033 「地獄」 (1960年) 中川信夫




 

 さてものっけからショッキングな画像で失礼いたします。1960年新東宝の「地獄」。製作は(あの)大蔵貢、監督中川信夫、出演は天知茂、三ツ矢歌子、沼田曜一、嵐寛寿郎ほか。観たのは米Criterion盤。

 今回のお話は私、Hoffmannが担当いたしまして、その後、Klingsol君から関連するテーマについて語ってもらおうという趣向です。

 それでは、あらすじを―

 宗教を専攻する大学生、清水四郎は成績優秀で周囲の評判も良く、恩師である矢島教授の愛娘、幸子と婚約して幸せの真っただ中にあった。そんな彼にしつこく付きまとうのが、四郎とは正反対に邪悪な同学年の友人、田村。ある日、四郎は田村の運転する車に乗っていたところ、酒に酔ったヤクザの男を轢き殺してしまう。

 

 罪の意識に苛まれる四郎。無理に乗せたタクシーが交通事故を起こして、四郎の子供を腹に宿した幸子も死亡。悲しみに暮れる幸子の母親は気がふれてしまう。その一方で、轢き逃げされたヤクザの母親、やすと情婦、洋子は、復讐を誓って四郎の命を狙っていた。

 心に深い傷を負った四郎は母親の危篤を知らされ実家へ戻る。四郎の父親、剛造は養老院「天上園」を経営しているが、じつは助成金をピンハネして贅沢三昧の生活を送るような悪徳業者。病の床に臥せた妻、イトの目の前で妾、絹子とまぐわるような冷血漢。入居している老人たちにはろくな食事や医療も与えず、狭い部屋に大勢が押し込められている。専属医師や出入り業者たちも全員がグル。

 四郎が到着して間もなく母親は医師の誤診で死亡。悲しみに暮れる四郎を支えてくれたのは、居候の画家、円斎の一人娘、サチ子。亡き幸子と瓜二つのサチ子に惹かれていく四郎。しかし、そこへ彼を殺すため居所を突き止めた洋子が現れ、吊り橋の上で揉み合っているうちに洋子は転落死。さらに、そこへやって来た田村も吊り橋から落ちてしまう。


逆さまに貼ったのではありません。

 やがて、「天上園」の創立10周年記念パーティが盛大に開かれる。ところが剛造は川で死んでいた魚を格安で大量に仕入れ、それを食べた老人たちは宴会の席でバタバタと死んでしまう。一方、自分たちだけで高級料理に舌鼓を打っていた剛造たちだが、こちらもヤクザの母親、やすが差し入れた毒入りの酒を飲んで全員が悶絶死。「天上園」を訪ねてきた矢島教授夫妻は自殺してしまう。さらに、サチ子も田村(の亡霊?)に殺され、四郎はやすに首を絞められて、全員が息絶える。こうして、関係者の全員が死亡。罪深い彼らは地獄へ落され、閻魔大王(嵐寛寿郎)の裁きを受け、さまざまな責め苦を受けることとなる・・・。

 

 良くも悪くも名うての興行師である大蔵貢のもと、なりふり構わず「エログロ路線」を突っ走ってきた新東宝が、倒産のおよそ1年前に制作・公開した、日本映画史上屈指の「怪作」・・・というのが、この映画に対する大方の評価ではないでしょうか。

 たしかに、監督の中川信夫は、その独特な映像美学と演出で、新東宝ではこれまでに「亡霊怪猫屋敷」(1958)、「憲兵と幽霊」(1958)、「東海道四谷怪談」(1959)といった怪談映画でメガホンをとってヒットさせてきた、恐怖映画の第一人者。しかもここで描いているのは仏教の経典に出てくる八大地獄。そこに至るまでは、地獄へ堕ちていく人間たちのおぞましいほどの悪意と欲望を徹底的に暴き出し、そんな彼らが地獄へ墜ちてからはさまざまな責め苦を受けるさまを、悪趣味な見世物小屋のごとく並べ立てた一大残酷パノラマ絵巻。

 

 たしかに、見世物小屋のような残酷絵巻、それを際立たせる演出、「怪作」と呼ぶのが間違いだとは言いません。正統派の名画とは申せますまいが、しかし考えてもみて下さい、正統派をめざして制作されている映画のなかでも名作と冠して恥じぬものはほんのひと握り、残るはほとんど駄作、石ころ、ごみ屑とまでいかずとも凡作がほとんど。一方こうした傍流には、世間に一流と認知されたもの以上の傑作・怪作が紛れ込んでいるのです。つまり、二流は一流よりも上位にあり、まさしく掃いて捨てるほど数多の自称・通称一流は、ありゃじつのところ三流、四流なんですな(笑)

