#41 「親愛なる友、切り裂きジャック」




1888年8月31日、イースト・エンドのホワイトチャペル・ロードに面した地下鉄駅の裏側にあたるパックス・ロウで、午前3時40分ごろ、通りかかった野菜市場の運搬人夫ふたりが、女性が倒れているのを発見した。このとき彼らは気がつかなかったんだが、巡回してきた巡査が角灯で照らすと、女の喉は大きく切り裂かれていた

・・・(・・;

検死によると、左耳の下から喉の中心部にかけて4インチの切り傷、右耳から中央に8インチの深い切り傷があり、これが頸動脈を切断、さらに解剖を行おうと遺体の衣服を剥ぎ取ると、犠牲者は下腹部を2度にわたって抉られ、ひとつは右鼠蹊部から左臀部に突き抜け、ふたつめは下腹部から胸骨に達するまで切り上げられていた・・・

うかがっていますと、手際のいいナイフの使い方と聞こえますね

うん。だからナイフを使い慣れた、医師とか屠者、ギャングなどが容疑者として浮かんだんだよ。

被害者の身許は、メアリ・アン・ニコルズ、通称ポリーという42歳の売春婦。もとは鍛冶屋の娘で20歳のときに結婚、5人の子持ちだったが、生来の怠け癖と飲酒癖のため離婚し、一時は女中勤めなどしていたが、飲酒癖と主人の金を盗んだためにイースト・エンドの貧民窟に身を潜め、金に困ると売春を働き、その金で簡易宿泊所に泊まりジンを呷るという生活をしていた


ジンって、当時から安かったんですか?

もっぱら下層階級の飲む酒だったようだね。ために、ジンの飲み過ぎによるアルコール中毒が多かったらしい。

この日もポリーは簡易宿泊所の、わずか一晩4ペンスのベッド代がなくて追い立てられ、「そんなはした金はすぐ手に入るよ」と出ていったそうだ。その後友人が見かけたときは「宿賃の3倍稼いだけどみんな飲んじゃったのよ、これからもうひと稼ぎして宿に帰るわ」と言い、凶行現場の方に向かって歩いていった・・・

そして犯人と出会ったのですね・・・

この事件のおかげでパックス・ロウはキラーズ・ロウなどと冗談まじりに呼ばれるようになり、この地域に住む中産階級の住民は請願運動を行って、その後ダーウォード・ストリートと地名変更されたんだそうだ





第二の事件は9月8日、パックス・ロウから西に半マイルほどの距離にあるハンバリー・ストリート、その29番地、3階建て長屋の裏庭で起こった。

午前6時過ぎ、ここの最上階に住む男が内階段から裏庭へ出てきたところ、仕切塀の下に女が倒れていた。酔っぱらいが寝ているのかとのぞき込むと、女は無惨な傷を負わされ、すでに息絶えていた。男はすぐに警察署に駆け込んだが、もうこの頃には現場は野次馬でごったがえし、抜け目のない近所の住人は小銭を取って見物人を部屋に入れ、窓から犯行現場を覗かせたという。

首筋には白いハンカチが固く結ばれていたが、これはほとんど切り落とされかけた首を胴体につなぎとめておくために、犯人が結わえつけたものらしかった。死因はこの首の切り傷だったが、傷はこれだけではなかった・・・


・・・(・・;;

死体は仰向けにバンザイの恰好で、コートとスカートはたくし上げられ、露出した腹部はめちゃくちゃに切り裂かれていた。腸が引きずり出されて死体の右肩に乗せられており、子宮、膣、膀胱の3分の2が切り取られていた。検死にあたった医師は、この種の作業に相当熟練しており、解剖学、病理学の知識がなければ、これだけのことを短時間に行うことはできないと断言した

被害者はまた売春婦だったのですね

アニー・チャプマン、通称ダーク・アニーというこの界隈では名の知られた売春婦だった。年齢は・・・45歳とも47歳ともいわれている。中産階級の出で、ふたりの子を持つ家庭婦人だったが、魔が射したのか酒に溺れ、アルコール中毒となって家庭を崩壊させ、イースト・エンドに流れ着いた。教養もあり、花を売ったり編み物で生計を立てたこともあったらしいが、アルコール中毒と肺結核で、生活費や医者代、酒代稼ぐために手っ取り早い売春婦に身を落としたという・・・

