#45 トイレット博士




用が足したくなったときには、路上ですませてしまうのがふつうだったとすれば、このころはまだトイレはなかったのでしょうか?

平安時代には貴族は、「樋筥(ひばこ)」とか「虎子(おおつぼ)」「清筥(しのはこ)」なんてものを使っていた。これは、要するにオマルだな。木製の箱で、多くは漆が塗られ、なかには紫檀地に螺鈿(らでん)をちりばめたようなものもあったそうだよ。

用を足したくなったら、「オマル」係の女官を呼びつける。彼女らは樋洗(ひすまし)とか須麻志女官と呼ばれ、彼女らがオマルを持って現れると、御簾で周りを取り囲み、その中で用便をした。終わったら樋殿(ひどの)とよばれる場所に運んで中身を捨て、オマルをきれいに洗ったということだ。

飼い猫のトイレみたいですね〜

外出のときも、このオマルを持った女官が従い、いつどこでも用を足すことができたんだよ。でも、ちょっとした外出のつもりで、あるいはお供が少なければ持っていかないこともあったんだろうね


すると古くは、人間がトイレに行っていたのではなく、トイレのほうが人間のところにやってきたというわけですね(^o^*

でもね、これ、こんな箱を使ったのはたぶん「大」の場合だけだったんじゃないのかな。「小」のほうは、そんな面倒なことはしないで「そこらへん」でやっちゃったんだと思うよ(^^;

すると日本では、明治時代あたりまでは、「個室」はなかったんですか?

少なくとも江戸時代には、農村では肥溜めか・・・厠もあっただろう。城下町なんかではもう庶民でもトイレ・・・雪隠(せっちん)を使っていたよ。尾張藩士朝日定右衛門重章の書き残した日記「鸚鵡籠中記」には、ある男が長屋共同の雪隠に入っていたところ、ひとりの老婆がやってきて、はやく代わってくれと・・・なにしろ腹痛に耐えかねるその様子が「蓬頭憔悴」「呻吟大息」で、男が「何者ぞ」と声をかけても耳が遠くて聞こえない。仰天した男は、この老婆をてっきり化け物と思って斬りつけてしまうという事件があったと書かれている(^o^;)まあ、軽傷だったそうだけど。宝永4年とあるから、1707年だな。

う〜ん、ちょっとトイレに行ってくる・・・(((( ・・)

はあ・・・(^^;





・・・お待たせ(^^ ))))

なんの話だっけ・・・そうそう、古式ゆかしいオマルの話だね(笑)・・・でもね、逆にもっと古い時代にはそんな箱じゃない、備え付けのトイレがあったんだよ。

古代メソポタミアには、水洗トイレがあったとも言わているけど、はっきり記録に残っているのはローマ帝国時代からだそうだ。紀元前600年あたりかな、この時代にはローマ帝国ではすでに上下水道ができていたらしい。ポンペイの遺跡からは共同トイレらしきものが発見されている。それは一ヶ所に1,600もの便器がある集団トイレなんだって。その後の時代よりもトイレが発達していたことになるね

水洗式だからこそ共同トイレだったのでしょうね。一軒一軒の家に備えるのは無理だったでしょうから

さらに古く、日本の遺跡発掘の現場を見ると―

まず、縄文時代のトイレは、川岸に張り出したところにあった・・・川に直接排便をしていたんだね。遺跡のなかには杭の先が川底に残っている場合があって、その付近の川底からは、糞石という、つまり大便の化石だな、これが見つかっている。かつては、縄文時代は狩猟をして生活していたため、定住はほとんどしていなかったというのが定説だったけど、最近では、縄文時代も狩猟がすむと自宅に帰る、つまり定住していたと考えられるようになってきた。

弥生時代も縄文時代と同じように、川に直接排泄をしていて、これが厠(川屋)の原型なんだな。”かわや”には、現在のボルネオやタイの水上トイレに見られるような、簡単な屋根ぐらいは設けられていたのではないかとも言われている。

