#39 鏡さまざま


今回はストロボ不使用。レタッチはリサイズと明るさを少々。

お花屋さんのウィンドウにはたいてい鏡が使われていますよね

ああ、いかにも花がたくさんあるように見えて効果的だよね

ポオの「メルツェルの将棋指し」でも、トルコ人の人形のなかに、機械がいっぱい詰まっているように見せるためのトリックとして言及されていましたね



バルトルシャイティスがその「鏡」という著作のなかで・・・

鏡は、その形態と用途がどんなものであれ、つねに現実と錯覚とが接し混じり合うひとつの奇蹟である。

・・・と言っている

ですが、鏡というと、現実をそのままに映し出すという意味に使われるのが一般的ですよね・・・たとえば、歴史の本には「大鏡」「増鏡」というものがあります

歴史書や教養書の表題に「鏡(鑑)」の語を冠するというのは、日本だけでなく中国や中世のヨーロッパにも見られた習慣だ

ところが、錯覚も生ぜしめると・・・

ひとつ例をあげると、ヨーロッパでの、虎の子供を捕獲するにあたっての鏡の利用法がある。
13世紀頃の「動物誌」のひとつだけど、猟師は虎の子供を捕獲すると、そこに鏡を置いていく。母虎は怒り狂ってやって来て、鏡に小さく映っている自分の姿を見て、そこに自分の子供を見たと思いこみ、追跡をやめる、というものだ。
この話の起源は4世紀頃の聖アンブロシウスにも遡り、さらにはプリニウスの「博物誌」にまで至るようだね

じっさいに動物の前に鏡を置くと、敵だと思って威嚇したりするそうですね

もっともこれは、ひとは誰しも自分の子供、すなわち魂を見守らなくてはならない、という教訓を
含んだ寓話らしい。ここでは鏡が「この世の大いなる渇望であり大いなる幻滅である」とされて
いる

寓話といえば、肉をくわえた犬が池に映った自分をもう一頭の犬と思いこんで、吠えた拍子に
肉が落ちてしまう、というものもありましたね

ああ、アイソーポス、すなわちイソップだね。紀元前6世紀頃のひとだから、そのほうが古いや。
寓話じゃないけど、日本でも、天照大神が天の岩戸に隠れたとき、八百万の神々が浮かれ騒いでいるので岩戸のなかからのぞいてみると、すかさず鏡を見せられて、戸からすこしばかり出てきたところを手力男に引っ張り出されてしまう・・・大神でさえ鏡には騙されてしまうんだね(^^)

あと、誰しも子供の頃にスプーンなどで経験していると思いますが、鏡の形態による対象の変形というのもありますよね。
どんなに広い部屋でも凸面鏡を吊せば、部屋全体が球体の表面に短縮され、あたかも閉じこめられたかのようですよ。なんだか、わくわくするような、まさに奇蹟ですね

ああ、球面鏡、円筒鏡も歴史は古いよ。16世紀の画家、パルミジャニーノの凸面鏡に映った自画像は有名だよね。
また、球凹面鏡が空中に像を投影することは中世には知られていながら、妖術の廉で糾弾されることを恐れてあえて語らなかったという学者もいる。
もっと古くは、アルキメデスが凹面鏡を用いて、ローマ艦隊を炎上せしめたという話があったね。事の真否は昔からいろいろ論議されているようだけど・・・

支点さえあれば地球だって動かせる、と豪語したアルキメデスのことですから、ローマ艦隊ぐらい、ものの数ではなかったかもしれませんね(笑)





鏡といっても、古くは銅などの金属製ですよね

さっきの犬の寓話や、オウィディウスによる「変身譚」のナルキッソスの場合は、水鏡だけどね(笑)オウィディウスでは泉に映ったナルキッソスについて、こんなふうに語られている

水を飲んでいるうちに、泉に映った自分の姿に魅せられて、実体のないあこがれを恋した。影でしかないものを、実体と思いこんだ。

 ああ、いくだび、偽りの泉にむなしい口づけを送ったことだろう! ・・・(中略)・・・彼の目を欺いているのも迷妄なら、その目をあおりたてているのも、同じ迷妄だ。浅はかな少年よ、なぜ、いたずらに、はかない虚像をつかまえようとするのか?