第一の被害者と似た境遇ですね

彼女もまた、第一の殺人の被害者ポリーと同じくように、前夜簡易宿泊所のベッド代を持ち合わせず、金を都合してくるからベッドを取っておいてほしい、と宿の主人に言い残して街へ出て行ったという・・・その後加害者と遭遇したものなんだろう。

この第二の事件では、前夜、アニーが外国人なまりのある、40歳前後の色黒でひげを生やし、黒のフェルト帽と黒のコートを着た男と歩いていたという目撃証言があったほか、証拠品らしきものが発見されたんだ


なんですか?

現場の近くに水浸しの革製のエプロンが落ちていたんだよ。これが後で大騒ぎを引き起こすことになる・・・。

このあたりからマスメディアが事件を大きく報道して、警察がなにひとつ手がかりをつかんでいないことを批判するようになる。おかげで翌朝からは物見高い野次馬が現場付近に集まり、その数は数百名に及んだということだ。

事件に悪のりして、殺人犯らしき男に声をかけられたとホラ話を吹聴する者もあり、あるいは、手に血痕のあるそれらしき男がパブにあらわれたなどという噂話が新聞に載ったりした。あげくのはては、ホワイトチャペル・ロードにあった蝋人形館が赤ペンキを塗りたくった人形を展示、「恐るべきホワイトチャペルの殺人」なんて幟を立てて、野次馬が行列をつくったそうだ。これはさすがに公序良俗に反するとして警察に閉鎖を命じられたんだけどね


警察の捜査は多少とも成果があったのでしょうか?

警察は黒のフェルト帽、コート、口ひげと外国なまりという証言から人相書を作成して、その布告の当日だけでも14名の容疑者を逮捕したが、いずれも不発に終わったんだ





警察はあてにはならないと ホワイトチャペルの商人たちが結成した自警団は「犯人逮捕の手がかりとなる情報の提供者には、身分国籍を問わず、相当の謝礼を支払う用意がある」と新聞広告を出し、国会議員のひとりも犯人逮捕に百ポンドの賞金を出すと申し出たけれど、これがかえって裏目に出て、金目当てのガセネタ、他人を誹謗中傷する投書ばかりが寄せられることとなったんだ。

で、社会全体がヒステリ状態となると、その欲求不満や恐怖を解消するため、魔女狩りやスケープゴート探しが行われる。

ここでスケープゴートとなったのがレザー・エプロンなんだな。
第一の殺人現場は廃馬処理場に近かったため、屠者に疑いがかけられたことと、凶器が職人の使うナイフに似ていたこと、それと第二の事件の際、現場の近くには水浸しの革製のエプロンが落ちていたことがその原因だ


証拠品とされたエプロンですね。これは犯人の遺留品だったのですか?

いや、じつはこのエプロンはヤードが押収した後、貸間長屋に住む男が母親の内職の手伝いをした後、古くなったので捨てておいたものであると判明していたんだよ。だから警察は発表もしなかったんだな。ところが、すでにレザー・エプロン=犯人説はひとり歩きしてしまっていた。

おかげで警察には「何をぐずぐずしているのか、だただちに恐怖の元凶レザー・エプロンを逮捕せよ」という投書が殺到し、また人相書に「外国なまりあり」と書かれていたせいで、ホワイトチャペルに住む外国人や移民、ことにユダヤ人に対する反感が高められることとなった


ここでも反ユダヤ感情ですか・・・

事件の翌日には付近の住民が警察署の前に集まり、「あれはユダヤ人の仕業だ! イギリス人にあんな残虐なことができるわけがない」などと気勢を上げる騒ぎが起こったそうだ。そしてじっさいに、レザー・エプロンの渾名を持つユダヤ系ポーランド移民が逮捕された。もっとも、逮捕されなければ暴徒が彼の家を襲い、私刑にしかねない状況だったらしいんだけどね。

