045  「サイコ」 ”Psycho” (1960年 米) アルフレッド・ヒッチコック






 このレコード画像、”Made in England”とあります。Beethovenの交響曲第3番のレコード、片面に第1楽章、第2楽章が収録されているからLPですね。指揮者名はClaudio Caselli(Cabelli?)。いま検索したら、Claudio Caselliという名前のひとはじっさいにいるみたいですね、イタリアのロックバンド? でも、これはそのひととは関係なくて、架空の指揮者です。なにしろ60年以上も前の映画ですからね。

 言わずと知れたこの映画―「サイコ」”Psycho”(1960年 米)です。原作はロバート・ブロック、出演はアンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ヴェラ・マイルズほか。監督はアルフレッド・ヒッチコック。

 ヒッチコックの代表作のように言われることもあるこの映画、しかしヒッチコックのフィルモグラフィー中では異色作。原作はロバート・ブロックがエド・ゲイン事件を基にして書いた小説。ちなみにこの小説、日本での初出時の表題は「気ちがい」で、後に「サイコ」と改題されています。

 現在でこそ名作として名高い作品ですが、公開当時の評判は芳しくなかったんですよ。会社の資金を横領する女性事務員マリオンの心理サスペンスではじまり、ところがベイツ・モーテルのシャワールームで殺害されると、以後はマリオンの妹ライラと恋人サムがマリオンの行方を捜すというミステリー・タッチに変わる。マリオンが主人公・ヒロインだと思わせておいて、あっさり殺されるという意表を突いた展開と、さまざまな工夫が凝らされたカメラ・ワーク、後半の謎解きに至って浮かび上がってくる連続殺人、マザー・コンプレックス、そして多重人格といった題材が、当時としては早すぎたのかも知れません。

 とはいえ、医学用語「サイコ」を一般に定着させ、以後「サイコ・サスペンス」と呼ばれるジャンルを形成したわけですから、その影響力はたいへん大きかったということです。


Sir Alfred Joseph Hitchcock

 アリゾナ州フェニックスの不動産屋に勤めるマリオンは、愛人との生活を求めて会社の金を持ち逃げします。信号待ちをしていると、客と連れだってゆく社長が車の前を通りかかり、車の中で眠り込んでしまえば警官に質問され、土砂降りの夜、郊外にあるベイツ・モーテルに宿をとります。

 

 黒いサングラスのパトロール警官から執拗に不審尋問されるのですが、会社の金を横領したこととはまったく関係がないんですよ。で、ようやく解放されたと思ったら、その警官がまた姿を現す・・・このあたりのとにかくサスペンスの盛りあげ方はじつに巧みです。おかげで、見ている我々は、すっかりマリオンが主人公の心理サスペンスだと思い込んでしまう・・・。

 恐れおののきながら走らせた車は郊外のベイツ・モーテルへ。

 

 Bates Motelの左手、小高く盛り上がった丘の上に妖しくそびえる魅惑の邸。

 経営者ノーマン・ベイツは鳥の剥製を作るのが趣味。なぜか病気の母親のことになると目つきが変わりますが、ひとあたりのいい青年です。薄暗い部屋は効果的です。欲を言えば、鳥の剥製という魅力的な道具立てはさらなるfetishな描き方がされていてもよかったと思うのですが・・・これは伏線になっているから、あえて強調しすぎないようにしたのでしょう。



 ノーマン・ベイツには覗きの趣味が・・・これ、計算し尽くされた演出ですよ。

 
 

 有名なシャワーシーン。カーテンの向こうに人影が映り、それが近づくや突然カーテンが開いて・・・もちろん、ここで赤い鮮血を見せたくないからモノクロにしたのだと思われます。ヌードも鮮血も必要ないんですよ。それでもいろいろな意味でショッキングなシーンです。カーテン越しの影、逆光でシルエットになった加害者の顔、執拗に振り下ろされるナイフ、神経を逆なでするような音楽(音)。その後さんざん模倣され、亜流を生んでしまったがために、いまではそのショックもさほどのものではないかもしれませんが、公開当初に観た人はさぞかし驚いたことでしょう。

 また、storyの主役とばかり思っていたマリオンがあっさり殺されてしまう、ここで観ている側は、ここまでその波に乗っかっていたstoryから、またマリオンへの感情移入から、放り出されてしまうんですよ。意外性と言ってしまえばそれまでですが、私の嫌いな「予定調和」と「ご都合主義」を、これまた巧みに裏切っているのです。



