monologue 2005.01〜03

2004.12



2005.03.31 thurs

年度末は年末以上にしみじみとしてしまいますね。

職場から去っていったひと、別な勤務地へと旅立っていったひと、そのなかにはひとかたならぬお世話になったひともいます。

いつも本音で話し合うことのできた○○さん、最後まで喧嘩してしまった●●君、お元気で。次の職場でもがんばってください。


お元気で〜ヾ(^o^)




2005.03.30 wed

ちょっと前のこと、ある雑誌に女性の評論家(?)が書いたコラムを読みました。内容を要約すると、男どもはなぜ自分の奥さんについて語るとき、「愚妻」などと卑下するのか。その男性の奥さんがじつに聡明な女性であることを知っている場合など、なおさらそう感じる。男というものは・・・というもの。

才女ぶった女が天下に恥を晒していたわけですが、編集者もこの原稿を読んで、なにも疑問に思わなかったんでしょうか。

念のため説明すると、「愚妻」の「愚」とは語り手自身のことですね。つまり「愚かな私・の妻」という意味なんですよ。決して「私の・愚かな妻」ではないのです。




すると息子さんについて「愚息」というのも同じ意味なんですか?

「愚息」ねえ・・・(笑)それはまた別な意味があるな(*^o^)/
(・_・)?




2005.03.28 mon

作曲家のシェーンベルクはschoen(美しい)berg(山)で美山さん、バッハ(Bach)は小川さん。映画監督のヴェルナー・ヘルツォーク(Werner Herzog)のHerzogは将軍・大公の意。同じく映画監督のフリッツ・ラング(Fritz Lang)のlangは「長い」という意味だから・・・

「長さん」ですね(^^;

ちなみにHoffmannはというと、hoffenは「望む」という動詞で、名詞形はHoffnung。もっともHofmannというスペルのひともいて、この場合Hofは中庭・農家・宮廷の意。




お写真はすてごまさん提供ですね〜ヾ(^^ )

すてごまさん仲人感謝記念企画だよ(^o^*





2005.03.27 sun


「007 ダイヤモンドは永遠に」を観ていたら、いきなり大写しでNikonのFが登場。この場面はオランダで、悪役(ゲイの二人組)が使っています。

この映画は1971年公開・・・もう、この時期には日本製(一眼レフ)カメラが世界を席捲していたんですね。戦前以来のドイツカメラ業界が斜陽化して、ここに至るまでには、いろいろと興味深い事情があるんですよね。




たしかこれも日本製だったんじゃなかったかな

Hoffmannさんは一眼レフカメラって、お使いになったことがないんですよね(^^*




2005.03.26 sat

―というわけで、今宵も「無花果亭」から更新です。

「いちじく」に決定したんですか?(^^;

「カンチョー(観聴)」する部屋だからね♪


左はジャン・コクトーの「オルフェ」(1949)、いけませんね〜。右はご存知キャロル・リードの「第三の男」(1949)、これもだめです。

なにがいかんのかというと、字幕―シネマ・フォントというんでしょうか、DVDではあの手書き文字ふうのフォントが採用されたものが意外と少ないんですね。

「オルフェ」の方はサイズも大きすぎますね

新しい映画ならともかく、モノクロ時代のものにはやはり―




これこれ(^-^*これですよ♪

「カサブランカ」(1942)ですね。たしかに、これなら字幕を表示していてもいいかなと・・・(^o^*




2005.03.25 fir

あるオーディオ評論家なんですけどね、りっぱな装置のあるお部屋に名前を付けてるんだそうなんですよ。まあ、永井荷風も「断腸亭」とか「偏奇館」なんて名前(号というべきか)を付けていたのだからそんな遊びも悪くはないと思いますけど、いまどきのいい歳した成人男性としては、幼稚といえば幼稚。ちなみにこのひとの書く文章は、おそろしく気取っていてセンチメンタルなんですな。以上のことから、かなり体面を気にするタイプと思われますね(それがいかんと言っているわけではないよ)。