結局この男は事件当夜のアリバイが立証されて、逆に自分を殺人犯として名指しで攻撃した複数の新聞に対して名誉毀損の訴えを起こし、幾ばくかの賠償金を得たそうだ


それはよかったですね・・・と言っていいんでしょうか?(^^;

(笑)この結果、レザー・エプロン騒ぎも一気に醒めたが、こうした新聞は現代のマスコミと同様、自己反省などしないから、さっさとスコットランド・ヤードに責任転嫁して今度はヤードの無能ぶりを攻撃したんだよ

警察もたいへんですね

まあ、ヤード側にも批判されて当然な事情があるんだけど・・・それはおいおい話すとして、アニー・チャプマンの事件後、さまざまな犯人逮捕策が、ヤード内部あるいは市井で論じられたんだ。

そのうちのいくつかを紹介すると・・・売春婦を根こそぎ牢屋に入れろ、というのがCID部長ロバート・アンダースンの発案。だけど数万人の売春婦を収容しきれるわけがないよね。
売春婦に呼子(ホイスル)を持たせて私服警官が尾行するというのもあったけど、これは予算的に無理。
女装警官によるおとり捜査というのは新聞の提案。これに対してヤード曰く、小柄な警官はいないし、みんな口ひげかあごひげを生やしており、命令で剃らせるわけにもいかない、それに女装した男は不格好、警察の教練に変装という課目はない・・・なんだか分かるような分からないような言い分だな(笑)


結局どれも見送られたのですね(^_^;





そして第三の殺人と第四の殺人は9月30日、一晩のうちに連続して起こった。

ホワイトチャペルのバーナー・ストリートで、子馬に曳かせた荷車に乗った男が、喉首に深い傷を負って息絶えている女を発見したのが午前1時頃。すぐに警察に通報されて、付近の住民は家宅捜査を受けたが、人の争う声や被害者の悲鳴を聞いた者はなかった。

医師の診断によれば、死亡時刻は午前0時45分から午前1時。致命傷は連続殺人犯の典型的なテクニックによるもので、被害者は左頸動脈を切断されていて、左顎6センチ下から右顎4センチ下まで10センチにわたって、鋭利なナイフで切り裂かれていた。ほかに傷がないのは、第一発見者である行商人の荷車がやってきたので、犯人は例の外科手術を施す余裕もなく逃亡したものと思われた。

この事件の捜索は午前5時まで続けられていたんだけど、そのころバーナー・ストリートから徒歩で15分ほどの距離にあるマイター・スクエアで第四の殺人が起こっていたんだよ。

こちらの発見者は巡回中の巡査で、時間は午前1時45分ごろ。被害者の女性は鼻から右頬にかけて深い傷を負い、右目はつぶされて右耳の一部が切り取られており、咽喉は大きく切り裂かれていて、まだ血が噴き出している状態だった・・・


・・・(・・;;dokidoki

バーナー・ストリートの被害者は本名エリザベス・グスタフスドッター、長身であることから「ロング・リズ」と呼ばれていた売春婦。スウェーデン出身の、切り裂きジャックの被害者では唯一の外国人で当時44歳。咽頭部の致命傷以外に目立った傷がないのは、発見が早かったため、犯人に解剖の余裕がなかったためだろう・・・というのはさっきも言ったね。

マイター・スクエアの被害者は通称ケイト・ケリーと名乗る大酒飲みの43歳の売春婦で、本名はキャサリン・エドウズ。これは腹部が鳩尾から臍下までめった切りで、内蔵は露出、腸は右肩に掛けられていて、肝臓は垂直に切られ、腎臓はそっくり切り取られていた。
犯人はバーナー・ストリートで十分な解剖作業ができなかった欲求不満を、こちらで満足させたものか・・・医師の見解ではこの作業は10分間程度で行われたもので、犯人は相当解剖の知識があるものと考えられた






警察の捜査によると、エリザベス・グスタフスドッターは前夜黒いコートを着た男と歩いているところを目撃されており、その証言によると、その男は28歳くらいでフェルトの鹿打帽を被っていたという。

