077 「ハードカバー/黒衣の使者」 "I , Madman" (1988年 米) ティボー・タカクス





古本がモチーフになっているというだけで評価が一段upしちゃいます(笑)

 本に書かれている怪人が現実にあらわれて人を襲う・・・と、これもまた「マウス・オブ・マッドネス」とよく似た趣向のstoryです。はっきり言って、映画としてはB級です。俳優・女優も含めて「マウス・オブ・マッドネス」よりもランクが落ちることは否定できません。しかしこの映画、そこはかとなく漂うゴシックムードがたいへん印象的で好ましい。古書が重要なモティーフとなっていたり、古書店が舞台となったりするのが、本好きにはたまりません(笑)


いやあ、たまりませんなあ・・・。

 虚構が現実に浸食・・・と言えば言えないこともないんですが、「徐々に」とか虚構と現実の「境界が曖昧」なんてことはありません。怪人は町中でも堂々と現れるし、主人公が小説を読んでいて「入り込んで」しまっているときは、小説中の登場人物が主人公自身になっているので、たいへんわかりやすい。せいぜい、怪人が突然現れる、いつ現れるか分からない、という程度。

 ただね、主人公のヴァージニアが本を読み進むと、怪人の方も彼女が読んだところでの設定で登場するんですよ。で、主人公を小説中の登場人物である「アンナ」と呼ぶ。それでは現実と虚構が入り交じっているのかというと、そうではない。ちゃんと「切り替わり」があるんですね。境界ははっきりしている。だから、どことなく無邪気なホラー映画になっている。「驚き」がないから、その分、安心して観ていられるということもあります。


ヴァージニアの友人が殺害される場面。この友人の方がまだしもいい演技をしています。

 主人公ヴァージニアを演じているジェニー・ライトはきれいな女優さんですが、あまり演技は上手くない。目の前に怪人が現れても、視線に驚きも緊張感も、なにもない。視線の先に何者かがいるような、そんな目線になっていないんですよ。猫に驚いて飲み物をこぼすシーンも、突然カウンターに猫が飛び降りてくる→びっくりする→わざと飲み物をこぼす、という一連の流れがじつに区切りよく鑑賞できます。彼氏であるリチャード刑事も、ちょっと刑事には見えません(笑)

 
右のジェニー・ライトをご覧下さい。この焦点の定まらない、虚ろな視線の先に、怪人が出現していると思えますか?


(参考画像) 中川信夫監督の「東海道四谷怪談」(1959年・新東宝)から―池内淳子演じるお梅。暴漢から救ってくれた男(伊右衛門)が笠をとろうとしているのを見つめる場面。ここでは、視線の先に「対象」が存在していることはもちろんのこと、若い娘の内面の驚きとその欲望までが示されています。

 しかし、きれいな女優さんだからといって「理想化された女性」ではなくて、妙に感受性が豊かで、読んでいる本のstoryに没頭する、「オタク」っぽいところがあります。キッチンもかなり乱雑で散らかっている(笑)家に彼氏がやって来ても、本の話をやめられず、彼氏もやや呆れ気味。そんなところが本好きとしては身に覚えもあって、好ましいところでもあります。


ま、美人さんにしては親しみが持てますけど・・・(笑)

 小説どおりの事件が発生するのは狂気の作者が生きているためではないか・・・と、出版元を訪ねた際、壁にはこれまでの出版物が飾ってあるんですが、これが有名な題名のパロディなんですな。“EAST of EDITH”はともかく、“MOBY'S DICK”てのには声を出して笑っちゃいました(笑)

 
一応解説しておくと、"East of Edith"というのは、スタインベックの「エデンの東」"East of Eden"の、"Moby's Dick"というのはハーマン・メルヴィルの「白鯨」"Moby-Dick"のパロディですね。ちなみに"Moby's Dick"の"Dick"というのがなにを指すスラングかは、ご存知ですよね(笑)

 ちなみに明らかになったのは、著者、マルコム・ブランドは精神的な障害があり、現実とフィクションの区別がつかなくなっていた・・・ということ。「異常性と原罪」というホラー小説がツァイト出版にてヒットした謎の作家。もう一作執筆しようとするも、「登場人物が話しかけてくる」などの幻想にとらわれ、誇大妄想の分裂病患者として隔離病棟に。その後、バラバラ死体で発見され、まるで狂犬に噛まれたような死体だったが、本人が自分で自分を切り刻んだと言われている・・・ということ。

 その「異常性と原罪」という小説に登場するのは、動物学者。自分の精子とジャッカルの卵子をかけあわせて、女性に着床させ、新生命体を生み出そうとした。しかし、代理母の女性は出産中に死亡。博士は、生まれた生き物を我が子として育てようとするが、狂暴で手に負えなくなり、やがて博士のもとから脱走する。

 マルコム・ブランドの第二作は「黒衣の怪人」"I、Madman"で、これは、かつては医者だったが廃業している男がアンナ・テンプラーという女優に夢中になるが、彼女は彼を相手にせず、醜いからと嫌っていた。そこで怪人は、アンナの関心をひこうとしたのか自身に麻酔にかけ、耳や鼻や口を削いだ。そして人を襲って耳や鼻を切り裂き、自分の顔に付けようとしているらしい、というのが、出現した怪人の行動であるわけです。

 そしてマルコムはこれらの自著の奥付に、「フィクション」ではなく「ノンフィクション」と表示している・・・。

 
残酷シーンは間接的な描写にとどまっています。

 最後は怪人が古書店に現れて、ヴァージニアの同僚モナまでが殺害されます。ここで彼氏が救援に駆けつけるんですが、犯人の怪力に組み伏せられ、彼女は小説のなかに登場する怪物を現実化させます・・・って、こう聞くとバカバカしいと思われるかもしれませんが、じっさい、このあたりからいよいよバカバカしい展開となってくるんですよ(笑)ふと思いついたヴァージニアが呪文を唱えるように当の本を読み始めると、第一作の「怪物犬」らしきものが現れて、怪人と対決・・・ということは、第二作の医者というのが第一作の動物学者なんでしょうか。そう考えると、この展開も多少納得のいくものとなりますね。

   
こうした場面でも、ジェニー・ライトの演技には切迫感や緊張感というものが、根本的に欠けています。

 このシーンが、いまやめずらしいストップモーション・アニメ。いや、これは古色蒼然としたテクニックがむしろここではふさわしいと思えます。


怪物といっても、なんとなく愛嬌のあるおじさん顔。

 怪人は怪物モロトモ窓を破って・・・これはつまり本(の紙)なんですね。なんだか、ゴーインに結末へねじ伏せましたな~(笑)

 
私はフリッツ・ライバーの小説「闇の聖母」を思い出しちゃいましたよ。


(おまけ)

 

 右の青年は勤務先の古書店の同僚モナをお目当てでやって来る常連客。いかにもオタッキーですが、じつに屈託のない、いい笑顔です(笑)


(Hoffmann)



参考文献

 とくにありません。