#29 謎が謎呼ぶ殺人事件 ― あるいは120年後の謎とき




この本を読むと、まずドストエフスキーって一般には悪文家と言われているけれど、俗語や学生隠語、古風な言い回しにはちゃんと意味があって、そこにはドストエフスキーの意図が働いている、ということが指摘されている。

たとえば小説のはじめに、ラスコーリニコフが「ナスーシチヌイな仕事もすっかりやめてしまい」、とある。「ナスーシチヌイ」ということばは「日々の」という意味なんだけど、日常めったに使われない文語的なことばだそうだ。ところがこれがじつは聖書のなかに「われらの日用の糧を今日も与えたまえ」という一句の、「日用の」と同じなんだな。そもそもこれは、当時のロシアの子供たちが暗唱させられるお祈りで、「ナスーシチヌイな仕事も・・・」とくればこの聖書から採られたお祈りが連想される、というわけだ。だから、ここでは主人公が日用の糧を稼ぐ仕事もやめようとしている、と読みとることができる

そうだとすると、併せて日々のお祈りもしなくなった、とも連想できますね

それにラスコーリニコフという主人公の名前・・・この名前は17世紀ロシア正教から分裂した「ラスコーリニキ(分離派)」に由来している。その証拠に、創作ノートには主人公の母親のことばとして「ラスコーリニコフ家は二百年来、有名な家系」と記されている。この小説が書かれたのは1865〜1866年、そこから200年さかのぼると、まさに17世紀の'60年代で、分離派運動の発生期に一致するんだよ

分離派って、どんな信仰形態なんですか?

「分離派」にもいくつかあって、身体をたたき合いながら法悦状態に達する「鞭身派」、肉欲から逃れるために生殖器官を切除する「去勢派」などがあったそうだ





また、ラスコーリニコフという姓はロシア語の動詞「ラスコローチ(割り裂く)」とも無関係ではない。まさにこの青年は金貸しの老婆の脳天を斧で割り裂くわけだ


でも・・・斧が凶器ですけれど、たしか峰打ちでしたよね?

優美、よく気がついたね(^^ )そう、峰打ちであることが妙に強調されている。つまり、斧の刃はラスコーリニコフ自身の方を向いていたんだね

それはドストエフスキーの意図するところだったと・・・?

うん。これまた証拠があって、後にラスコーリニコフがソーニャに老婆殺しを告白するとき、「あのときぼくは、ひと思いに自分をウフローパチしたんだ、永遠にね・・・」と言っている。ここはふつう「ひと思いに自分を殺した」と訳されているけれど、「ウフローパチ」というのは俗語で、もとはものが激しく打ち当たる擬音語「パチン、パシリ」にあたることばなんだそうだ。つまり「ひと思いに自分をパシリとやった」・・・割り裂いたのは自分自身だったというわけだな

はあ〜見事な分析ですね





名前の話に戻るけど、主人公のフルネームは「ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ」で、頭文字はロシア語のR音だから「PPP」になる。著者の江川卓によれば、ロシアでもこんな名前はほとんどあり得ない、可能性としては600万人にひとり、当時のロシアなら5人もいたかどうかという計算になるそうだ

頭文字が「PPP」となることに意味があるのですか?

これは裏返しにして「666」、つまりヨハネ黙示録に記述されたアンチクリストをあらわすのではないか、というのが著者の推理だ。神の掟に背いて殺人を犯しながらなお人間の掟を「踰えた」とうそぶく主人公に、すこぶるふさわしい設定―「刻印」だろう。じっさい、非凡人論をぶちあげたラスコーリニコフに、予審判事ポルフィーリイが「何か生まれながらのしるしでもないのですか?」と質問している

名前だけでそれだけの意図が込められているなんて驚きですね・・・(・o・)





この本で詳説されていることをとりあげていたらきりがないね。とりあえず主人公に次いで重要な登場人物である聖娼婦ソーニャについてちょっとだけふれておこうか。
この小説にリザヴェータという登場人物が出てくるだろう?