そしてキャサリン・エドウズ殺害の現場からは、彼女が着ていた白いエプロンが切り取られており、犯人は近くの公衆水道で血まみれの手を洗ってこのエプロンで拭ったらしく、血の付いた状態で捨てられていた。
そしてなにより注目すべきことに、その真上の壁の黒い羽目板に「ユダヤ人はみだりに非難を受ける筋合いはない」と白いチョークでなぐり書きがしてあったんだよ


またユダヤ人!(・o・;

これは犯人が残した重要な証拠かもしれないというので、シティ警察のスミス副長官は落書きを写真に撮っておくように指示したんだが、指示を受けた警部と刑事が現場に到着したときには、ヤードのウォーレン総監が来ていて、この落書きを部下に命じて拭き消させてしまったんだ

ええーっ(・o・;

後にウォーレン総監は、この落書きはユダヤ人が犯人であることを示唆しており、これが公になると市民の反ユダヤ感情が悪化する、場合によっては反ユダヤ暴動も起こりかねなかったから消させたのだと言っている

それは・・・わからないでもないですけど、写真に撮って極秘扱いで捜査を進める方法もあったでしょうに・・・

まったくそのとおり、羽目板なんだから外して持って行くことだってできたはずだ。シティ警察のスミス副長官はこの報告を聞いて激怒したそうだけど・・・当然だよね。

このふたつの事件は同一犯人による短時間の犯行と判明したが、第三の事件は内務省の管轄下にあるスコットランド・ヤードの管轄区域で起こり、第四の事件はシティ市長の支配下にあるシティ警察の管轄区域で起こったという、やっかいな問題があったわけだ。
もともと両者は互いに対抗意識を持っていてね、ヤードのウォーレン総監とシティ警察副長官であるヘンリー・スミス少佐は仲が悪かったんだ・・・というよりスミス副長官がウォーレン総監を軽蔑していたみたいだね。
じっさいのところ、この日の事件について報告を受けたウォーレン総監はたちまちパニック状態に陥り、一方スミス副長官は終始沈着冷静だったそうだ




スコットランド・ヤードといえば、イギリスのミステリには欠かせない存在ですよね

スコットランド・ヤードは1829年に内務省の直属機関として創設された首都警察だ。その本部が置かれたウェストミンスターのホワイトホール・プレイス四番地がスコットランド王族の離宮跡の裏手だったのでスコットランド・ヤードという通称されたんだな。
ヤードの警察官や刑事は容疑者を逮捕しても、それまでのように拷問に頼らず、犯罪の証拠を重視して、理詰めで自白に追い込み、その職人的な仕事ぶりにはチャールズ・ディケンズも称賛を惜しまず、じっさいに会談して彼らの犯罪捜査についていろいろ話を聞いたそうだよ


ディケンズといえば、未完の「エドウィン・ドルードの謎」といった、ミステリの原型ともいえる小説を書いていますよね

警察の捜査が進歩すれば犯罪者の側も手が込んでくる、つまり知能的犯罪が増加してくるんだな。これに対処するために、1877年にCID、すなわちThe Criminal Investigation Department、犯罪捜査部が設置された。CIDはヤードの中枢として難事件を解決してゆくことになる。
イギリスのミステリに必ず登場するのが、ヤードの、まさにこのCIDだね。コナン・ドイルのグレグスン警部、レストレイド警部、クロフツのフレンチ警部・・・数えあげたらきりがない。

ところがね、19世紀後半のロンドンは、アイルランド独立派の爆弾テロや、失業者、労働者、社会主義者のデモなどがたびたび起こった時代でもある。そこで1886年にヤードの総監に就任したチャールズ・ウォーレンが武力をもって鎮圧に乗り出す・・・1887年のトラファルガー広場でのデモ隊と警官・近衛兵の衝突は有名だね


たしか「血の日曜日」と呼ばれている事件ですね

デモ隊は200名以上の重傷者を出してわずか数分で鎮圧されたという。ちなみに、このときのデモにはマルクスの娘エリーナも参加していたそうだ。ウォーレン総監はこの事件のために、労働者たちの恨みを買い、さらに庶民の間では大いに嫌われることになる。

