004 ハマー・フィルムの吸血鬼とフランケンシュタインたち




 本日はハマー・フィルム・プロダクションズ ”Hammer Film Productions” の話です。

 1930年代、劇場やミュージック・ホールを経営していたウィリアム・ハインズがショウ・ビジネスの一環として、1934年11月に映画制作会社ハマー・プロダクションズ・リミテッドを設立したのがはじまり。ウィリアム・ハインズはアマチュアの芸人としても舞台に立っており、そのときの芸名がウィリアム・ハマー、ハマーの名はここから取られたものです。

 一方、1907年にスペインから移住してきたエンリケ・カレラス、いろいろなビジネスの手を出すも成功せず、アルバート・ホールを賃借りしてイタリア映画、史劇「クォ・ヴァディス」(1911年 伊)を上映したところ、sold out。そこでショウ・ビジネスに乗り出して映画館チェーンも入手。ここでウィリアム・ハインズと手を組んで、配給会社エクスクルーシヴ・フィルムズ・リミテッドを設立します。1939年にはエンリケ・カレラスの息子ジェームズとウィリアム・ハインズの息子アンソニーが入社、1943年にはジェームズの息子マイケルが入社。こうしてエクスクルーシヴ・フィルムズ・リミテッドとハマー・プロダクションズ・リミテッドはハインズ家とカレラス家のふたつのファミリーによって運営されてゆくことになります。

 ハマーの最初の長編映画は、アメリカでの興行を意識して、なんと、ベラ・ルゴシを酒宴に招いた・・・じゃなくて、主演に招いた作品”The Mystery of the Celeste”(1935年 英)でした。これは有名な無人船メアリー・セレステ号の調査をするというミステリ映画。ところが1939年に第二次世界大戦が勃発してカレラス親子とアンソニー・ハインズが出征して、ハマーはしばしの休眠状態に。

 戦後、エクスクルーシヴは自ら映画の制作をはじめ、主に犯罪スリラーを手がけることに。一方ハマーは1949年にハマー・プロダクションズ・リミテッドとして再建され、冒険映画、コメディ、メロドラマなどを低予算で制作。ジェームズ・カレラスは外交手腕に長けていたようで、アメリカの会社ロバート・リッパート・プロと契約、イギリス配給ばかりでなく、合作契約まで結んで、ハマーは経営が安定します。

 ところがリッパートが1955年に契約を打ち切るとハマーは経営危機に。ここでハマーを救ったのが、当時BBC・TVで人気のあった「クォーターマス教授シリーズ」の映画化作品「原子人間」”The Quatermass Xperiment”(1955年)。異形の怪物となっていく男の悲劇と、科学者や警察の活躍を描くSFスリラー(SFホラー、とする声もある)で、これが1955年8月26日の封切り後、記録破りのヒットとなり、ハマーは続けてSFモンスター映画を作り続けることになります。しかし第二弾の「怪獣ウラン」”X the Unknown”(1956年)は興行的に振るわず、SF流行も下火になってきたときに、イギリスの興行網ABCの取締役ジャック・グットラットから勧められたのが「フランケンシュタイン」のリメイクでした。

 
”The Quatermass Xperiment”(1955) 左のシーンはユニバーサルの「フランケンシュタイン」(1931年)を思わせる。
右は怪物と化してウェストミンスター寺院天井近くの足場にいるところ。この怪物に「天井のあなたはステキでした」というファンレターが来たとか・・・。
ちなみに高圧電流で怪物を退治しようというのはこの頃の映画では定番中の定番。


 はじめ、アメリカ人ミルトン・サボツキーの脚本で準備に入ったところ、アメリカのユニバーサルが訴えると言い出しました。メアリ・シェリーの原作は著作権切れながら、ボリス・カーロフのメイクアップは未だ権利が切れていなかったのです。そこでサボツキーの脚本は没。次にジミー・サングスターが脚本を書いて、7万ポンド弱の予算で作られたのが「フランケンシュタインの逆襲」”The Curse of Frankenstein”(1957年)です。これはイギリスにおける最初のフランケンシュタイン映画。主演者ピーター・カッシング、ハマーでは「モンスター」とは言わず「クリーチャー」”creature”と呼ぶ人造人間には、当時ほとんど無名に近かったクリストファー・リィ。メガホンを取ったのはハマーでの監督作品13本めとなるテレンス・フィッシャーでした。


