021 「砂の女」 (1964年) 勅使河原宏




 勅使河原宏監督の映画「砂の女」(1964年)です。原作は安部公房。音楽は武満徹です。海外でも多数の賞を獲得している名画です。能登の御陣所太鼓といった民俗的な要素とか、いかにも日本的な農村共同体といったものを扱っているのが、かえって海外では評価されやすかったのでしょう。

 原作を「本を読む」のページで取り上げてもいいくらいなんですが、映画の方も素晴らしい出来で、原作にもほぼ忠実なので、まとめて語ってしまいます。



 学校の教師である主人公は、ある夏の休暇に、趣味の昆虫採集に、砂丘の村を訪れる。一見親切そうな村人によって、奇妙な家に宿泊するが、そこは蟻地獄の底のような家。縄梯子をはずされた砂底で、脱出不可能な囚われの身となってしまう。

 幾たびもの脱出の試みも失敗。やがて主人公は砂底から毛細管現象により水を汲み上げる方法を発見、折しも女は妊娠して村人たちによって病院へ運ばれ、放置された主人公の前には縄梯子がかけられたまま・・・。

 
主人公は岡田英次、この家に住む女が岸田今日子。

小説では、冒頭に8月のある日男が一人行方不明になった、とあり、最後に失踪届認定の公文書が置かれています。ここにおいてのみ、男は「仁木順平」とその名前が明らかにされていますが、この枠内の現在進行形の小説中では一度も名前が表記されることはありません。もちろん、「壁」のように個(人)の匿名性とかidentityの喪失がテーマであるというよりも、単に主人公の無名性と思えばいいでしょう。

 
岸田今日子の演技には鬼気迫るものがあります。

 「砂の女」という表題のもとにこの小説を読み始めた人は、「砂」という、味も素っ気もない無機物のimageが現代社会を象徴しているような印象を持つのではないでしょうか。はっきりと意識しないまでも、「砂を噛むような」肌触りを感じ取らずにはいられないはず。

 この小説で描かれている砂は、常に「流動」しており、日々掻き出していないと家屋を埋没させてしまう(そればかりか、女に言わせれば柱や屋根が腐食してしまう、という)もの。一方、昆虫採集にやって来た主人公は、砂地に棲むハンミョウの新種を捕らえて、ピンで刺して「固定」しようとしていたわけです。常に流動するということは生成と破壊の繰り返し、ピンで固定するということは定着させること、すなわち半永久的な保存です。

 つまり、もともと流動と定着というambivalentなものへの憧れがあったんですね。砂に囲まれた家に幽閉されて、日々砂を掻き出さなければならない生活というのは、流動のなかへ身をまかせることなので、主人公はこれから逃れようとするわけですが、ある日、〈希望〉と名付けた、鴉を捕らえるための罠を仕掛けたところ、これが溜水装置として機能することを発見、ここで砂は主人公を幽閉するものから、水をくみ上げるポンプという、主人公の「大事な武器」に変わるのですね。

 さて、女が子宮外妊娠で急遽病院へと運ばれ、放置された縄梯子の前に佇む主人公ですが・・・


「溜水装置のことを誰かに話したいという欲望ではちきれそうになっていた」

 主人公は逃げ出しません。これは、砂に囲まれた家(村落)での生活に適応してしまったというよりも、砂に対する認識が変わったことによって、もはや保存とか定着といったものへの憧れを失ってしまったからなのです。じっさい、小説の最後では、妻の申し立てにより、国家から失踪宣告されています。つまり、死者として葬られている。砂に囲まれた家にいるのは、もうだれでもない「男」なのです。

 
 
おそろしく魅力的です。あまり映画出演には恵まれませんでしたが、たいへんな女優さんだったと思います。

 私が持っているのは以下のDVDです―

 「勅使河原宏の世界」DVD6枚組 Asmik AEBD-10102
 ”Pitfall、Woman in the Dunes、The Face of Another” The Criterion Collection 392

 Asmikのセットには「燃えつきた地図」「サマー・ソルジャー」ほか短篇集のdiscが含まれています・・・が、もはや入手困難、中古品も結構なお値段になっているようです。

 なお、安部公房原作の勅使河原宏監督作品、次回以降、「他人の顔」「燃えつきた地図」を取り上げます。


(Parsifal)






参考文献

 とくにありません。