 とにかく演出が上手いとか巧みであるということは、テクニックの誇示のように見えてきてしまいがちなものですが、このような映像を入れるところが憎い・・・と言いたいんですけどね、いやいや違うな、ヒッチコックにしてみれば、おそらくサスペンス・スリラーのentertainment映画がこのシーンを必要として、別な映像を必要としなかった、というのが正解なんでしょう。ヒッチコックの映画とはそうしたもの。深い意味・内容よりは効果をねらっているものと思われます。しかし、だからこそ、こうした映像が、フロイト的な解釈を求めているように、観ている側に迫ってくるんですね。

 え? なにを言っているのかわからないって? それでは、ヒッチコックの作品の登場人物って「サイコ」に限らず、ちょっとマザー・コンプレックスの気味がありますよね、とだけ言っておきましょう。

 さて、この部屋にやってきたノーマンはマリオンの死体を発見し仰天して、しかし怯えながらも死体を沼に沈めます。一方、週が明けても会社の金を持ったまま出社してこないマリオンを探して、不動産屋の社長は私立探偵を雇い、マリオンの妹は姉の愛人を訪ね、マリオンがベイツ・モーテルに泊まった後、姿を消していることを突き止めます。

 

 左はベイツ邸の階段上、私立探偵殺害のシーン。これは犯人の顔を見せないためのカメラアングルですが、顔を見せないためにやむを得ずこうした、とはならないところが見事。右はその後、母親を地下室に抱きかかえてゆくシーン。ここでもう一度やっていますが・・・こちらのシーンこそ顔を見せないためにこのカメラアングルが必要なわけで、それと気付かせないために、私立探偵殺害シーンで「1回やっておいた」のではないでしょうか。

 マリオンの愛人と、彼女の妹は失踪するまでの足取りをたどってベイツ・モーテルへ向かい、ノーマンを疑って妹は邸に忍び込み地下室へ・・・そこで見たものは・・・って、これだけ有名な映画ですからネタばれ全開モードでもかまわないとは思うんですが、画像は自粛しておきます。



 クライマックスは絶叫・・・と。この映画では絶叫はマリオンが殺害される場面と、ここだけ。



 衝撃の結末へ―本当がどうか知りませんが、原作のロバート・ブロックは、その後「恐怖とは目に見えないものだから見せちゃあダメよ」と「鳥」”The Birds”(1963年 米)の脚本執筆は断ったそうなんですが、これをあえてことばどおりに受け取れば、ここで「見えない」のはノーマンの母親ということになります。そのために、マリオンの妹たちははじめからノーマンを金目当ての犯人と決めつけているわけです・・・と分析してしまうから、ヒッチコックのテクニックに目が向けられてしまうんですね。この映画は予備知識なしに、なにも知らずに観たときに、また観たひとこそが、もっとも愉しめるんでしょう。

 できることならこの映画に関する一切の記憶をなくして、いまいちど初見の衝撃を味わってみたいものです(笑)その意味では、この作品は一回限りの衝撃で魅せる映画と言えそうです。もちろん、繰り替えし観て、そのたびに新しい発見もあるのですが。そういえば、友成純一というひとがこの映画を嫌いだと、こんなことを書いていました―

 主人公のオッカサンの幽霊がいつ出てくるのかとハラハラドキドキしたのだが・・・(中略)・・・クダラナイ結末。ものすごく馬鹿にされた気がしたものだった。私は本当に、本格ミステリーが嫌いである。この現実の裏にある、隠れた何かが見たくて私は本を読んだり映画を見たりするのだが、いわゆるミステリーという奴は、すべて現実に引き戻してしまう。

 これは登るお山を間違えた例(笑)このひとは「本格ミステリーが嫌い」とはっきり言っています。それなら「サイコ」について語ること自体が間違っていますよね。だって、逆に、ミステリだと思って観ていた映画で、犯人は幽霊でした、なんて結末だったら、やっぱり馬鹿にされた気がするデショ(笑)

 そもそも原作がエド・ゲイン事件をもとにして書かれたものですからね。それに、ヒッチコックの映画というのは、幽霊なんかよりも、現実の方がよほど怖いんだぞ、というスタンスなんですよ。ただ、映画に関しては、その後さんざん模倣され、亜流も量産されて、いわゆる「サイコもの」なんてジャンルが確立してしまい、すっかり安易なプロットに堕してしまったのは否定できません。だから一回限りの衝撃なんです。

