#71 「親愛なる友、切り裂きジャック」


長すぎませんか〜?(・・;



ただいまぁ〜(-。-;)あつー

お疲れさまです〜(^-^*)

・・・ん?(・_・ )優美、なにを読んでたの?

ベロック・ローンズの「下宿人」ですよ(^^ )

ああ・・・ロンドン市内で下宿屋を営んでいる夫妻のところに、科学者だと名乗る男が部屋を借りたいとやってくる・・・男は昼間は研究で部屋からほとんど出てこないが、夜になると散歩と称して外出する・・・下宿屋の夫人はこの下宿人がロンドンを恐怖に陥れている連続殺人鬼ではないかと不安になる・・・

・・・ところが、この下宿人は突然部屋を引き払ってしまうのですね。結局夫人の疑惑は解明されず、事件は未解決のままなんです

この作品は昔から名作として名高いね。ヴァン・ダインやヘミングウェイも賛辞を寄せている・・・と言っても、ミステリとしては謎解きがないので純文学的な評価だね。ヒッチコックも映画化しているけど、こちらではラストでちゃんと下宿人の正体が判明するように改変されている

この小説のモデルになっている連続殺人事件は結局迷宮入りだったのですね

うん。有名な「切り裂きジャック事件」だね



「切り裂きジャック事件」って、19世紀末ロンドンで起こった有名な殺人事件ですよね

そう、時代は大英帝国史上空前の繁栄を誇ったヴィクトリア朝だ。ヴィクトリア朝というのは、1837年のヴィクトリア女王即位から1901年の薨去までの64年間をさすことばだな。

ヴィクトリア女王は身長5フィート足らずのひじょうに小柄な女性で、ほかの王位継承者が早死したり身持ちが悪かったりしたために、伯父ウィリアム四世の没後、わずか18歳で即位したんだ。

女王を補佐する重臣にも恵まれて、この時期のイギリスはインド、アフガニスタン、ビルマ、クリミアなど領土を拡大、次々と植民地を増やし、その植民地から流入する富によって産業は発展、社会の資本主義化をおしすすめた。議会政治による民主制もこの時期に確立されたものと言っていいだろう


ヴィクトリア朝という呼び名って、ヴィクトリア女王の時代という意味を超えて使われていますよね。いまのお話からすると、この時代もいいことばかりとは聞こえませんが・・・

資本主義のもとでは資本家と労働者階級との分化が促進されるよね。すると、農民が都市に流入し、職を失った職人層とともに工場労働者となる。もちろん労働法も組合もない時代のことだから、安い賃金、劣悪な環境で、奴隷なみの苛酷な労働を強いられていたんだよ。

紡績工場では若い女工が綿ぼこりのなかで連続16時間も働き続け、鉱山では5歳の子供が鉱石の採取に使われていたそうだ・・・結果、過労や事故で多くの労働者が病気になったり廃人となったりして、40歳まで生きるのが稀な時代だったんだ



当時のロンドンの人口は周辺地域も含めて約300万人、上流・中流階級は北西部(ウェスト・エンド)に居を構え、庶民・労働者層は東南部(イースト・エンド)に住んでいた

貧富の区分によって居住地がはっきりと分かれている時代ですね

イースト・エンドといえば貧民窟の代名詞だな。イースト・エンドの人口はおよそ90万人、このうち8万人がホワイト・チャペルと呼ばれる地域に住んでいた。公営の屠場(スローターハウス)と食肉市場があって、別名「屠者の街(ブッチャーズ・ロウ)」とか「血の路地(ブラッド・アーリー)」などと呼ばれていたんだ。

このあたりに住まう貧民層の生活はひどいもので、腐った臭気を放つ貸間には複数の家族が生活していることもめずらしくなかったし、地下室に夫婦と3人の子供、それに4頭の豚が同居していた例もあったという。
藁やぼろ布の上に寝ているのはまだましな方で、借間人が自分はベッドに寝て、板敷きの床を若い夫婦にまた貸ししていた例もあったそうだ


生活の糧はどのようにして得ていたのですか?

貧民層は建築現場などで働いたり、街頭の物売りなどでわずかな賃金を得ていたが、定収入があればいい方で、多くは臨時雇いや屑拾い、洗濯婦、掃除婦などでその日暮らしを余儀なくされていた。具体的には・・・魚や野菜を手押し車にのせて呼び歩きながら売る行商、あるいは屑拾いなどだな。屑拾いでは、犬の糞なんか鞣皮業者が革の艶を出すのに必要としていたので、いい値段で売れたらしい。

下水さらいがなかなかうまみがあって、当時のロンドンは下水道が完備していたから、この下水口にもぐり込んで汚水をザルですくうと、硬貨やときには宝石なんかが回収できたそうだ。ところが怪我でもすれば(不潔だから)たいへんだし、深みにはまったり、ドブネズミに襲われて白骨死体となって発見されるという危険もあったから、楽な仕事じゃない。あと、これと似たもので、テームズ河の引き潮時に浅瀬をさらう商売もあった。

ほかにキャッツ・ミート売りというのがあって・・・

ええーっ(>_<;;ななななんてこと・・・

・・・これは飼い猫用の肉と称して牛馬の屑肉を売る商売だけど、もちろん、普通の肉など買えない貧民層が自分たちが食べるために購入していたんだろうね

ああ、猫の肉じゃないんですね(;^o^)=3 フウ・・・


ヾ(^o^ )ヨカッタ〜

さらに最下層には、毎日空腹を抱えながら建物の軒先や空き地に寝泊まりしている乞食や浮浪者、それに犯罪者がいた。

貧民の主婦たちは亭主の稼ぎがあてにできないので、子供を5人も6人も産んだ中年女が真っ昼間から、労務者や水夫、兵隊などを相手の売春に走る・・・


結局世界最古の商売ですね(・_・ )

1888年の調査ではホワイトチャペル界隈の人口は80,000人、233軒の簡易宿泊所があり、ここに所持金のあるときだけベッドを借りて泊まる住所不定の男女が8,500人程度いたという。売春宿は63軒あり、売春婦は専業(プロ)が1,200人、生活費に困ると街頭に立つ女性の数は不明・・・これはほとんど数知れないといっていいだろう。もちろん、贅沢するための商売じゃない、ぎりぎり最低限の生活をするため、生きていくための手段として、だよ



ちなみに当時のこうした現状に対して、まったく無力にして怠慢を決め込んでいるキリスト教会に嫌気がさして、メソジスト派の牧師の職を辞して救貧所を開設したのがウィリアム・ブースというひとだ

ブース・・・大佐って、聞いたことのある名前ですね

この救貧所が現在の救世軍の祖となったものなんだよ。

こうした状況に対していくつかの政治運動も起こったが、いずれも弾圧にあって失敗し、それでもようやく労働者階級を中心とする大衆運動も盛り上がりを見せてきた・・・そんな時期、具体的に言うと、1887年にヴィクトリア女王即位50周年祝典が、全ヨーロッパの王室や政府、各植民地の代表の参列のもと華々しく催され、国民はこの女王の長寿を祝った・・・その翌年の1888年8月31日に、事件は始まった・・・





dialogue#41に続くっ