古墳時代に入ると、住居を構え、その周りには敵や野獣から身を守るための堀が掘られ、その堀がトイレになったらしい


トイレに囲まれて生活していたというわけですね(^o^;



ヨーロッパで9世紀に建てられた修道院の図面には、9人用のトイレがあったそうだ。しかもご丁寧にそのうちのひとつがあくのを待つ修道士たちのために、長椅子まで用意してあったという

ということは、まだ個室じゃなかったんですね

もちろん、個室じゃなくて、当然扉もカーテンもない

みなさん、恥ずかしくなかったんでしょうか?

おもしろいことに、座につくときには被りものをする習慣だったそうだよ

逆転の発想ですね(^^*

一般の家では中庭に・・・トイレというにはちょっと抵抗があるな、つまり穴を掘ってイタしていたんだね



王侯貴族の住居については、おもしろいことに、16世紀頃から、その城のなかからトイレがなくなっていったんだよ。城の建築が完璧な装飾にばかり重点を置いて、生理的欲求を恥ずべきものとして無視しちゃったんだな。そうなると、賓客用階段だろうがバルコニーだろうがおかまいなし、ところかまわず・・・

ふは〜想像しちゃいました(^o^;

ルイ14世はあんまり宮廷が汚いので、巡回宮廷という古い習慣を復活させて毎月引っ越しをした。ひとつの城を汚している間に、ほかの城を洗わせるというわけだね。

1606年にはアンリ4世が、宮廷において場違いな時と所で排泄をしないようにとの王令を出している(^o^;


・・・ということは、裏を返せばそうした振る舞いが日常茶飯だったということですね(^o^;

まさにこの王令が出されたその日、王子が自分の部屋の壁に立小便しているところが見つかったそうだ(笑)まあ、「小」のほうはあいかわらず手近な壁に向かって引っかけるのは、男も女も同じだったようだね。その証拠に、18世紀の好色絵画は、やんごとない身分の女性のこうした姿(と、それを覗いている出歯亀)をさかんに描いている



便器について言うと―

ヨーロッパに腰掛け式便器が最初に現れたのは、14世紀初めのフィリップ5世の宮廷だそうだ。でも、庶民はしゃがんで用を足していた。それは、国王が庶民と同じ姿勢で排便をするのを嫌ったからだとか言われている。
さらに、17世紀になると貴族や上流階級にも腰掛け式便器が普及するが、庶民はまだまだしゃがみスタイル。庶民が腰掛けて用を足すようになったのは、水洗トイレが普及しはじめた19世紀末のことだそうだよ


すると、西洋人もほんの100年前までは、和式スタイルだったのですね

とはいえ、便器に出したものをどうするかというと、17〜18世紀ごろまでのヨーロッパの都市では、糞尿とゴミは道路に垂れ流しだよ。雨でも降ろうものなら、どの街の道路もゴミや糞尿であふれ、どろどろにぬかるんでしまったそうだ

下水道がないのですから、そういうことになるのですね

それも結局大都市にひとが集まってきて、自然の浄化能力を超えるほど排泄物の量が増えてしまったからなんだね。

18世紀の貴族たちも、香を炊いた携帯用の便器や尿瓶を持参して、用を足すときには、礼儀正しく携帯用便器を使用したが、中身は従者が庭へ捨ててしまっていたということだから、ベルサイユ宮殿だって、建物の中庭や廊下、通路などは糞尿であふれていたんだろうね


さぞかし臭ったことでしょうね〜(^_^;)ぷ〜ん

19世紀になると、一般庶民も家では壺かなにかを使ったみたいだけど、まだまだ中身は路上に捨てていた。2階、3階だと窓から捨て放題だったとか・・・だから、昔は歩道側(建物側)を男性が歩いて、車道側を女性に歩かせるのがエチケットだったなんて話を聞いたことがあるけど・・・これは眉唾だな



19世紀に至っても、とくに貧困な階級においては下痢・赤痢・腸チフス・コレラといった病気が死亡原因としては高い割合を占めていた。これはいずれも消化器官の病気であり、汚染された飲料水から感染しやすいのが原因だね

つまり、そうした病気による死亡率はすなわち衛生上の問題があるということですね

だから、近代の衛生改革はこうした問題を解決しようとする試みそのものなんだね。人間の排泄物が各所に堆積されて飲料水を汚染しているという事実は、上下水道の不備・不完全のあらわれだよ

それにしても、近代になって急に問題になったのはどうしてなんですか?