ともかく、問題はその名前―書物や映像を観たり、音楽を聴いたりするからなんでしょうけれど―「観聴亭」なんですと。「かんちょうてい」ですよ、こともあろうに
「カンチョー」(笑)

もちょっとましなの思いつかなかったんですかね(^_^;


Hoffmannさんならどんな名前を付けますか?(^^;

「カンチョー」じゃいくらなんでも語感が悪いから・・・「無花果亭」とか(笑)

* * * * * * * * *

↑upしたあと考えていたんだが、結構いい鴨>「無花果亭」




2005.03.24 thurs

ウソ(嘘)という語は、もともと文芸などを含むあらゆる空想の産物を包括して呼ぶことばであったから、本来は悪徳のイメージなどはありませんでした。いまでいえばフィクションと同義ということですね。

それで?(笑)

フィクションのみが真実だ、と言ったひとがいる

つまり、嘘の復権ですか?

「真理を知るためにはひとは無数の虚偽を創造しなければならない」とオスカー・ワイルドも言っている




2005.03.23 wed

花粉症の季節ですね。

ある女子大生が高校生の男の子の家庭教師をやっておりまして、その日、男の子がひっきりなしに鼻をすすっていたものですから、彼女ちょっといらいらして、ティッシュの箱を手に「鼻、かみたい?」
すると男の子は仰天して「い、いいんですか?」

「裸、見たい?」と聞こえたんですね(^o^;



もひとつ―。職場で女の子がネクタイをしていたので「君、いいネクタイしてるね」ってほめたら、セクハラだのなんだのと大騒ぎになってしまったという・・・

なんて聞こえたんですか?(^_^;




2005.03.22 tues

2005.03.17の「女優に興味がない」疑惑を吹っ飛ばして・・・

疑惑だったんですか〜(^^;


これは「モダン・タイムス」から、ポーレット・ゴダード、チャプリンの何番めかの奥さんになったひと。左のちょっとワイルドな魅力がいいですね(^^*

Hoffmannさんとしては、意外な好みですね!

まあ、これは最近観た映画でちょっと気に入ったということなんだけどね(笑)



こちらはほんとうにHoffmannの好みです(^^*といってもこの映画でしか観ていないんだけど・・・

大谷直子ですか、これは納得(笑)映画は「ツィゴイネルワイゼン」ですね



もっともこの映画、俳優もじつに個性的―というより、ひと癖あるひとたちばかりで、じつにいいんだよね


結局こういう画像に落ち着くんですよね〜(^o^;




2005.03.21 mon

くさめとはなみじゅが・・・クション!(ToT)ズー

気をとり直して(ズー)、昨日取りあげたチャプリン映画、「独裁者」から―


砲弾がひとを追って向きを変える・・・


水筒の水が上に落ちて(?)ゆく(左)・・・じつはさかさま(右)、二人の位置が左右逆になっているのはご愛敬(笑)


所定の位置に止まらない汽車・・・

なんだか、見覚えがあるような(笑)

ぜ〜んぶ、ドリフのコントの猿真似だよ(ズー)

違いますって(^o^;)ハナかんでくだいさいよー




2005.03.20 sun


老父の棚から持ち出して、3本立てで観ましたよ(笑)

この場面、音楽がワーグナーの歌劇「ローエングリン」前奏曲なんですよね。でもこの映画はちょっとテーマがイデオロギーに傾いて、あまり好みじゃありません。




でもこれとか・・・



このへんになると・・・わかっているのに、やっぱり感動しちゃいます。

私は3番めの映画が好きです(^^*



それではもう一枚・・・どちらかというと、左のひとが好きなんです(^^;

バスター・キートンですね。この次は「キッド」と「街の灯」をお願いしますね(^o^*

優美は人情ものが好きなんだね(^^*




2005.03.19 sat

レコードやCDについて、「録音が悪いから・・・」なんて言うと、やれ「大事なのは音楽だ」、やれ「録音が悪くても演奏の良さは伝わる」だのと反論があるんですよね。でも、ほんとうに録音が悪くて聴くに堪えないものってあるんですよ。