 中川信夫はテッテ的に(つげ義春風)病的なグロ映画ばかり製作している(いた)ように、当時もいまも言われ続けているようですが、じつはそれほどでもない。とりわけ「東海道四谷怪談」とこの「地獄」が名作過ぎるんです。じっさい、この「地獄」にしたところで、当時のエログロ路線の映画であることは否定できませんが、そも映画監督なんていまどきのビジネスマンならいざ知らず、芸術・芸能の本質を極めようとすれば、いかなる資質が必要不可欠であるか―そこに病的なまでのfetishismが備わっていなかったら、もし常人並みの神経の持ち主であったら、観(魅)せるに足るすぐれた映画なんて制作できるもんじゃないでしょうが。



 物語の前半は、罪深き人間どもが繰り広げる世にも醜悪なドラマ。主人公の清水四郎につきまとい、彼を悪の道へと誘い込もうとする田村はまるでメフィストフェレスのよう。田村の運転する車で酔っ払ったヤクザを轢き殺してしまった四郎。罪の意識に苛まれ、おまけに四郎の子供を身ごもった幸子が交通事故で呆気なく死亡。実家へ戻れば母親は病死、妾を囲って悪行三昧の父親、誤診だらけのやぶ医者に出入り業者もみんなグル。四郎への復讐に燃える死んだヤクザの母親と情婦、佐知子の父親である矢島教授も過去に罪を犯した身。悪意が悪意を呼ぶ負の連鎖が繰り広げられ、最終的に登場人物が一人残らず悲惨な死を迎えてしまう・・・ここまでで約60分。



 本番はここから―地獄へ落ちた罪深き亡者どもが、血の池や地獄釜、針の山などで凄まじい罰を受けることになる。身体中の皮を引きはがされて骨や内臓が剥き出しになったり、巨大なノコギリで胴体を切り裂かれたりと、まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図。低予算故の手作り感溢れる美術セットや特殊メイクもまた負の連鎖のごとく、悪趣味極まりない。あ、ここでの「負の連鎖」というのは、ケナしているのではありませんよ。悪夢とはこうしたもの、と言わんばかりの胡散臭さ。

 1950年代から'60年代、我が国の映画界は夏場となればこぞって怪談ものを製作していたわけですが、やはり当時のこと、怪談・怪奇映画に出演する俳優・女優となると、そこはかとなく二流の扱いであった模様。とはいえ、三ツ矢歌子は当時から大スターとして注目されていたとか・・・。ここでは幸子とサチ子の二役を演じています。



 もっともここで私が注目するは、主人公四郎役の天知茂ですね。男性てのは多少歳をとってからのほうが魅力が増すもんで、この未来の「明智小五郎」(笑)もその点では同様なれど、この29歳当時からたしかな演技力を発揮しております。脇の沼田曜一も単に悪役と呼んで片付けられない存在感を示し、そのほか、ヤクザの母親を演じる津路清子、四郎の父親役の林寛なども、いかにもなアクの強い演技でこの映画を支えています。いわんや嵐寛寿郎においておや。



 強烈な印象を残す、田村役の沼田曜一。毒々しさ全開の怪演はいかにも「やり過ぎ」ながら、この演技があったからこそ、この作品の強烈な世界観が実現されたと言っていいでしょう。

 

 しかし、不思議な役柄です。メフィストフェレスを思わせる、ということはこの作品中ではやや異質な西洋的なキャラクターです。人々を堕落に導く存在かと思いきや、登場する連中のすべての罪を知っていて、「告発」するシーンもあります。地獄巡りのガイドとも違う。やはり、すべての人間の暗黒面が表象化したもの、と見るのが妥当でしょうか。もしも私が俳優だったとしたら、もっとも演じてみたい役柄ですね。


(Hoffmann)


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 それでは、ここからは私、Klingsolが少々気ままなおしゃべりをいたします。テーマは「地獄巡り」と「賽の河原」です。

 地獄巡りについて

 この映画では、すべての登場人物が地獄に墜ちた後、八大地獄を見せるためでしょう、主人公四郎が地獄巡りをすることになります。ダンテの「神曲」を思い出しますね。田村がメフィストフェレスを思わせるのと同様、こんなところにも、ちょっと西洋的な要素が垣間見られます。

