014 「回転」 ”The Innocents” (1961年 英) ジャック・クレイトン




 「回転」“The Innocents”(1961年 英)です。ご存知ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」が原作。監督はジャック・クレイトン、脚本はウィリアム・アーチボルドとトルーマン・カポーティ、音楽にジョルジュ・オーリック。出演は家庭教師役にデボラ・カー、子役がマイルスにマーティン・スティーヴンス、フローラにパメラ・フランクリン。

 

 19世紀半ば、家庭教師として雇われたミス・ギデンスは田舎の屋敷に住み込んで、兄妹の世話をすることになります。ところが、屋敷で生活して行くうち、ギデンスは屋上にいるはずのない男の姿を見たり、遠くからこちらを眺める黒衣の若い女性の姿を見たりするようになります。ギデンスは屋敷のことを調べると、自分の前任者のミス・ジェスルが悲惨な最期を遂げたことを知ります。前任の家庭教師とその愛人だった男の幽霊は、ふたりの兄妹に取り憑いているらしく、ギデンスは子供たちを救おうとするのですが・・・。

 

 広大な屋敷はゴシック・ロマンス(ゴシック・ロマンなんて言っちゃダメですよ)の道具立て。主人公は女性で、もともとの住人ではなく、外部からやって来る・・・こうした設定もゴシック・ロマンスの常道をなぞっています。幽霊屋敷ものの「たたり」もそうでしたよね。ついでに言っておくと、身分(階級)も低いので、ほかの登場人物からは見下されます―上の画像でも、家庭教師がそうした立場にあることがあらわされていますよね。

 はじめに申し上げておきたいのは、映画としてたいへん上質であること。モノクロ映像も美しく、光や影の扱い、その陰影感は卓越したもの。さらに、そこに映し出されたものは必要十分に意味深く見えて、撮影技法に関しては、まったく申し分のない出来です。ただし・・・


 

 「ねじの回転」といえば近代以降の怪奇小説を語るときには、必ずその名が出てくる名作の映画化です。細部に関しては、若干の変更はあるものの原作にはほぼ忠実、DVDのケース裏にも「原作の精神に忠実」と書いてあります。でもね、映像で観てしまうと、肝心のところが、やはり・・・幽霊のことなんですけどね、見えすぎちゃうというか・・・もちろん映してしまえば見えるに決まっているんですが、つまり、「曖昧」ではなくなってしまうんです。いや、顔の表情なんかはわからない程度に、上手い具合に映してはいるんですが、これを家庭教師の妄想であると解釈する根拠は感じにくいんですね。



 さらに、亀だとか壊れた石像だとかが、オブジェとしてよりも、かなりあからさまな「象徴」「暗示」となっているのがどうも気になります。そこに、はっきりと幽霊を出されてしまうと、もう見方がひとつしかなくなってしまうんですね。その点つらつら考えるに、これがはたして「原作の精神に忠実」と言い切れるのかどうか・・・と。これならやっぱり原作で読んだ方がいいかもしれんな、と思えてきます。あえて言えば、心理劇がありふれたghost storyになっってしまっている・・・と言っては厳しすぎるでしょうか。

 

 デボラ・カーは、原作の20歳という設定には無理があるものの、この家庭教師が精神的に追いつめられてゆく、その微妙な揺れ動きを見事に演じています。二人の子役も無邪気とも邪悪ともとれるような曖昧さが感じ取れるあたり、さすがの演技です。ちなみにフローラ役はパメラ・フランクリン。後に「ヘルハウス」で霊媒の女の子を演じた女優さんです。幼いころから幽霊に縁があったんですね(笑)



 カメラワークもまったく上手いものです。フランス六人組のひとり、ジョルジュ・オーリックの音楽もいいんですが、場面場面での使い分けはやや陳腐かな・・・そのあたりは時代を考えれば多少古さを感じさせるのもしかたがありません。

 

 ちなみに「ねじの回転」は、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンがオペラにしています。以前、作曲者指揮による全曲録音の英DECCAオリジナル盤LPを持っていたんですが、どうしても欲しいというひとがいて、めったに聴かない私が持っているよりレコードのためにはいいだろうと思って譲ってしまいました。惜しいことしたかなー(笑)

 ところで、私の持っているDVDケースの裏側に、黒沢清という映画監督がコメントを寄せていて、「今日のジャパニーズ・ホラーはすべからくこの作品を手本にした」とあるんですが、ちょっとおかしな日本語ですね(笑)


(Hoffmann)