009 「アッシャー家の末裔」”La Chute de la maison Usher” (1928年 仏) ジャン・エプスタン




 Poeの「アッシャー家の崩壊」に基づく映画を調べて、すぐに見つかるのは以下の作品―

「アッシャー家の末裔」”La Chute de la maison Usher” (1928年 仏) 監督:ジャン・エプスタン
「アッシャー家の崩壊」”The Fall of the House of Usher” (1928年 米) 監督:ジェームズ・シブレイ・ワトソン
「アッシャー家の崩壊」”The Fall of the House of Usher” (1948年 英) 監督:アイヴァン・バーネット
「アッシャー家の惨劇」”House of Usher” (1960年 米) 監督:ロジャー・コーマン
「アッシャー家の崩壊」”Zanik domu Usheru” (1980年 捷) ヤン・シュヴァンクマイエルのアニメーション
「アッシャー家の大虐殺」”El hundimiento de la casa Usher” (1983年 西・仏) 監督:ジェス(ヘスス)・フランコ
「アッシャー家の崩壊」”The House of Usher” (1988年、アメリカ合衆国) 監督:アラン・バーキンショー
”The House of Usher” (2006年 米) 監督:ヘイリー・クローク
”House of Usher” (2008年 米) 監督:デヴィッド・デコトー

 このなかで、私が観たのはジャン・エプスタンとアイヴァン・バーネットにロジャー・コーマン。そのほかは未見です・・・というか、監督の名前を見ただけで観たくないなと思う作品もありますね(笑)

 今回取り上げるのは記念すべき第1回映画化作品、サイレント時代の名作、ジャン・エプスタンの「アッシャー家の末裔」です。




 あらすじは―

 友人ロデリックから手紙をもらったアレンは鞄を手に水たまりの道を歩いて宿屋に辿り着く。アッシャー家まで馬車を出し欲しいと頼むが、だれも応じないため、金の入った袋をちらつかせてようやく承知させる。ロデリックは妻マドレーヌをモデルの肖像画を描いているが、肖像画は生き生きしているのに、実物のマドレーヌはやつれ果てて顔色も青い。アッシャー家の家系はみな病弱で憂鬱気質の持ち主ばかり。ロデリックはアレンを歓迎して、マドレーヌの主治医を紹介するが、この医者も愛想が悪い。マドレーヌはいよいよ弱り、ついに倒れる。召使いが棺を持ってくるが、ロデリックは妻の死を受け入れられず、納棺を拒み、棺に釘を打ち込むのを拒否する。ロデリック、医者、召使い、アレンの4人で棺を運び、森を歩き、湖をボートで運び、さらに林の中を歩いて墓所に着く。召使いが棺に釘を打つ。

 葬儀の後―アッシャー家ではカーテンが揺れ、時計の振り子が振れ、沈黙が支配する。墓所では棺が台から落ちる。アッシャー家ではギターの弦が切れ、武具像が倒れる。ロデリックが耳をすませて「生きたまま彼女を埋葬したんだ」、「君にも聞こえるだろう」と言い出す。外は風が強く、雷が落ちる。白いヴェールをまとったマドレーヌが歩いてくる。館に火の手が上がり、マドレーヌを抱いたロデリックとアレンは館から逃げ出す。



 ―と、「アッシャー家の崩壊」に「楕円形の肖像」「リジイア」などをプラスしたstory。すべてが象徴的で、恐怖譚というより幻想譚。登場人物の心理描写などが乏しいのは時代を考えればやむを得ないところ。ルイス・ブニュエルが助監督を務めていたが、制作中にエプスタンと喧嘩別れしており、クレジットされていない。完成した作品のどこに、どこまで関わったのかは不明。


 

 長い蝋燭が林立しているimage、蛙や蝙蝠の映像がフラッシュバックで映し出されるところなど見られますが、この時代にしては合成、二重露光などのトリック撮影は控えめ。言うまでもなく、サイレント時代の初期はトリック撮影ばっかりですからね。

 

 とはいえ、現代のドラマのような、storyを追った説明調の映像を期待してはいけません。これにくらべればF・W・ムルナウやフリッツ・ラングなんてstoryがわかりやすいように構成されているもので、対してこちらはほとんどイメージ画像の割合が圧倒的に多いんですね。映像詩とも言うべき作品です。

 

 蝋燭にしても、そのほか、大写しになる手や柱時計、風に舞う枯葉など、深読みすればいろいいろと象徴らしきものはあるのですが、この映画にそのような「解釈」を適用するのはあまり似合わないかと思います。最後のアッシャー家の屋敷が崩壊するところなど、星なのか燐光なのか・・・いやあ、電飾にしか見えないんですよ(笑)そんな拙いところも味のひとつと観ていられる余裕がないと、ちょっと辛いかもしれません。

 個人的なことを申しますと、私は中学生の頃、この映画のスチール写真を目にして、観たくて観たくてたまらなかったんですよ。もちろん、原作は読んでいましたからね。どんな映画だろう・・・と数十年、期待を膨らませていたわけです。そしてはじめて観たときは、マデライン嬢がマドレーヌという名前でロデリックの妻となり、最後は夫婦で館から避難したって、「なんだこりゃ」なんて(思っただけで)口には出さない程度には達観していましたよ(笑)

 ドビュッシーがオペラ化しようとして書いた台本と同様、この映画に関しても、フランスにおける(ボードレールから以降当時までの)Poe受容の実態を考え合わせてみないことには、正当な評価を下すことはなかなか難しいと思われます。

(Hoffmann)




※ 私が所有しているのは英ALLDAY entertainment盤で66分版です。国内盤は47分版なのでご注意ください。