#46 東西怪奇譚 ― あるいは猫の棲む町


“眠りのために、猫のために”



ただいま〜

おかえりなさい

それは・・・萩原朔太郎だね。「新しき欲情」と「虚妄の正義」、エッセイふうのアフォリズム集だ

はい。でも・・・

つまらなかった?(笑)



ちょっと、期待はずれでしたね。どれも陳腐な印象は否定できません。
たとえば「新しき欲情」の―


天邪鬼  天邪鬼の興味は、絶えず一般的の者に反対するということにある。既に一般的となってしまった彼自身の思想や興味に対してすら。

「虚妄の正義」では―

家庭人  すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめて居る。

百貨店での警告  流行を追わないで、君自身の趣味によって、君自身の柄に合うもの選択せよという忠告は、それらの百貨店にうろうろしている、おしゃれの婦人にのみ言われるのではない。

・・・なんて、これがこの高名な詩人の思想なのかと、正直なところあきれてしまいました(^^;)

たしかに(-_-;)・・・まあ、時代が違うからね。当時にしてみれば、こんな箴言がちょいと気取ったスノッブの自尊心をくすぐったんじゃないかな。もっと長いのもあるだろう、ちょっとその本かしてごらん・・・ええと、これなんかどうだい?

新世紀の初に  古典主義は中風症だった。浪漫主義は癲癇症だった。自然主義は多血症であり、デカダン主義は神経衰弱だった。文学はこれらの流行から脱却した時、初めて健全である。というグウルモンの感想(堀口大学訳)は、我々の日本の文壇では、正しく次のように言い換えられる。
 古典主義はどこにも無かった。浪漫主義はニキビ青年の乳臭い感傷だった。自然主義は老耄者の退屈な居眠りだった。デカダン主義は享楽家の薄荷酒だった。文学はこれらの稚態から脱する時、初めて真に文学である。

・・・

・・・

・・・ひどいね

ですよね・・・でも、散文詩集の「宿命」を読むと、同じようなことが書いてあるのですけれど、ずっといいんですよ(^^;)

やっぱり詩人なんだね(^^;)







dialogue#27に続く