#36 ・・・くとぅるう ふたぐん




ラヴクラフトといえば、自作の多くに通底する独自の世界観をつくりあげたのですよね。たしか・・・クトゥルー神話でしたっけ?

人類の進化に先立つ悠久の太古に、この地球上で旧支配者と大いなる種族が、自分たちをつくりだした旧神に対する謀反を企てた。長い戦いの末旧支配者は敗れ、旧神によって追放あるいは幽閉の刑に処される。たとえばクトゥルーは太平洋のポナペ沖にある海底に没した都市ルルイエで死に似た眠りにつかされ、ヨグ=ソトホートは時空の彼方の混沌に追放された。ところが旧支配者は戦いに敗れる前に従者の群れを生み出していた。この旧支配者の復活はアブドゥル・アルハザードによって予言されており、以来、この従者どもが旧支配者の解放・目覚めを待ち続けている・・・というものだね

その後の作家たちがこの枠組みを利用して多くの作品を発表しているのですよね。現代日本の作家にもいるそうですね

ダーレスをはじめ、ロバート・ブロック、クラーク・アシュトン・スミス、ロバート・アーヴィン・ハワードといった作家たちだね。
でも、正確にいえば、クトゥルー神話というのはラヴクラフトの創造したものではないんだ。ラヴクラフトの文通仲間であると同時に崇拝者であり、自身も作家であるオーガスト・ダーレスが、ラヴクラフトの作品からまとめあげたものなんだよ

だから、ラヴクラフトの作品を「クトゥルー神話作品」と呼ぶのは誤りということになる

オーガスト・ダーレスって、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズもののパスティーシュである「ソーラー・ポンズ」ものを書いたひとでしたよね。他人のアイデアを発展させるのが得意だったのでしょうか(^^ )

もっともラヴクラフト自身もひとつの世界観を創造しているのはたしかだね。特定の地名や人名、文献などを配して自作を相互に関連づけている・・・





それでは、そもそもラヴクラフトの考えていた宇宙年代記とはどのようなものだったのですか?


地球の誕生後間もない、まだ地球上になんの生命体も存在していなかった頃、宇宙のさまざまな数多くの種族が地球に飛来してきた。大いなる種族、クトゥルーの眷属、南極大陸には有翼の海百合状生物とかだね。これらの種族同士の抗争は激しく、やがて滅亡したが、大いなる旧支配者は未来永劫死滅することなく、時空の間隙に潜んでいて、いつの日か復活して地球を支配し、世界を狂気と混沌をもたらす・・・というものだ。ちなみに、現在地球上に存在する生物は、人類も含めて、すべて食料や奴隷とするために海百合状生物によって創り出されたものだということになっている・・・

ダーレスのクトゥルー神話という体系は、これをまとめて発展させたものといっていいだろう。だから、この神話体系でラヴクラフトを論じるのは正しくないし、ダーレスのまとめ方を批判するひとがいるのも事実だ。

功罪相半ばすると・・・ダーレスなりの解釈になっているのですね

ラヴクラフトでは人間なんか無力な存在にすぎないのに、ダーレスだと人類存亡を賭けて知識と力で戦うヒーローになっちゃう(^^;なんか、通俗化しちゃったんだな。いまどき日本で書きまくっている作家のクトゥルー神話なんか、ヒロイック・ファンタジーという看板を掲げた紙芝居だぞ(^^;

ファンに怒られますよ(笑)

もっともダーレスはラヴクラフトの死後、その遺稿を出版するためにアーカム・ハウスという出版社を設立している。文通でのつきあいしかなく、しかも特別自分にばかり目をかけてくれたわけでもない、一地方作家のために、だよ。このダーレスがラヴクラフトの作品の紹介に努めたおかげで今日その小説群を読むことができるのだから、その情熱と功績は讃えてあげないとね。
ちなみにアーカム・ハウスはその後ラヴクラフト以外作家の作品も出版するようになって、ダーレスの死後も活動を(断続的に?)続けているようだね


ついでに言うと、Cthulhuにしろ、はじめの呪文にしろ、ラヴクラフトに言わせれば「見るもの」だそうで、発音についてはこれが正しいというものを示していない。だから諸説あって、曰く、「クトゥルー」、「クスルー」、「クトゥルフ」、果ては「ズールー」に「ク・リトル・リトル」なんていうのまである