”The Curse of Frankenstein”(1957) クリストファー・リィはこの映画のおかげで、交通事故に遭って顔面を損傷した、などと新聞に書かれたそうです。

 イギリスは検閲が厳しいためホラーというだけで成人指定とされる時代、批評家からは「病的」「残酷」「下品」「サディスティック」と散々な言われようでしたが、映画は全世界的に大ヒット、クリストファー・リィは一躍大スターに。さらにハマーはアメリカのユニバーサルと配給契約を結んで、翌年「吸血鬼ドラキュラ」”Dracula”(1958年)、「フランケンシュタイン」ものの2作め、「フランケンシュタインの復讐」”The Revenge of Frankenstein”(1958年)を制作します。


”Dracula”(1958) いまでは古典的な吸血鬼などと言われますが、原作を知っていれば、むしろ新しい吸血鬼像と呼ぶべきものでしょう。

 以後、ハマーはフランケンシュタインものとドラキュラものをシリーズ化して、これがハマーの二本柱となります。ほかに女性の吸血鬼をはじめとする単発の吸血鬼もの、さらには狼男、ミイラ男、ゾンビといったさまざまなモンスター、怪人を主役にした作品、サスペンス・スリラーも含めて、ホラー映画全般を手がけることとなります。

 また、ハマーというといかにもホラー映画の老舗といった印象がありますが、じつはコメディ、戦争映画、アクション映画も制作しており、とくにライダー・ハガード原作の「炎の女」”She”(1965年)、ストップモーション・アニメの第一人者、レイ・ハリーハウゼンを特殊視覚効果に起用した「恐竜100万年」”One Million Years B.C”(1966年)といったロスト・ワールドものもひとつの路線になっていました。このあたりには、有名な女優、初代ボンドガールであるウルスラ・アンドレス、ラクウェル・ウェルチといったセクシー女優が登場しています。



Raquel Welch ”One Million Years B.C”(1966) 毛皮で作ったビキニ(笑) それにしても、金髪碧眼の白人種は賢くて温厚な平和主義者、黒髪の有色人種は粗暴で好戦的、知性も劣っているという扱いで、レイシズムの臭い紛々たる映画ですナ。

 ハマーを支えた俳優は、ピーター・カッシング、クリストファー・リィのほか、マイケル・リッパー、オリヴァー・リード、女優ならバーバラ・シェリー、ベティ・ディヴィス、ジェーン・メロウ等々。監督ではテレンス・フィッシャー、フレディ・フランシス、脚本ではジミー・サングスターあたりが代表格。脚本でジョン・エルダーというのはアンソニー・ハインズの筆名、ヘンリー・ヤンガーというのはマイケル・カレラスの筆名です。同じクルーやキャストを使うという方針が、コスト削減につながっていました。1960年代半ば以降はアメリカの映画会社と提携して製作費の心配はなくなったものの、配給権を握られたことからエクスクルーシヴ・フィルムズ・リミテッドは1968年に消滅。また、マイケル・カレラスは1961年にハマーを退社して、外部の独立プロデューサーとしてハマー作品の製作を手がけていましたが、1968年には過去3年間に150万ポンドの外貨を稼いだことで、エリザベス女王から表彰され、1970年にはジェームズ・カレラスにナイト爵が与えられています。

 しかしながら、皮肉にもこの時期からハマーを取り巻く環境が厳しくなります。ホラー映画では1968年の「ローズマリーの赤ちゃん」”Rosemary's Baby”(1968年 米)、1973年の「エクソシスト」”The Exorcist”(1973年 米)などといった作品を、アメリカの大手映画会社が豊富な予算をかけて制作、大々的にPRして観客をさらい、正統派ともいえるハマー作品、また迷走気味であったハマー作品は内容的にも質が低下、興行的にも振るわない状態が続きます。


 全盛期には80人ほどのスタッフが勤務しており、すべてのスタッフがテムズ川沿いのブレイ・スタジオでひとつの作品に専念するという制作体制を一貫させ、現場はいつも和気藹々とした家庭的な雰囲気であったそうです。1968年には制作拠点がEMIのエルストリート・スタジオに移ったのですが、ハマーの凋落に至る原因のひとつに、この制作環境の変化を指摘する声もあるようです。

