Das Lied von der Erde (随時追加)



このページではdiscの録音年順に並べてはおりませんよ(^^)

# こんなのだれが読むんだ?(^o^A;

グスタフ・マーラーの「大地の歌」は、ハンス・ベトゥゲが中華詩を独訳した「中国の笛」からいくつかの詩を選び、一部手を入れてテクストとした、歌手のソロ付き交響曲です。第1、3、5の奇数楽章がテノール、第2、4、6の偶数楽章がアルト(メゾ・ソプラノ)によって歌われますが、後者はアルトの代わりにバリトンで歌ったdiscもありますね。

実質的にはこれは交響曲ではなくて連作歌曲だと言うひとがいますが、Hoffmannさんはどう思われますか?

作曲者自身が交響曲だと言ったんだから、それでいいと思うよ。作品の出来不出来には関係ないことだし・・・別に看板なんかにたいした意味はないだろう


第一楽章についてはここでお話ししたことがありましたね(^^*

なにを隠そう、この作品はHoffmannのもっとも好きな音楽です。もしもあらゆる音楽作品のなかからひとつだけ選べと言われたら、WagnerでもMozartでもなく、この「大地の歌」を選ぶことでしょう。

とりわけ終楽章(第6楽章)の「告別」は感動的ですね(-_-*涙なしには聴けません・・・

花は第4楽章の♪ドンチャンドンチャン・・・が好きですヾ(^∇^*(^o^*ちょっと京劇ふうね♪

わりあいモノフォニックというか、あまり重層的に聴かせるよりは親しみやすいメロディの目立つ音楽だよね。だから演奏によっては通俗的な歌謡性ばかりが前面に押し出されてくる。とくに現代にありがちな、歌手を楽器の一部のように全体の響きに埋没させてしまうと、うまくいかないみたいだね

Hoffmannさんがどなたの演奏のことをおっしゃてるのか、分かっちゃいましたよ(^^;



さて、筆頭に取りあげますのはこれ―オットー・クレンペラー指揮(ニュー・)フィルハーモニア管弦楽団、クリスタ・ルートヴィヒ、フリッツ・ヴンダーリヒによる1964、66年録音のdiscです。クレンペラーの代表盤でもあり、おそらく「大地の歌」のdiscの人気投票でもやったらこれが上位に選ばれるのは間違いない、一般的な評価の高いdiscですね。

たしかに、表面上はさらりと流しているようで、その底流に深い内容を感じさせるクレンペラーらしい演奏です。無骨といえば無骨、軽やかな諧謔味も不器用な表現と聴こえるのですが、一切の感傷を廃した演奏はこれはこれで立派なものです。ヴンダーリヒは作品のあらゆる要素を表現し尽くした比類のない名唱、ルートヴィヒもいくつかある録音のなかで最高の出来でしょう。ただし、オーケストラ、ソロとも極めて高い水準の演奏であることを認めたうえで、個人的にはやや疑問もあります。なにも唐詩がテクストだからといってマーラーの音楽が西洋ふうではいかんというつもりはないのですが、東洋ふうの五音音階を多用しているマーラーの意図を思うと、これが十全に表現されているとは思えないのですね。各楽器のソロ、その歌わせ方などに、西洋人がキモノを着ているようなチグハグさが感じられるんですよ。



これまた極めて評判のよろしいdisc―ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、カスリーン・フェリアー、ユリウス・パツァークによる1952年DECCA録音です。

ワルターはこの作品の初演を指揮したひとですよね

これも上記クレンペラー盤と同様、歌い廻しや表情付けが東洋ふうの五音音階とは異質な印象ですね。さらに、ここでのフェリアーの歌唱はそれほどすぐれたものとも思えないし、パツァークに至っては声(量)もなく、表現も二流以下、ホントに酔っぱらっているんじゃないかという歌いぶりです。フェリアーについては好みの問題かもしれんと思いますが、パツァークなんてどこがいいのかさっぱり理解できません。ここにはLP1点、CD1点の写真を並べましたが、じつはほかにも持っていて、それはいつかこの演奏の美点に開眼するのかなという期待からなんですが、現在までのところ、このdiscにはほとんど魅力を感じられないでいますね。音質もこの時期のDECCA録音らしく残響感のない、かなりドライなもので、全体にこもりがちなのが残念です。

でも、クレンペラーの場合も含めて、東洋ふうの五音音階というのは私たち日本人にはあまりにも馴染み深いので、よけいに「通俗」と感じてしまうのかもしれませんよ。マーラーやその同時代人には、ことばどおりの意味で「異国趣味」と受けとられたのではないですか?

それは一理あるね(^^*




こちらは同じくブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏による1948年1月8日、カーネギー・ホールにおけるlive録音、ソロはカスリーン・フェリアーとセット・スヴァンホルム。NAXOSのCD。

音質悪く、歌手の声も歪みがちです。途中からいくらかよくなるんですが、第4楽章や第6楽章のフェリアーなんて、これは「下手」と言うべきじゃないでしょうか。ワルターのdiscはほかにも何点かある以上、あえてこのdiscの出来を云々することもないと思っています。



それではワルターが駄目なのかというとそんなことはありません。こちらはニューヨーク・フィルハーモニックとの1960年の録音。ソロはエルンスト・ヘフリガーとミルドレッド・ミラー。ワルターの「大地の歌」ではこれが唯一のstereo録音。

これはHoffmannの大好きなdiscで、ワルターの指揮は程良い枯れ具合で、この作品の気分にふさわしく、ヘフリガーのテノールも端正でたいへん好ましいものです。さらにミルドレッド・ミラーがいいんですね。おそらくこの歌手がいいというひとはほとんどいないのだろうと思いますが、かなり抑制気味の淡々とした表現ながら、内面的な表情が作品そのものから自然と浮かびあがってくるんですね。ここでのワルターのスタイルとはひじょうによく合っていると思います。


右は蘭PHILIPSのmono盤ですね

これがまたいい音なんだよね(^^*

かえって密度が高くなったというか、表情が濃く、凝縮されたような印象がありますね

うひゃあ!Σ(゚□゚;;

どうなさったんですか?(・o・;;


いま検索して知ったんですが、例の「教祖様」が、フェリアーよりミラーの方が好きだと言っているんだとか。あああああ、イヤだなあ、あんなのと同意見だったなんてかなわんなあ・・・誓って言っておきますが、Hoffmannは決して他人の評価を模倣も引用もしておらず、当然参考にもしておりません。いわんや彼の「教祖様」においておや!

「教祖様」がHoffmannさんの真似したんじゃないですか〜(^o^;



ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の戦前1936年5月24日live録音。ケルスティン・トルボルクとチャールズ・クルマンのソロ。これこそ奇蹟の演奏です。あらゆる楽器の、むせかえるように濃厚な表情付けが絶妙で、諦念・厭世・告別の感情表現は他に類を見ないほどの切実さで胸に迫ってきます。Hoffmannは、とくに「告別」の楽章の“Die liebe Erde allueberall ・・・”の件、この静かな爆発ともいうべきクライマックスに至ると、大きな感動の波に浸されるのを抑えることができません。録音もこの時期のものとしてはかなり上質です。

私が聴いたいくつかの演奏のなかでは第4楽章など、抑えすぎず、騒ぎすぎず、ひじょうにバランスがいいのですね

そうそう、そのあたりの設計も巧みで、でもことさらに「巧み」と感じさせないのがワルターらしいんだな

やはり師であるマーラーへの共感故でしょうか・・・

ちなみに写真左は東芝のGR盤LP、右はMusic & ArtsのCDだよ

音質は左の東芝GR盤LPのほうが圧倒的にいいですね




ワルター盤はさらに二種、手許にあります。これは1953年2月22日ニューヨークでのlive録音で、オーケストラはフィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラとのみ表記あり、ソロはエレナ・ニコライディとセット・スヴァンホルム。Music & ArtsのCD。

やや高域強調気味ながら音質はなかなか良好(ただし終楽章では途中で響きががらりと変わる箇所あり)。ためか、表情の振幅が大きいと聴こえます。演奏の傾向は1952年のウィーン・フィル盤よりも1960年のニューヨーク盤に近いようです。スヴァンホルムは衰えを隠そうとしてか、力みがち。ニコライディはやや不安定。




こちらは同じくワルター指揮、やはりフィルハーモニック・シンフォニー・オーケストラとの表記(たぶん上記1953年盤ともどもニューヨーク・フィルでしょう)、モーリーン・フォレスターとリチャード・ルイスのソロで、1960年4月16日live録音。レーベルはCURTAIN CALLという会社のCDですが、製造は日本のDENON。

これは上記CBSのstereo盤と同年の録音とあって、演奏はほぼ同様傾向。liveならではの雰囲気もあって(乱れもある)、とくにフォレスターがいい歌を聴かせてくれます。

Hoffmannさんはワルター盤ではどの演奏がいちばんお好きですか?

