002 「クトゥルーの呼び声」(2005年 米) アンドリュー・レマン その他のラヴクラフト原作映画から




 ラヴクラフトの原作を映画化したものとして古くから有名なのは以下の3作でしょうか―

 「怪談呪いの霊魂」”The Haunted Palace”(1963年 米) ロジャー・コーマン監督
 「襲い狂う呪い」”Die, Monster, Die Monste of Terror”(1965年 英) ダニエル・ハラー監督
 「太陽の爪あと」”The Shuttered Room Blood Island”(1966年 英) デヴィッド・グリーン監督

 「怪談呪いの霊魂」はラヴクラフトの「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」が原作。「B級映画の帝王」ロジャー・コーマンによるAIPのポオ・シリーズのうちの一作で、クレジット上の原作はポオとされています。脚本はチャールズ・ボーモントなんですが、台詞監修としてフランシス・フォード・コッポラの名前がクレジットされています。コッポラがロジャー・コーマンにコキ使われていた時代ですね。
 あまり安造りな印象はなく、なかなか雰囲気のある場面にも事欠かないんですが、原作のstoryはかなり単純化・簡略化されています。怪優ヴィンセント・プライスが主演を務めていることがこの作品の価値を高めています。また、ロン・チェイニィ・Jrも出演しています。


 
右画像の中央がヴィンセント・プライス、左にいるのはロン・チェイニィ・Jr

 「襲い狂う呪い」は原作が「異次元の色彩」。TV放送されたときの邦題は「悪霊の住む館」でしたが、2007年に同じ邦題で別の映画が公開されているのでお間違いなきよう。
 我が国でも東宝映画などに出演していたニック・アダムスが主演ですが、アメリカ人が婚約者の故郷であるイギリスの旧家を訪れるという設定のためでしょうか、この男、なんか軽薄で単細胞、あまり賢そうにも見えない。この映画の肝はなんといってもボリス・カーロフ。主人公の婚約者の父親として登場し、(ちゃんと)怪物に変身します。怪物の出番が少ないのが難点。ま、モンスターになってから演じているのはスタンド=インだろな。


 
ボリス・カーロフの貫禄でなんとか保った?

 「太陽の爪あと」は一応「閉ざされた部屋」が原作ということになっているんですが、根本的なところで改変、ここに至って怪物は登場しないという、ホラー映画ならぬミステリ映画になっています。はじめて観たときは「だまされた!」と思いましたね。


コメントのつけようがない・・・

 「襲い狂う呪い」のダニエル・ハラーが1970年にもう一作―

 「H・P・ラヴクラフトのダンウィッチの怪」”The Dunwich Horror”(1970年 米)。

 もちろん「ダンウィッチの怪」が原作。これは比較的原作に従っているものの、ウィルバーは普通の人間。怪物退治をする教授は、あろうことか、図書館から持ち出した「ネクロノミコン」を女子学生に預けてしまったりする。クライマックスで(やっとこさ)登場する怪物は「え? これ?」という感じで、脱力モノ。アングラ劇団みたいな男女が踊る夢のシーンも安っぽい。あちらの国ではサンドラ・ディーがフトモモを見せたのが多少話題になったとかならなかったとか。
 いま私が持っているDVDは輸入もので字幕なし。かなり以前、レンタルのVHSでも観たことがあるんですが、ウェイトリーの「ヨグ=ソトホート」という呪文は、字幕が「ヨグ・サハ」となっていました。

 
「襲い狂う呪い」にはまだ雰囲気があったのに・・・

 その後、1990年代になると、比較的原作を忠実に追った作品が登場―

 「ヘルハザード 禁断の黙示録」“The Resurrected”(1991年 米) ダン・オバノン監督

 「チャールズ・ウォードの奇怪な事件」が原作です。舞台を現代に移して、物語はウォード夫人から夫の身辺調査を依頼された私立探偵の視点で描かれます。これは現代の無邪気なホラー映画という印象で、紙芝居的なSFXを割り引いたとしても、醸し出すatmosphereにおいて、AIPのロジャー・コーマンに遠く及ばず。もっとも、現代の映画でただならぬ空気感を漂わせるものなんて、ほとんど見かけませんけどね。


 
とはいうものの、比較的ましな方かな・・・

 あとはもう、ひどいシロモノばかりなり―。

 ラヴクラフトになにか恨みでもあるのかと疑いたくなるのがスチュアート・ゴードン監督。

 「ZOMBIO/死霊のしたたり」”Re-Animator”(1985年 米) 
 「フロム・ビヨンド」”From Beyond”(1986年 米)
 「キャッスル・フリーク」”Castle Freak”(1995年 米)
 「ダゴン」”Dagon”(2001年 西)