 
左はJane Merrow ”Hands of the Ripper”(1971) 幼く見えるかもしれませんが、この映画の撮影時は30歳。
右はBarbara Shelley”The Gorgon”(1964)
ちなみに”Hands of the Ripper”は、幼い頃、「切り裂きジャック」であった父親が、母親を殺害するのを目撃した娘の悲劇を描くサイコ・スリラー。
”The Gorgon”は、髪の毛が蛇で見た者は石になるというギリシア神話のゴルゴンが、20世紀初頭のドイツに現れるという苦しい設定。


 迷走気味というのは、吸血鬼ものでいえば米AIPとの合作でヌード満載の「バンパイア・ラヴァーズ」”The Vampire Lovers”(1970年) 。さらに、「ドラキュラ」に「007」と「フー・マンチュー」をミックスしたような映画と言われる「新ドラキュラ 悪魔の儀式」”The Satanic Rites of Dracula”(1974年)、香港のショウ・ブラザースと共同制作した「ドラゴンVS.7人の吸血鬼」”The Legende of the 7 Golden Vampire”(1974年)、この2作はアメリカ配給も見送られており、いま観てもハマーの斜陽は明らか。ちなみにこの時期、ハマーは我が国の東宝との合作”Nessie”を企画して、制作発表、記者会見まで行いましたが、制作費が集まらず頓挫しています。

 1979年にはヒッチコックの「バルカン超特急」”The Lady Vanishes”(1938年 英・米)のリメイク、「レディ・バニッシュ 暗号を歌う女」”The Lady Vanishes”(1979年)を発表するも大コケ。マイケル・カレラスは会社を売却。その後はハリウッドの会社と組んでみたり、TV番組に活路を見出そうとしてみたり、旧作のリメイクを企画したりするものの、ぱっとせず、2003年にはオーストラリアの会社と提携するとか、2007年にはドイツのプロデューサーに買収されたとかのニュースが流れていたようですが、現在では映画制作は行われていない模様です。


”The Lady Vanishes”(1979) そりゃヒッチコックと比べては不利ですが、第二次大戦勃発間際という時代設定に与って緊迫感も増しており、いま観てもそんなにダメな映画じゃないと思うんですけどね。

 そもそも「フランケンシュタインの逆襲」”The Curse of Frankenstein”(1957年)、「吸血鬼ドラキュラ」”Dracula”(1958年)が大ヒットした要因はなんだったのでしょうか。
 ひとつには、それまでモノクロだったホラー映画がカラーになったことだったのでしょう。その色彩もひじょうに特徴的で、この「ハマー・カラー」と言われる色彩が放つatmosphereはなかなか魅力的です。じっさい、ジョン・ハフ監督がアカデミー・ピクチャーズ・プロで「ヘルハウス」”The Legend of Hell House”(1973年 英・米)を制作した際にはハマーの技術者を呼んで色彩校正を依頼した、というのは結構有名な話。
 もうひとつは、カラーであることとパラレルな関係にありますが、血糊などの残酷描写。
 加えて、ピーター・カッシングやクリストファー・リィといったカリスマ性のある俳優の存在。脇役にも個性派の役者が揃って、どちらかというと主役頼りのユニバーサル怪奇映画とはかなり異なった印象があります。

 ただし、ことわっておきたいのは、残酷といっても、後のスプラッター映画などを知っている我々がいま観たらそれほどでもないということ。先ほどイギリスの検閲は厳しいと言いましたが、そのおかげでかえって惻々とした恐怖を提供することができたのではないかな、と思うと同時に、1970年代あたりから以後は、スプラッター描写などがエスカレートしてゆくハリウッドに対抗できず、時代に取り残されてしまったのだろうとも思えるわけです。なので、1980年代以降になると、British Horror映画はアメリカとの合作で活路を見出すか、いっそ芸術的な方向に舵を切っていくことになります。

  
「ハマー・カラー」の例。上段は”The Hound of the Baskervilles”(1959) 下段左”The Gorgon”(1964) 下段右”The Witches”(1966)
いかにもmovie。昨今のvideoとは違いますよね。