ワルターの残した録音のなかでは、最初の1936年盤と最後のstereo盤かな。この2種の録音では、アルトのソロに関してはかなり傾向が違うけれど、いずれもそれぞれに美点があるね。さらに1960年のフォレスターも魅力的だな




さて、戦前のワルター盤に続いて戦中の録音―第二次世界大戦勃発直後の1939年10月5日の、アムステルダムにおけるlive録音。カール・シューリヒト指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ケルスティン・トルボルク、カル・マルティン・エーマンのソロ。archiphonのCD。

このdiscは終楽章演奏中(長い間奏の直後)に、聴衆のなかから女性の声で“Deutscheland ueber alles, Herr Schuricht !”という声が聞こえる録音です。これはナチス支持者がユダヤ人の音楽を演奏するドイツの指揮者に対して抗議したものか、あるいは反ナチスの立場で抗議を込めて指揮者に皮肉をとばしたものなのか・・・。

いずれにしても、ある意味、異様な「時代の証言」となった記録ですね(・・;

戦後のシューリヒトは前につんのめるような性急ともとれるテンポと禁欲的なまでに引き締まった響きが特徴的ですが、ここではテンポもそれほど極端ではなく、意外なほど耽美的な表情を垣間見せる演奏で、ときに「ちょっと大げさか?」と思われるほど。これはメンゲルベルクのオーケストラならではの味なのでしょうか(弦のポルタメントなど)。歌手もそうしたスタイルに合わせてか、とくにエーマンは表現意欲旺盛な、振幅の大きい表情の変化が聴き取れます。そのエーマンも印象的ですが、やはりトルボルクは桁違いの名唱。音質は時代を考慮すればかなり良質なもの、ただし復刻もとのSP盤の傷みで、後半ノイズが目立つ箇所あり。

それにしても、あの女性の声・・・(・・;;

結構若い、しかも感情を抑えたような冷静な声で、はっきりと発音している・・・この演奏、なんとも特殊なレコード(記録)になってしまったものだね(-_-)



もう一度ワルターの1936年盤を振り返って、ケルスティン・トルボルクとチャールズ・クルマンの歌唱に耳を傾けると、これがまったく古びた印象がなく驚かされます。むしろ1952年盤のフェリアー、パツァークの方が古臭く聴こえるんですね。そこで同じトルボルクとクルマンが歌っているdiscをもうひとつ―アルトゥール・ロジンスキー指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによる1944年11月19日のlive録音。楽章ごとに拍手が入ります。

歌手はもうさすがというほかありません・・・が、ロジンスキーの指揮が一本調子です。もっと多彩な表情を求めたいですね。とくに管楽器などのソロの表情はかなり大味。作品が内包する深い世界を描き切れていないと感じます。そのためか、歌手の出来もワルター盤のほうがより上と聴こえるんですね。



戦後のマーラー・ルネサンスと言えばレナード・バーンスタインですね。これはイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を振った1972年の録音。クリスタ・ルートヴィヒ、ルネ・コロのソロ。左の国内盤LPはSQエンコードされているためか、位相が乱れて音像ボケ気味なのが残念。

オーケストラは超一流とはいかないんですが、やはりバーンスタインの音楽造りはすばらしいものです。若い頃からマーラーとなると世の苦難を一身に背負ったような没入型の演奏をするバーンスタインですが、ここでもとりわけ「告別」の楽章における感情移入ぶりはこの指揮者ならではのものですね。ルートヴィヒのソロも深い内容を感じさせ、あえて言えばコロはまだまだ若く、ルートヴィヒにくらべれば表面的な印象もあります。それでもその若さがまんざら短所とばかりなっているわけではなく、むしろこの作品には似合っていると受け入れることもできるんですね。


例の“Die liebe Erde allueberall ・・・”の件、この演奏もすばらしいですね

いっそ感情に溺れてしまうことも厭わない、バーンスタインらしい歌わせ方だよね

この演奏、DVDも出ていましたね




じつは上のイスラエル・フィル盤はバーンスタインの再録音で、この1966年録音のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の方が先でしたね。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、ジェイムズ・キングのソロ。偶数楽章をアルトでなくバリトンが歌ったDECCA録音です。

ウィーン・フィルは上記イスラエル・フィルより上手いんですけどね・・・HoffmannはF=ディースカウが嫌いなんですが、それを別としても、やはりバリトンには抵抗を感じます。

「慣れ」じゃないんですか?(^^*

まあ、そう言われても反論はしないけど・・・(^^A;

たとえば「告別」なんて、男性の立場による歌詞ですよね

だからさ、バリトンで歌われると生々しくなっちゃうんだよ、ましてF=ディースカウみたいな巧みな歌い口(ホメているのではないよ)だとよけいに・・・まるで他人の嘆きを一歩身を退いて眺めているみたいになる。ここは無常感と友との別離を普遍化して、だれが聴いても感情移入できるような音楽であって欲しいね

・・・と、理屈をこねてみましたが、F=ディースカウが高めの音域で声を張り上げると、Hoffmannにはまるでオカマが自己陶酔しているように聴こえるんですよ(^_^A;



バリトンといえばこれも偶数楽章がF=ディースカウによって歌われたdisc。演奏はヨーゼフ・カイルベルト指揮バンベルク交響楽団、テノールはフリッツ・ヴンダーリヒ。左はClassic OPTIONSなるレーベルのCDで、1964年4月録音と表記されていますが、右は1963年と表記されたCIN CINというレーベルのCD。演奏時間はまったく同一。ただしClassic OPTIONS盤は第4楽章がtrack4とtrack5に2回収録されています(つまり全6楽章でtrack7まである)。

チンチン・・・?(・∇・;


花ちゃん、それは「乾杯」という意味よ〜(^0^;


まあ、カイルベルトの指揮でなかったら買わなかったが・・・(^^;

これ、ピッチが高いような気がするんですが。音質はCIN CIN盤(笑)の方が鮮明ながら、演奏時間が同一なので、ピッチに関しては同じこと。もともとの録音時、機材のtape回転数が遅かったのでは? カイルベルトがバンベルク交響楽団を振ったレコードは現代のオーケストラとくらべると、どれもややピッチが低く、さらに言えば音程が悪いような気がします。このdiscは妙にピッチが高いみたいで、どうも落ち着いて愉しめません。それでも聴いていて気が付くのは、オーケストラの音色が渋めで、技術的にはいま一歩ながら、情感豊かな演奏であること。ヴンダーリヒが熱唱、F=ディースカウは好みを別にしても、ここではあまり出来が良くないようです。

これで女声が起用されていたら・・・

よかったかもしれないね(-_-;ザンネン



ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送(NDR)交響楽団による演奏、ソロはナン・メリマン、フリッツ・ヴンダーリヒ。左はDISQUES REFRAINのCDで1964年4月のlive録音と表記、右はBella VoceのCDで1965年4月4日と表記されています。

上記カイルベルト盤とほぼ同時期のドイツでの録音―というか、こちらも「いかにも」なレーベルから発売されたCDで、しかも2種のdiscをくらべると録音年の表記が異なるという点、カイルベルト盤と同じなんですね

カイルベルト盤は演奏時間がすべての楽章でまったく同じなんですが、この2種は終楽章のみ同じで、ほかの楽章は微妙に異なります。

DR盤 I 8'55''、II 9'09''、III 3'07''、IV 6'35''、V 4'09''、VI 28'06''
BV盤 I 9'03''、II 9'02''、III 3'17''、IV 6'46''、V 4'12''、VI 28'06''

まあ、この種のdiscであまり細かいことを詮索をしても仕方がありません(^^;
厳密に比較してみたわけではないんですが、どうも同一録音のようなので、同じものとして扱います。

これもオーケストラの音色が渋くていいですね。表現にも派手さはないんですが、人肌の暖かさを感じさせるような息遣いのフレージングは、これはこれでたいへん魅力的です。ところどころ木管が張り出して聴こえるのは、はじめ録音のせいかと思ったんですが、どうもそのように演奏しているみたいですね。ここでもヴンダーリヒは熱唱、第1楽章はちょっとはらはらする場面もあるんですが、さすがに上手く切り抜けています。メリマンは、「告別」ではやや抑制気味とも聴こえるオーケストラをバックに、滋味あふれる歌を聴かせてくれます。



ここでちょっとオランダに飛びましょう。エドゥアルト・ヴァン・ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ナン・メリマンとエルンスト・ヘフリガーのソロによる1956年12月の録音です。

上記シューリヒトの客演を別としても、戦前・戦中のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団といえば、ワルター同様マーラーの弟子にあたるウィレム・メンゲルベルクが長く首席指揮者を務めていましたね。従ってマーラー演奏に関しては伝統のあるオーケストラです。残念ながらメンゲルベルクの指揮によるマーラーの交響曲は第4番しか録音が残されていません。

戦後、ナチス・ドイツへの協力により首席指揮者の地位を追われたメンゲルベルクの後任がこのベイヌムですね。いや、個性派(自己流?)の指揮者の後任がオーソドックスな音楽造りをするタイプであるというのもおもしろいですね。フィラデルフィア管弦楽団がストコフスキーの後任にオーマンディを迎えたのと似ていまる・・・かな?

