073 「シャーロック・ホームズとワトソン博士」 "Шерлок Холмс и доктор Ватсон" (1980年 露) イーゴリ・マスレンニコフ




 「シャーロック・ホームズとワトソン博士」 ”Шерлок Холмс и доктор Ватсон”(1980年 露)はソヴィエト社会主義共和国連邦時代、レンフィルムによるTV放映用の映画、いわゆるロシア版ホームズの第一作目です。制作は1979年から1986年の間に、ソ連最古の映画スタジオで断続的に、5本が制作されました。ホームズ役はワーシリー・リヴァーノフ、ワトソン役はヴィーターリー・ソローミン、監督はイーゴリ・マスレンニコフ。



 なにしろソ連ですからね、東西冷戦時代が長く、しかも非英語圏で制作されたものですから、話には聞いても偏見を持って否定的な印象を持つ人が多かったはず。ところが西側で噂を聞きつけた人の間で、またなにかの機会に目にした人の間で話題になった。具体的には、第一作がイタリアで開催されたテレビドラマ祭で審査員特別賞を受賞。また、1980年代のドイツ東西分割時代に、東ドイツで放映され、西ベルリンでひそかに受信・録画されたビデオテープが流通したらしいのですね。さらに、イギリスBBCテレビで第三作「バスカヴィル家の犬」を放映、これを観たマーガレット・サッチャー首相が「ロシア製ホームズは世界一」と発言したことが"Daily Mail"に掲載されて、それをまたソ連のマスコミが報道した・・・。

 インターネットのない時代に、これだけ全世界的に話題になると言うことがどれほどのことなのか、おわかりいただけますか?

 とはいえ、TVMですから再放送されることもなく、ロシアのファン以外からは一旦忘れられていたところ、2002年にイギリスで刊行されたアラン・バーンズによる"Sherlock Holmes on Screen"に、なんと丸々2ページを費やしてロシア版ホームズへの賛辞が書き連ねられていました。

・・・ワーシリー・リヴァーノフと故ヴィーターリー・ソローミンのペアは、ホームズとワトソンの殿堂において、ラズボーンとブルース、ブレットとバーク、カッシングとストックと並んで、もっと高い場所に現れるべきである。

 こうして2000年代に、コナン・ドイルの原作を「聖典」と見なすイギリスでも評価が高まり、ベーカー街のシャーロック・ホームズ博物館においても、このロシアン版ホームズのテーマ音楽が流されるようになります。若干の変更はあるものの、基本的には原作どおり。海外ロケもなしに、しかもシャーロック・ホームズもの。それが制作後10数年を経て、ホームズものの「本場」イギリスで評価されるなど、ちょっと他に例のない現象ではないでしょうか。

 付け加えておくと、監督のマスレンニコフと主演のリヴァーノフは、2003年にイギリスのシャーロック・ホームズ協会"Baskerville Hounds"の名誉会員に迎えられ(ワトソン役のソローミンは前年に没していました)、2006年にはリヴァーノフが大英帝国名誉勲章を授与され、また、2007年にニュージーランドで発行されたホームズ120周年(「緋色の研究」刊行の120周年)記念銀貨に刻印されているホームズ像はワーシリー・リヴァーノフです。さらに同年4月27日にはモスクワのイギリス大使館前で、リヴァーノフ、ソローミンの演じたホームスとワトソンをモデルとした銅像の除幕式が開催されています。

 
左はワーシリー・リヴァノフのシャーロック・ホームズを描いた2007年のニュージーランド硬貨。右はモスクワ、スモレンスカヤ堤防の英国大使館前に設置された彫刻作品「シャーロック・ホームズとワトソン博士」。


 この第一作は二部構成となっており、ソ連での初放映時には各部の間にニュース番組が挿入されたそうです、第一部「交流」はホームズのワトソンの出会いからはじめて、短篇「まだらの紐」のstoryの映画化、第二部「血の署名」は長篇「緋色の研究」の映画化です。

 
 
この画像は「まだらの紐」から―作中で、犯人は金庫の中で飼っていた毒蛇にミルクを与えて、口笛の音で蛇を操っていたことになっていますが、金庫の中では窒息してしまうし、ミルクを餌とする蛇なんかいない、おまけに蛇は耳が聞こえないため口笛の音で操ることは不可能です。こうした「矛盾」から、もともと突飛な説を好む傾向の強いシャーロキアンの間では、ヘレン犯人説も唱えられています。

 撮影は1979年夏に行われており、レンフィルムと言えば1918年に設立されたロシア最古の映画スタジオ。1975年から使用されていたトレードマークはピョートル大帝の騎馬像。当時のソ連では、映画用の35mmフィルムでテレビ放映用劇映画が制作されていたため、映画技術の水準の高さは劇映画並み、内容的にも政治性は皆無で、たいへん良質の娯楽映画となっています。ホームズとワトソンの出会いと友情を描いたところなど、「停滞の時代」と呼ばれたソ連末期の社会的現実や文化への統制に幻滅していたの視聴者から、絶大な支持を得たと言われています。



 じっさい、このロシア版ホームズTVMの最大の魅力はホームズやワトソンの「人間味」にあります。ヨーロッパ人的な長頭の頭蓋骨がホームズそっくりであるとして起用されたワーシリー・リヴァーノフは、はじめはややダミ声が気になりますが、これは1959年に極寒の中で映画出演して喉を痛めたためといわれています。しかしワトソンをびっくりさせると無邪気に大笑いして、気難しいと言われたヴィーターリー・ソローミンの、イギリス紳士の慎みを保ちながらも、ホームズを見ている、なんとも親しみのこもった視線がすばらしい。じっさい、周囲からも、自らも「傲慢」であるというソローミンが、リヴァーノフに対しては、出会ってすぐに心を開いて、二人は親友であると同時に芸術上の同志となったと言われています。



 全5作を列記しておくと―

第一作「シャーロック・ホームズとワトソン博士」 1979年

 先に述べたとおり、二部構成で第一部「交流」、第二部「血の書名」。第一部はホームズとワトソンの出会いから「まだらの紐」、第二部は「緋色の研究」に基づくもの。

第二作「シャーロック・ホームズとワトソン博士の冒険」 1980年

 三部構成で、第一部「恐喝王」、第二部「決死の闘い」、第三部「虎狩り」。原作で言うと「恐喝王ミルヴァートン(犯人は二人)」と「最後の事件」、「空き家の冒険」に基づくもの。

第三作「バスカヴィル家の犬」 1981年

 表題どおり、「バスカヴィル家の犬」に基づくもの。当時のソ連オールスター・キャスト。

第四作「アグラの財宝」 1983年

 未見。「四つの書名」と「ボヘミアの醜聞」を脚色したものだそうです。

第五作「20世紀が始まる」 1986年

 未見。第一作から8年が経っており、ワーシリー・リヴァーノフもヴィーターリー・ソローミンも51歳と45歳に、風貌も変わっていたそうです。シャーロキアンたちの研究によれば、ホームズは49歳で探偵業を引退して養蜂家になっており、本作でも最初からその設定になっているとのこと。


(Hoffmann)



参考文献

「ロシア版ホームズ 完全読解」 西周成 アルトアーツ