金貸しの老婆に使われていて、運悪く殺人の現場に来合わせてしまったために主人公に殺されてしまう女性ですね

うん。ラスコーリニコフが安料理屋で、たまたま隣に立った将校と学生がリザヴェータについて噂しているのを聞くよね。それによると、リザヴェータは「ひどい醜女」で「善良」「柔和」「静か」、そして未婚でありながら「ほとんどいつも妊娠している」ということだった。ここで「柔和」と「静か」はソーニャとの共通点なわけだけど、同時に「醜女」でありながら「いつも妊娠している」のはなぜだろう?

・・・(・_・;

ヒントがいくつかあって、はじめてソーニャの部屋を訪れた主人公は、ふとたんすの上に置かれたロシア語訳の「新約聖書」に目をとめる。ソーニャによればリザヴェータが持ってきたものだということだ。ところがこの「新約聖書」は、ドストエフスキーが持っていた、発行後40年を経た稀覯書を模している。どうしてこんなものをリザヴェータが持っていたんだろうか?

たしか、ソーニャがリザヴェータのことを「あの人は神を観ずる方です」と言っていましたね。そのことと関係があるんでしょうか?

まさにそれだ( ・_・)♭さっき話に出た、ロシア正教から分裂した「分離派」に、「観照派」という宗派がある。「鞭身派」と「去勢派」がそれで、「観照派」とは文字どおり神や聖霊を観照する、つまり目に見ることだな。「鞭身派」というのは信徒たちが密室でお互いの身体をたたき合い、集団的な法悦状態にまで高まったとき、キリストや聖霊が儀式の場にあらわれるのを観照する。そしてその法悦状態から信徒たちは乱交に至ることもあり(このことが、この鞭身派の勢力を急成長させた要因ではないかという説もあるらしい)、この儀式の際に授かった子供は未来のキリスト候補として宗派の共同体によって育てられるという習慣もあったそうだ



するとリザヴェータは・・・

「鞭身派」のあるセクトの巫女―「聖母マリア」だったのではないか、というわけだ。それならいつも妊娠していて、しかも生まれてくる子供の養育については心配する必要もなかっただろう

・・・それでは、ラスコーリニコフは「聖母マリア」を殺したということにもなりますね・・・でも、ソーニャはリザヴェータがそのような立場にあったことを知っていたのでしょうか?

「神を観ずる方」と言っているくらいだから、当然知っていたんだろうね・・・いや、それ以上かもしれない。ソーニャがリザヴェータについて語るとき、妙な言い淀みが頻発しているのに気がついた? 「ええ・・・あの人は心正しい方でした・・・ここへも来ました・・・たまにですけれど・・・そうそうは来られなかったんです。わたしたち、いっしょに読んだり・・・お話ししたりして」

たしかに「・・・」が多いですね

公然化されていない儀式のことを思っていたのだろうか・・・「わたしたち」って、ソーニャとリザヴェータのふたりのことだけだろうか・・・

するとソーニャも・・・

ちょっと考えにくいけど、彼女の部屋は窓が三つもあって家具がほとんどない「大きな」部屋とされている。娼婦の部屋としては似合わないよね。じつは鞭身派の儀式は、窓がたくさんあって明るく広い部屋が使われるのが通例だったそうだ

・・・(・・;)

優美も今日は「・・・」が多いね(笑)





というわけで、ドストエフスキーの「罪と罰」は、この本によって意味論を超えた次元で徹底的に読み解かれている。「あとがき」によれば著者の江川卓は、小説のなかに「七百三十歩」とあるので家のまわりを歩数を数えながら歩きまわってみたり、「戸棚」についての謎を解こうと、家の洋服ダンスにもぐり込んだりもしてみたそうだ(^^)

・・・この本、最後のページにHoffmannさんが読み終えた年月日を書き込んでいますね。よほど熱中して読んだのですねρ(^^ )

どれどれ・・・ふは・・・(@_@)もう××年も前だな〜;;;

(笑)私もこの本、読んでみます(^^)/

そのあとで「罪と罰」を読み返すと感動ものだよ。ちなみに、江川卓には「謎とき『白痴』」、「謎とき『カラマーゾフの兄弟』」という著書もある

こういうすばらしい作品は、一回読んで終わりにしてしまうのはもったいないですよね

優美、いいこと言うね( ^^)/(^^*)





参考・引用文献
「謎とき『罪と罰』」江川卓 1986 新潮選書