 原作とされているのは順に「死体蘇生者ハーバート・ウェスト」「彼方へ」「アウトサイダー」「インスマスの影」。
 え? どこが?(笑)

 「ZOMBIO/死霊のしたたり」はゾンビが登場するホラー・コメディ映画。シリーズ化されて、3作目まで制作された。「死霊のしたたり2」には、事業多角化の一環として山形テレビが出資して、これが経営悪化の一因となったというおまけ付き。
 「フロム・ビヨンド」は、SF仕立ての・・・おバカホラーとしか言いようがない。
 「キャッスル・フリーク」はひと言で言えばフリークス殺人鬼の映画。陰鬱な雰囲気は悪くはないが、それだけ。
 「ダゴン」は「インスマスの影」の舞台をスペインに移したもの。英語の”mouth”をスペイン語で「口」を意味する”boca”に変えて、舞台となるスペインの港町の名は「インボッカ」”inboca”。だから表題を「インボッカの影」ともできなくて、「ダゴン」としたんですね。いずれにせよ、根本的に勘違いしていませんか?

 以上4本はキャプチャ画像なし。

 次の2作はジャン=ポール・ウーレット監督作品―

 「ヘルダミアン/悪霊少女の棲む館」”The Unnamable”(1988年 米)
 「ダークビヨンド/死霊大戦」”H.P. Lovecraft's the Unnamable Returns The Unnamable 2 : The Statement of Randolph Carter”(1992年 米)

 「ヘルダミアン・・・」の原作は「名状しがたきもの」、「ダークビヨンド・・・」はその続篇。この2本は、一見すると学園ものTVドラマといった印象です。今回見返してみましたが、やっぱり学園モノです。主人公のランドルフ・カーターは「ヘルダミアン・・・」では怪物が人を殺している廃屋でなにもせず、ただ本を読んでいるだけ。「ダークビヨンド・・・」でこの世に甦る娘アライダはヌードなんですが、長い髪で胸も下半身も(都合よく)隠されています。別に隠すなとは言いませんけどね、そういうところが「学園もの」に見える原因でもあります。ちなみにstoryは「ヘルダミアン・・・」の直後から「ダークビヨンド・・・」に続いているんですが、突然髪の長さも髪型も変わっているのは、さすがランドルフ・カーターです。時空を超越しています(笑)
 ちなみに「ヘルダミアン2」「ヘルダミアン3」という邦題の映画がありますが、本作とは無関係です。


左は「ヘルダミアン・・・」、右が「ダークビヨンド・・・」

 「ネクロノミカン」”Necronomicon”(1993年 米)

 これはブライアン・ユズナ、クリストフ・ガンズ、金子修介の3人の監督によるオムニバス。原作は順に「壁のなかの鼠」「冷気」「闇に囁くもの」。冒頭と最後にプロローグとエピローグを置いた枠物語。プロローグでは、1932年、ある密教寺院を訪れた小説家H・P・ラヴクラフトが地下の書庫で魔導書「ネクロノミカン」を読みはじめる・・・そして3本の作品を挟み、エピローグで僧侶と水中に潜む怪物に襲われるが、「ネクロノミカン」を持って寺院を脱出する・・・。
 金子監督の第2話「ザ・コールド」が比較的悪くはないが、あとの2作とプロローグ、エピローグはマニアックというよりも、ひとりよがりで陳腐。「ネクロノミコン」をなんだと思っているんだ?



ラヴクラフトに似ていないこともないが・・・

 どれもラヴクラフト原作だなんて言ってもらいたくないし、ラヴクラフトの名を冠してもらいたくもない。ほかにも海外から取り寄せたDVDは数々あったんですが、どれも上記の諸作品と同等か同等以下、アイデアが思いつかなくてラヴクラフト作品のプロットを借用したか、単にラヴクラフトの名義を借りただけなんじゃないか、というものばかり。どれもこれも、映画製作にかかわった人たちから、ラヴクラフトが好きだという思いが伝わってこないんですよ。いや、私だってそんなにラヴクラフトが特別好きというわけではないんですが、その原作を映画化しようとか、ラヴクラフトの神話を書き継いでいこうというのならば、最低限の思い入れは必要なんじゃないでしょうか。

 「原作」にこだわらなければ、ルチオ・フルチの「地獄の門」”Paura nella citta dei morti viventi”(1980年)では、自殺した牧師が地獄の門を開く村にダンウィッチという名前が引用されている。引用といえば、ドリュー・ゴダードの「キャビン」”The Cabin in the Woods”(2012年)が、山小屋で禁断の呪文を唱えた男女が次々とゾンビに殺害されるが、じつはこれを監視している組織があって、彼らは「邪神」=「古き神々」を目覚めさせないための生贄だったと、背景にクトゥルー神話を借用している。