 しかし、科学―ここでは精神分析ですが、その説明シーンは一見ネタばらし的な滞留と見えて、しかしこれがドラマの細部までを支えているんですよ。ミステリの謎解きと同じで、この結末で爽快感を感じる人もいるはず。これが亜流と呼ばれる作品だと、精神分析が添え物になっていると思うんですよ。つまり、描き込むことをしないで、原因は犯人の異常心理でござい・・・と逃げてしまっている。細部を描き込まないから、異常心理といわれても「なるほどー」と納得できないわけです。それは時代の流れもあって、スプラッターとか、ひたすら刺激にばかり走るようになったからでもあります。はじめに異常犯罪ありき、とならないところがヒッチコックの上手さというか、気品なのです。シャワー室の惨劇までは、これ、まるで当時流行の「フィルム・ノワール」、そのパロディみたいだと思いませんか。じっさい、この映画を最後の「フィルム・ノワール」、あるいは「フィルム・ノワール」との決別となる作品であると見る意見は多いんですよ。公憤でもなければ私憤でもない―それはたとえば「復讐」といったような万人にわかりやすい動機ではないという意味ですが―きわめて私的な事情、つまり個人の狂気が、ベイツ・モーテル(と私邸)から一歩も外に出ることなく、マリオンを殺害した・・・彼女の公金横領などにはまるで関心もなく・・・このあたりにヒッチコックの皮肉が垣間見えるような気がします。

 さて、アンソニー・パーキンスのその後を思うと、ベラ・ルゴシがドラキュラ役に、ドワイト・フライがレンフィールド役に、その俳優としての生涯を支配されてしまったように、アンソニー・パーキンスもまた、ノーマン・ベイツ役に呪われてしまったかのようです。たとえばケン・ラッセルの「クライム・オブ・パッション」”Crimes of Passion”(1984年 米)にしたところで・・・ま、あれは「サイコ」からの引用というか、コラージュみたいなところがありますから・・・ケン・ラッセルの映画には、引用はよくあること、アンソニー・パーキンスも納得の上のご出演でしょう。



 ところで、最後の最後、ENDマークはこの映像―沼に沈められたマリオンの車を引きあげているシーンですが、これは当然無意識とか潜在意識といったものが白日のもとにあらわれる(あきらかにされる)という結末にひっかけているのでしょうね。え? 深読みのしすぎですって・・・? それなら「北北西に進路を取れ」”North by Northwest”(1959年 米)のラストシーンをごらんなさい、きっとおなかを抱えて笑いますから。ヒッチコックがひとつのシーンを、意味もなく選んだり使ったりするわけがないんですよ。


(Hoffmann)


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 それでは、私、Klingsolがエド・ゲイン Edward Gein についてお話しします。

 エド・ゲイン事件

 この事件の映画史への影響といえば、まずこの「サイコ」、そして「悪魔のいけにえ」に「羊たちの沈黙」です。いずれもエド・ゲインの事件をそのまま描いたものではありませんが、その一部分をモデルとして取り入れられています。

 事件の発覚まで 「いまもうちにいるよ」

 アメリカの中北部、ウィスコンシン州の中央にプレインフィールドという人口600人程度の小さな町があります。そもそも名前が「なにもない平原」、その名のとおり、本当になんにもないところです。

 1954年12月8日、この町で酒場を営むメアリー・ホーガンという体格のいい中年女性が行方不明になりました。シーモア・レスターという農夫が一杯やろうと店に入ると、中には誰もおらず、カウンターの中を覗いたところ、床に血だまりが―。通報を受けたハロルド・シンプソン保安官は、床に転がる32口径ライフルの薬莢と、引きずられた血の痕を発見。誰かがホーガンを射殺し、その遺体を持ち去ったと思われました。現場には争った形跡はなく、レジも手つかずのまま。動機がわからない。

 事件から1か月が経過しても捜査は進展せず、町は「なにがメアリーに起こったのか?」という噂で持ちきりに。この町で製材所を営むエルモ・ウエックは、「なあ、エディ。お前がもし本気でメアリーを口説いていたら、彼女は今頃、お前の家で夕食を作っていただろうな」と、塀を直しに来ていた男がメアリーに気があったことを知っていて話題を振ると、男は笑いながらこう答えました。「かのじょはいなくなってなんかいないよ。いまもうちにいるよ」・・・そう、この男こそエドワード・スィアドア・ゲイン Edward Theodore Gein 、通称エド・ゲイン Ed.Gein です。