 八大地獄というのは、等活・黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・阿鼻の八つ。この映画はそれを見せるために、主人公清水四郎に地獄巡りをさせている。この地獄巡りを「死後世界探訪譚」と言い換えれば、これは立派な文学ジャンルの一つ。概ね魂が肉体から離脱して、天使や聖人などのガイドに導かれながら死後世界を巡り、数時間か数日の後に再び仮死状態にあった肉体に戻って覚醒し、自分の幻視体験を語るというもの。その最古の例は旧約聖書偽典の「エノク書」(紀元前170-130年頃)や「聖ペトロの黙示録」(2世紀以前)に遡ります。中世の代表は「パウロの黙示録」、これは3-4世紀にギリシア語で成立して、その後6世紀にかけて複数のラテン語版が作成されています。ここに描かれた地獄の責め苦が中世の地獄描写の基準。

 このジャンルが最盛期を迎えたのは12世紀から13世紀初頭にかけてのこと。死後世界の構造を詳述したラテン語の探訪譚がいくつも書かれ、中世後期には各国語に翻訳されています。レーゲンスブルクで著された「トゥヌクダルスの幻視」とか、イングランドで書かれた「聖パトリキウスの煉獄譚」が有名なもの。中世の一般信徒の想像力の中に展開された死後世界は、だいたい地獄、煉獄、地上楽園、天国の4つ。天国はそのまま、地上楽園というのは天国を約束されたものたちの待機場所、煉獄は死後の贖罪の場所(一時的な場所)、そして地獄は生前に大罪を犯して悔い改めぬままに死んだものたちが送られる場所(永遠の地獄)です。「トゥヌクダルスの幻視」では、地獄で用意されている拷問が八種類、というのは興味深いところです。たとえば、罪深い聖職者は猛禽のような獣に貪り食われ、産み落とされて(後ろから吐き出されて)また同じようにむさぼられる・・・。

 さて、またまた話がわき道に逸れてしまいますが、ここで避けることのできない疑問が生じます。それは、地獄にせよ煉獄にせよ、もはや肉体を伴わない魂が、いかにして肉体的苦痛を経験しうるのか、という問題です。この点は神学者によって、中世を通じてさまざまに論じられました。ある説では、地獄の火は物質的な火であって、地獄堕ちをした人間は魂において肉体的にそれを感じる、としています。また別な説では、物質的な火は魂のなかに耐えがたい熱さの非物質的なイメージを作り出し、浄化の棲んでいない罪の存在が魂に肉体性を付与するためそれを感じるのだ、と論じています。なんだか話をややこしくする趣味でもあったのでしょうか(笑)結局、1277年には、パリの教会会議で魂が物質的な火で苛まれ得るということが確認されています・・・というか、そういうことに「決めた」のですね。

 賽の河原について

 上記は中世ヨーロッパにおける死生観に基づく話でしたが、ここらで和製地獄に話の軸を持っていきましょう。和製と言ったって、もとは仏教だろ・・・と思いますか。いや、ところがここに我が国独特のものがありましてね。この映画では、地獄の賽の河原で四郎と幸子が死後の再会を果たします。では、そもそも賽の河原とはなにか。

 幼いままに世を去ったものたちは、「賽の河原」に送り込まれて、「石積み」という苦役に従わされます。ようやく石が積み上げられたそのとき、地獄の獄卒が現れて無情にもそれを突き崩し、再度の積み上げを命じます。泣きながらそれに従う子供たち・・・。

 この映画では、賽の河原で石を積んでいるのは幸子です。幸子は身ごもったまま事故死してしまったため、未だ生まれていなかった、生まれることなく死んだ赤ん坊は、車輪(運命の車?)に乗せられ、四郎の助けを待っている状態です。四郎に「地獄巡り」をさせて、story上どう始末を付けるのかと思っていたのですが、やや苦しい展開ですね。運命の車輪のimageはなかなか悪くないと思いますが・・・。


 

 それはともかく賽の河原、この子供専用の地獄は、もともと正式の仏典にも依拠しないとされ、あるいは日本独特のものかもしれません。初出はどうやら室町時代の御伽草子らしいのですが、西行晩年の作である「聞書集」の「地獄絵を見て」と題された連作27首には歌われておらず、そのイメージは一般的に浸透していなかった模様です。従って、賽の河原の始まりの時期を特定することは出来ないのですが、「賽」は要塞の「塞」であり、「障(さへ)」であって、外敵の侵入を阻止する「境界」を意味するものであるとは、民俗学その他の見地から指摘されるところです。また、「河原」は葬送の地であり、「宿」あるいは「市」とも関わりが深く、日常的な拘束から逃れた空間。柳田國男は「賽の河原」と子供との深い関わりを示しています。柳田國男によれば、子供の生死にまつわる妖異は場所を定めて現れる、それが「賽の河原」であるということになります。そこには、しばしば懐胎したまま死んだ不幸な母の伝承(!)や、死んだ母から生まれた赤子を地蔵菩薩が救って育てたという霊験譚もまとわりついているとも。

