#37 皮肉な青春の物語




その小説って、なんですか?

中村眞一郎の「回転木馬」という小説だ。ええとρ(・_・ )σgosogoso・・・この本だよ

中村眞一郎はHoffmannさんのお好きな作家ですね

うん。小説もいいけれど、エッセイ・評論などでは自分の文学遍歴、比較文学論から文化論に至るまで、繰り返し語られていて、生涯文学創造への努力を怠らなかったひとだ。
これこそ、ほんものの知性というものだと思うよ


Hoffmannさんがお好きな作品は・・・?

「四季」四部作(「四季」「夏」「秋」「冬」)かな。戦後に書かれた文学作品の最高傑作じゃないかと思っている。晩年の「四重奏」四部作(「仮面と欲望」「時間の迷路」「魂の暴力」「陽のあたる地獄」)もいい

やっぱりHoffmannさん、大作好きですね(^^ )
中村眞一郎って、野間宏や安部公房、花田清輝、福永武彦といったひとたちとともに、「戦後派」と呼ばれた作家ですよね。ネルヴァルの翻訳や「源氏物語」をはじめとする王朝文学、江戸漢詩人の評伝なども書いていますね

じつを言うと、プルーストやネルヴァルを読んだのも、「源氏物語」に親しんだのもこのひとの本による影響なんだ。
あと、意外なところで、1961年の東宝映画「モスラ」は、原作が中村眞一郎、福永武彦、堀田善衛の3人によるものなんだよ


その「回転木馬」って、どんな小説なんですか?





「回転木馬」は・・・昭和32年の刊行だな。物語の時点はこの時期と見ていいだろう。一般には風俗小説のようにとらえられているみたいなのがおおいに不満なんだけどね・・・

かつて戦時中の学生時代に「人類の未来の会」という名のもとに、哲学や芸術・文学を語り合い、平等な世界国家の建設に一生を捧げようと決意した仲間たちがいた。いま、彼らは成人しておよそ20年ぶりに東京で再会する。

この会には初枝という娘がいて、その娘と結婚した鈴木はこの会に臨んで、若き日から捨てることのなかった文学の夢―自作の長編小説の原稿を持参し、いまや流行作家となったかつての友に託し、どこかの出版社に紹介してくれることを期待している。

ところが会のほかのメンバーたちは、昔とはすっかり違った人間に「成人」していた。
大学の助教授となった男は妹の金の無心に苛立ち、町会議員となった男は雄弁に自分の町政についての抱負を語り、流行作家となった男はその日の晩に訪ねてくる女性のことを考え、鈴木の原稿を預かることを拒否する。それぞれが、輝かしかったはずの過去とは絶縁して、むしろその思い出を憎悪をもって否定しようとさえしていた。

鈴木は失望するとともに、青臭いまま成長していない自分の滑稽さを自覚する。
しかし、家に帰れば、自分の帰りを待っている妻が、やさしく迎えてくれる・・・。

「人類の未来の会」に参加していた頃、初枝はこの会の指導者ともいうべき立場にあった曳馬という青年と恋人同士であり、「ディオチーマ」という渾名で呼ばれていた。

星空のしたを並んで歩きながら、彼女はヘルダーリンの詩を暗唱し、未来への希望に酔い、幸福感に満たされていた。曳馬もまたヘルダーリンの詩の一節を口にする―

「神々の腕のなかで、私は成人した」


彼女は、その後出征した曳馬の戦死公報が出たため、疎開先で再会した鈴木と暮らすようになったのである。

ところが夫鈴木の留守中、初枝はかつての恋人曳馬の消息を耳にする―。

曳馬は戦死したのではなく下半身が不随となって戦場から戻り、弟夫婦の家で寝たきりの生活、食事も排便も、いっさいを弟夫婦の世話になっている厄介者となり果てていた。

そして深夜、鈴木が帰宅したとき、初枝は自殺していた―。


かつて曳馬であったその男はいま、闇のなかで、陰鬱な諦めのうちに目を覚ます。そこに隣室の弟夫婦の会話が漏れ聞こえ―近くに住む分家の当主が旅先で発見した女性の話―彼は初枝という名を耳にする。長らく忘れていた少女時代の彼女の面影と、「人類の未来の会」の思い出がよみがえってくる。

感覚のない、身動きのできない身体が下痢をして、下半身を糞まみれにしながら、彼は無意識のうちに呟く―

「神々の腕のなかで、私は成人した」


・・・・・・

・・・・・・



・・・皮肉な青春の物語ですね





中村眞一郎「回転木馬」講談社 昭32
※ 旧漢字・旧仮名遣いを新漢字・新仮名遣いにあらためています。