#25 男か女か ― あるいは手術刀の秘儀




もともとヨーロッパにおいて音楽が教会と結びついていた時代には、女性の地位は低く、俗にして不浄のものとされていたから、教会で歌うなんて考えられなかった。だから教会の礼拝の合唱ではソプラノやアルトは少年合唱団によって歌われていたんだね。ちなみにイタリア語でソプラノ、アルトという名詞は男性名詞だよ。

やがて16世紀頃から多声音楽が発達して声部は複雑になった。ところが児童合唱団員が高度な音楽的能力を身につける頃には声変わりして高音を失ってしまう。そこでカストラートが必要になったというわけだ


少年合唱団のなかでもとりわけ才能に秀でた少年が選ばれてカストラート歌手とされたのですね

表向きは乗馬中の不幸な事故の結果などということになっていたけれど、もちろんカストラートは世間では周知の事実で、オペラの舞台でカストラート歌手が見事な歌いぶりを披露すると聴衆は「手術刀ばんざい」と叫んだそうだ

18世紀の有名なカストラート歌手ファリネッリはイタリアをはじめとするヨーロッパで絶大な人気を集め、スペインの宮廷で大臣となり、民衆からは英雄として尊敬・崇拝されたそうだ。なんでもひと息で200から300もの音を歌いきることができたというから驚くべき歌手だね。
当時、このような大歌手にあやかろうとして、南ヨーロッパ諸国では可愛らしい声の男の子が生まれると、親たちが競って我が子を去勢させ、未来のスター(カストラート)歌手を夢見たというから、なんというか・・・


・・・いまでも似たような現象はあるかもしれませんね(^^;





カストラートといえば現代フランスの作家ドミニック・フェルナンデスの小説「ポルポリーノ」を思い出すね。これは18世紀のナポリを舞台に、カストラート歌手ポルポリーノの数奇な運命を描いた小説だ

ポルポリーノは貧しい農村に生まれ、奇妙な性習慣・性差別が日常となっている生活のなかでカストラートとなり、音楽院を経てナポリへ出る。少年時代のモーツァルトや老いたカザノヴァといった実在の人物が登場するのもおもしろい

たしか、例の映画監督パゾリーニの死の真相に迫ろうとした小説も書いていましたよね。それから、1987年にいち早くエイズの問題を扱った小説を書いていますね

優美、よく知ってるね。まあ翻訳のある作品を読んだだけで容易に想像がつくけど、このひとは明らかにホモセクシャルだね。でも、そんなことは作品のできばえとは関係がない。

フェルナンデスは精神分析的手法が得意のようで、なんでもかんでも精神分析の対象としてしまうあたりがちょっと鼻につくけれど、この小説でフェルナンデスは、去勢歌手を非人間的な性差別の結果としてではなく、性を超えて、さらに生と死の障碍をのり超えて、不死に至ろうとする欲求の実現と見ている

ここで言っておきたいのは、現代人の感覚でカストラートを「非人道的」「反道徳的」などと単純に非難することはできないってことだ。この点ではフェルナンデスをさすがと言いたいね



カストラートの起源は東洋の宗教祭祀だったらしいけれど、去勢って、もともとは刑罰だったんだよ。エジプトやペルシアでは密通、不義、強姦、盗みなどをした者に刑罰として行われていたようだ。イギリスやアルバニアでも強盗、貨幣偽造者などが去勢されたという例がある。あとハーレムの番人(番兵)にも行われたらしい・・・女たちに手を出さないように(笑)

刑罰として行われた去勢といえば司馬遷ですね、宦官と言われていますが・・・

うん。でも、この刑罰の効果にも、時代と民族による意識の違いがあるんだよ。
たとえば、その司馬遷は「史記」を完成させるためには死刑を逃れなければならず、宮刑、つまり去勢を自ら願い出た。司馬遷は己を恥じ、かなり悩み苦しんだけれど、これは現代人が考えるような苦しみとはちょっと違うんだ


どういうことでしょうか?

生殖能力を失うといったって司馬遷はこのとき48歳、当時にしたらもう充分老人だ。もちろん後天的不具には屈辱も悲哀もあるだろう。でもそれよりも、肉体の一部が欠けて不完全体になるということは、当時の道徳からすると、先祖に対する不孝であったんだな。つまり、生んでもらったままの肉体を損なうことは、父母や先祖への倫理的な罪悪感を伴っていたというわけだ。なにしろ戦争に負けて首を切り離された死体は、もはやふつうの墓にも葬ることができないとされていたくらいでね。だから司馬遷は「先祖に大恥をかかせてしまった」「もう父母の墓詣でもできない」と嘆いているんだよ。

さらに、漢代においては肉体の完全さ、容貌の美しさに対する意識が強かったこととも関係がある。顔立ちがよくて、色白で太っていなければ、出世もできなかったらしい


肉体の完全さに対する意識には、復活・再生への信仰に通じるものがあるかもしれませんね。古代エジプト人がミイラという方法で、死体を完全な形で保存しようとしたのは、やがて霊魂が帰ってくるという信仰があったためですよね。中国にも同じような信仰があったのではないですか?

霊魂の復活という考えと似たような信仰はあったみたいだね。だから死んでもなお、肉体は完全でなくてはならなかった・・・





こうしてみると、たしかにカストラートにしても近代人の感覚そのままで判断することはできませんね

そういうこと。まあ、カストラートも18世紀半ば以降にはすたれてしまって、それでもロッシーニやモーツァルトのオペラにはカストラートのために書かれた役柄がある。いまでは女性のアルト歌手によって歌われるのがふつうだけどね。

グルックのオペラ「オルフェオとエウリディーチェ」ではカストラートのための役であるオルフェオをテノールやバリトンで歌うこともあるけれど、これは女性が歌ったほうがずっといい。

オペラのなかでカストラートを起用した最後のものは1824年の作品とされていて、その後カストラートは教会だけのものとなってオペラの表舞台から退くこととなったけれど、その名残に、年若い少年の役をソプラノやメゾ・ソプラノの女性歌手に歌わせるというオペラがいくつも作曲されている


いわゆる「ズボン役」ですね(^^)

その代表がR.シュトラウスの「ばらの騎士」のオクタヴィアン役だな。このオペラなんか、前奏に続く舞台は少年オクタヴィアンと元帥夫人の情事後の朝だ。ここはメゾ・ソプラノでないとね、もしもテノールやバリトンの歌手だったら、エログロになっちゃうところだぞ(^^;;



「ばらの騎士」といえば、あの音楽ですね(^^;;ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のパロディになっている・・・

前奏の部分だね。あれはオクタヴィアンと元帥夫人の情事をあらわしている

音楽が高まったところの金管楽器の咆吼が・・・(^^;;;

・・・ああ、あれね(笑)・・・優美も気がついたかな?

あの箇所は明らかに・・・オクタヴィアンの射精の瞬間を描いていますよね(*^_^*);;;;;;

po(*^_^*)(*^_^*)po





話がそれてしまった・・・(^^;;;