実体のない影、偽り、迷妄、虚像・・・と。錯誤やまやかしの言い替えだらけですね(^^;)

でも、虎や犬の寓話では錯覚にすぎないものが、ここでは幻想の領域に達していると思わない?
もっともJ.G.フレーザーによれば、古代ギリシア人は水に映った自分の姿を見る夢をみるのを、水の霊によって霊魂を肉体から引き離されること、つまり死の前兆とみなしたそうだ。これと同じタブーは古代インドにも見られるらしい



歴史上は水鏡の次が金属の鏡だ。
そしてガラスの鏡が製作されたのは14世紀のヴェネツィアだね。水銀アマルガムの鏡はここからさかんに輸出されたんだよ

ルネサンス時代に金持ちの市民のあいだで、部屋に凸面鏡を飾るのが流行ったのは、装飾品としての意味のほかに、室内を広く見せるためという効用があったためらしい・・・。
うちも飾ろうかな?

でもHoffmannさん、鏡を掛けるための壁が見えませんよ(^^;)

(^^;)dameka・・・(笑)
さらに時代を下ると、ヴェルサイユ宮殿には「鏡の間」がつくられ、さらにこれを真似てルートヴィヒ二世のヘレンキームゼー城には「鏡の間」がつくられた。これは高さが10メートル、奥行き100メートルだそうだから、ヴェルサイユ宮殿のそれよりもはるかに巨大なものだね

それ、ヴィスコンティの映画「ルートヴィヒ」で見ました(^^)/



文学にあらわれた鏡といえば、オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を思い出すね。
鏡には己の美と若さの輝きが映し出されているのに、肖像は醜く老け込んでゆく。これは肖像の方がドリアン・グレイの真実(本質)の姿なのだね

私は鏡といえば、ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」ですね(^^)あらゆる秩序があべこべになっている鏡の世界では、時間までが逆に流れていて、まず痛がってから血が出て、次にピンで指を刺す、という具合です(笑)

「鏡の国のアリス」では、そうした現実の逆転が徹底的に鏡の性質によって形成されているね。逆にこれを読むと、「不思議のアリス」もそうだったということがわかる。自由奔放なノンセンスと思われたものが、じつは鏡の特性でほとんど読み解けるんだよ。さすがにドジソン(ルイス・キャロルの本名)先生、数学者ならではだね

「鏡の国のアリス」では、鏡が異世界への通路となっていますよね(^^)

ジャン・コクトーの映画「オルフェ」でも、死んだ妻を連れ戻すために、詩人オルフェが鏡を通り抜けて死者の国へと降りてゆく。ウルトビーズから渡された手袋をはめると、鏡を通り抜けることができるんだね。あのシーンは400キロの水銀を満たしたタンクを使ったそうだ


“Orphee”(1949)

「オルフェ」は、いろいろ初歩的なトリックを駆使した映画ですよね。フィルムの逆回しや、壁に沿って移動しているのは、じつは床面を転がっているのだとか・・・

考えてみれば、そもそも映画というものが光学器械のトリックにほかならないのだね(^^)

そのなかでさらに鏡が使われるという、入れ子構造ですね(^^)







そういえば、コクトーがあるエッセイで「オルフェ」の基本となる主題を三つあげているんだけど、その三番目にはこんなことを言っている・・・

鏡。人は鏡のなかに年老いてゆく自分を見る。鏡はわれわれを死に近づける。

ワイルドは虚像として、コクトーは容赦のない現実を映すものとして、それぞれ鏡をとらえていたのでしょうか?



引用文献
バルトルシャイティス著作集4「鏡」谷川渥訳 国書刊行会
オウィディウス「変身物語」(上)中村善也訳 岩波文庫
ジャン・コクトー「映画について」梁木靖弘訳 フィルムアート社