 さて、ハマーを支えた二大俳優についてふれておきましょう。

 ピーター・カッシング Peter Cushing は1913年サリー州ケンリーの生まれ。1935年に舞台デビュー、1939年にハリウッドに渡って映画デビューするも第二次世界大戦勃発で帰国。戦後ローレンス・オリヴィエに認められて「ハムレット」”Hamlet”(1948年 英)に出演。ちなみにこの「ハムレット」にはクリストファー・リィも、遠くに立っているだけの、顔も出ないエキストラ扱いで出演していました。ハマーではヴァン・ヘルシング教授、ヴィクター・フランケンシュタインの役で、善悪を超越した冷徹なキャラクターを演じ続けました。親友クリストファー・リィと異なるのは、ホラー映画以外の仕事は滅多に引き受けなかったこと。1994年に癌のため死去。

 クリストファー・リィ Christopher Lee は1922年、ロンドン生まれ。母親は社交界の花形として知られた伝説的美女で、名門の血筋。1947年に映画デビューしたものの、193センチという長身が災いして役に恵まれなかったところ、ハマーの「フランケンシュタインの逆襲」”The Curse of Frankenstein”(1957年)、「吸血鬼ドラキュラ」”Dracula”(1958年)で一躍大スターに。以来長いキャリアにより出演作数は250本を超えて、ギネスブックにはもっとも多くの映画に出演した俳優として記載されています。



”The Hound of the Baskervilles”(1959)から、若きPeter Cushing(シャーロック・ホームズ役)とSir Christopher Lee(ヘンリー・バスカヴィル役)です。
なお、クリストファー・リィはハマー以外でシャーロック・ホームズ役、マイクロフト・ホームズ役も演じています。


 あまり風呂敷を広げると収拾がつかなくなってしまうので、今回は「フランケンシュタイン」と「ドラキュラ」、このふたつのシリーズの一覧に、簡単なコメントを付してご紹介することにしましょう。

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 「フランケンシュタイン」もの一覧

 「フランケンシュタイン」ものは、一般に7本制作されたと言われます―

「フランケンシュタインの逆襲」”The Curse of Frankenstein”(1957年)

 記念すべき「フランケンシュタイン」ものの第一作。フランケンシュタイン伯爵にピーター・カッシング、クリーチャーにクリストファー・リィ。婚約者エリザベス役はヘイゼル・コート。フランケシュタイン「伯爵」とあって、原作のような学生ではなく、マッド・サイエンティスト扱いになっている。

「フランケンシュタインの復讐」”The Revenge of Frankenstein”(1958年)

 第二作め。前作の続きなので、当然カッシングは出ているが、リィは出ていない。右手足の不自由なカールは、治療と引き換えにフランケンシュタインを助けるが・・・。

「フランケンシュタインの怒り」”The Evil of Frankenstein”(1964年)

 カッシング出演。批評で「ハマーらしくない」と言われた監督のフレディ・フランシスは、戦前のユニバーサルの様式美に重点をおいたと語った。フランケンシュタインは行方不明になった人造人間を探し出して、催眠術師ゾルタンの協力で復活させるが、ゾルタンは人造人間を利用して殺人や盗みをさせたうえ、フランケンシュタインを殺せと命令する・・・。

「フランケンシュタイン 死美人の復讐」”Frankenstein Created Woman”(1967年)

 カッシング出演。恋人のハンスが無実の罪で斬首刑になったことから、村の酒場のひとり娘クリスチーナは河に身を投げて自殺。フランケンシュタインはふたりの遺体を引き取り、クリスチーナの肉体にハンスの魂を移植する。甦ったクリスチーナはハンスを陥れた3人の男たちに復讐する・・・精神と肉体を合体させるところが新しい。

「フランケンシュタイン 恐怖の生体実験」”Frankenstein Must Be Destroyed”(1969年)

 カッシング出演。フランケンシュタインが俗悪なキャラクターになっている。監督のテレンス・フィッシャーが自ら気に入っているとした作品。フランケンシュタインは脳移植を研究している医師カールを脅迫して研究内容を聞きだそうと、カールの脳をその上司リヒターに移植するが・・・。

”The Horror of Frankenstein”(1970年)

 日本未公開。若きフランケンシュタイン役にラルフ・ベイツを起用。10代のフランケンシュタインは古い解剖図鑑を手に入れ、父親にウィーン留学を願い出るが認められず・・・。