Ed.Gein

 事件の発覚 「あいつがやったことは分かっているんだ」

 エド・ゲインは、プレインフィールドの西のはずれに住む50代の無口な男でした。1947年に母親が死んでからは天涯孤独となり、農作業もせずに、町のなんでも屋としてブラブラしていたのですが、少々オツムが弱いものの、頼んだ仕事をイヤな顔一つせずに手伝ってくれるので、住民たちは「バカだが善人」だと思っていました。なので、「いまもうちにいるよ」という発言も「ジョーク」としか受け取られなかったのです。

 3年後の1957年11月16日、今度は金物屋を営むバーニス・ウォーデンが行方不明になりました。先のメアリー・ホーガンと同じような背格好の女性で、26年前に夫に先立たれてからは店を1人で切り盛りしていたオバサンです。その日は鹿狩りの解禁日で、男たちはみな森に出払って、町は閑散としていたのですが、ウォーデン夫人は店を開き、ひとりで店番をしていました。日暮れ時に息子のフランクが帰って来たところ、店は明かりが灯っているにもかかわらず鍵がかかっている。不審に思って合鍵で中に入ると、レジがなくなっている。そして、床に血だまりが―フランクは慌てて保安官に通報。新任の保安官アート・シュレーがかけつけると、フランクは「あいつがやったことはわかっているんだ」「エド・ゲインさ」と、血まみれでエド・ゲインあての売上伝票得を差し出しました。

 シュレー保安官はフランクと共にゲインの家へと向ったのですが、その日、ゲインは近所に住むボブ・ヒルに夕食に招かれていて家は留守。家の中は真っ暗で誰もいない。


 ※ 注意! 以下、きわめて不穏かつ刺激的な記述となります。気の弱い方は★まで飛ばして下さい。


 2人が裏手に建て増しされた台所に踏み込んで、懐中電灯をかざしたところ・・・天井からぶら下がっていたYの字型のそれは、逆さ吊りにされた人間。陰部から胸部に至るまでが縦一文字に切り裂かれて、はらわたをすべて抜かれており、首も切断されていました。フランクは、その異形の物体が変わり果てた母の姿であることを悟るや泣き叫んび、新任の保安官は外に飛び出しで、雪上に胃の内容物をぶちまけました。

 ゲインの家を捜索した警察は、凄まじい光景を目にすることになります。まず、その不潔なこと―汚れたままの食器や腐りかけた残飯、空き缶や空き瓶、その他さまざまな汚物が所狭しと散らばっており、噛みかけのチューインガムがいっぱい詰まった缶もあったそうです。食器類の中には妙な形のものがあって、よくよく見れば、それは人間の頭蓋骨の上半分を切り取って加工したもの。棚にはズラリと頭蓋骨が並んでいる。ベッドの柱にも頭蓋骨が引っかけてある。椅子の肌触りも変だと思ったら、人間の皮製だった。ほかにもランプシェードやゴミ箱、太鼓、ハンティングナイフの鞘が人間の皮で作られたもの。ベルトは女性の乳首で飾られ、ブラインドの紐にも唇がついている・・・。



それと分かるような、不穏なものは写っていない写真を選びました。

 人喰い人種が作るという「干し首」も9つ見つかりました。どれも髪の毛は生前のまま、中には化粧を施されているものもあって、そのひとつが3年前に失踪したメアリー・ホーガンのものでした。バーニス・ウォーデンの切断された頭部は、両耳には紐が通されており、壁飾りとして吊せるように加工されており、さらに心臓はオーブンの上の鍋の中で調理されるのを待っている状態。

 靴箱の中には9つの女性器コレクションがあり、銀色に塗られて紅いリボンで飾られているものもあれば、保存用に塩がまぶされているものも。鼻だけが詰まった箱もあったほか、人肌マスクも9つ。さらに人肌で作られたチョッキ―乳房がついており、着ると女性に変身できるというものがありました。