ARKAM HOUSE社の本ρ(^^ )

上段左はシェリダン・レ・ファニュの作品集、右の開いているのはラヴクラフトの書簡選集第IV巻
下段3冊はオーガスト・ダーレスの作品集。左はソーラー・ポンズもの。


ラヴクラフトが自作のなかでたびたび特定の土地や人名、文献などを配している、とおっしゃいましたけど、よく舞台になっていたり、その名が出てくるのはインスマウス、ダンウィッチ、キングスポートなどですね

うん。あと、忘れてはいけないのが狂えるアラブ人、アブドゥル・アルハザードによる魔導書「ネクロノミコン」(「アル・アジフ」)だな

これはよく言及されますよね

ほかにも「屍食教典儀」とか「ナコト写本」、「無名祭祀書」、「妖蛆の秘密」とか、いろいろあるけれど、とりわけ重要で、もっとも多く言及されているのは「ネクロノミコン」だろうね

どれもものものしいタイトルですね〜(^^;

「ネクロノミコン」は狂えるアラブ人アブドゥル・アルハザードが紀元700年ごろに著したもので、西暦950年にアラビア語からギリシア語の翻訳、その後ラテン語に翻訳されて17世紀初頭に英訳された。

アルハザードは無関心な回教徒で、クトゥルーやヨグ=ソトホートを崇拝し、バビロンの廃墟やメンフィスの地下洞窟に足を踏み入れた。その後「アル・アジフ」を著し、当時の魔術師たちによって写本がつくられ、ギリシア語に翻訳された際に「ネクロノミコン」の標題が付けられた。

アルハザードの最期は、白昼、目に見えない魔物に捕らえられ、群衆の見守るなか、無惨にもむさぼり食われたとされている。

「ネクロノミコン」は完全版・不完全なもの合わせて11部現存すると言われ、大英博物館、パリの国立図書館、マサチューセッツ州アーカムのミスカトニック大学付属図書館などに所蔵されている・・・といったことがラヴクラフトやその他の作家の作品から得られる情報だな


綿密ですね〜もっともらしさ爆発です(・o・)

(笑)かつて―といってもそんなに古い話じゃない―これを鵜呑みにして、真面目な学術雑誌にアルハザードの著書を求める広告を出したひともいるし、作家のボルヘスが失明したのは「ネクロノミコン」を閲覧したためだ、なんてまことしやかな噂までささやかれたこともある・・・。
またある古書籍商がいたずら心から販売目録に、在庫として「ネクロノミコン」を掲載したところ、注文が殺到した、なんて話もあるんだよ(^^;)


アブドゥル・アルハザードなんて名前もよくできてますよね(^^ )

これ、たしかラヴクラフトが子供の頃、本で読んだアラビア人になりたいと言ったら、だれか大人が付けてくれた名前なんだそうだよ(^^)





作品を読んでいて思ったのですけれど、黒人や有色人種が、いかにも劣悪な人種のように書かれていますよね。たとえば「クトゥルーの呼び声」では「生まれのいやしい混血の精神異常者・・・黒人や、白人と黒人の混血もわずかにいて・・・堕落して無知な連中」とか、「カナカ人と混血からなる凶悪な面がまえの奇妙な船員」とか・・・そして黒人の船員やインド人水夫などがあやしげな場面では必ず登場していますよね

ああ、ラヴクラフトは、その崇拝者が口を閉ざして語らないことだけれど、すさまじい人種差別論者だったんだよ。1905年頃に書かれた未完の詩には「猿を象って造られた獣ども―あの野蛮な黒人ども」はやがて殺戮の末絶滅するであろう、なんて一節があるし、また1925年、ある知人に宛てた手紙には、いっさいの交通機関と海浜において人種隔離を行うべきであると主張している。「油染みたチンパンジー」と同じ水を浴びるなどデリケートな神経の持ち主なら耐えられない、というわけだ(-_-;)

・・・(・・;)