上記のような反論を寄せるひとというのは、「録音が悪い」ということを、「古い」「ノイズが多い」「各楽器の分離が悪い」というような意味だと思っているんじゃないでしょうか。そんなのだったら「悪い」うちに入りませんよ。

たとえばカール・シューリヒトという指揮者のブラームスの交響曲第3番、コンサート・ホールという1960年代の会員制レコード領布会の録音、一部の評論屋からは高い評価を得ているものです。このレコード、クラリネットがソロを吹くとき、クラリネットの音が指揮者より手間の位置、聴いているHoffmannの目の前で聴こえます。ソロが終わるとオーケストラのしかるべき位置まで引っ込んで、次にソロを吹くオーボエが目の前までせり出してくる・・・これがマルチマイクで録音して、あとから各楽器のバランスを操作した結果ですね。


もうひとつ、これまた評判のいい、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」ショルティ指揮の英Decca盤。序曲に続くヴェーヌスベルクの音楽で、オーケストラがクライマックスに向かってクレシェンドしていくと・・・さっきまでオーケストラの奥から聴こえていたタッタカタッタカが、タッタカタッタカタッタカ・・・これが音が大きくなるのではなくて、スルスルスルと手前にせり出してくるんですよ。そしてついには聴いているHoffmannの鼻先で、2本のスピーカーをまたぐほどばかでかい楽器となって・・・

(((;゚Д゚)))
タッタカタッタカ♪

これらの録音が聴くに堪えないというのが信じられないひとは、いちど聴いてみてください(^^;



めまいがするような録音ですね〜(@。@;

技術の進歩っていうのはね・・・(以下略、ここでも、2004.12.16 thursでも同じようなことを言ってますな)




2005.03.18 fri

吸血鬼には、鏡にその姿が映らないという特性がありますね。さて、あなたが夜、たとえば洗面所でふと鏡を見たところ、自分の姿が写っていなかったら、ちょっと怖いでしょうね。あるいは自分の背後に変なものが立っているのが写っていたら、かなり怖いでしょう。でもこれは恐怖よりも驚きが先に来ますね。

それでは、驚くよりも、恐怖そのものにとらわれるのは、鏡になにを見たときでしょうか。

以前、そんなことを考えていら、夢に見てしまったことがあります。その夢のなかでは、Hoffmannは病院に入院中で、深夜にトイレに行くのです。手を洗おうとして鏡の前に立ったとき、そこには・・・夢から覚めて、「ああ、もしかしたらこれがいちばん怖いな」と思いましたよ。


なにが写っていたのですか?(・・;

・・・自分の横顔だよ




2005.03.17 thurs

映画の紹介があるたびに思っていたのですけど・・・Hoffmannさんって、女優さんにはあまり興味がないのですね(^o^;

え? そうかな・・・(・_・?

最近ではイザベル・アジャーニにしてもアリダ・ヴァリにしても、お好きな女優さんならもっと別なカットを使われると思うのですけど・・・

シャーロット・ランプリングなんか、好きだよ

シャーロット・ランプリングもイングリット・バーグマンも、いちばんいい場面を使われていませんよ。ロッテ・レーニャも意外な女優さんという興味ですよね。あとは男性の俳優さんのお写真ばかりで、こちらの方がずっと特別扱いなんじゃないですか?