「フランケンシュタインと地獄の怪物(モンスター)」”Frankenstein and the Monster from Hell”(1974年)

 カッシング出演。テレンス・フィッシャーの遺作となった。だからというわけではないが、悪くない。若き医師ヘルダーは生命の神秘にとりつかれ、精神病院に収監されてしまう。ところがそこには死んだと思われていたフランケンシュタインが医師として勤務しており、ヘルダーは人造人間の研究に協力する・・・。捨て難い魅力あり。

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 「ドラキュラ(吸血鬼)」もの一覧

 「ドラキュラ」ものは一般には8本と言われますが、それだと吸血鬼ものの取りこぼしがでてしまうので、ここでは「吸血鬼もの」として13本プラス3本を挙げます。ただし邦題に「吸血」とあっても、「吸血狼男」”The Curse of the Werewolf”(1961年)や「吸血ゾンビ」”The Plague of the Zombies”(1966年)のように、じっさいに血を吸わないものは除外します―

「吸血鬼ドラキュラ」”Dracula”(1958年)

 一応ブラム・ストーカー原作ということになっている。ヴァン・ヘルシング教授にピーター・カッシング、ドラキュラ伯爵にクリストファー・リィ。ジョナサン・ハーカーはドラキュラを退治しようとするが逆に倒され、ドラキュラはハーカーの婚約者ルーシーをも毒牙にかける。次の標的はルーシーの兄の妻ミナ。ヴァン・ヘルシングとルーシーの兄はドラキュラと戦い・・・。

「吸血鬼ドラキュラの花嫁」”The Brides of Dracula”(1960年)

 表題にドラキュラとあるがドラキュラは出てこない。カッシング出演。女子学校に赴任する女性、マリアンヌ・ダニエルは、途中立ち寄った城で鎖につながれた青年マインスターを助けるが、彼の正体は吸血鬼だった・・・。

「吸血鬼の接吻」”The Kiss of the Vampire”(1963年)

 カッシングもリィも出ていない。吸血鬼ものの番外編と言われる。イギリス人の新婚夫婦がドイツ旅行中泊まった宿屋で、近くに住むラーヴナ博士から夕食に招待されるが、ラーヴナ博士とそのふたりの子供は吸血鬼だった・・・。

「凶人ドラキュラ」”Dracula:Prince of Darkness”(1966年)

 クリストファー・リィが復帰。第一作の続き。女優バーバラ・シェリーがきれい。舞台はトランシルヴァニア、旅する2組の夫婦が立ち寄った古城でドラキュラが復活する・・・。

「帰って来たドラキュラ」”Dracula Has Risen from the Grave”(1968年)

 リィは出演しているが、カッシングが出ていない。ドラキュラが、高僧とその弟の娘に復讐するという話。

「血のエクソシズム」”Scars of Dracula”(1970年)

 これもリィ出演、カッシングは出ていない。日本未公開だった。遊び人ポールがドラキュラ城に迷い込み・・・。

「ドラキュラ 血の味」”Taste the Blood of Dracula”(1970年)

 リィ出演。カッシングは出ていないが、名作と言われる。わざわざ廃教会で悪魔に魂を売る儀式を行った3人、余計なことをするから(笑)ドラキュラが蘇生して・・・。

「ドラキュラ 血のしたたり」”Twins of Evil”(1971年)

 カッシング出演、リィは出ていない。双子の姉妹が女吸血鬼となる。この姉妹を演じているマドライン・コリンソンとメアリ・コリンソンはホントの姉妹で、後に”Play Boy”誌で仲良くヌードになった。魔女狩りの時代、カルスタイン伯爵が美女を生贄にして悪魔を呼び出すと、現れたのは女吸血鬼だった・・・。

「吸血鬼サーカス団」”Vampire Circus”(1972年)

 リィもカッシングも出ていないが、かつて吸血鬼を退治した村が疫病で封鎖され、そこに吸血鬼のサーカス団が復讐にやって来るという設定。世評は低いが、個人的には捨て難い。

「ドラキュラ'72」”Dracula A.D.1972”(1972年)

