008 「たたり」”The Haunting” (1963年 米) ロバート・ワイズ




 ジョン・ハフが「ヘルハウス」”The Legend of Hell House”(1973年 英・米)を撮るにあたって参考にしたという「たたり」”The Haunting”(1963年 米)です。

 監督は「ウェスト・サイド物語」のロバート・ワイズ、原作はシャーリイ・ジャクスン。以前はハヤカワ文庫から小倉多加志の翻訳で「山荘綺談」という表題出ていましたが、いまは創元推理文庫から渡辺庸子の翻訳で「丘の屋敷」という表題で出ています。

 いま観直してみても、格調高い雰囲気の、よくできた映画です。




 あらすじは―

 ニューイングランドの人里離れた寂しい地区に、「丘の家」と呼ばれる家がある。いまわしい噂があり、持ち主の寡婦サナーソン夫人も、館に住む気持ちになれない呪われた不吉な家を借りたいという申し出に夫人は驚く。借り手は人類学教授ジョン・マークウェイ博士で、この幽霊屋敷を調査しようと、10歳の時、不思議な経験を持ったというエレナーと、超感覚的な優れた感受力に恵まれた、セオドーラの女性2人を助手として選ぶ。もうひとり、同行するのは家の相続人ルーク。

 この屋敷での過去の出来事とは―屋敷やその敷地内で次々と死人が出たこと。犠牲者は、屋敷を建てたヒュー・クレーンの妻、その後妻、最初の妻との間にできた娘アビゲール、寝たきりになったアビゲールの看護を任された村娘。クレーンも旅行中に水死した―というもの。

 一同がこの建物で顔を合わせた最初の夜、超常現象が起こる。だがエレナーはその恐怖のなかにも拒むことのできない魅惑を感じる。博士の夫人グレースが突然やって来て、育児室にひとりで寝たが、夜半胸騒ぎがしたエレナーが駆けつけると、夫人の姿がない。博士をはじめエレナー、セオドーラ、ルークたちは館から庭へと夫人を探し回るが、行方が分からない。そうするうちに、この家の霊によるものか、エレナーの行動が異常をきたしてくる。危険を感じた博士はエレナーのためにも、屋敷から出ていくように勧めるが、エレナーは孤独な家に帰りたくない。博士に無理矢理出された彼女は車を運転して庭を猛スピードで走る。その前方に彼女は一瞬、夫人の姿を見て、急ブレーキをかけるも車は木に激突して横転、エレナーは死ぬ。エレナーは屋敷の邪悪なものに誘われたのか、それともエレナーの屋敷に残りたいという希望がかなったのか・・・。




 いまどきのホラー映画とくらべれば正調怪談であり、しかし学者と心霊現象、科学とオカルトという図式は「ヘルハウス」のような心霊科学映画の先駆けであるとも言えます。あるいは異常(病的)心理を扱ったゴシック・ロマンスと呼んでもいいかもしれません。

 制作・監督は「ウエスト・サイド物語」のロバート・ワイズ。以前話に出た古典SF映画「地球の静止する日」”The Day the Earth Stood Still”(1951年 米)の監督ですが、こちらは原作がしっかりしているおかげか、まるで比べものにならないくらいの出来栄えです。その原作がシャーリイ・ジャクスンのベスト・セラー小説”The Haunting of Hill House”。マシスンの”Hell House”という表題はこの”Hill House”からとったのかも。

 撮影はデイヴィス・ボールトン・・・と名前を出したのは、モノクロ映像がたいへん美しいから。音楽はフランツ・リスト研究者として有名なハンフリー・サール。主演はブロードウェイの舞台女優、ジュリー・ハリスです。

 恐怖の実体を見せないところがこの映画の最大の特徴です。




 カメラは厳かな屋敷の外観をしつこいくらいに描写します。内装はたいへん豪華で、おまけに不気味な(というか、感じの悪い)管理人夫婦は登場するし、ゴシック・ロマンス的な要素をちりばめてきますね。幽霊など信じていない博士は、館のドアの重心や部屋の角がずれているため、勝手にドアが開いたり閉まったりするのだと言っています。妙にたくさんの鏡が置かれているのも、妖気漂うムード造りに一役買っていますね。この幽霊屋敷こそが主人公でしょう。

 