それに、ラヴクラフトはヒトラーの「我が闘争」の英訳本が出たときには、熱中してひと息に読みあげ、ファシズムにかぶれて、ユダヤ人やアメリカ少数民族に対する憎悪をいっそうつのらせたと言われている。もちろん東洋人だって劣等民族の扱いだ。日本人はよく知らなかったみたいだけど、当時チャイナ・タウンに生活していた中国人に対しても、「彼らがなにでできているのか・・・いやらしい腐肉をたっぷり入れてかき混ぜた、見るのも、においをかぐのも、想像するのも厭わしい、おぞましい肉汁・・・」だなんて言っている。まるで自身の小説に登場する魔物みたいな扱いだ・・・

・・・ひどいですね(-_-;

いくらファンや崇拝者が隠蔽したって、これをラヴクラフトが書いたという事実は変わらない

ラヴクラフトが生きた時代を考慮するにしても、かなり過激ですよね

うん、これは指摘しているひとがいるのかどうか知らないけれど、自分の生まれに対する不安のあらわれなんじゃないかと思うんだ( ・_・)♭

どういうことでしょうか?

ラヴクラフトの父親はラヴクラフトが3歳のときに発狂して、5年後に死亡している。真因は脳梅毒だ。
母親はといえば、やはり息子が29歳のときに神経症で入院し、2年後に亡くなっている。ちなみに母方の家系は近親結婚が多かったそうだ。

ラヴクラフトが父親の死の原因となった病気を知っていたのかどうかは定かでない。でも、知っていたにせよ、知らなかったにせよ、自分の血に対する恐れがあったんじゃないだろうか・・・


つまり、自分もいつか狂気にとらわれるのではないか、発病するのではないか、という不安と恐怖ですね

うん。さらにラヴクラフト自身が生来病弱で、しばしば神経症の発作を起こすため、早熟で利発な少年であったのに大学進学を諦めたことも手伝って、「生まれ」というものに対する意識が影響を受けたと想像するのはあながち的はずれじゃないだろう。
だから黒人・有色人種に対する憎悪ともいうべき偏見と蔑視の感情がより強烈なものに育てられたんじゃないかと思うんだ。
そんな自分の体内に流れている血に対する不安と恐れは、たとえば「インスマウスの影」や「故アーサー・ジャーミンとその家系に関する事実」といった作品にあらわれている・・・



ラヴクラフトの作品の構成はおおむね倒叙法に近いものだな。語り手は怪奇な結末を冒頭で予告していることが多い。だから結末の意外性にあっと驚くというものではないんだ。フリッツ・ライバーに言わせると、読者はあらかじめ結末を予測しているから、「確認法」とでも呼ぶべきものだということになる


その意味では、ラヴクラフトって叙述よりも描写の作家ですよね

優美、うまいこと言うね( ^^)/(^^*)物語の本質は雰囲気であって、構成と結末よりも雰囲気を演出するための描写が重要と考えていたようだ。その描写は形容詞をふんだんに使ったもので、一般にはラヴクラフトは悪文家と言われている

映像的なんですね

そう。怪物があらわれると、これでもかというくらい克明に描写する。たとえば「ダンウィッチの怪」では―

腰から上はなかば人間に似ているものの、番犬がまだ用心深く前脚を置いている胸は、その皮膚が、クロコダイルやアリゲーターさながらの網状組織の皮になっていた。背中は黄と黒のまだらになっており、ある種の蛇の鱗に覆われた皮膚を漠然と思わせた。・・・皮膚はごわごわした黒い毛にびっしり覆われ、腹部からは緑がかった灰色の長い触角が二十本のびて、赤い吸盤を力なく突出していた。その配置は妙で、地球や太陽系にはいまだ知られざる、何か宇宙的な幾何学の釣り合いにのっとっているようだった。尻のそれぞれに深く埋もれた恰好の、一種ピンクがかった繊毛のある球体は・・・

―こんな具合だ。これ、読む方が積極的に「その気」になって歩み寄らないと、ちっとも怖くないんだよね


悪文家だから・・ではないですよね(^^;

名文だったらなおのこと笑っちゃうよ(笑)