う〜ん・・・女性の写真なら優美のがあるんだから、ほかには必要ないんじゃないか?(^o^*




ヤダワ・・・(-_-*)po




2005.03.16 wed

怪談ばなし・・・死んだ友人の写真に写っていたもの、死者からの電話・・・といえば、誰しも一度は聞いたことがありますよね。

お店に入っておしぼりが一人分多く出てくるたぐいの話もよくあるパターンでしょう。Hoffmannも学生時代に友人と3人で喫茶店に入ったところ、コーヒーが4つ運ばれてきたことがあります。ウェイトレスは変な顔をしてひとつさげていきましたが、こういった店員の勘違いは意外とよくあるものなんじゃないでしょうか。「あれ? お連れ様は?」「色白の女性がご一緒でしたよね?」などと、いまもどこかの街でお盆を持った女の子が首をかしげているかもしれません。



「よくある」のは、不思議な現象ではなくて単なる勘違いだと?(^^;)・・・でも、やっぱり怖いんじゃないですか?(笑)




2005.03.15 tues

音楽も文学も、美しくなければだめだとは思っていません。人間の人格は統一的なものではないから、醜悪な面を避けてばかりいてはだめ。

だからといって、醜く穢れた側面ばかりが重要なわけでもない。予定調和のご都合趣味が低俗なら、汚いだけのものは悪趣味で、たとえば日本近代文学伝統の私小説なんて、悪趣味の典型ですね。

それではすぐれた芸術作品とはいかなるものであるのかというと、ここでアンドレ・ピエール・ド・マンディアルグによるエロティシズム文学の定義が思い出されます。

つまり、「構成上の独創性、言語における独創性、作品構築の上での独創性」、「精神の創造行為、驚異に満ちた人工的産物」、「法(のり)を超えて進む過激さと、禁制と障害の破壊、限界の踏み越え」・・・こ
ういった特性を備えているものが、文学であれ、音楽であれ、映画であれ、高貴な芸術作品である、と言えるのではないかと思います。



う〜ん(^^;敷衍しちゃいますか・・・

いや、個人的な意見だよ(笑)




2005.03.14 mon

2005.03.11に戻って、ふたたびヴェルナー・ヘルツォークの「ノスフェラトゥ」です。このmonologueもこれで円環構造になりますね(笑)



冒頭のミイラのシーンからすっかり引き込まれてしまいます。



ドラキュラの館に向かうジョナサン―ここで音楽はワーグナーの「ラインの黄金」前奏曲になります。


リメイク元であるムルナウの映画をよく研究しているようです。それにしても、美しい映像ですね。



怪優クラウス・キンスキーとイザベル・アジャーニ。この二人のメイクは日本人女性が担当したそうです。

ペストの蔓延するブレーメンの街(ロケ地はオランダ)はこちら



これはドラキュラの僕となっているレンフィールド。演じているのは、なんとフランスの奇想作家ロラン・トポルです。

Hoffmannさんは今度生まれ変わるときには吸血鬼になりたいとおっしゃってましたが、もしも吸血鬼映画に出演するなら、どの役がいいですか?(^o^*

う〜ん、レンフィールドかな・・・ロラン・トポル、ドワイト・フライの向こうを張ってね(^-^;;





2005.03.13 sun

(一昨日の続き;笑)
昨日とは別ルート(笑)ヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画「ノスフェラトゥ」のリメイク元である、「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)です。F.W.ムルナウ監督による戦前ドイツサイレント時代の名作ですね。



ケースの裏には「スプラッター映画の元祖」なんて書いてありますが、ちょっと無理がありますね(スプラッターが低級だという意味ではありません、念のため)。



日光に弱いくせに、日中の撮影(^^;まあ、当時の撮影機材ですから・・・。


有名なシーンです。時代が時代ですから、こんなトリック撮影がクローズアップされるんですね。

これもいいのですが、私はリメイクのほうが好きです(^^;

リメイクって出来の悪いのがふつうなんだけど、この1922年のムルナウ版を観ると、ヴェルナー・ヘルツォークの「ノスフェラトゥ」は例外的にすばらしいということがよく分かるよね

ムルナウの方は恐怖映画なんですが、ヴェルナー・ヘルツォーク・・・というよりクラウス・キンスキー(主演)のほうは感動しますよね。たしかに吸血鬼は「愛の伝染病」なんですね

