんだけど、澁澤の訳した一文は、直前の文章と「―(ダッシュ)」で結ばれているんだよ。文中に入れるのも間違いではないけれど、そうすると「・・・シナ風のファンタジー(であるところの)、割れ目の・・・」という翻訳調になってしまう、澁澤訳のほうが明快だね。う〜ん、こちらの翻訳は問題あるなあ・・・(-_-メ

ドイツ語版ρ(^^ )これ・・・ゴーチエ作品集二巻本、「女議長への手紙」は第一巻に収録


ところで、これも同じく澁澤龍彦が翻訳紹介したロベール・デスノスの「近代精神の見地から文学作品を通じて考察されたエロティシズムについて」という小著では、この「女議長への手紙」はまったく評価されておらず、「純粋に糞便文学的な作品の、唯一の典型的な例」「愛欲の表現や情熱は一切見られず、ただ極端な《汚いもの》の使用がある」「この作品ではでたらめな空想が大きな部分を占めていて」「まったくへぼ作家の春本のような本で、しかもスタイルは魅力を欠き、せいぜいこんな卑猥なことを書き並べた勇気が讃えられるぐらいなものだ」と、さんざんな言われようだ(^^;)

当たっていると思いますけど(^^;)・・・

まんざら的はずれの評価でもないか(笑)・・・



もっとも、デスノスが個別にとりあげている19世紀の作家はミュッセ、ゴーチエ、ボードレールにメリメとわずか4人にすぎないんだから、とりあげられただけまだしもでね(笑)ここでデスノスはゴーチエの諧謔詩「毛虱隊長の死、幽霊および葬式」を傑作として称揚している

毛虱って・・・(^^;)どんな詩なんですか?

この詩はデスノスの翻訳書の註のなかで翻訳されているんだけど、なにしろこの本は少部数のみの刊行で古書価高騰、まずめったに見つからない。持っていないけど、ゴーチエの詩はその後別な本に再録されている。一部引用すると―

屈強な虱が十万匹
楯もち兜かぶり
小高い丘に陣どって
同数の毛虱軍と対戦した

垢のかたまりで鎧をつくり
威張っていた毛虱隊長
槍の穂先にあえなく突かれ
conのほとりにどうと倒れた

悲嘆に暮れた部下たちが
せめて墓など建ててやろうと
七日七晩、隊長の遺骸を探したが・・・・・・
底なしの穴に落ちた死体は戻らない!

このあと毛虱隊長の幽霊が現れて、墓がないとぶつぶつ呟く。そこで毛虱たちは立派な墓を建てるんだ

こうして空の墓石が建ち
こんな墓碑銘が刻まれた
「いくさの庭に雄々しく斃れた
勇敢なる毛虱隊長ここに眠る」と

エロティシズムというより好色作品と呼んだ方がふさわしいかな。
デスノスはこの作品を「・・・蚤の体が人間の背丈になり、人間の性器が風景の大きさに拡大されている」と評している(^^;まんまだけど・・・。グロテスクな滑稽味がなかなか味わい深いね

Hoffmannさん、きわどいところはわざと引用しませんでしたね(^^;)



毛虱って、水銀軟膏で退治するんですよね(・_・;)

水銀軟膏ぉ? 優美、言うことが古いね(^o^)

そんな小説がありませんでしたっけ? 毛虱にたかられたひとたちが水銀軟膏を塗って銭湯で洗い流して・・・そしてなじみの遊郭の女の子に水銀軟膏をプレゼントして怒らせてしまうという・・・(^^;)

ああ、野坂昭如だな・・・そんな本、うちにあったか?(笑)



このあとゴーチエの娘ジュディットの話を続けようと思っていたのですが、長くなるので今回はカット(^^;;;



引用文献・参考文献
ゴーチエ「青春の回想」渡邊一夫訳 冨山房百科文庫
ゴーチエ「サバチエ夫人への手紙」 學藝書林
澁澤龍彦「マルジナリア」 福武書店
澁澤龍彦「エロス的人間」 中公文庫
井村実名子「フランスロマン派1833年」 花神社
ほか