 ★

 整然とした部屋が一部屋だけ―これはゲインの母親の部屋。10年前に死んだ時からそのままの状態で保存され、誰も入れないように封印されていたのです。


 エド・ゲインの生い立ち

 エド・ゲインの生い立ちは―生まれたのは1906年8月27日、オーガスタ・ゲインの第2子。彼女は極めて禁欲的―というより狂信的な女性で、性交は「子作りのためにのみ神から許されたもの」と固く信じていました。そのためでもないのですが、亭主のジョージ・ゲインは酒に溺れ、オーガスタに常習的に暴力を振っていました。この父親は1940年に死亡。

 息子であるヘンリーとエドの兄弟は、オーガスタにより極めて禁欲的に育てられ、聖書の「ノアの洪水」を読んで聞かせては、「女と交わると天誅が下る」と教え込みました。それでも、ヘンリーは社会性のある人間に育ったようなのですが、エドは母親にべったりの異常者に育ってしまいます。

 1944年5月16日、兄ヘンリーが山火事で死亡、これは当時事故とされましたが、現在ではエドが殺したとする説が有力です。エドはヘンリーに「お前は母に近すぎる」と注意されたことを根に持って、母に逆らう兄を殺害したのであろうと―。

 1945年12月29日、ヘンリーの後を追うかのように母オーガスタも脳卒中で死亡。唯一絶対の存在であった母の死がエドにどのような影響を与えたのかは想像のほかありません。

 以前からパルプ雑誌に掲載された人喰い人種や首狩り族の話が大好きだったエドは、ナチスの蛮行にも興味を抱くようになりました。とりわけ、人間の皮でランプシェードを作ったイルゼ・コッホがお気に入りだったそうです。また、19世紀のエジンバラで墓を荒らして死体を売っていたバークとヘアの物語にも興味津々だった模様。おまけに、当時話題になっていた「性転換した元英雄」クリスチーネ・ヨルゲンセンにも魅せられたらしいのですね。

 そう、「イルゼ・コッホ」と「バークとヘア」と「クリスチーネ・ヨルゲンセン」のすべてを、彼は実行したのです。エド・ゲインの数々の加工品は、近所の墓場から盗み出したものでした。彼は墓場で生まれて初めて女体に触れ、その皮を剥ぎ、マスクやチョッキを作って、クリスチーネ・ヨルゲンセンのように女に変身していたのです。

 メアリー・ホーガンとバーニス・ウォーデンを殺害したのは、故意か偶然かわからないところもあるのですが、どうやらこの2人が母オーガスタに似ていたことが主な動機ではないかと考える向きがあります。つまり、彼は母に変装したかった―のかも知れない―と。一方で、これは母親に対する復讐」だったのではないかと考えている人もいます。つまり、母親に似た、太っていて威圧的な中年女性を殺したのは母親を殺すことの代償行為ではなかったか、というわけです。これはいまとなっては知る由もありませんが、母の部屋を生前のままに保存して封印していたのが、愛情からの行動であったのか、畏怖の念からの行動であったのか・・・どうも「封印」となると、後者の方が強かったような気がしますね。ところが、母親の呪縛から逃れることができなかった・・・。

 念のために付け加えておくとなお、ゲインは「サイコ」の主人公のように、母親のミイラを保存したり剥製にしたりはしていません。それは当時そのように噂されたということです。また、ネクロフィリアとカニバニズムの噂もありましたが、当人は否定しています・・・もちろん、本当のところはわかりませんが・・・。


 逮捕後

 ゲインは医師団に責任無能力者と診断され、州立の精神病院に収監されました。その後、ゲインの土地は競売にかけられることとなりましたが、売上げがゲインのものになると知るや、ゲインの家は放火されました。現在でもこの町では、ゲインの話題はタブーだそうです。

 ちなみに、焼却を免れたゲインのフォード車は競り落とされて見世物になり、運転席にはゲインの蝋人形、バックシートには切り刻まれた血みどろの女の死体が置かれた状態で展示され・・・当然のことに抗議の電話が殺到して、数日のうちに展示を禁止されたということです。

 1984年7月26日、ゲインはメンドータ精神病院で呼吸不全のために77歳で死亡しました。遺体はプレインフィールドの母の隣に埋葬されたそうです。


(補足の補足)

 エド・ゲインについて語っていたら、またまた説明を要するキーワード(人名)が出てきてしまいました。イルゼ・コッホとバークとヘア、それにクリスチーネ・ヨルゲンセンです。以下に補足しておきます。

