#27 東西怪奇譚 ― あるいは猫の棲む町




私は萩原朔太郎の詩集では「青猫」がいいと思います

「この美しい都会を愛するのはよいことだ」・・・ってやつだね。ボードレールの影響を受けた都会詩人らしい詩だ

「ああ このおほきな都会の夜にねむれるものは/ただ一疋の青い猫のかげだ」・・・萩原朔太郎の詩には猫の出てくるものが多いですね

そのものずばり「猫」という詩もあるね

「猫町」という短編小説も印象に残っています

ああ、語り手である「私」が北越の温泉に出かけて、ある日そこからすこし離れたU町に遊びに行こうとしたところ、「幻燈」のような、「古雅で奥床しく」「人出で賑やか」でありながら「閑雅にひっそりと静まりかえった」町に迷い込む。凶兆を予感して不安にかられた「私」が「今だ!」と叫ぶと、黒い鼠のようなものが町の真中を走り、人間の姿をした猫の大集団が町に充満する・・・

そして気がつくと「私」は見知ったU町にいるのですね

これ、文庫本の解説を読むと、「陰惨な全体主義と軍国主義によって染め上げられようとしている群衆に深く動揺する主人公・・・」なんて書いてあるけど、そんな読み方はつまらないね。文庫本の解説って、どうしてこうなんだろう(苦笑)

読書感想文用ではないですか(笑)こういう解説が付いていないと、宿題を出された学生さんが買ってくれないのでしょう。でも、こういう小説はもっとあるがままに、幻想的な奇譚として楽しんだ方がいいですね



その、文庫本の解説に書いてあったのですが、イギリスによく似た小説があるそうですね

ああ、アルジャノン・ブラックウッドの「いにしえの魔術」だね。「猫町」の発表が1935年であるのに対して、「いにしえの魔術」は発表が1908年とこちらの方が早い。たぶん、萩原朔太郎はこれを読んでいたんじゃないかな。いまでは翻訳も出ているよ

ブラックウッドって、よく怪奇小説のアンソロジーに短編が収録されてますね

うん。作風は多彩なひとで、渋めの怪奇小説あり、ファンタジー風の長編あり、なんでこんなものを書いたんだというような駄作もあり(^^;)・・・「いにしえの魔術」はジョン・サイレンスものと呼ばれる一連の作品のひとつで、心霊医師ジョン・サイレンスが登場して異常な現象の謎を解明しようとする話だ

なんだか、通俗的な小説のように聞こえますけど(^^;)どんな物語なのですか?

アーサー・ヴェジンというイギリス人が旅の帰途、北フランスの小さな駅で下車し、中世ふうのたたずまいを残す町の宿屋に逗留する。町の人々は彼に関心がないようでいて、じつはつぶさに観察・監視しているかのようにみえる。宿屋の女将は大柄で大猫のようだったが、女将の娘は若く、この客人に好意的で、彼は恋心をおぼえ、ついに抱きしめてキスをする。その身体はいやにやわらかく、薄気味悪い・・・

そしてついに娘は彼に、ここにやってきたのは偶然ではなく、私が呼んだのだ、あなたは背後にある過去の力に押されてここにやってきたのだと説明し、「魔女の宴会(サバト)」に誘う。町の人々が猫に変身して悪魔の饗宴がはじまろうというときに、彼は正気を取り戻し、町を脱出する・・・



ジョン・サイレンスはこれをどのように解明しているのですか?

解明とはっきりは言えないんだけど、この事件は主人公であるヴェジンの意識の内部で起こったもので、中世における前世の記憶が甦ったものではないか、としている。調査によれば、ヴェジンの先祖はその町に何代にもわたって住みついており、うち二人の女性が魔女として火あぶりにされていた。そして問題の宿屋はまさにその火あぶりの行われた場所に建てられたものだった。つまり、彼は前世で行動をともにした者の霊魂とめぐりあったのだろう・・・

その宿屋に秘書を派遣してみると、そこには話のとおりの女将がいて、ヴェジンは一週間以上滞在していたと言っていたのに、記録では二泊しかしていない、女将によれば、ヴェジンはまったく変わり者でぼんやりしていた、ひとりで森の近くをうろつき、突然勘定も払わずに去ってしまった、ということだった・・・

それ、ジョン・サイレンスなんていうひとが出てこないで、宿屋の件は表面的な事実が判明して、前世についてはそれとなくほのめかしたほうが、怪奇小説らしくなると思いますけど(^^;)

まあ、こんな謎解きで小説を終わらせてしまうと、やっぱり通俗的になっちゃうね。「いにしえの魔術」はぎりぎりのところで踏みとどまっている、と言いたいところだけど(笑)



いま、あらすじをうかがっていて思ったのですが、ブラックウッドの小説では、あらかじめ猫の変身(または猫への変身)を思わせるようなものが予告されているのですね

それによって読者の不安をかきたてるという、怪奇小説のセオリーだね。それにくらべると、短編小説としても短い、ほとんど散文詩のような「猫町」では、主人公が道に迷ったところで、犬神や猫神に憑かれた部落について考えるのが伏線なんだろうけど、最後の「変身」はあまりにも唐突だ

「いにしえの魔術」では、宿屋の娘さんと主人公との間に恋愛感情を添えるあたり、いかにも西洋風ですね

その効果って、大きいと思うんだよ。「いにしえの魔術」では幻想・幻覚の領域の方が、恐怖を伴いながらも、どこか魅力的だと思わない? いっそ悪魔の宴の歓楽に身をゆだねてしまいたい、とは主人公でなくても、ちょっと思うんじゃないかな(^^;)

(笑)だからこそ主人公への誘惑が成立するのですね

恐れおののいた、逃げた・・・ではつまらないよ(^^;)恐怖と魅惑は一体であってほしい、そんな怪奇小説が、個人的には好みだな(^^ )

わかりました、だからHoffmannさんは吸血鬼がお好きなんですね(^^ )





引用文献・参考文献
「新しき欲情」萩原朔太郎 昭21 小学館
「虚妄の正義」萩原朔太郎 昭23 角川書店
「宿命」萩原朔太郎  昭14 創元社
「猫町」萩原朔太郎 岩波文庫
「妖怪博士ジョン・サイレンス」A.ブラックウッド 紀田順一郎他訳 国書刊行会

※ 萩原朔太郎の著作については旧漢字・旧仮名遣いを新漢字・新仮名遣いにあらためています。