このウォーレンという男は、もともと軍人あがりなので、自分も、自分の職務のことも女王陛下の下僕という立場と認識していたようで、デモ隊なんて社会を悩ます不逞の輩としか考えていなかったんだな。だからCIDなんてまるで軽視していて、ために当時のCID部長は、ウォーレンと衝突して、CIDをヤードから独立させようと働きかけるも失敗、切り裂きジャック事件の最初の犯行の日に辞任してしまったんだ。

その後任にはロバート・アンダースンという法廷弁護士が就任したんだけど、これがなんとも呆れた男で、就任するやいなや1ヶ月の休暇を取ってスイスに山登りに行っちゃった・・・


はあ?(・o・;

二人目の犠牲者が出るとさすがに、最高責任者がスイスに遊びに行くとは何事かと、批判が集中して、ヤードもあわてて「即刻休暇を切り上げて戻られたし」と要請するが、アンダースンはしっかり1ヶ月近い休養の末帰国した・・・(-_- )

なにもしないうちから休養ですか・・・(^o^;



話を戻すと、当時のスコットランド・ヤードは不人気の極でね、ウォーレン総監の弾圧政策に関しては、アイルランド独立派による爆弾事件はともかくも、下層労働者のストライキから失業者のデモまで、軍隊を動員して流血の惨事まで引き起こして鎮圧するというやりかただからね。
当人は女王陛下の下僕を自称する、いかにもなタカ派軍人あがりだから、勲章をもらって鼻高々だったようだけど、庶民からは強い反感を買い、やがて上流階級からも嫌われ、さらには越権行為がはなはだしく、ヤードを監督する内務省との軋轢も絶えなかった


それでマスコミも捜査に進展のないことを容赦なくたたいたのですね

当時30歳代はじめのバーナード・ショウは、劇評のかたわら、皮肉とウィットに富む辛辣な社会風刺の論客として活躍していたんだけど、新聞に「かりに上流階級夫人がホワイトチャペルの裏庭に誘い込まれて、屠所の解剖のような目にあわされれば、たちまち五十万ポンドやそこいら集まるだろうし、その金があれば四人の女性をみんなの犠牲にすることはなかっただろう」と投書している。

また、第一次大戦中に首相を務めることとなるデイヴィッド・ロイド・ジョージは当時25歳の青年で、「気の毒なドック労働者を苦しめ、ストライキの権利を否定し、一方でイースト・エンドで可哀想な女性たちを惨殺するけだものの逮捕には見事に失敗している」と警察を攻撃したんだよ


CIDの警部や刑事たちは必死に働いていたのでしょうけれど・・・総監のやり方が悪かったのですね

うん。この第三、第四の二重殺人の翌日には、ウォーレン総監の罷免要求の集会が4回も開かれている。その演説では「これ以上ウォーレンを総監の地位に留まらせるな。もしやつがイースト・エンドに顔を見せたら、手近なガス灯に吊してしまえ」なんて言われたそうだ

連続殺人事件にかこつけて攻撃しているわけですけれど、きっとそれまで武力弾圧を受けてきた庶民からはおおいに共感を得られたのでしょうね

さらに新聞はCID部長のアンダースンが不在であることも「殺人鬼の捜索に責任あるヤード高官は、殺人鬼同様ロンドン市民にまったく姿を現さない。・・・アンダースン氏はつらい年季奉公を前にして、いまスイスで楽しい休暇を過ごしているのだ!」と強く非難した

この新任のCID部長が休暇から帰国したのはいつなんですか?

この二重殺人の翌日だ。帰国後はCIDの警部、刑事、巡査を集めて訓示をたれて、捜査を開始したんだけどね・・・ところがこの男・・・

・・・今度はなんですか?(^_^;

ガチガチの反ユダヤ主義者でね、どうも犯人はユダヤ人だとアタマから決めつけていたようだ。このためロンドン在住のユダヤ人から猛烈な抗議を受けている。おまけにその強制捜査はなんら成果をあげることもなく、結局のところ市民の反感を買うばかりだったようだね



そしてこの連続殺人事件を歴史的・世界的に有名にしたのが、この第三、第四の事件の2日前に通信社に送りつけられてきた手紙なんだな

それは・・・(・・;