やっぱり「憧れ」の思いを描いているからね、だから感動的なんだよ

昨日といい、今日といい、「憧れの思い」と「ノスタルジー」って、Hoffmannさんのキーワードですね(^^*




2005.03.12 sat

(昨日の続き)
キャロル・リード監督の映画「第三の男」(1949)、出演はオーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリ、トレヴァー・ハワードなど、音楽のツィター演奏はアントン・カラスです。



ライトに浮かびあがったその顔は、死んだはずのハリー・ライム(左)・・・なんともいえない味のある面構えですね。



瀕死のハリーが下水口の蓋から指を外に出している場面。これは全編中でも、もっとも重要なシーンではないでしょうか。


誰かが角の向こうから近づいてくる・・・(左)、ハリーが路地の先を逃げてゆく!(右)
この効果的な影の使い方は、手塚治虫が「鉄腕アトム」で取り入れていました(「電光人間」だったかな?)。







マーティンスとアンナ・・・映画史上もっとも印象的な、永遠に記憶に残る名シーンですね。

不思議と郷愁を誘われるような映画ですね

この印象は、どこかノスタルジーに似ているね




2005.03.11 fri



ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「ノスフェラトゥ」です。主演はクラウス・キンスキー。ここで語ったとおり、澁澤龍彦が「わたしの恋愛映画ベスト1」というアンケートで挙げていた映画です。

何回観ても、いい映画ですね〜

で、同じ澁澤龍彦が別なアンケートで「ミステリー映画ベスト1」としたのがこちら―




これもいいですね〜胸がきやきやするようです(^^*

街角でスナップ写真を撮っていてシャッターチャンスをねらっているのと、こうしてキャプチャする瞬間をねらっているのって、どこか似ているね(笑)

とくに古い映画って、場面場面がなんとも絵になるんですよね




2005.03.10 thurs

昨日引用した「教祖様」じゃないんですが、やたらと「いくぶん・・・といえなくもない」「・・・なくもない」という言い回しを連発する評論屋がいます。なんだか、読むひとに対して、「『一見朴訥なようだが、じつは知性派が朴訥を装っている』・・・という印象を与えるように装っている」、という感じですね(苦笑)しかも「まちがう」「おもう」「みなおす」などと、平仮名ばっかり使うひとで、漢字の多用も読みにくいものですが、漢字で書けばいいことばまで平仮名にするのもかえって嫌みです。

このひとが、やはり「レコード芸術」誌の古い号の座談会で、こんなことを言っています。

よくカラヤンを嫌いな人が、カラヤンの演奏はきれいなだけだと言うんです。僕はこう言いたい。きれいじゃない音楽は聴きたくないと。きれいなのが極まったときには刃にもなる。

またしても「僕」!(笑)
これも詭弁ですね。きれいなだけだという意見に対して、きれいじゃなければ嫌だ、というのは反論になってません。「きれいなのが極まったときには刃にもなる」というのもただの言い回しにすぎなくて意味不明、音楽的に理解できる説明じゃありません。

まあ、こんな評論屋のレトリックはどうでもいいのですが、Hoffmannはヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏をちっともきれいだとは思いません。旋律の始まりと終わりが不明瞭な演奏は下品でだらしなく聴こえ、よく言われる流線型の音楽造りは、はっきり言ってきたないとしか感じられません。たとえば、ベートーヴェンの交響曲第7番の第二楽章で、「タン、タ・タ・タン」という音型、そのリズムの刻みが「ウァン、ウァウァウァン」と聴こえるのは、音楽的にも同意できないし、単に響きがきたなく、混濁しているように聴こえるだけです。とくにこうした傾向が強いのは1970年代のようですね。

以前、ある年長の友人のお宅でカラヤンのレコードを次々と聴かされたのですが、まさにこれが'70年代の録音ばかりで、「カラヤンって、ハズレのないひとでしょ?」と同意を求められて、返事に困ったことがあります。