冒頭からオーケストラの落ち着いた渋い音色がとりわけ印象的です。どこかのスピーカーじゃありませんが、「いぶし銀のよう」なんて形容をしたくなりますね。しかも上手い。結果、酸いも甘いも噛み分けた大人の音楽になっています。客観的にも、耽美的にも、いずれに大きく傾くこともなく、とにかくバランスのいい演奏でありながら、つまらないとか退屈するとかいうことがない。メリマンとヘフリガーの歌唱も同様の表現で、これ見よがしにアピールポイントを主張することはありませんが、数ある「大地の歌」のdiscのなかでもきわめてすぐれた演奏として、これは声を大にして絶賛しておきたいですね。


ひとによっては物足りないと感じるかもしれないけど・・・

私は物足りなくないですよ(^^*

あまり過激なことは言いたくないんだけど、こういった演奏に「感じる」気持ちを大事にしたいんだよね。いまどきは無闇に刺激の強いものだらけで、ひとの感性も鈍りがちだから・・・微妙な味わいが分からなくなってしまう、そんな危険な時代だよね

ところで、これはLPが2点、CD1点お持ちなんですね

左のマーラーのブロンズ像の写真をあしらった函はEpicの米プレスLPで、メリマンによる「さすらう若人の歌」を併録している。中央は同じ内容の2枚組で蘭PHILIPSのプレス。右はCDだね

Epic盤は残念ながら音質はやや荒れ気味ですけれど、このジャケット・デザインには捨てがたい良さがありますね




こちらはオーケストラも歌手も上記ベイヌム盤と同じで、指揮がオイゲン・ヨッフムによる1963年の録音です。DGGの独プレスLP(ジャケットはフランス語ですが中身は独盤)。

ヨッフムはまずまず長生きして、その風貌からも、いかにもドイツの巨匠的な指揮者といったイメージを抱きがちですが、じつは若い頃から晩年まで、結構モダンな感覚の持ち主ですね。ここでもヨッフムの棒はオーケストラから洗練された響きを引き出して、なかなか切れ味のいい演奏になっています。ただ、それだけに陰影に乏しい。なんだかあっという間に聴き終わってしまい、あとになにも残らない。決して彫りの浅い演奏ではないんですが、妙に楽天的。折り目正しい楷書体。歌手は悪くないのにオーケストラはテクストに無関心といった印象です。

同じオーケストラと歌手でもこれほど違いますかね〜




もうひとつ、コンセルトヘボウの「大地の歌」、ベルナルト・ハイティンク指揮、ジャネット・ベイカーとジェイムズ・キングのソロ。蘭PHILIPSのLP。

ハイティンクといえばオペラでもシンフォニックに演奏してしまう傾向がありますね。ここでも機能的に申し分のないオーケストラがよく鳴って、ていねいな表情付けがそれでも自然体と聴こえるあたり、ハイティンクらしいところ。あまり歌手のことなんて気にかけていないような指揮でありながら、自然体だから歌手も歌いやすそうです。ところが響きが明るすぎて、上のヨッフム盤にくらべても陰影に富んでいるとは言い難いんですね。ベイカーは知的な歌唱。録音は細かい音も鮮明でありながらゆったり全体の響きを聴かせる、PHILIPSならではのものです。

やはりオーケストラは少し素っ気ないかなと思うんですよね。それに私は、クレンペラー盤についてHoffmannさんがおっしゃったチグハグ感が、ここでも気になるんですが・・・(^^;



ここまでのアメリカ録音といえばニューヨーク・フィルばかりでしたね。これはシカゴ交響楽団の録音で、歌手はワルターの1960年盤と同じモーリーン・フォレスターとリチャード・ルイス、指揮はフリッツ・ライナーです。録音は1959年。左は国内盤LP、右は米プレスLPで2枚組、余白(第4面)にハイドンの交響曲第88番が収録されているというヘンな組み合わせのレコードです(^^;

意外なほどシンフォニックに傾かないのは、若き日にオペラハウスの経験を積んだベテラン指揮者ならではでしょう。ライナー、シカゴ交響楽団というとオーケストラの機能性重視の、完璧なアンサンブルといった評価が一般的ですね。たしかにそうした一面はありますが、なんとかのひとつおぼえ的にまるでそれだけの演奏と決めつけているひとは、きっと「ローマの松」だの「展覧会の絵」だの「ツァラトゥストラはかく語りき」だのといった、内容のない音楽(失礼)ばかり聴いているんじゃないでしょうか。Hoffmannさん、過激すぎますよ〜(^o^;ここでの演奏はクレンペラーとは別な意味で、感傷を廃した骨太のロマンティスムと感じられます。細部における抑揚から聴き取れる呼吸は、マーラー演奏として決して場違いな印象はありません。歌手にフォレスターを得たのもこのdiscの大きな美点となっています。

木管のソロなんてなかなか味わい深いんですが、欲を言えば金管にもう少し表情豊かな表情があれば・・・

録音はフォルテシモでちょっと音がつまり気味なのが残念だな

右の米プレスLPはmono盤で、盤質は決していいとは言えないんですが、音質はまんざら悪くないですね。monoなのにかえって奥行きを感じとれます

関係ないけどこの国内盤の見開きジャケットに印刷してある解説、指揮者について書かれている文章を(よせばいいのに)読んでみたら、10行もあれば充分なことをその20倍位の分量に引き延ばしてだらだらと・・・で、結局なんにも言っていないんだよ・・・(;゚ Д゚)

平仮名を多用する「あの方」ですね(^^;




チェコ出身でマーラー演奏をさかんに行った指揮者のひとりがヴァーツラフ・ノイマンですね。これはノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、クリスタ・ルートヴィヒ、トーマス・モーザーによる1983年のlive録音です。Le chant du mondeのCD。

2度目の交響曲全集録音はついに完成されず、Hoffmannもその2度目の録音はひとつも聴いたことがないんですが、最初の全集は手許にあります(「大地の歌」含まれていません)。ノイマンのマーラーはひとことで言えば端正で客観的、クールな演奏で、よく言えば夾雑物のないストレートなさわやかさが印象的です(ひと言じゃないな・笑)。もっともチェコ・フィルは、その知名度のわりには国際的な一流オーケストラとは言い難く、そのさわやかさも響きの薄さ故ともとれます。ここでの「大地の歌」の演奏も、ノイマンのアプローチと相俟って響きの彫りが浅く聴こえ、いささか物足りないのも事実です。モーザーは大人びた落ち着きがこれはこれで悪くはないのですが、もう少し若々しさがあってもいいですね。ルートヴィヒはノイマンの音楽造りとはやや異質です。フレーズがあっさりしているので、とまどいつつ先を歌い続けているみたいに聴こえます。極端な例になりますがもっと主情的なバーンスタインなどの方が、ルートヴィヒの歌唱とは相性がいいんじゃないでしょうか。





もうひとりのチェコ出身の指揮者、ラファエル・クーベリック、バイエンルン放送交響楽団による演奏、ソロはジャネット・ベイカー、ヴァルデマール・クメント。1970年2月27日のlive録音です。クーベリックも交響曲全集を録音しているものの、「大地の歌」は収録されていませんでしたから、この記録は貴重ですね。

チェコ出身といっても、クーベリックは1948年のクーデター時にチェコの共産主義化に反対して亡命、1990年まで祖国には戻りませんでしたから、チェコ出身だからとノイマンとともにひとくくりにするのはややこじつけですね(*^^)(^o^A;;

クーベリックの音楽造りというのは、やはり旧世代の指揮者らしく、アクセルとギアを駆使して表情を付けながら、楽曲を進行させていくものですね。とはいえ、おっとりゆったりではなく、時には野性味さえ感じさせる大胆さもあります(とくに晩年)。DGGの交響曲全集は、クーベリックとしては時期がやや早すぎた感もあり、響きはふくらまず流れもやや硬い、またDGGの録音がその傾向を助長しているようです。

この「大地の歌」は、第1楽章から先に述べた「野性味」を感じる演奏です。どうもクーベリックというひとはlive録音の方が圧倒的に個性が発揮されているんじゃないでしょうか。クメントは表情豊かに歌いはじめるものの、ところどころ苦しそう。その磊落ぶりはおもしろいんですが、情感豊かとはいかないのが残念です。ベイカーは逆に知的なコントロールが行き届いた歌唱で、一見淡々と歌っているようでありながら、作品の内面にまで充分踏み込んでいるのはさすがですね。「告別」ではオーケストラがバックで豊かな情感を醸し出しており、それがここでは「異質」といった印象とはならず、むしろこうした歌手と指揮者の組み合わせがおもしろい効果を生んでいますね。

オーケストラの音色の魅力も特筆ものですね




これもベイカーが歌っているdiscです。ルドルフ・ケンペ指揮BBC交響楽団、ソロはジャネット・ベイカーとルドヴィク・シュピース。1975年10月8日のlive録音。BBC LegendsシリーズのCD。