犯人からの挑戦状ともいえる手紙で、9月25日付イースト・ロンドン局発信の消印で、内容は・・・

親愛なるお偉方へ

 警察がおれを捕まえたとぬかしているが、おれの正体なんざ皆目見当ついちゃいないさ。やつらが得意気に目星はついたなんてのを耳にして、おれは腹を抱えているよ。レザー・エプロンが犯人だなんてのは悪い冗談だ。
 おれは売春婦に恨みがあるんだ。お縄を頂戴するまでやめる気はないぜ。この前の殺しは大仕事だったな。女には金切り声をあげるひまも与えなかったよ。おれを捕まえられるものならやってみな! おれはこの仕事に打ちこんでいるんだ。もういちどやりてえよ。おれの面白い遊びを耳にするのももうじきのことさ。
 この前の仕事ぶりを書くのにぴったりの赤い血を、ジンジャー・エールのビンに溜めこんどいたんだが、ニカワみたいにねばねばして使いものにならなかったよ、赤インクも乙なもんだろう。ハッハッハ!
 お次は女の耳を切り取って、警察の旦那衆のお楽しみに送るからな。この手紙をしまっておいて、おれが次の仕事をしたら、世間に知らせてくれ。おれのナイフはよく切れるよ。チャンスがあればすぐにも仕事に取りかかるぜ。あばよ。

                              あんたの親愛なる切り裂きジャック

 追伸。仇名を使わしてもらったぜ。赤インクのついた手で手紙をポストに投げこんで悪かったな。このおれが医者だなんて、笑わすぜ。ハッハッハ!

・・・すると、「切り裂きジャック」という名前はここではじめて名乗られたのですね(・_・ )

そう。さっきから犯人を「切り裂きジャック」と呼んでいたけれど、この名前がはじめて登場したのはこのときなんだ。

受けとった通信社ではどうせいたずらだろうと、それでもヤードに回送していたんだけど、2日後の連続殺人でにわかに見直され、10月1日付の新聞に全文が掲載されるや、世間に大反響を巻き起こすこととなったんだ。
そのさなか、さらに9月30日付消印の手紙が別な通信社に送られてくるが、これは公表前の最初の手紙の内容にふれていながら、字体は異なっていた。
さらに10月16日にはホワイト・チャペル自警委員会の会長宅に、小包が送られてきて、この中には「ある女から切り取った腎臓の半切れを送るぜ」との手紙とともに、肉片が同封されていた。

警察医の鑑定によると、これはたしかに人間の腎臓で、ジン浸りのアルコール中毒者、それもブライト病を患っているものとされたんだが、この条件はまさに腎臓を切り取られていたキャサリン・エドウズに該当する。もっとも、ヤードは遺体を発掘して調べることはしなかった・・・


現代なら間違いなく調べていたでしょうね

その後は公表された手紙を参考にしたものか、切り裂きジャックの手紙という形式をとったいたずらが、ヤード、シティ警察、新聞社などに次々と舞い込むようになる。ジャックの告白から他人をジャックと特定する中傷まで含めると、1,400通以上にのぼるそうだ。やがて脅迫や告白はジョークやパロディ、あるいは詩の形式をとるようになってきて、そのなかでもっとも有名なものをひとつだけ引用すると・・・

屠者(ブッチャー)ではありません
ユダヤ人とも違います
まして異国の船乗りとは
私はあなたが心を許す
親愛なる友、切り裂きジャック

さすがは文化も爛熟期を迎えようという大英帝国、ヴィクトリア朝ですね〜(^_^;



まあ、CID部長のロバート・アンダースンは晩年の回想録のなかで、最初の手紙は新聞屋の創作であるとし、メルヴィル・マクノートン警部も、「一年後、本当の偽作者に気づいた」と言っている

それでは犯人自ら名乗ったわけではないのですね

そうかもしれないし、そうでないかもしれない・・・ある研究者によれば、当時警察、団体、個人あてに送られてきた投書128通を検討したところ、少なくとも34通は明らかに同一人にの筆跡だったとしている。ところが警察はこうした手紙にほとんど注意を払っていなかったようだね