 イルゼ・コッホ


Ilse Koch

 イルゼ・コッホ Ilse Koch は、ナチスのブーヘンヴァルト強制収容所所長カール・コッホの妻であり、女性看守。囚人に対するサディスト的な拷問行為および好色さでよく知られています。死んだ囚人の皮膚でランプシェードやブックカバー、手袋を作ったり、刺青をしている囚人の皮を剥いで収集したりしたなどとされていますが、じつはこの件に関しては証拠がなく、戦後の裁判においても、そうした行為を具体的に証言できる者がいなかったため、真相は不明とされています。ただし、臓器標本や、切り取られた刺青入りの皮膚は現存しています。付け加えると、2020年に人間の皮膚で作った写真アルバムが発見され、これは内容から見てブーヘンヴァルト収容所のものと考えられています。なお、人間の皮で作ったランプシェードというモチーフはイルゼ・コッホに限らず、広くナチスの蛮行のimageとなっているようで、昔はゲッベルスの妻マグダが作らせただのといった話もまことしやかに語られていましたね。

 なお、1947年、彼女はアメリカ占領軍によって逮捕されて、終身刑を言い渡されるも証拠不十分で懲役4年に減刑された後、1949年に恩赦で釈放されています。しかし西ドイツの司法当局はこれを許さず、ドイツ国民への犯罪行為として再度イルゼを告発し、1951年にあらためて終身刑を言い渡しました。イルゼは1967年に自殺(縊死)しています。


 バークとヘア


左がWilliam Hare、右がWilliam Burke

 バークとヘア連続殺人事件は別名ウェストポート連続殺人事件と呼ばれることもあります。これは、イギリス、スコットランドのエディンバラで1827年から1828年にかけて起こった、ウイリアム・バークとウイリアム・ヘアが17人の死体を解剖用にエディンバラ医学校に売っていたという事件です。

 19世紀初頭、イギリスの医学校では解剖学の教育と研究用に合法的に得られる死体の供給が不足していました。これは法律改正により刑死者が減って、合法的な供給が少なくなったため。そこで死体泥棒(死体盗掘)が横行するようになったのです。

 後のヘアの証言によると最初に売った死体は彼に家賃4ポンドを滞納したまま死んだ年老いた退役年金受給者。棺桶から死体を盗み出しエディンバラ医学校に7ポンドで売りました。これで味をしめたのか、次の被害者は病弱な下宿人、粉引きのジョセフ。これは死ぬのを待たずにウイスキーをどんどん飲ませて窒息死させました。その後は似たような手口で、飲ませて殺す、の繰り返しで16人。

 事件の発覚後、2人の犯行の証拠が十分ではなかったため、スコットランド検事総長ウはヘアに犯行の自白とバークに不利な証言をさせることで彼に対する訴追を免除。結果、バークは死刑となり、その遺体は彼の被害者と同じ運命、すなわち医学生の解剖に供される道を辿りました。一方、ヘアはその後釈放され、以後の消息は確認されていません。

 この殺人により医学教育の危機的状況が明らかになったため、1832年に解剖に関する法律ができて、これにより合法的な医学用死体の供給を増したため、以後同様な犯罪行為はなくなったと言われています。

 この2人組の名前は、親が手に負えない子どもをしつけるために「バークとヘアがやってくるよ」と脅しに使われたそうです。また、この殺人の物語は何度か映画化されています。


”Burke and Hare” Vernon Sewell監督 (1972年 英)


 クリスチーネ・ヨルゲンセン


Christine Jorgensen

 クリスティーン・ジョーゲンセン Christine Jorgensen とも。アメリカ出身の女優であり、アメリカの著名人ではじめて性別適合手術(性転換手術)を受けた人物です。1926年、ニューヨーク州のブロンクス区に生まれ、出生時は男性で、アメリカ軍の軍曹として朝鮮戦争にも参加しましたが、除隊後デンマークのコペンハーゲンに行き、クリスティアン・ハンブルガー博士の治療を受けました。4か月のホルモン治療ののち、男性性器の除去と外見を女性化するための手術を受けてアメリカに帰国。1952年にデイリーニューズ紙で報道され、有名になりました。


(Klingsol)


引用文献・参考文献

「オリジナル・サイコ」 ハロルド・シェクター 柳下毅一郎訳 ハヤカワ文庫




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