 そもそも、幼いものの埋葬は、大人とは異なる特有の墓地で行われたらしいことは、各地からその痕跡が報告されており、伝統社会の葬送のひとつの形であったことが指摘されています。しかもその埋葬の仕方も、たとえば棺のなかで正座させ、方角は太陽に向けて合掌させたり、紫色の着物を着せて、口にはごまめをくわえさせるなどの風習は、死に抵抗して、再生を願い、「出て来やすいようにしよう」という配慮が感じ取れます。

 とはいえ、一度は埋葬された亡児のこと、それが願いに応えて姿を現したとすれば、それは亡霊に他なりません。なので、履き物の鼻緒をちぎって棺に添える地域もありました。これは花嫁は婚家に到着すると履いてきた草履の鼻緒をちぎって屋根に投げ上げるという習俗と同じこと。履き物はある種の魔力を持っていて、家に帰る道筋を知っているとされているのです。なので、他家に送り込んだ以上、戻ってくることは好ましくなかったわけです。とすると、喪った子供の再生を願いつつも、霊の出没は忌避したということですね。生者と死者の関係というものは、こうしたambivalenceに引き裂かれているものなのです。

 さて、石積みについてですが、千葉県安房郡の延命寺に、江戸の絵師の手になる十六幅の地獄絵巻が所蔵されており、そこには死出の山(鉄囲山)、三途の川、火責め(雲火霧地獄)、釜茹で(黒縄地獄)、なます地獄(解身地獄)、針地獄(衆合地獄中の刀葉林)などとともに、「賽の河原」の情景が描き込まれています。地蔵菩薩の姿もあり、子供たちはあるいは石を積み、あるいは顔を覆って泣きむせんでいる・・・。鬼たちは子供が積み上げた石を突き崩しています。ここに子供専用の地獄、賽の河原の全貌が描かれているのです。注目すべきは地蔵菩薩です。子育てや安産の守護仏が、此岸と彼岸の両界において子供たちを守護しているのです。地蔵信仰が賽の河原を出現させたのか、それとも賽の河原が地蔵信仰を深化させたのかはわかりませんが、地獄絵図の中で地蔵信仰と賽の河原は分かちがたく結びついているのです。

 それにしても、際限なく石積みを繰り返すという地獄は、子供にとって、それほどの苦役なのでしょうか。子供たちの着衣は赤や緑の着物、あるいは腹かけかちゃんちゃんこです。ほかの地獄では、亡者たちは経帷子の死人装束だというのに。鬼の姿がなかったら、のどかに群れて遊ぶ日常風景と変わることろがないのです。いや、じつは、「賽の河原」を題材にした図の中には、地蔵菩薩を囲んで踊る子供が描かれているものもあるのです。これをもって、賽の河原を子供たちの保護領とする見方も可能でしょう。それは、亡き子を彼岸へと送り出し、此岸へと立ち戻ることのないように、賽の河原という異界における安息を期待して、自らの諦観に至ろうとしたことを示しているのかもしれません。



(Klingsol)



引用文献・参考文献

「煉獄と地獄 ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観」 松田隆美 ぷねうま舎
「怪異の民俗学 8 境界」 小松和彦責任編集 河出書房新社






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(おまけ)



 「江戸川乱歩の美女シリーズ」の第一作「氷柱の美女」(1977年)から―。御存知「明智小五郎」ものの、いわゆる「土ワイ」TVM。「地獄」から17年後、天知茂と三ツ矢歌子の共演です。原作は「吸血鬼」。脚本の宮川一郎も天知茂とは新東宝時代からの盟友、乱歩ものの映像化には定評のあった井上梅次監督とともに、スピーディな展開と活劇に加えて、エロティックな描写を取り入れるという本シリーズのフォーマットはここで既に確立されています。第一作ということで、相当力を入れたのでしょう。同年制作の「不連続殺人事件」では抱腹絶倒ものの海老塚医師を演じた松橋登も、ここでは渾身の演技を見せます。ただし、浪越警部役の荒井注が登場するのは、次の第二作「浴室の美女」から。


(Hoffmann)