#26 オスカー!


よーい、スタート!(^^)/

・・・(-_-)



・・・えー、こうしてみると、エロティシズム関連だけでなく、エロティックな話題やオチが少なくないですね

文学や音楽を語れば、こうなることもある程度は当然だろう。あらゆる芸術は不道徳であるからだ

サド侯爵の著書なんて、いまでこそふつうに本屋さんで買えますけれど、一部の道徳的にお堅いひとたちから見れば、危険思想ということになりますよね

危険ならざる思想など、およそ思想と呼ぶに値しない

Hoffmannさんはサドの思想や著作を美と考えますか?

もちろん。美の崇拝は正気の沙汰ではない。正気であるにはすばらしすぎる

そういう考え方って主観的に過ぎるとは思いませんか?

ひとが真に偏らない意見を出せるのは、関心のない事柄にだけである

つまりHoffmannさんにとっては関心のあることだと・・・(笑)

関心があるということにとどまらず、生きるためには、世の中、世間に対するそれなりのスタンスの取り方が必要だ。生きるとはこの世でもっとも稀なことである。たいていのひとは存在しているにすぎない

そのために文学や音楽が必要なんですね。
でも、知らないひとはHoffmannさんのことを、サド侯爵のような趣味嗜好の持ち主と思うかもしれませんよ(笑)

ばかばかしいことだ。たとえば、芸術家が主題として病的状態を扱うからといって、彼を病的と呼ぶのは、シェイクスピアが「リア王」を書いたからといって彼を病的と呼ぶのに劣らず愚かしい

Hoffmannさんは、いわゆる、流行小説は読まないのですか?

民衆が健康なと呼んでいる流行小説はつねにあくまで不健康な作品であり、民衆が不健康と呼んでいる小説はつねに美しい健康な芸術作品である

流行小説はよくないと?

いい作品、悪い作品というものはない、小説はよく書けているか、いないかだ

どんなによく書けている小説でも、人気においては必ずしも流行小説には及ばない場合があると思いますが?

人気とはひとが気にしないですむ唯一の侮辱である





Hoffmannさんはあまり自分のことを語りませんよね。本や音楽のことが中心で。いつかの、小学生のときの教科書のいたずら書きのお話も、抽象論になってしまいました。ご自分の経験について、もっとお話ししてみませんか?

そんなの、誰も興味がないだろう(笑)経験なんて興味がない、フィクションこそが真実だ、と思っているんだけどね。経験とは人間が自分の過ちにつける名前である

フィクションって、非現実でしょう? ある意味、嘘ですよね

真理を知るためにはひとは無数の虚偽を想像しなければならない

それで、自らを語らず・・・ですか?

まるっきり語っていないわけでもないが(笑)・・・人間は一人称で語るときもっとも自己自身ではない。彼に仮面を与えてみたまえ、そうすれば真実を語ってくれるだろう

えーと、最後に、ちょっとはしたない質問なんですが・・・(*・_・*)

はしたない質問などというものは決してありえない。答えのほうはときにそうだが・・・

Hoffmannさんと私の関係をどう思いますか? (*・_・*);;;

うぅ(-_-;)・・・・・・男というものは善良な夫であればひどく退屈であり、そうでなければ嫌になるほど自惚れが強い・・・



はい、おしまい(^^)お疲れさまでした

ふぅ(-。-;)疲れた・・・

以上、Hoffmannさんのお話はオスカー・ワイルドの作品から引用した箴言でした(^^)/

太字のところね(^^;)ちょっと、個人的にはどうかというものもあったが・・・

Hoffmannさんは、オスカー・ワイルドといえばやっぱり「サロメ」か「ドリアン・グレイの肖像」がお好きですか?

いや、童話の「幸福な王子」がいちばんかな・・・それにしても優美、どさくさにまぎれて、最後の質問・・・

(^^;)Hoffmannさんだってごまかしたじゃないですか〜

人生はまじめに語るにはあまりにも重大な事柄である(-_- )ohon

(^^;)madayatteru・・・