ケンペはフレーズの末尾で粘ったりしないので、濃厚なロマン主義音楽といった印象ではありませんね。こうした音楽造りだと、指揮者によっては表現主義的になるんですが、むしろ古典主義的な構築性が強調されたように聴こえるあたり、ケンペらしいところです。上品なオーケストラですね。そのため第4楽章のある意味、全曲通してのヤマ場はちょっと中途半端です。このあたり、いま一歩コントラストを強調してもよかったんじゃないでしょうか。オーケストラのソロがやや魅力に乏しいのも気になります。べつに下手じゃないんですが、自発的な表現意欲が感じられないような気がします。シュピースはクセのある声で、やや気品に欠けるのが残念。ベイカーはここでも知性派の面目躍如・・・なんですが、上記クーベリック盤にくらべると、とくにテンポの遅いところでは耽美的になりすぎない一線を守りつつも、ずいぶん表情に変化を付けていますね。

オーケストラも「告別」では徐々に緊張感を盛り上げていますね。管楽器など健闘していると思いますが・・・

細部の表情付けとしか聴こえなくて、クライマックスでも音楽の大きなうねりを生み出すには至っていないと思うんだよ




ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮BBC北(ノーザン)交響楽団、アルフレーダ・ホジソン、ジョン・ミッチンソン。1972年4月28日のlive録音。これもケンペ盤と同じBBC LegendsシリーズのCDです。

ホーレンシュタインもマーラーの録音は少なくないようですが、Hoffmannはこの「大地の歌」しか持っていません。やや遅めのテンポで、派手ではないのですが、響きは明るめ。ただしオーケストラは一流とは言えませんね。結構フレーズの各所で粘るので、濃厚な後期ロマン主義的な演奏かと思いきや、情緒的ではなく意外と客観的。逆に言うと、粘ったり間をとったりしているのも、どこか恣意的に感じられます。この演奏で「大地の歌」を聴きたいかと訊かれると、ちょっと困りますね。なんだか別の音楽を演奏するための手法でこの曲もやってみました、と聴こえます。歌手ふたりは格別すぐれた歌唱でもありませんが、なかなかいい声を出していて、この作品にふさわしいといっていいでしょう。


恣意的に聴こえる、というのはやはりオーケストラの技術的な限界かもしれませんね




ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1970年12月15日のlive録音です。ケンペ盤と同じくルドヴィク・シュピースが歌っているんですが、discにはクリスタ・ルートヴィヒ、ルドヴィク・シュピース、ホルスト・ラウベンタールの名前がクレジットされています。どうも第1楽章はシュピース、第3、5楽章はラウベンタールが歌っているみたいですね。カラヤンには1961年のウィーンでもワーグナーの「パルジファル」でクンドリー役を第1、3幕と第2幕で歌手を交代させた「前科」がありましたね(笑)こうしたアマチュアじみたアイデアを思いついて実行してしまうあたり、むしろほほえましいくらいなんですが・・・。

カラヤンでなかったら、歌手も納得しないでしょう。また、クンドリーならばともかく、この「大地の歌」の場合、それなりの自負心のある歌手であったら出演を拒否するんじゃないでしょうか。つまり、なにが言いたいのかというと、シュピースもラウベンタールもどうということもないんですね。第1楽章は脱俗詩人の磊落ぶりを、第3、5楽章はより若さを際立たせようとしての人選と思われますが、たいした効果があるとも思えないし、シュピースは品格に欠けて、ラウベンタールはこれといってすぐれた歌唱でもない。オーケストラは機能的には上手いものですが、カラヤンの指揮は外面を飾り立てているのみ。ルートヴィヒがひとりいい歌を聴かせてくれますが、クレンペラー盤やバーンスタイン盤での歌唱に及ぶものではありません。





上の「大地の歌」は正規録音ではなく、こちらがカラヤンのマーラー・レコーディング第一弾、オーケストラはベルリン・フィル、歌手はバーンスタインの再録音盤と同じでクリスタ・ルートヴィヒとルネ・コロ。1973年12月〜1974年1月の録音。

ゴージャスなサウンド、豪華絢爛に飾り立てられた甘ったるいケーキのような音楽になっています。耽美的というより、ひたすら俗っぽい甘美さを演出するばかり。歌手も器楽の一部にすぎない扱いを受け、それでもルートヴィヒは自分なりの表現を試みているんですが、コロは指揮者の支配下に入って、内容のないただ甘美なだけの歌をたれ流しといった有様です。

なにも考えないで聞き流せるから、BGMには最適かもね(笑)

まあ、このあたりのご意見は、だいたい予想はついていましたけど(^o^;

それじゃ、もうよそう(^o^*

(/_ _)/ドテ





クラウス・テンシュテット指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ソロはアグネス・バルツァ、クラウス・ケーニヒ。録音は1982年12月と1984年8月と、間があいていますね。

テンシュテットといえばカラヤン存命中のひところ、小澤征爾とともにベルリン・フィルの首席指揮者の後任候補として名前があがり、これがきっかけとなって、また同時にレコード録音もさかんに行われて、我が国でも知られるようになったのでしたね。Hoffmannはテンシュテットの正規録音はほとんど聴いており、またロンドン・フィルを率いての来日公演に接したこともありますが、必ずしも好きな指揮者とは言えないんですね。カラヤンほどではないんですが、音楽がつねに横の流れを重視されているようで、重層的なおもしろさや発見がない。だからベートーヴェンやブラームスなどはさっぱりおもしろくないし、マーラーの交響曲全集など、高度な次元であらゆる要素を消化しているにもかかわらず、旋律線重視で作品にある響きそのものの魅力が感じとれないんですね。これは正規録音でないlive録音となるとさらに顕著で、どうも弦楽器奏者出身の指揮者には、こうした傾向のひとが多いような気がするんですが・・・(-_-;先入観・偏見かなあ?


・・・ちょっとテンシュテットに厳しすぎましたね。それでも、マーラーを振ったときのテンシュテットは格別にすばらしい。Hoffmannもこの指揮者によるマーラーは大好きです。とくに第3、5、6番あたりを聴こうというときには、テンシュテット盤に手が伸びてしまうことが多いんですよ。さて、この「大地の歌」は、比較的モノフォニックというか、対位法的な箇所でも縦の線の結びつきはゆるやかなので、テンシュテットの音楽造りには有利な作品だと思います。旋律やダイナミクスのうねりは音楽に深い内容を感じさせ、あたかも一音一音に感情を込めているかのような情緒的なオーケストラはしかし決してモノモノしくならず、なるほどテンシュテットらしいマーラーになっています。ここではとくに弦楽器群の健闘をたたえておきたいですね。ケーニヒもそのテンポによく合わせて熱唱していますが、歌手はバルツァも含めて、録音のせいかやや引っ込みがち。このため、テンシュテットの音楽がより印象強烈になるんですが、「大地の歌」では、もう少し手前にせり出して欲しいですね。バルツァは(ほかの歌手たちにくらべて)やや線が細いためか、歌のテクニックが際立ち(すぎて)、もっと自然に内面的な表現をして欲しいところです。

まあ、バルツァはHoffmannのあまり好きではない歌手なので、割り引いて読んでくれてもかまわんよ(^o^;


私も、決して美声とは思いませんけど・・・(^^;

ちょっと鼻にかかったような声と聴こえるんだよね(^^;

花がどうかしましたかっヾ(・∇・*



ガリー・ベルティーニ指揮ケルン放送交響楽団による演奏、ソロはマリヤーナ・リポヴシェク、ベン・ヘプナー。1991年11月16、17日東京サントリーホールでのlive録音です。

1983年、若杉弘が退いたあとのケルン放送交響楽団の首席指揮者に就任した際、なんでも「このオーケストラを10年でベルリン・フィル並にする(追いつき、追い越す)」と豪語したとか。以前にも書きましたが、若杉ファンとしてはフクザツながら、たしかにこのオーケストラはベルティーニの棒の下で、その後目に見えてレヴェルアップしたんですね。

マーラーに関しては交響曲全集があり、一部は東京でのlive録音、この「大地の歌」もそうですね。Hoffmannはこの指揮者とオーケストラの来日公演も複数回聴いているんですが、discで聴くのと同じく、とにかく緊張感の張りつめた演奏です。先にクーベリックのところで、「旧世代の指揮者らしく、アクセルとギアを駆使して」なんて言いましたが、これは必ずしもテンポに関してだけの比喩ではありません、ハッスルしたり(笑)緩んだり・・・というたとえでもあると、言わずもがなのことを付け加えた上で、ベルティーニは正反対であると断言します。相当長大な作品でも、あたりまえのように緊張感が持続するのは驚きです。ひとによっては息苦しいとさえ感じるかもしれません。それだけに、各部での表情付けは入念で、つねに指揮者のコントロールを意識させます。その点ではマゼールとも似ているんですが、時に茫洋とするマゼールに対して、ベルティーニは引き締まって聴く側にも緊張を強いるようなところがありますね。響きもやや硬質。歌手はふたりともに安定した歌唱、その歌も録音面でテンシュテット盤よりもバランスは良く、演奏面でオーケストラとのポリフォニックなからみを意識させる点で稀有なdiscですね。