ラヴクラフトをポオにも比肩する怪奇小説作家と評価するひともいるようですが・・・ちょっとポオとは性質が違いますね

ポオでは恐怖は審美の手段だよね。対して、ラヴクラフトは恐怖そのものを描こうとしたんだな。その恐怖も不安をかきたてるやり方ではなく、映像的な描写に頼ったものだ

「アウトサイダー」を最高傑作として、ポオの衣鉢を継ぐ作品、あるいはそれ以上のものと称揚する向きあるようですね

うん。「アウトサイダー」については、ラヴクラフト自身も後に「ポオの模倣が最高潮に達した」と言っているし、ダーレスなんか、「ポオの未発表の小説として提示されたなら、反論する者は誰もいないだろう」なんて言っている・・・(^^;)
あと、「冷気」がポオの「ヴァルドマアル氏の病症の真相」に着想を得ているほか、「狂気の山脈にて」がやはりポオの「ナンタケット島出身のアーサー・ゴ−ドン・ピムの物語」を下敷きにしているけど・・・でもポオとは性質が違うよね、ラヴクラフトにはポオの幾何学的精神はない。正直言ってそもそもポオと比較できるような格調高さがあるとも思わないなあ(^^;

いわゆる旧支配者―魔物、怪物を登場させる作品を描いたことと、ラヴクラフトの描写重視の方法論はパラレルですね。そこは評価してもいいのではないですか?

でもね、怪物を出してしまえば怪奇小説も行き詰まらざるを得ないんじゃないかなあ。ラヴクラフトは20世紀最後の怪奇小説作家になるべくしてなったんだと思うよ。まあ、ラヴクラフトが書かなくても、だれかが書くことになっただろうけどね

たしかに、怪奇小説を追いつめて、墓穴を掘ったといっていいかもしれませんね(・_・)

だからクトゥルー神話を書き継いでいった作家たちは、やがてヒロイック・ファンタジーなんてものに流れていったり、あるいは(安易に)SFに行っちゃったんだよ。文学と呼べるのはかろうじてラヴクラフトまでなんだな



まあ、ラヴクラフトの小説は面白いとは思うけど、大好きかと訊かれると困っちゃうな。ポオとは比べるべくもないというのが本音だな(^^;
友人のひとりに、「ラヴクラフトなんて中学生の読み物だよ」と断じるのがいるけれど、まんざら同意できないでもない。それでも、いくつかの作品はたまに読み返したくなるんだよ


それでは、Hoffmannさんのお好きな作品はどれですか?

「インスマウスの影」「ダンウィッチの怪」「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」といったところだな。どれも小説としてよくできている

なんだか、Hoffmannさんらしい「正統派」の選択ですね(^^ )

「インスマウスの影」は、とにかく小説としてよくできている。さっきもちょっとふれた、自分の生まれに関する不安も投影されているという点で重要な作品だと思うよ。ダーレスもこの作品はお気に入りだったのか、その後日譚ともいうべき作品を8篇も書いている

この小説にも「・・・くとぅるう ふたぐん」という呪文が出てきますね

「ダンウィッチの怪」は、まさに映像的な、いかにも描写の作家らしい作品だ。映画化されたものを観たことがあるけど、まるでだめだった(^^;)ラヴクラフトの原典を、読者の側が歩み寄って、「その気」になってあげないとばかばかしくなっちゃうという、いい例だね

たしか「ダンウィッチの怪」は水木しげるが貸本漫画時代に翻案ものを描いていましたね

「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」はちょっと長めの中篇。
ややダンドリの叙述が続く部分もあるけれど、異常な事件や事実を積み重ねていって、クライマックスへと至る過程は重厚ですばらしい。ラヴクラフトのファンのなかには、ドロドロしすぎだと言うひともいるけど・・・たしかにほかの神話系のものなどと比べると、特異な作品かもしれないね


やっぱりHoffmannさんは長めの小説の方がお好きなんですね(^^ )




おまけ


“Lovecraft at Last” By H.P.Lovecraft and Willis Conover 1975 (Carrollton・Clark)
比較的めずらしい本です。




引用文献・参考文献
「ラヴクラフト全集」全6巻 大瀧啓裕他訳 創元推理文庫

「クトゥルー」第1〜11巻 大瀧啓裕編 青心社