#49 徴(しるし) ― あるいは無意識の形象


この服ではめずらしくミディアムシャギーが後になりました。



お話ししていてよく思うのですけれど、Hoffmannさんはフロイトの精神分析的な手法で文学や音楽を読み解こうというのはあまりお好きではありませんよね

うん。フロイトは好きじゃない

それにしてはお話のなかで「象徴」とか「イメージ」について指摘されることが少なくないのですね

やっぱり、おもしろいんだよね(^^;)





たとえば以前にも話に出た(gallery#29#38)マリー・ボナパルトのポオ論なんて、その解釈はいくらなんでも強引すぎる。
ドミニク・フェルナンデスの評論「木、その根まで」も、読めば読むほどにまたかという感じ。
マルグリット・ユルスナールの三島由紀夫論「三島あるいは空虚のヴィジョン」も、三島の小説のなんの意味もないような細部に、懸命になって意味(象徴)を見つけだそうとしているのはちょっと滑稽なくらいだ

Hoffmannさん、三島由紀夫は好みではなかったと・・・(^^;

まあまあ(笑)・・・でも、この精神分析的手法で作品をばっさばっさと解釈していく様には、なかなか爽快感があるよね。前に話に出た萩原朔太郎の文庫本の解説みたいに、作者の生きた時代背景から物語に寓意を見出すなんていう評論なんかよりも、よほどおもしろい。

プロメテウスの「知性への意志」じゃないけど、こういう本を読むと、なんだか賢くなっちゃったような気がする(^^ )探偵小説を読むようなおもしろさがあるんだよ





でも、フロイトは嫌いなんですね?

うん。つまりフロイトって、学者肌でないのに学者になろうとして、ちょっとやりすぎたんだな


やりすぎたとはどういうことですか?

自分の理論を体系付けるための理論、つまり理論のための理論や用語をつくってしまったことだよ。たとえば、乳幼児期の「口唇期」っていうのはわかるけど、「肛門期」って、完全にことばが一人歩きしているじゃない?
「リビドー」や「エディプス・コンプレックス」は理解できるけど、これだって、すべての神経症の原因はセックスにあるとする「性欲理論」を支えるための理論でしかないんじゃないかっていう気がする。「幼児性欲説」なんかまさにこれだな。ひとつひとつの理論にはさすがと思えるものがあるんだけどね。
でも、そのために犠牲になったものもある


犠牲になったものとはどういったことでしょうか?

フロイトは自分の扱っていたヒステリー患者が幼児期に大人から性的ないたずらをされた経験を持っているとして、無意識領域に蓄えられた幼児期の経験が精神疾患の原因になると説いた。
ところがフロイトはわずか1年あまりでこれを撤回、幼児期に性的に弄ばれたというのは患者の幻想であると自説を翻してしまった。つまり「衝動理論」だな。これによって性的願望を持っているのは子供の方で、両親というものは善良で決して誤ることのない存在であることが確定してしまったんだよ


すべての患者について・・・ですか。それで一気に衝動理論に至ってしまうというのはさすがに性急すぎるようですね

アリス・ミラーという精神分析医はこのフロイトの変節を真実から目を背けたものとして批判しているけれど、これはさっき言ったように、フロイトが自説を矛盾なく体系化するための理論、つまり自説の理論のための理論なんだと思うんだ。
そもそもフロイトは「衝動理論」を「発見した」「明らかになった」と言っているけれど、じっさいは推測・主張でしかない・・・だってさ、なにかが行われたことは、たとえば目撃者の証言などで証明することができるけど、なにかが行われなかった(性的虐待はなかった)ということは証明不可能じゃないか。フロイト先生、こんなこともわからなかったんだろうか・・・。
この時点でフロイトは自説の奴隷になってしまったんだと思うね(-。-)ノだからフロイトは嫌いなんだ


フロイトって、たしかに実証主義的な研究者というよりも直感型の思想家といったタイプですよね





フロイトはともかく、イメージやシンボルというもの、象徴的認識を、現世のあらゆる事象に対して適用するということは、ひとつには無意識の台頭につながり、これはその後のシュルレアリスム運動を導いたんじゃないかな

人間の意識に潜んでいるものを探るわけですから・・・そうかもしれませんね

またひとつには、ヨーロッパ人だけが歴史を持つ(または、歴史をつくる)わけではない、という真実の発見でもあったと思うんだ。つまり、ヨーロッパの地域主義を超えた思考方法や、さらにいえば思考方法以前の、もっと原始的な理性・非理性をも考慮に入れなければならなくなったんだよ


つまり、ユングが唱えた「集合的無意識」、つまり個人の経験的な枠を超えた、人類に共通の無意識領域のことですね

そう。そこでは民族の違いも文化の違いも意味がない。世界じゅうの神話や伝説ってさまざまだけど、似たパターンがあるだろう?
つまり、シンボルというのは実証主義も科学主義をも超越して、人類の歴史上、絶えることなく存続していたものなんだ。だから、シンボリズムによる認識は、発見ではなく「発掘」と呼ぶ方がふさわしいね


いわば歴史以前の人類への視線ですね。なんだか予期に反してロマンティックな話になってきましたよ(^^ )

(笑)あるオブジェにシンボルを見出す、そのイメージは言語にも先立つものだからね。たとえばシュルレアリストたちは自動記述によって、自分のなかの無意識に語らせようとした・・・そうして語りだす無意識は「詩的」であると言ってもいいんじゃないかな・・・

詩的ですか?(^^ )・・・Hoffmannさん、やっぱりロマンチストですね



無意識領域でそれを特徴付けているものをあえて言ってしまえば、憧れの思いノスタルジーだと思うんだ・・・

・・・

・・・

・・・(^^*)あの、私の顔になにかついてます?