しなやかで強靱でありながら引き締まった響きで、細部に至るまで無駄がありませんね。だから緊張感が途切れないと感じるのでしょうね




こちらは同じくベルティーニ指揮東京都交響楽団、スーザン・プラッツ、ヨルマ・シルヴァスティのソロによる2003年11月29日横浜みなとみらいホールにおけるlive録音です。1998年、これまた若杉弘のあとを襲って東京都交響楽団の音楽監督に就任したベルティーニによる再録音です。fontecからlive盤が何点か出ているようですが、Hoffmannはこの「大地の歌」しか持っていません。

基本的にはケルン放送交響楽団との演奏と同じ路線なんですが、いやはや、東京都交響楽団はびっくりするくらい上手いですね。知らずに聴いたら日本のオーケストラであると言い当てるひとはいないんじゃないでしょうか。しいて言えばとくにテンポの速いところで、細かなニュアンスが浅くなりがち。どうしても上品な方に傾くんですね。それでもベルティーニのトレーナーとしての才覚は(ケルンで実証済みとしても)驚くべきものでしたね。歌手は若手を起用して、とくにシルヴァスティが魅力的。プラッツは声は悪くないんですが、表面をなぞっているだけと聴こえ、いま一歩内面に踏み込んでいく表現を望みたいところです。

ケルン放送交響楽団との録音があるのでやや分が悪いですね。逆に言うと、この指揮者の場合スタジオ録音でもlive録音でも、持続する緊張感に変わりはないんですね

それでも都響とのほかのdiscも聴いてみたくなるね(^^*




さて、ケルンでも東京でも、ベルティーニに追いかけられた(笑)若杉弘の指揮によるdiscです。演奏は東京都交響楽団、伊原直子、田代誠。1991年10月18日サントリーホールでのlive録音です。

このオーケストラは若杉弘の指揮でマーラー交響曲全集のほかにも、いくつかCDを録音しているんですが、順を追っていくと次第に実力を上げていく様子がよく分かります。この「大地の歌」でも、日本のオーケストラにはめずらしい、自発性―表現意欲をうかがわせる好演となっています。ただ、ベルティーニはさらにレヴェルアップさせましたね。まあ、若杉弘が下地を造っていた、としておきましょうか(^^;Hoffmannは若杉ファンなので、やや複雑な心境なんですよ。

若杉弘のマーラー演奏は、東京都交響楽団のほか在京のオーケストラ、あるいはケルン放送交響楽団との演奏で何度か聴いたことがありますが、いつでも音楽に内在するあらゆる要素の、どれもスポイルすることがない、細部まで神経の行き届いたものでしたね。それだけに、まとまりは悪くないのに、響きがもうひとつ洗練されないところもありました。さらに息の長いフレーズを巧みに歌わせながら要所要所で区切りをつけるあたりがオペラ指揮者らしく、またそれが音楽に内容を感じさせる要素のひとつとなっています。


この「大地の歌」に関しても同様の印象ですね。第4楽章や終楽章の長い間奏など、処理のうまさを感じさせる箇所には事欠かないんですが・・・続けて聴いたせいでどうしてもベルティーニ盤と比較してしまいます。やはりオーケストラの響きがやや細身で、どことなく柳腰のマーラーと聴こえるんですね。声はやはり引っ込みがちで、とくに田代誠は録音のせいもあるかもしれませんが、全体の響きに埋没寸前です。伊原直子は豊かな声で深さも感じられるものの、vibratoをかけすぎてやや線(輪郭)が不明瞭になっています。

「柳腰のマーラー」ですか・・・(^o^;

この演奏を人間に例えたら、「もっと肉を食べなさい」と言いたいタイプだね(^^;




エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団、ソロはヤルド・ヴァン・ネス、ペーター・シュライアーによる演奏。1988年3月24、25日録音。これは交響曲全集のdiscから。

インバル、フランクフルト交響楽団はマーラーのdiscで一躍名前が知られるようになったようですが、それより以前にもPHILIPSにいくつかレコード録音があって、また西ドイツ放送局の提供によるtapeがNHK-FMでもたびたび放送されており、一部では注目されてた指揮者ですね。Hoffmannはこの指揮者とオーケストラの来日公演も聴いたことがあります。実演ではなかなか熱のこもった演奏だったんですが・・・。

指揮者の性向はマーラー演奏にふさわしく、各所の表情付けは堂に入ったもの。言い換えれば一般的にマーラー演奏が期待されるとおりの演奏なんですが、現代的に洗練されているあたりがインバルらしいところ。ただ、どうもdiscだと脱脂されたようなさっぱり感が物足りなく、オーケストラの音色も魅力に欠けるんですね。ついでに、技術的な限界も見えてきてしまいます。歌手はシュライアーが嫌らしいくらいあざとく、ドラマティックに歌唱を「演出」していて、もはや声が汚い。このひとはPHILIPSに録音した「マタイ受難曲」あたりからこうした傾向が強まってきて、正直なところHoffmannには聴くに耐えない歌唱です。ネスはスケールは大きくないものの、安定した歌唱で好感が持てますね。

「告別」はなかなか感動的じゃないですか? 破綻なくまとまっていて、オーケストラ、歌手とも作品の内容を表現するのに不足はないと思いますが・・・

これでもう少し響きに厚みが加わっていたらね。ソロも「意あって力足りず」の印象がある。まとまりのよさと、スケールの大きさが両立してくれればね

それにしても、ベルティーニ(ケルンRSO)、若杉、インバルの交響曲全集には「大地の歌」収録されていますが、「大地の歌」の収録されていない「交響曲全集」って、「全集」とは言えませんよね(^^;




ロリン・マゼール指揮バイエルン放送交響楽団、ヴァルトラウト・マイアー、ベン・ヘプナーによる1999年5月2〜3日、2000年2月5〜6日の録音。これもテンシュテット盤ほどではありませんが、間隔があいてますね。おそらく歌手の都合でそれぞれが奇数楽章と偶数楽章を録音した日時なんでしょう。余談ながら、クレンペラー盤の昔から、二人の歌手が一度も顔を合わせないまま完了したレコーディングがあるわけです。演奏の出来に影響がないというのなら、それはそれで欣快の至りではありますが、正直、なんだかなあとも思いますね。つい、live録音のdiscに手が伸びてしまうのも、無意識だとしてもそのあたりに理由があるのかもしれませんね。

さて、マゼールはウィーン・フィルと交響曲全集を完成させていて、しかしそこに「大地の歌」は収録されておらず、どうなるのかなと思っていたら、かなりの時を経てこのdiscが登場したんですね。ウィーン・フィルとのマーラー演奏は、マゼールの音楽造りに変化はなく、それでもオーケストラの特質を利用し、時には図らずも助けられ・・・といった印象でした。マゼールは、マーラーはいたってまともな人間であり、自分はその作品を純粋な音楽として演奏する、なんて発言をしていましたね。じっさい、マゼールは言ったとおりの演奏をしているようです。世のなかには、マーラーに関して、さんざん文学的・哲学的、あげくの果ては病理学的(?)なご意見を開陳して、なんのことはない、極めて凡庸な演奏しかしなかった、言行不一致も甚だしい指揮者もいますからね(マゼールはそうした「アタマでっかち」に対するアンチテーゼとして、上記のような発言をしたのではないかと思っています)。


この「大地の歌」でも、マゼールらしい入念な表情付けとやや強引なオーケストラのドライブは健在です。「言行一致」の音楽造りによって明るめに響く音色は、それでもウィーン・フィルよりは渋め。マーラーを純粋に音楽として(のみ)演奏することの是非に関しては、あまり意見を言いたくありません。いや、そうした姿勢には疑問もあるんですが、作品そのものに内在する要素は、そう簡単に消失するものではありませんからね。しかしながら、ここではマゼールの、まるで棒が見えるような、入念かつ身振りの大きな表情付けが、ちょっとうるさいですね。そのおかげで、構えが大きいわりには音楽がせせこましくなってしまった印象です。歌手は可も不可もなし。おそらくマイアーを悪く言うひとはいないだろうと推察されますが、Hoffmannには「告別」の楽章など、いささか手に余っているように感じられます。

たしかに、オーケストラをコントロールして雄弁に語らせるという点はベルティーニとも共通する傾向なんですが・・・(^^;表情付けはちょっとあざといくらい・・・こういったテクニックを披露するような演奏って、作品に対する共感とは異なる次元のものですね

