#21 エロティシズム各論 ― サド侯爵篇


エロティシズムですね(・_・;)

そう、今回は各論だ(^^;)

ちょっと楽しみ・・・(^^;)



文学におけるエロティシズムについて考えると、どこまで範囲を広げるのかにもよるけれど、端を発するのは古代ローマあたりになるだろうね。ロベール・デスノスはエロティシズム文学史を俯瞰するにあたって、ペトロニウスの「サテュリコン」、スエトニウスの「十二皇帝伝」あたりにもふれている。フランスに関して言えば16世紀あたりから18世紀ごろまで、さまざまな群小エロティシズム作家が現れているけれど、しかしなんといっても歴史上最大にしてエロティシズムの創始者とも言うべきなのが・・・

サド侯爵ですね

そう、ドナシアン・アルフォンス・ド・サド、一般にはサド侯爵(マルキ・ド・サド)と呼ばれている、エロティシズム文学に限らず、フランス文学史上の巨人だね。19世紀の作家たちは多かれ少なかれサドに鼓舞されたところがあるよね、その代表はボードレールとフローベールだけど、とりわけフローベールに至ってはサドを「親愛なる友」と呼んでいる( ̄- ̄)ehen

なにもHoffmannさんが威張らなくても(^^;)・・・サドは貴族だったのですよね

コンデ家を通してブルボン王家に結びつく由緒ある家柄の出身だ。自ら引き起こしたこととはいえ、不祥事から、姑モントルイユ夫人の執拗な働きかけによって、一生の大半を獄中で過ごすことになった。小説の傑作群は、そのほとんどが獄中で書かれたものなんだよ

不祥事というのはどんな事件だったのですか?

最後のきっかけになった事件はマルセイユ事件と呼ばれていて、4人の娼婦を集め、下男も交えて、鞭で打ったり打たれたり、鶏姦を要求したり、自分が娼婦と交わっているときに、下男に自分を鶏姦させたりと、乱痴気騒ぎをした、そのとき娼婦たちに媚薬入りのボンボンく与えたが、腹痛と吐瀉を起こし、毒殺未遂事件として訴えられたというものだ。これは別に毒物などではなくて、媚薬の成分である甲虫がよく練りつぶされていなかったためらしい

・・・それだけ、なんですか? 私、「惨殺した女中たちの血で満たされた浴槽に浸かることを好んでいた」と聞いたことがありますが

それは16世紀のハンガリーの伯爵夫人のことじゃないか? まあ、当時も妻を毒殺したなんて書きたてられたりしたらしくて、サドはどうも現実以上(どころか現実離れもはなはだしいほど)に凶悪で血に飢えた殺人鬼のごとくイメージされているようだね(^^;)





すると、じっさいにはどんなひとだったのですか?



dialogue#09に続く(もちろんここで読むのをやめてもいいのです)