34通が同一人物の筆跡でも、だからといってそれが真犯人とも限りませんよね

まあ、そうだね(笑)ともあれ、この切り裂きジャックの名は事件の報道によって、ロンドン、イギリスから世界じゅうへと広まってゆくこととなったんだ。

このころのエピソードには、売春婦をからかった男が切り裂きジャックと間違われて巡回中の自警団によって警察につきだされたり、壁に「おれは切り裂きジャックだ」と落書きしていた男が逮捕されたとか・・・ひどいのは、犯行現場付近を通りかかったふたり連れの男が「このへんで切り裂きジャックが・・・」と立ち話をしていただけで、警察に連行されてしまったなんていうのもある


もう、切り裂きジャック・ヒステリーですね(・o・;

ロンドンじゅうが、切り裂きジャック症候群という恐怖症に取り憑かれてしまったんだね



で、ヤードに話を戻すと、ヤードの捜査が成果をあげないでいるものだから、世間からはさまざまな投書や提案がヤードに寄せられた。

そのひとつが、ブラッドハウンド、すなわち猟犬を使うというもので、当初ヤードは、犬に頼るなど警察の能力が問われる・・・と消極的だったんだけど、二重殺人の後、非公式にテストしてみることになった。

1回めのテストでは、2頭の犬は見事に模擬犯人の匂いを嗅ぎつけて1マイルの追跡の後にこれを見つけだした。
ところが2回めのテストではまったくの別人を嗅ぎ出してしまい、3回めのテストで・・・


・・・どうなったんですか?

・・・次の日の新聞には「この犬を発見したら、だただちにヤードに通知すべしと電報が首都圏の各警察署に打電された」と報じられたんだよ(^_^;あららのら

テスト中に行方不明になっちゃったんですね(^o^;あらまー

そしてついに11月8日、ウォーレン総監は辞表を提出することになった。内務大臣が辞表を受理したのが11月9日・・・皮肉にもこの日、切り裂きジャックによる5人めの凶行が起こったんだ





11月9日午前10時45分頃、ドーセット・ストリートの雑貨商ジョン・マッカーシーは、自分の貸間長屋の間借り人のひとりであるメアリ・ケリーのもとへ、雇い人のトマス・ボウヤーを遣いに出した。メアリ・ケリーは、もう6週間も部屋代を滞らせていたので、「ミラーズ・コート13号室だ、今度から前払いだと言え。絶対に空手で帰ってくるなよ」と言いつけた。

ボウヤーはミラーズ・コートにとんでいって、13号室のドアをたたくが返事はない。そこで窓のある側にまわって、ガラスの割れたところから内側のカーテンをめくってみると・・・


・・・(・・;;goku

・・・ベッドの上にはメアリ・ケリーの無惨な死体が横たわっていた。
素裸にされ、仰向けで、咽頭は左耳からに右耳まで切り裂かれ、首と胴は皮1枚でつながっている状態、耳と鼻は切り取られて顔面はめちゃめちゃに切り刻まれ、腹部は切開されて、肝臓、子宮、乳房が切り取られてテーブルの上に乗せられ、さらに一部は壁の版画の釘に掛けられてあった


これまででもいちばん陰惨な状況ですね(・・;;;

現場に駆けつけたヤードの刑事や警部も、現場のすさまじさに息をのんだという・・・さぞかしジャックも満足したことだろう



じつはこの事件では、致命的な初動捜査の遅れが生じてしまったんだ。
ウォーレン総監は次の事件が起きたらブラッドハウンドを使うので、犬が来るまで現場にも死体にもいっさい手を付けるなという命令を出していたんだな。ウォーレン総監が前日に辞表を提出したことはまだ公表されていなかったので、誰も知らなかったために、その命令は忠実に守られて、現場は2時間も立入禁止のまま放置されてしまったんだ


不運って、重なるものですね

警察医は死亡時刻を午前3時から4時と推定したんだけれど、この検死には6名の医師が共同で6時間半かかったそうだ。作業は解剖よりも照合の方で、紛失した(持ち去られた)内臓はないことを確認したという・・・。