だから煩わしく感じちゃうんだな。そのへんがテンシュテットやベルティーニとの違いだね




ちょっとここで特異なdiscを―ハンス・ロスバウト指揮南西ドイツ放送交響楽団、グレース・ホフマン、ヘルムート・メルヒェルト。1957年の録音。

客観的な演奏というより以上に、なんともドライな演奏ですね。思い入れたっぷりの後期ロマン派演奏によるdiscのあとに聴くと、その怜悧な音楽造りが際立ちます。感傷に溺れることを拒否したようで、それは淡々とした表情ではなく、金管などが無機的に響くのがまるで皮肉のように聴こえるあたりに感じられるんですね。弦など、ほかの指揮者ならここぞと歌わせる箇所もさっさと通り過ぎてしまいます。「告別」の長い間奏など、虚無的と言えば言えるんですが、単にあまり実力のないオーケストラが即物的に奏いているだけ、とも思えますね(^^;歌手はメルヒェルトがやや粗っぽいのが気になります。歌唱ばかりでなく、録音もマイクに口が近すぎるようで、大口(ビッグ・マウス)になっています。オーケストラもマルチマイク臭さが感じられて、しかも全体に高域上がり、聴いていて疲れますね。

響きに厚みがなくて、ハーモニーが感じられない(てんでバラバラ)・・・このマルチマイク的な音場感が、演奏のドライな印象に一役買っているような気がしますね




鬼才ヘルベルト・ケーゲルの指揮、ライプツィヒ放送交響楽団による演奏、ヴィエラ・ソウクポヴァー、ライナー・ゴールドベルクのソロ、1977年4月のlive録音のdiscです。

感傷に溺れない怜悧な音楽造り、虚無的なまでの透徹した響きというと、ケーゲルのいくつかのdisc(とくにシベリウス)あたりを思い出しますね。ワーグナーの「パルジファル」のdiscについては、以前あちらのページに書いていますのでご参照ください。ここでの「大地の歌」はHoffmannの予想と期待を裏切って、テンポやダイナミクスの振幅が大きい、意外なほど熱を込めた演奏です。それでも響きには独特のものがあって、どことなく表現主義的と言いたいようなクールな感触なんですよ。ゴールドベルクは朗々と歌いはじめるものの、あれよあれよという間に息も絶え絶え。ほとんどひっくりかえって第1楽章を締めくくり、第3、5楽章は多少持ち直すものの、表現は浅いですね。ソウクポヴァーは表情豊かで、指揮者の表現に合わせた歌唱ですね。

でも、身振りは熱いのに響きはクール・・・って、結果的にその身振りがどこか「本気」に聴こえないんですよ


たしかに、チグハグ感があるね

独特の響きも、あまり魅力的とは思えません。音色なんて、あえてオーケストラの特性を抑え込んだように聴こえます

きびしいね(^^;ケーゲルのマーラーならETERNA録音の第1番や第4番の方がより「普通」なんだけど、この「大地の歌」の方が個性的と言えるかもしれないね

「告別」なんて、この指揮者ならもっと淡々とやっても効果を引き出せたんじゃないかと思うんですよ




ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ヴィオレッタ・ウルマーナ、ミヒャエル・シャーデ。1999年10月録音のdiscです。DGGから出ているブーレーズのマーラーは、この「大地の歌」しか持っていません。

Hoffmannはかつての超辛口時代のブーレーズが結構好きですが、バイロイトに登場してのワーグナーもすばらしいと思っています。ところが近年DGGに録音されたドビュッシーやストラヴィンスキーは、なんだか妙に物わかりのいいオトナになっちゃったみたいで、どうも好きになれません。このマーラーも期待はずれでした。良くも悪くもウィーン・フィルの音色はどこからも聴こえず、歌手も含めて(シャーデは若々しさがあって悪くないのですが)全体に軽量級といった印象で、中途半端なロマン主義の残滓を見るようです。晩年のカール・リヒターを思い出させるような、後ろ向きのブーレーズ。

聴き終えたあとになにも残らないですね

あっさり淡泊で、とくに知的でもない。しいてこの演奏の長所をあげれば、破綻のないバランスのよさ・・・かな。それにしたってこぢんまりとまとまっちゃってるよね




これはフランスのオーケストラによる演奏―ジョルジュ・セバスチャン指揮フランス国立放送局管弦楽団(O.R.T.F.)のdiscです。ソロはリタ・ゴール、ケネス・マクドナルド。1969年ブザンソン音楽祭におけるlive録音。意外や仏harmonia mundiから出たマーラー作品のLP2枚組。他の収録曲は以下のとおり―

マーラー「亡き子を偲ぶ歌」
マーラー「さすらう若人の歌」
ベルリオーズの歌劇「トロイ人」からディドンの死
ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」から愛の死

すべてリタ・ゴール(Ms)による歌で、演奏は「亡き子を偲ぶ歌」のみデジレ=エミール・アンゲルブレシュト指揮O.R.T.F.、1959年録音、その他はピエール=ミシェル・ル・コント指揮フランスRTFリリック管弦楽団、1960年の録音です。つまり、リタ・ゴールに照準を合わせた企画盤ですね。


指揮は勢いで聴かせる印象ですね。第4楽章などはあまり工夫もなくて、「告別」などは微細なニュアンスに欠けるうらみがあります。ケネス・マクドナルドも同様に勢いで押しまくるといった歌唱、やや一本調子ですが、破綻なく歌いきっており、その点live録音としては立派。リタ・ゴールはやはり旧世代の歌手と言うべきでしょう(1926年生)。やや温度感の低い個性的な声はなかなか美しく、貫禄は相当なものなんですが、どうも堂々としすぎていて、テクストの内容が他人事のように聴こえるんですね。時に咆哮に近いと感じてしまうのは、現代の歌手(の歌唱)に毒されているため?(笑)

リタ・ゴールって、Hoffmannさんが「上手いんだか下手なんだかわからない」とおっしゃる歌手ですよね(^^;

・・・というのは決して嫌いではなく、むしろ魅力を感じているということなんだけど、ここではもっと細やかな表現を望みたいね

堂々としすぎているというか、終始フォルテシモで歌っているような印象を受けちゃうんですね(^^;




こちらは昨年(2006年)9月20日に亡くなったアルミン・ジョルダンの指揮モンペリエ・ナショナル管弦楽団の演奏、イリス・フェルミリオン、ドナルド・リタケルのソロによるdiscです。2002年2月1日live録音。

ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」のdiscについて、あちらのページでは、「作為的な小賢しさのない、言ってみれば純情な演奏」、「そのためかちょっと素っ気ない」なんて書いてますね。Hoffmannがジョルダンのdiscを聴いていつも感じるのは、この「純情」さです。聴くものの耳を惹きつけようなどという作為は感じられず、明快であるにしても別に明快さを志向したわけでもなく、本当に作品をありのまま音にしているみたいなんですね。それでいて即物的にならないところが純情と思えるんですよ。この「大地の歌」のdiscも、最初に聴いたときはさほど強い印象はなくて、何度か聴いていたらだんだん味が出てきました(^^*オーケストラは超一流ではなく、その響きも重厚ではないんですが音色は美しく、歌手もフェルミリオン、リタケルとも好演。ロマン主義的な憧憬は(抑制しているのではなく)やや控えめに表出されているかのようで、こうした演奏は聴く側が積極的に耳を傾けないと「素っ気ない」で終わっちゃいそうですね。

私もこの演奏、好きですよ。ほかのdiscで聴かれる濃厚な感情移入もマーラーならではですが、これを聴くと慟哭するばかりがマーラーじゃないなと思えてきます




カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。ブリギッテ・ファスベンダー、フランシスコ・アライサ。1984年録音。

ジュリーニは一見楽譜に忠実なようでいて、じつは細部がすべて自己流、という指揮者だと思っています。その結果、響きの線は明瞭でありながら、ふくらみがあってやわらかめ。カラヤンのように流線型でボケボケではないんですが、このふくらみが音楽のスケールを大きくしているようなところがありますね。それはとくにDGG時代の録音に顕著なんですが、ここではその響きのふくらみも控えめです。その分、思ったよりもテクスチュアが室内楽的に明瞭になっています。すべての音に対して真面目に気を配っていて―それはひところの新即物主義のバッハ演奏のようにすべての音を均等に鳴らしているのではないんですが―どことなく表現がフラットと感じられます(第3〜5楽章がいい例)。つまり、コントラストが弱くて、マーラーの諧謔味も深刻な内面への沈潜も等しく同じ観点からとらえられ、音にされているんですね。極めて精緻な演奏でありながら、物足りないと感じるのはそのあたりに原因がありそうです。

たしかに真面目ですね。私にはそれがちょっと窮屈と感じられました。まるで器楽の交響曲に歌手が迷い込んでしまったみたいです。ただ、「告別」ではこの精緻な美しさに惹かれるものがありますよ

そんな演奏ですから歌手はちょっと損ですね。録音もオーケストラの中に引っ込みがちです。アライサは力強くもなく、若々しくもなく、可も不可もなし。ファスベンダーは・・・Hoffmannの嫌いな歌手なので割り引いて読んでもらってかまいませんが、どうにも品格に欠けた歌唱ですね。

