056 「バグダッド・カフェ」 ”Bagdad Cafe” (1987年 独) パーシー・アドロン




 「エイリアン」”Alien”(1979年 米)を取りあげようかと思っていたのですが、検索してみたらあまりにも大勢の方が既に語っておられましたので、女性が主人公の映画ということで「バグダッド・カフェ」”Bagdad Cafe”(1987年 独)に変更しました。




 storyは―ラスヴェガス近郊の砂漠にたたずむさびれたモーテル「バグダッド・カフェ」。家庭も仕事もうまくいかず日々ストレスを抱え込んでいるカフェ&モーテルのボス、ブレンダは常に怒りモード。そこに突然、夫と別れたドイツ人旅行者ジャスミンが現れます。この珍客がいつのまにかこの店をオアシスのように潤しはじめ、打ち解けるはずもないふたりが、やがてかけがえのない友情で結ばれていく・・・というもの。


砂漠での夫婦の放尿シーンからはじまる映画もめずらしいですね(笑)

 女性の友情を描いた映画はめずらしいですね。映画に限らず、サブカルチャー全体でもめずらしいでしょう。歌謡曲だったら和田アキ子の「コーラスガール」くらいしかないのではないでしょうか。

 制作は1987年ですが、我が国での公開は1989年、渋谷の公園通りにあったミニシアター、シネマライズで封切られ、17週間(約4か月)のロングラン公開となっています。監督も出演者もたいして名が通っていたわけでもなく、舞台はアメリですが西ドイツ映画。ヒットするような派手な要素がないにもかかわらず、時間の経過と共に忘れられてしまうこともなくいまも時折話題に上る人気映画です。たしか2018年のカンヌ映画祭では、〈カンヌ・クラシック〉枠で、「自転車泥棒」(1948年 伊)、「アパートの鍵貸します」(1960年 米)、「めまい」(1958年 米)といった往年の超の字が付くような名作と共に上映されていました。




 舞台が砂漠にあるカフェということもありますが、なんともゆったりと時間が流れていゆく舞台装置。そのなかに、なんとも楽しそうな、カフェがアクセントになっています。主演は巨漢の女優、マリアンネ・ゼーゲブレヒト。若くもなく、美人でもない、公開当時の雑誌には「ドイツの京塚昌子」なんて書かれた人。

 カフェの常連客である画家ルーディに扮して味わい深い演技を披露しているのは大ベテランの男優、ジャック・パランス。当時の70歳で絶頂期をすぎていましたが、TVの大作ドラマを蹴ってこちらに出演したことでエージェント怒らせたそうなんですが、本作への出演がきっかけになって映画界に復活。1991年の「シティ・スリッカーズ」で老カウボーイを演じて、73歳にしてアカデミー助演男優賞を獲得しています。


 

 マジックの場面。マリアンネ・ゼーゲブレヒトは5か月間の特訓を受けたとか。じっさい、マジックの場面はカットなしに撮られています。


出会いの場面。片や汗を拭き、片や涙を拭いています。

 「バグダッド・カフェ」で最も印象に残るものといえば、やはり、あのテーマ曲「コーリング・ユー」ですよね。これはブロードウェイの舞台などで活躍していたボブ・テルソンによる作。 当時、ボブは結婚を誓った恋人と破局を迎え、何度、calling(電話)しても、彼女は出てくれない。そんな思いも込められているのかも知れません。これがなんと、その年のアカデミー主題歌賞の候補になったわけで、「バグダッド・カフェ」がドイツ資本によるインディペンデント映画であることを考え合わせれば快挙というべきでしょう。タイトルバックではジェベッタ・スティールが歌っていますが、その後多くの人気歌手たちに歌い継がれ、いまやスタンダード・ナンバーとなっている名曲です。私は、ヴァイオリニスト、ルノー・カプソンの「シネマに捧ぐ」というCD(WARNER ERATO 9029563393)で、ときどき聴いています(LPでも発売されましたが、この作品は収録されていないようです)。また、クラシック音楽好きならお気づきでしょう、J・S・バッハの「平均律クラヴィ―ア曲集」が演奏されるシーンもありましたね。


 
別れの場面。

 テーマ曲の歌詞「修理が必要な(壊れた)コーヒーマシン」というのはブレンダのことでしょう。それをそのときのブレンダと同じく、夫と諍いを起こしてひとりになった手品をマスターした女性、すなわち魔法使いのジャスミンが訪れて、やがて心を通わせ、周囲を巻き込みながら、人種を越えたコミュニティを作っていく。

 ちなみにメタファーというか、象徴はさまざまちりばめられており、白人のエリックが投げるブーメランはジャスミンの帰還をあらわしているものでしょう。カフェは砂漠に給水タンクがあるわけですから、オアシスです。黄色いポットはジャスミンの故郷、ローゼンハイム(「薔薇の家」の意)のステッカーが貼ってあり、ジャスミンが手品で出した薔薇の花をブレンダに差し出すのは、ジャスミンがこのカフェを(薔薇の家として)新たな故郷と定めたことを意味しているのではないでしょうか。


そして再会―。それぞれの、空の色にご注目。右の部屋の場面では、壁に「幻日」の絵が掛かっています。

 もうひとつ、芸が細かいなと思ったのは、ジャスミンの部屋に「幻日」(げんじつ)の絵が掛かっていたことです。「幻日」というのは、太陽と同じ高度の太陽から離れた位置に光が見える、つまりふたつの太陽が見える大気光学現象のことです。この絵はルーディが描いたものでしょう。おそらくというか、やはりというか、これはジャスミンとブレンダのふたりを象徴しているものと思われます。ふたりがバグダッド・カフェを照らす光になることを示唆しているのでしょう。もちろん、幻日それ自体は氷の粒によって太陽光が屈折して発生するものです。いわば蜃気楼。幻日というその名のとおり、幻(まぼろし)です。バグダッド・カフェも、そこでのマジック・ショーでの楽しい時間も、幻のような、夢見心地のひとときですよね。そして、幻日を見るのは幸運の前触れであるとも言われています。


「幻日」の例―これは3つ見えますね。

 最後はルーディから結婚を申し込まれたジャスミンが、「ブレンダと相談するわ」とこたえて幕。なぜここで”Yes”とも”No”ともこたえず、「ブレンダと相談」なのか。どうもジャスミン役のゼーゲブレヒトは「女性による新たな家長制度を描いた作品」と言っているらしいので、男性優位社会と受け取られないように、こうした台詞で終わらせたのかも知れません。なかには、ブレンダとのレズビアンを疑う声もあるようですが、これはちょっと深読みに過ぎるのではないでしょうか。個人的には、ブレンダとの友情に加えて、ジャスミンの置かれた状況・立場から見て、ここで「ブレンダと相談するわ」というのはきわめて自然な流れだと思われます。

 なお、私はディレクターズ・カット版も観ておりますので、そのうえでの感想です。オリジナル版に17分ほどの追加があるようですが、どちらがbetterというようにはとくに感じません。


(Kundry)


引用文献・参考文献

 とくにありません。






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