 記録係に選ばれたエレナーは10歳の時にポルターガイストを経験したことがある独身女性。彼女は11年間寝たきりの母親を介護し続けていたのですが、2ヶ月前にその母親が亡くなり、以来、精神的に不安定になっています。(彼女から見て)性悪な姉夫婦と同居していることが、ストレスになっている模様です。なので、マークウェイからの依頼に喜んで駆けつけ、屋敷に着いた瞬間から、「自分のことを見ている」「自分のことを待ち受けている」と直感して怯えつつも魅惑されています。



 もうひとりの記録係セオドラは、異常に勘の鋭い美女。博士に惹かれているエレナーの心情を見抜いてのからかうような干渉はどことなくレズビアン的です。常に冷静で、怪奇現象が起こる際には敏感に冷気を感じ取る体質。相続人のルークは冗談好きで、酒好き、心霊現象なんぞにはてんで関心がない好青年です。好青年というものは単純なのです(笑)

 エレナーとセオドラが最初の晩から見舞われる怪奇現象は音―。謎の物音は徐々に大きくなり、やがてドアや壁を激しく叩く音となり、凄まじい響きに2人は怯えて身を寄せ合います。




 その後、壁に「助けて、エレナー、家へ帰って」と書かれていたり、ベランダから落ちそうになったり・・・といったことが続き、エレナーは屋敷が自分のことを狙っていると確信します。しかし姉夫婦の家には絶対に帰りたくない。ヒステリックになっていくエレナー。彼女の様子を見ていて、マークウェイ博士やセオドラは家に帰った方がいいと忠告するのですが・・・。

 博士の妻が訪ねてきた晩に、再びドアや壁が叩かれる現象が―このときはマークウェイとルークもその場に居合わせます。ドアノブが動き、次にドアが破られそうなほどふくらみます。ちなみにここでルークが落とした酒瓶がそのまま床に立つところは、ユーモア半分、緊張感を高める効果も半分。

 かつてこの屋敷で死んだアビゲールは、壁を叩いて看護係の村娘を呼んだのに、その村娘は男と逢引していて、病人のことを無視していたのですね。そしてエレナーにも、介護疲れのため、母親が助けを呼んでいるのに無視してしまった過去があるのです。ドアや壁が叩かれる音は、アビゲールの霊か、エレナーの母親のものか・・・「助けて、エレナー、家へ帰って」というメッセージは、エレナーには亡き母親からのメッセージと思えるわけです。




 エレナーは、この屋敷を建てたヒュー・クレーンが災いの主だと思い込んでいるのですが、幽霊屋敷の関係者で亡くなった人物たちを思い返してみると、クレーンは水死、その妻は馬車が大木に激突したことによる事故死、後妻は階段からの転落死、看護人は図書室での縊死という具合で、老いて寿命を迎えたのはアビゲールだけなんですね。とすると、屋敷内の邪気の正体はアビゲールではないのか、と思えます。その証拠に、アビゲールのSOSを無視した看護人と同じように、エレナーは図書室の螺旋階段をのぼっていきます。

 

 幽霊屋敷ものの主役は屋敷そのもの、としたいところで、じっさいにそのとおりに観て差し支えないと思いますが、エレナーの個人的事情はかなり特異なものですね。おかげで映画のなかではエレナーがひどく自意識過剰で病的に見えるために共感しにくいのですが、彼女はその精神的な弱さ、不安定さを突かれたのです。しかも彼女はポルターガイスト現象を引き起こす体質ですから、屋敷にとっては恰好の餌食だったのでしょう。一方で、エレナーが屋敷に怯え、屋敷が自分を欲していると感じながらなそこから離れたくないと願うのは、彼女に帰る場所がないからというだけでなく、もう、屋敷に魅入られてしまっているからなのです。

 逃げようとして、抵抗して、逃れられない、というお定まりのパターンではなくて、またことさらに主人公が憑依されるといった描写をするわけでもなく、居場所のないminorityが幽霊屋敷に魅入られて、吸い寄せられていくように破滅する(死ぬ)というstoryが、この映画のいちばんの特長ではないかと思います。


このコントラスト、いまデジタルカメラで撮るなら後でどうにでも調整できますが、フィルムカメラならオレンジかグリーンのフィルタ必須ですね。

(Hoffmann)



引用文献・参考文献

「山荘綺談」 シャーリイ・ジャクスン 小倉多加志訳 ハヤカワ文庫
「丘の屋敷」 シャーリィ・ジャクスン 渡辺庸子訳 創元推理文庫

 ※ 私は両方読みましたが、いずれかを読んだ人があえてもう一方を読むまでの必要はないと感じています。