ファスベンダーというと、「薔薇の騎士」のオクタヴィアン役や「こうもり」のオルロフスキー役の下品きわまりない演技を思い出しちゃうんだよね(-_-;


それは・・・いくらなんでも先入観じゃないですか?(^o^;





同じくカルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のlive録音のdiscです。ソロも変わらずブリギッテ・ファスベンダーとフランシスコ・アライサ。1987年8月2日ザルツブルク音楽祭におけるlive録音。

ジュリーニのdiscでウィーン・フィルとの録音といえばDGGのブラームスやブルックナーの交響曲がありましたが、上記「大地の歌」はベルリン・フィルを振っていながら、響きには共通するものがあって、そのあたり、ジュリーニの流儀のあらわれなのでしょう。具体的に言うと、ベルリン・フィルにしては明るめかつ軟調の響きで温度感高め、悪く言うとベルリン・フィルにしてはコシが弱い。ところがこちらのlive盤だと微妙に芯のある響きとなっていて、これは録音の違いか、あるいはやはりオーケストラとの相性がいいためなのでしょうか。演奏はまったく同じコンセプトによるものでありながら、liveならではの感興に富み、いつになく動的な演奏となっています。そのため、多少緊張と弛緩のコントラストが強まった印象で、マーラーの音楽のあらゆる要素が生き生きと展開されていますね。歌手もアライサはこちらのほうが生彩があります。

ファスベンダーについてはコメントなさらないのですか?(^o^;





シェーンベルクとライナー・リーンによる室内楽編曲版のdiscです。Robert HP Platz指揮Ensemble Koeln、ソロはIngrid Schmithuesen、Aldo Baldin。ハンブルクの北ドイツ放送局での録音とあります。CDのレーベルはCanterino Musikproduktion。

ずっと以前に購入して一度聴いたきり、今回ひさしぶりに全曲聴いてみたんですが、やはりフルオーケストラ版のほうがいいなあと思いつつ・・・Schmithuesenはソプラノで、この可愛らしい声は好きですが、テクストの表現という意味では疑問。ただし室内楽版とあってややこぢんまりとまとまっているものの、intimateな魅力があって、そう考えると歌手も含めてこれはこれで悪くありませんね。

シェーンベルクの編曲は未完に終わって、ライナー・リーンが1983年に完成させたのですね




これも同じくシェーンベルク&リーンによる編曲版、オスモ・ヴァンスカ指揮シンフォニア・ラハティ室内アンサンブルの演奏、ソロはモニカ・グロープ、ヨルマ・シルヴァスティ。スウェーデンBISのCD。

これは室内楽版だからどうということではなく、「大地の歌」の演奏としてひじょうにすぐれたものと言っていいでしょう。矛盾するようですが、室内楽版の楽譜をあざやかに展開していながら、フルオーケストラ版とくらべて物足りなさを感じさせません。上記Platz盤のintimateに対して、こちらはフルオーケストラ版に一歩も譲らぬ(表現の)スケールの大きさと緊張感が持ち味ですね。シルヴァスティはベルティーニ、都響盤でも歌っていましたが、こちらの方が生彩があると感じるのはやはり小編成であるためでしょうか。グロープも豊かな声で深い内容を感じさせる歌唱です。

私も矛盾するようですが、これでこそ室内楽版で演奏する意義があろうというものですね

BISはLPレコード終末期に彗星のように現れたレーベルだね。その当時のLPはどれもすばらしい録音だった。いまのCDは当時のLPほどではないけれど、それでも良質な録音だよね

ヴァンスカといえばBISからシベリウスのdiscが続々とリリースされていますね


そういえばシベリウスにも「大地の歌」というカンタータ作品があって、ヴァンスカも録音していたね





2点追加です。



サイモン・ラトル指揮によるマーラーの交響曲録音が全集としてまとまったので入手しました。「大地の歌」の演奏はバーミンガム市立交響楽団、ソロはトーマス・ハンプソン、ペーター・ザイフェルト。1995年、12月28〜30日の録音。偶数楽章はバリトンによる歌唱ですね。

どことなく20世紀音楽と聴こえてくるあたり、やはりラトルは非凡な指揮者ですね。やはりバリトンによる歌唱はHoffmannの好みではありません。それでも、ハンプソンは終楽章など、ひそやかな「語り」のように聴こえ、F=Dよりもいいですね。ペーター・ザイフェルトは生真面目に過ぎるようです。

HoffmannさんはF=Dがお嫌いですから・・・(^^;


なお、この全集にはアンネ=ゾフィー・フォン・オッターが歌った終楽章の3分半ほどの録音が収録されています。こちらは全曲録音はないんでしょうか・・・。




Living Stageから出たCD、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団による演奏、ソロはモーリーン・フォレスターとリチャード・ルイス、1967年4月21日、ベルリンにおけるlive録音と表記されています。ソリストはブルーノ・ワルターの1960年4月16日live録音と同じですね。

セルはHoffmannの好きな指揮者・・・のはずなんですが、どうもいいものはベラボーにいいのに、いろいろ―とくに最近CD化されたlive録音を聴いてみると「さほどでも・・・」というものが多いんですね。この「大地の歌」は「ベラボー」の部類ではないものの、なかななの佳演でした。精密機械のように機能的で正確と言われたクリーヴランド管弦楽団との演奏ですが、当時似たようなことを言われたフリッツ・ライナー、シカゴ交響楽団ともども、いま聴けば結構ロマンティシズム濃厚な演奏です。それがワルターやバーンスタインのように前面に押し出されるのではなくて、作品そのものからそこはかとなく漂い香るあたりが魅力的ですね。




ひさしぶりに1点追加―。




パウル・クレツキ指揮ウィーン交響楽団による1954年11月12日のlive録音。ソロはオラリア・ドミンゲスとセット・スヴァンホルム。同日のブラームスの「アルト・ラプソディ」も収録されていて、こちらのソロもドミンゲス、ウィーン楽友協会合唱団も参加。

クレツキは1900年ポーランド生まれの指揮者、若くしてベルリンに留学したもののユダヤ系であるためナチス政権から逃れてイタリア、ソ連、スイスへと亡命を重ねたひと。たしかクレツキにはEMIの「大地の歌」の録音がありましたが、これは偶数楽章がバリトン、Hoffmannの嫌いなF=Dが歌っているため、入手していません(聴いたこともない)。ここではアルト歌唱なので購入しました。




またまた1点追加します。



ハンス・ロスバウト指揮ケルン放送交響楽団による演奏、独唱はグレース・ホフマン、エルンスト・ヘフリガー、1955年4月18日。ちなみにこれはCD3枚組で、ほかにマーラーの交響曲第7番と第9番を併録。この2曲はオーケストラがバーデン・バーデンの南西ドイツ放送交響楽団で、7番は1957年2月18、20日、9番は1954年1月7日の録音。

ロスバウト指揮の「大地の歌」は、上に南西ドイツ放送交響楽団を振った、1957年の録音がありましたね。あちらの独唱はグレース・ホフマンとへルムート・メルヒェルトでした。




ひさしぶりに1点追加ですだ。



サー・ジョン・バルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏、カスリーン・フェリアー、リチャード・ルイスのソロによる、1952年マンチェスター、ミルトン・ホールにおけるlive録音です。ジャケット写真のとおり、カスリーン・フェリアーに焦点をあてたdiscで、ほかにブラームスのアルト・ラプソディも収録されており、そちらはエリク・トゥクセン(Erik Tuxen)指揮オスロ・フェルハーモニー管弦楽団、同男声合唱団による1949年の録音。

ケース裏に“This recording of Mahler's Das Lied von der Erde is without the opening 7 bars.”とあるように、冒頭が切れているのが残念。音揺れやノイズが入る箇所もあるんですが、楽音そのものはまずまず鮮明。さすがバルビローリ、演奏は見事なもの。ハレ管弦楽団はいつになく、実力以上に奏けている印象です。カスリーン・フェリアーはさほどHoffmannの好きな歌手というわけではないんですが、同年のワルターとの録音以上に深い内容を感じさせており、リチャード・ルイスもいい歌を聴かせてくれます。

オーケストラの表情の大きな振幅が印象的ですね。歌手もそれに引っ張られたのか、感動的な名唱だと思います。冒頭が切れていても、リリースされるだけの価値はありますね




2点追加だべさ。




ノイマン指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、ヴェエラ・ソウクポヴァー、ヴィレム・プジビル(と発音するのかな?)、1971年プラハの春音楽祭におけるlive録音です。Vesky RozhlasのCD。

オーケストラは健闘してますが、響きが薄く、痩せて聴こえるのは録音のせいなのかオーケストラの質故なのか。よく言えば室内楽的な響き、ただし室内楽的ということばからintimateなアンサンブルを期待するならそれは間違い。ノイマンらしい客観的でクールな演奏です。ブジビルはちょっと鼻にかかったような声。ソウクポヴァーはこのひとにしては禁欲的? 歌手も含めて、1983年のlive録音のdiscに対してとりわけ優位に立つというものでもないかなという印象です。

某shopのサイトを見ると、「ライヴ特有の高揚感」、「冒頭のテノールが鮮烈に響き聴き手を一気に引き込み、第6楽章『告別』ではソウクポヴァーの絶唱をサポートするノイマンの大熱演・・・」なんてコメントがありますよ

う〜ん・・・「高揚感」とか「大熱演」なんて、この演奏からはまったく思い浮かばない形容だけどなあ





ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団クラウス=フロリアン・ヴォイトのテナーとクリスチャン・ゲルハヘールのバリトンによる新録音のdiscです。録音は2009年2月、13(live)、14(live)、15(studio)と表記されていますね。

たしかこの指揮者は初来日時にこの作品を指揮したんじゃありませんでしたっけ?