メアリ・ジャネット・ケリーはイースト・エンドの街娼のなかでは異色の存在で、若くて器量もよく、街を徘徊する必要もない、なかなかの売れっ子、ただ色黒なところからブラック・メアリと呼ばれていた。警察の聞き込みによると、前夜に38歳くらいの小柄で吹き出物だらけ、赤い口ひげを生やした男と部屋に入っていくところを目撃されていた。

内務省は「この事件に関する重要な情報、ないしは証拠をもたらす従犯者を女王陛下の慈悲により、内務大臣は特赦する」とまでの特赦状を公示したんだけど、ついに犯人は不明のまま迷宮入りすることになる・・・






さきほど、ヴィクトリア朝という時代についてうかがいましたけれど、この事件と時代背景とを結びつけるものは、庶民の貧困ばかりじゃないですよね。さきほどのバーナード・ショウやデイヴィッド・ロイド・ジョージの発言からも・・・

うん。このメアリ・ケリー殺害事件の日がウォーレン総監辞任の日だったのは皮肉だけど、皮肉といえばもうひとつ、この日はロンドンのシティ市長就任式の日だったんだ。そのパレードは長い伝統のある古式豊かなもので、早朝から大勢の市民が見物に列をなしていたんだけど、「殺人事件だよ、バラバラ事件だよ、ホワイトチャペルの殺人!」といった新聞売りの声に、群衆の波は崩れて大騒ぎ、パレードはすっかり台無しになってしまったそうだ。

それでもその夜はギルド・ホールで豪華な晩餐会が催され、山盛りのロースト・ビーフに100羽の七面鳥、200皿の鹿肉その他モロモロが用意され、市長就任の炊き出しではイースト・エンドの貧民3,000人の胃袋に、ポーク・パイ3,000個、ケーキ1,500ポンド、ローフ825個、リンゴ6,000個が消えていったという・・・。

当時の新聞は「殺人鬼は好機を選んだ・・・シティの召使いという愚かなデブどもがパレードするのを見て、ロンドン中が大笑いをしているあいだに、彼の犠牲者はホワイトチャペルの薄明かりの汚い中庭で、冷たくなって横たわっていたのだ」と報じて(論じて)いる。

ここに、当夜の晩餐会で満場の喝采を浴びた、ソールズベリー首相が述べた市長就任への祝辞の一部を引用すると・・・「小規模な戦争や戦争騒ぎというのは、文明の進歩の渚に寄せる磯波にすぎない」


皮肉というかなんというか・・・政治家というものの無能ぶりがよくわかりますね。この事件こそ、ヴィクトリア朝という時代の一面を映し出しているようです(-_- )

ロバート・ブロックというアメリカの作家は、切り裂きジャックを題材とした「未来を抹殺した男」という小説のなかで主人公にこう言わせている・・・

 切り裂きジャックが殺したのは、ヴィクトリア朝時代そのものなんだ。偽善の時代、上品ぶった時代、感傷的な道徳の横行した時代だ。ジャックが出現し、ナイフを振り回して有名になった時、ヴィクトリア朝は断罪されたんだ。・・・彼は売春婦を解剖することで、ヴィクトリア朝の道徳に骨の髄まで染まった死体を解剖した。

解剖されて白日の下にさらされたのは、ヴィクトリア朝そのものだったのですね。たしかに犯罪事件がその時代を反映するというのは、いつの時代も同じですね

うん。切り裂きジャックこそ、まさにヴィクトリア朝という時代とは、皮肉な意味での「親愛なる友」だったんじゃないかな



現在の定説では、切り裂きジャックの犯行はメアリ・ケリー殺害をもって終結したことになっているけれど、そのように考えられたのはずっと後のことで、当時のロンドン市民はさらなる凶行に怯え続け、その後もいくつかの事件が切り裂きジャックの再来と思われてたようだね。それでも、やがて切り裂きジャックの名は人々の口の端にのぼらなくなり・・・いや、そうでもないな

・・・とおっしゃると?(・_・;)

もちろん事件が忘れられることはなかったし、むしろ現代に至るまで、切り裂きジャック推理ゲームとも言うべき、幾多の推理、仮説、憶測が発表され、さまざまな容疑者が生まれることになるんだよ



dialogue#42に・・・まだまだ続くっ