 時代設定は現代。もはやネタ切れか。リィ、カッシングのコンビだが、冴えない。かつてヴァン・ヘルシングにとどめを刺されたドラキュラの従者の子孫がドラキュラ復活の儀式を行う・・・。対抗するのはヴァン・ヘルシングの孫という設定で、ヴァン・ヘルシングの「血」への執着もなかなか凄い(笑)

「キャプテン・クロノス 吸血鬼ハンター」”Captain Kronos:Vampire Hunter”(1973年)

 もはやチャンバラ映画。出征中に母と姉(妹だったかな?)を吸血鬼に殺されたキャプテン・クロノスは、吸血鬼研究家のグロスト博士とともに吸血鬼退治の旅をしている。かつての戦友マーカス医師の村では、年頃の娘が若さを吸い取られる事件が続発していた・・・。誰です、キャロライン・マンローばかり見てるのは?(笑)

「新ドラキュラ 悪魔の儀式」”The Satanic Rites of Dracula”(1974年)

 カッシグ、リィ共演作。「ドラキュラ」に「007」と「フー・マンチュー」をミックスしたような映画と言われる。設定は現代で、ドラキュラはペストをばらまいて人類滅亡を図る・・・って、案外とブラム・ストーカーの原作の背後にあるものを描いている? とはいえ、ハマーの迷走ぶりの見本のような作品。興行的にも振るわなかった模様。ハマー失敗作の代表格では?

「ドラゴンVS.7人の吸血鬼」”The Legende of the 7 Golden Vampire”(1974年)

 ハマーが香港のショウ・ブラザースと共同制作。カッシング主演。中国四川省を舞台に、ヴァン・ヘルシング一団とドラキュラ軍団の戦いを描くアクションもの。今度はカンフー映画をミックス、いやはや・・・。

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 女吸血鬼ものも3本あるので―

「鮮血の処女狩り」”Countess Dracula”(1970年)

 女吸血鬼ものの大ヒット作。イングリット・ピット主演。ハンガリーの〈血の伯爵夫人〉エリザベート・バートリの実話をもとにしているが、storyは単純。

「バンパイア・ラヴァーズ」”The Vampire Lovers”(1970年)

 一応シェリダン・レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」が原作ということになっている。米AIPとの合作。イングリット・ピット主演。カッシングも出演している。ヌードシーンが物議を醸した。吸血鬼狩りのハートグ伯爵にピーター・カッシング。

「恐怖の吸血美女」”Lust for a Vampire”(1971年)

 これも一応シェリダン・レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」が原作ということになっている。女子寮を舞台にやたらレズビアン描写があって、そのあたりは原作のtasteを活かしているかのようだが、たぶん、深い考えがあったわけではなくて、集客のためだったんじゃないかな。池だか川だかでの女性同士のキスシーンで流れた音楽(歌)は爆笑もの。じっさい、公開時には野次が飛んだとか。ヒロインのユッテ・ステンスガードは美人さんだが、演技は下手。それにしても、吸血鬼が新任の教師に恋をして・・・って(笑)



(おまけ)

 私がもっとも好きなハマー作品は、「恐怖」”Taste of Fear”(1961年)です。アメリカでの題名は”Scream of Fear!”なので、DVDなどお取り寄せの際はご注意を。セス・ホルト監督によるモノクロ映像がたいへん美しく、ヒロインのスーザン・ストラスバーグ Susan Strasberg も魅力的。サイレント時代からのスター、アン・トッドとクリストファー・リィが脇を固めています。


  
”Taste of Fear”(1961) どのシーンをキャプチャしても絵になる!

 下半身が不自由で車椅子生活をしているペニーは、母が亡くなり、父親と暮らすことになったが、父は不在でおばのジェーンに迎えられる。ところが離れで父の死体を発見、しかしジェーンも主治医のジェラールも幻覚だといって取り合ってくれない。ペニーはジェーンが父の残した財産を狙っているのではないかと、協力的な運転手ロバートに相談する・・・といった、サスペンス・スリラー映画の王道を行く作品です。



(Hoffmann)



参考文献

”The Hammer Story The Authorised History of Hammer Films” Marcus Hearn & Alan Barnes Titan Books Revised edition 2007
“Hammer Glamour Classic Images fron the Archive of Hammer Films” Marcus Hearn Titan Books 2009
“A Thing of Unspeakable Horror The History of Hammer Films” Sinclair McKay Aurum Press 2007
“Hmmer Films the Elstree Studios Years” Wayne Kinsey Tomahawk Press 2007
“A New heritage of Horror The Englesh Gothic Cinema” David Pirie I.B.Tauris 2008
“British Horror Cinema” Edited by Steve Chibnall & Julian Petley Routledge 2002
”A History of Horror The Rise and Fall of the House of Hammer” Denis Meikle Scarecrow Press 2001

「ハマーフィルム ホラー&ファンタスティック映画大全」 梶原和男編著 洋泉社



Diskussion

Kundry:Hoffmannさんは全部観られたのですか?