予想どおりというか、冒頭から濁りなく透明度の高い響き、とにかく明晰。後期ロマン主義を超えて、ほとんど次の時代―たとえば新ウィーン楽派とか―に近づいてしまったかのようです。醒めたアプローチと言えばたしかにそうなんですが、いかにも現代風の低カロリーの演奏とは感じさせない、内に秘めたロマンティスムの香るオーケストラがこの指揮者らしいところ。テノールのヴォイトはリリックな美声で激することなく指揮者のコンセプトにふさわしい歌唱ですね。Hoffmannは偶数楽章は女声によって歌われる方が好きなんですが、それでもこの指揮者のことですから、期待して耳を傾けたところ・・・discで聴く限り、かつてこの偶数楽章をバリトンで歌う際にはF=Dばかりが歌っていて、その猫なで声にはつくづく閉口していたんですよ。それが、ラトル盤のハンプソンを聴いて、ようやく新しい時代がきたのかなと思っていたんですが、このゲルハヘールの歌唱は好きではありません。第4、第5楽章ではことさらに諧謔味を表現しようと、演出過剰になっています。終楽章に至っては、テノールと同様、リリックな美しさを志向しつつ、多彩な表情付けを狙うのはいいとして、詞の内容がまるで他人ごとのように聴こえます。Hoffmannは、最低限の共感もなくして歌われている「告別」の楽章になんの価値があるのか、わかりません。




1点追加だよん。



ラファエル・クーベリック指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による1959年830日ザルツブルク音楽祭のlive盤です。シューベルトの交響曲第4番とマーラーの交響曲「大地の歌」。マーラーのソロはヒルデ・レッセル=マイダン、ヴァルデマール・クメント。クーベリックによる「大地の歌」はバイエルン放送交響楽団を降った1970年live盤がauditeから出ていましたね。あちらのソロはジャネット・ベイカーとクメント。

クメントはさすがにこちらの方が若々しくていいですね。レッセル=マイダンは悪くはないんですが、終楽章ではやや平版、いま一歩の表現の幅が欲しいところ。この演奏、ウィーン・フィルの木管のソロなどの表情付けがかなり積極的。第2楽章や終楽章ではほとんどオーケストラによるレチタティーヴォみたいで、ちょっとあざといんじゃないかというくらい。いかにも東洋的でございますといったひなびた響きと息遣い。クーベリック1970年のバイエルン放送交響楽団とのdiscを聴くと、ここまで濃い表情付けはしていない。それじゃあウィーン・フィルのことだから、ルーツはブルーノ・ワルターかなと思ってワルターのDecca録音を聴けば、意外とあっさりめでやっぱり違う。この表情付けはオーケストラの奏者が勝手にやっているのか、それともクーベリックの指示によるものなのか・・・。ここまでやるとかえって陰影感も乏しくなり、底が浅く聴こえてしまうという例。





3点追加っす。



ミヒャエル・ギーレン指揮バーデン・バーデンのSWR交響楽団、ジ−クフリート・イェルザレム、コルネリア・カリッシュのソロ。

明晰な音響、都会的な現代感覚ながら、冷たくなったり表情付けがあざとさを感じさせたりしない、バランスのとれた好演。イェルザレムはこのひととしては上出来ながら、指揮者のスタイルとはやや異質。一方のカリッシュは指揮者のスタイルに合わせていて、それだけにスリルがないと言ってはあまりに勝手な言い分かな。





ポーランドのDUXからリリースされたdisc。ミヒャエル・ツィルム指揮ポーランド国立放送交響楽団、ソロはヤドヴィガ・ラッペ、ビオトル・クシエヴィツ。1989年のlive録音。ケースはSACDふうですが通常のCD。ジャケットは北斎。

オーケストラの響きはいま一歩洗練されていないながらも、そのちょっとローカルな音色がなかなかユニーク。オーケストラが出しゃばりすぎることなく、歌手との(録音ではなくて演奏の)バランスよし。遅めのテンポで、各楽器のソロの表情付けなど、なかなかのもの。しかし旋律を豊かに歌わせるよりも、歌手及び各楽器のバランスを重視した演奏で、どこか20世紀音楽としてのMahlerと聴こえます。そのなかで、ラッペが過剰になりすぎない程度にロマン主義音楽らしい、味わい深い歌唱を聴かせてくれます。





TESTAMENTから出たカルロ・マリア・ジュリーニ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の1984年2月のlive盤。DGG盤と同時期ですね。歌手も同じくブリギッテ・ファスベンダー、フランシスコ・アライサ。しかしなんですな、TESTAMENTから発売されるlive音源のdisc、ジュリーニに関しては、セッション録音のdiscが出ていた作品ばかり。レパートリーが限られていた、というよりも、取りあげる作品はあくまで自ら納得できるものだけという、禁欲的なまでに己に厳しい指揮者だったんでしょうね。

上記DGG盤やORFEOから出ていた1987年のウィーン・フィルとのlive盤とくらべて、オーケストラに関してはこれがもっとも厚みのある響きで、充実していると聴こえます。録音のせいか、演奏のせいかはわかりません。歌手とオーケストラの録音バランスも、歌手が埋没気味のDGG盤よりも良好。歌唱自体はDGG盤とさほど変わらず。




1点追加だっぺ。



マイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団による交響曲全集から―。テノールはスチュアート・スケルトン、偶数楽章はバリトンで、トーマス・ハンプソンが歌っています。2006年9月26〜29日の録音。SACD Hybrid盤。

都会的な洗練されたマーラーです。ただ、この指揮者には、こうしたモノフォニックな作品よりも、もっと重層的なおもしろさを感じさせる音楽の方が向いているかもしれません。録音は透明度高く、とりわけ独唱とオーケストラのバランスが理想的。歌手はふたりともにいい歌を聴かせてくれます。でもね、比較的新しめの録音ではサイモン・ラトルとかケント・ナガノ、それにこのマイケル・ティルソン・トーマスあたりがバリトンを起用するのはわかる気もするんですが、Hoffmannはやはり偶数楽章を女声で聴きたいんですよね。それにしても「大地の歌」の録音って、古くはF=D、いまはハンプソンが引っ張りだこですなあ。




1点追加仕る―。



ハンス・グラーフ指揮ヒューストン交響楽団、Gregory Kundeのテノール、Jane Henschelのメゾソプラノで2009年の録音。

ジャケットには“Das Lied von der Erde”とあるその下に括弧付きで(The Song of the Earth)と表記されており、ヒューストンとかテキサス州での録音とかいったあたりから、いかにも“Song of ・・・”といったimageの演奏だったらどうしようかと期待(?)して聴いたんですが、ぜんぜんそんなことはなくて、むしろ落ち着いた演奏。しかし指揮も歌手も一本調子というか、表現のパレットに色数が少ない。技術的な問題か、あるいは作品が作品だけに、渋めに演奏しているつもりなのかもしれませんが、表情の多彩さに欠けているため全体に起伏のないフラットな印象、退屈でした。




1点追加でありんす。



フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団による1958年2月20日のlive録音。ソロはリチャード・ルイスとクリスタ・ルートヴィヒ。mono録音。

ライナーのスタジオ録音は上の方に国内プレスLPと米プレスLPを取りあげてありますが、あちらは1959年のセッション録音で、国内盤はSTEREO、アルトはモーリーン・フォレスターでした。




1点追加ざます。



エリアフ・インバル指揮東京都交響楽団、ソロはイリス・フェルミリオン、ロバート・ギャンビル。2012年3月29、30日、サントリー・ホールにおけるlive録音。SACD Hybrid盤。東京都交響楽団は若杉弘、ガリー・ベルティーニに続いて同曲3度めの録音となりましたね。

ギャンビルは粗いなあ。フォルテになると歌詞の内容がすっとんで、威勢のよさで誤魔化しているよう。オペラならまだしも、「大地の歌」ではいただけません。フェルミリオンは深い内容のあるいい歌唱を聴かせてくれます。インバルの指揮は以前の録音と同様に、どちらかといえば客観的に傾いていますが、表情の彫りは深くなって、その指揮にこたえるオーケストラは好調。