19世紀以降―というより、産業革命以後かな・・・大都市の人口が増大したからだよ

ああ、さきほどおっしゃった、自然の浄化作用を超える量の・・・えーと、ハイセツブツが生産されるようになったので・・・(^_^*

(笑)「生産」ねえ(^o^)・・・それもあるけど、同じ環境でより大量の飲料水を確保し供給しなければならなくなるからね。
ちなみに日本では、屎尿は農作物の肥料として使っていたから、道路に捨てるなんてことはなかった。衛生上問題となったのは、やっぱり明治以降、東京などの大都市に人口が集中するようになってからだね。そのためか、日本の下水道は、戦前にはいくつかの都市でしか整備されていない。全国的に普及したのは戦後のことだ


肉よりも野菜類など繊維質を多く食べる昔の日本人の方が、「量」が多かったと想像されますけど・・・うまくいっていたのですね(^^*



古い時代には、下水道といっても処理場があったわけではありませんから・・・

うん。子供がお母さんに、散らかしたおもちゃを片づけなさいと言われてすることと同じだよ(^^ )

場所を移動するだけなんですね(^^;)

世界で最も古い下水道が作られたのは、紀元前5000年頃のバビロンとも、2000年頃古代インドの都市モヘンジョ・ダロともいわれている。モヘンジョ・ダロの下水道はレンガ造りで、各戸で使った水を集めて、川に流していたのではないかということだ

ヴィクトル・ユゴーの長編小説「レ・ミゼラブル」にパリの下水道についての記述がありますよね

ああ、ジャン・ヴァルジャンが下水道に逃げ込むシーンになると突如物語が中断されて、パリの下水道の歴史が延々と語られるね。修道院に逃げ込むシーンになると、今度は修道院の歴史について詳述されるし・・・(;^^)(^^*)Hoffmannさんの会話みたいですね

ユゴーが書いているくらいですから、あの時代には下水道の整備がはじまっていたわけですよね

ああ、パリの環状大下水道だね。これが完成したのが1740年頃だ。でも汚水の行き先はまだまだ「別な場所」でしかない。

19世紀の半ばには、ロンドンで下水道工事が行われたんだけど、それまでテームズ川に直接流していた下水を、下水道を通して、市街地より下流で流すようにしたという程度の改良だな


捨てる場所がちょっと変わっただけなんですね

だから、テームズ川が満潮になると、流れていったはずの汚水は、ゴミや動物の死体もろとも逆流してくる。衛生状態は相変わらずだね。この下水道にもぐり込んで、わずかな金目のものを拾い集めて生活していた貧困層がいたことは、前にもちょっとだけ話したよね。

活性汚泥法という微生物を利用した下水処理法が開発されて、ロンドンに最初の処理場が作られたのは1914年、20世紀になってからだね

下水道といえば、映画「第三の男」を思い出しますね(^o^)

“The Third Man”(1949)



参考文献
ゲオルク・ビュヒナー全集」全1巻 内垣啓一他訳 河出書房新社
「今昔物語集 五」日本古典文学大系26 岩波書店
「摘録 鸚鵡籠中記(下)」朝日重章 塚本学編注 岩波文庫
「路地裏の大英帝国」角山榮・川北稔編 平凡社
「パリの聖月曜日」喜安朗 平凡社
「羞恥の歴史」ジャン=クロード・ボローニュ 大矢タカヤス訳 筑摩書房
ほか