Hoffmann:ハマー映画は一部の古いものを除いて、DVDで出ているものは海外からも取り寄せて、ほとんど観ているよ。だけど、一作一作について語るには重みが足りないんだな。

Klingsol:個人的には格調高いのか、(文字どおり)前世紀の古色蒼然とした映画なのか、わからないなあ。いまどきの娯楽感満載の映画よりはよほど好きなんだが・・・。

Parsifal:ホラー映画が、作る側でも観る側でもサブカルチャー的な扱いだったことも考慮に入れないとね。ヴィスコンティやフェリーニではないわけだから。限られた予算でそこそこの集客を見込んで、先ほどの話にもあった厳しい検閲も制約だし、そういった制約がまた知恵を生むのがサブカルチャーならではなんじゃないかな。

Hoffmann:それと、宣伝だね。ハリウッドのPR力にはかなわないわけだけど、だからって老舗の醤油や納豆がそこらのスーパーの安売り品に劣るわけではないんだ(笑)

Kundry:クリストファー・リィも、ドラキュラもの全部に出ているわけではないんですね。

Hoffmann:「ベラ・ルゴシみたいになるのは嫌だ」と言って断っていたんだよ。でも、やっぱりリィが出ないとダメだというので、呼び戻されたんだな。

Klingsol:ピーター・カッシングはいいよね、悪役をやってもいいし、真理の探究に取り憑かれたマッド・サイエンティストを演じれば、もはや善悪を超越した存在となっている。

Parsifal:ただね、やっぱり低予算ということもあるのかなあ、時間も2時間に至らない短いものが多いし、storyは簡潔で、先ほどHoffmann君が言ったように、一作一作について語るには重みが足りないのも事実なんだ。あと、当時の批評家とは逆のことをいうけど、いま観るとじつに「上品」なんだよ(笑)そこが、長所でもあり、短所でもある。

Hoffmann:どれを観ても、後味がいいんだな。反対に後味が悪いのは、1970年代に活躍した監督でいえばピート・ウォーカー Pete Walker がその草分けにして代表格だ。これはハリウッドあたりでは到底真似のできない個性で、同じような憑依もの、サイコ・ホラーを描いても、ハリウッドのゲーム感覚の明るさに対して、心の底に恐怖を呼び起こす結末は、とにかく暗くて救いがない。このあたりの話は、また機会があれば・・・って、正直に言えば、語るのも躊躇する陰鬱さなんだよね。

Klingsol:ホラー映画を変えてしまったのは、やっぱり「エクソシスト」(1973年 米)かな。その後はハリウッドの潤沢な制作費で、お祭り騒ぎみたいになってしまって・・・。いや、映画の中味まで騒がしい(笑)

Hoffmann:「エクソシスト」と同年に、リチャード・マシスン原作の「ヘルハウス」(1973年 英・米)があるよね。イギリスがかかわるとやっぱりああなるんだな。恐怖はショックを与えるのではなくて、惻々と・・・ちょっと、地味といえば地味になる。

Kundry:ところで、今回はめずらしく女優さんに言及されていますが、Hoffmannさんのお好みは? ラクウェル・ウェルチよりはスーザン・ストラスバーグですよね、それともユッテ・ステンスガード? まさか、キャロライン・マンローではないですよね?(笑)

 
Yutte Stensgaard ”Lust for a Vampire”(1971) 右はCaroline Munro ”Captain Kronos:Vampire Hunter”(1973)

Hoffmann:ストラスバーグもいいけど、個人的にはバーバラ・シェリーだな(笑)


Barbara Shelley 参考文献に挙げた“Hammer Glamour Classic Images fron the Archive of Hammer Films”から