 そんなこんなで、もうすっかりラヴクラフト作品を原作とする映画というものに、なにも期待しなくなってしまった頃、ようやく出会ったのが次の映画です。

 「クトゥルーの呼び声」“The Call of Cthulhu”(2005年 米) アンドリュー・レマン Andrew Leman 監督

 H・P・ラヴクラフトの小説「クトゥルーの呼び声」を原作とする、Andrew Leman監督による映画“The Call of Cthulhu”(2005年 米)です。時間は短く47分程度。いかにも低予算ながら、原作には比較的忠実、ラヴクラフト作品のatmosphereをよく伝える逸品です。

 これがなんと、モノクロのサイレント映画。私がサイレント映画好きということもありますが、これがとりわけラヴクラフトの世界にふさわしいように思えます。つまり、小説で書いてあるものを具体的に映像にして見せなければならないわけですから、ダンウィッチの怪物にしても、チャールズ・ウォードの黒魔術にしても、「ネクロノミコン」の偽書と同じことで、小説で「怖ろしげにほのめかしたものの十分の一も恐ろしい、印象的なものはつくりだせない」のです。それなら、はじめから映像をモノクロに、音声なしに(音楽は付いています)、つまり情報量を制限してしまうというのはなかなかいいアイデアではないでしょうか。つまり、それだけ鑑賞する側の想像力の働く余地が拡大されるわけです。


 

 左はDVDのタイトルメニュー。ちょっとドイツ映画の黄金時代を思わせるデザインで、ここからもう雰囲気出してますね。右のオープニング画面は明らかにユニバーサル映画を意識しています。



 原作にはかなり忠実で、さまざまなエピソードの積み重ね、秀逸なモノクロ映像により徐々に緊迫感を高めてゆく様はなかなか見事なものです。

 

 セットはミニチュアを多用、低予算ですが、それを逆手にとったかの如く、リアリズムよりも夢幻のような非日常と見せる効果があります。

 

 船が行き着いた謎の島・・・このあたりのセットが「カリガリ博士」(1920年 独)の表現主義ふうと見えるのは、おそらく狙ってそうしたものでしょう。段ボールとベニヤ板で造ったからこうなっただけ・・・ではないと思います。



 禁断の・・・このあと稲妻が光るんですが、ここではこれ以上見せないのがマナーってもんでしょう(笑)このクトゥルー神はもちろんモデル・アニメーションで、コマ撮りしているわけですが、ウィリス・オブライエンやレイ・ハリーハウゼンを思わせるクラシックな手法がむしろ新鮮で、マコトにいい雰囲気を演出しています。ラヴクラフト自身は存外映画好きで、トーキーであるベラ・ルゴシの「魔人ドラキュラ」やボリス・カーロフの「フランケンシュタイン」を観ていた(いずれも酷評!)わけですが、ラヴクラフトの世界にはむしろサイレント映画が似合います。



 ラヴクラフト映画としては、多くのメジャー級作品を凌ぐ傑作だと思います。

  

 こちら特典映像のメイキングシーン。低予算ぶりがよくわかります。

  

  

 制作者へのインタヴューも。役者さんたちも聞いたことのないひとばかり、 スタッフの方々もところどころに出演されているんですが、とにかく「役者が揃ってる」といった印象で、どちらさまもひと癖もふた癖もあるような面構え(笑)

  

 そしてなにより、スタッフも役者さんたちもじつに楽しそうです。観ていてうらやましくなるくらい、この映画作りを楽しんでいます。やはり映画制作への、そしておそらくはラヴクラフトへの「愛」でしょう。低予算だからいいとか悪いとかではなくて、すべては最低限度以上の技術と、あとは「センス」なんです。それをスタッフやキャストの共同作業でクリアするには、作品への並々ならぬ愛着が必須なのだと思います。

(Hoffmann)



参考文献

とくにありません。



Diskussion

Klingsol:この“The Call of Cthulhu”は、少々アマチュアっぽくないかな?

Parsifal:たしかに。でも、そこがかえっていいところでもあるんじゃないかな。

Kundry:モノクロでサイレント、しかも時間は47分と、商業映画の制約がまったくないことが、こうした映画を制作できた要因でしょう。

Hoffmann:メイキングを観ていると、ホントに楽しそうなんだよね。といって、大学のサークルとか素人集団の「ノリ」ではない「なにか」がある・・・。

Kundry:それがラヴクラフトへの愛ということですね(笑)