・・・とはいえ、なにごとにも例外はあるもの(^o^;)カラヤンも、1950年代以前の録音にはすぐれたものが少なからずあり、また晩年にも全録音中最上の出来と思われるものがあります。




カラヤンの実演はお聴きになったことがあるのですか?(^^;

あるよ、ほとんど覚えてないけど・・・いや、いくぶん記憶にのこっているといえなくもないぶぶんもなくもないようにおもう(笑)




2005.03.09 wed

bbsで話題になった、クラシック界における「新興宗教の教祖みたいな旧世代化石時代の批評屋」大先生の書いたもの―ちょっと長い引用ですが、軽〜くいきましょう(笑)

「このテーマはやがて展開部において、次のように形を変えて現れる(譜例)。/何という心の優しさだろう。思いやりの心だろう。僕は今でもこの部分に来ると、思わず微笑んだり、涙ぐんだりしてしまう。その前の第二主題の展開も同じだ。ブルックナーは神の創造した大自然の悠久に息をのんでいる。しかし、それらに比べて人間の命の何と短くはかないことであろうか。その寂寥感にブルックナーの心は震えるが、それならばこそ彼はいっそう天国を憧れる」

「世にこれほど美しい音楽があったのか、と思われるほどである。息の長い第二主題はアダージョの浄福、法悦の境地を代表するもので、ハーモニーの豊かさも特筆に値するが、その先の109小節あたりからはアダージョのクライマックスともいうべき印象的な部分である。ブルックナーを聴く歓びの最高の一例がここにある。/しかし、さらにすばらしいのがあの懐かしいコーダで、ホルンが悲しい第一主題を終始奏する上を、第一ヴァイオリンが絶美の旋律(譜例)をめんめんと歌いつづけてゆく。これこそ天国の調べである。第一主題の嘆きがこだましているからこそ、この天国的な浄化はいっそう美しさを増し、聴く者の魂を悩み多いこの世から引き上げてくれるのだ」


これは「レコード芸術」誌の古い号、ブルックナーの特集記事から(^^;)ブルックナーの音楽についてはなにも語らず、延々6ページをこうした無意味な寝言で埋め尽くすことができるというのは、「頭がおかしい」というよりも、特殊な才能かもしれません。さらに―

「ブルックナーを識る道は<直観>以外の何ものでもない。ブルックナーの音楽のふるさとは自然であり、宇宙であり、神である。従って、自然を愛する心、神を信じようとする心の持ち主が、直観力を研ぎ澄ませていれば、ある日突然に理解できるであろう」

これはもはや新興宗教の領域ですね。それにしても、いい歳した男が「僕」ってのもどうかと思うんですが、この文章、入力しているこちらが恥ずかしくなります。

小林秀雄の昔から日本の評論は、なにかにかこつけて「自分を語る」という悪しき習慣から抜け出せないでいますが、これはそうしたものを思い切り低俗に、徹底的に劣悪なものにした例ですね。





2005.03.08 tues

dialogue#23で、誤訳というより意味不明訳、すなわち訳者も原文の意味が分かっていない翻訳を引用しましたが、最近読んでいた本で見つかった、悪訳の例です。

イギリスの短編小説で、歌曲を作曲しているが、ちっとも売れなという女性と、アパートの階上に住む男の会話―

「で、あれは売れなかったんですか」
「ほとんど。歌曲というのはね、誰か有名な歌手が歌ってくれないと売れないんですよ。みんな、歌うと約束してくれるんですが、歌わないんです。口は当てにならないのよ」
「その連中の名前を教えなさい。ぼくが明日片っ端から撃ち殺してやる」とビヴァリー氏は言った。「しかし、何か手はないんですか」


味も素っ気もない文章だが、ここまではまだ我慢できる。これに対する女性の返事が―

「どこまでもやるっきゃないわ」

―Hoffmannはここで読むのをやめてしまいますね(-_-;

しかもこの口調、この場面だけなんですよね(^o^;

もうひとつ別の短編小説、同じ訳者によるもの―

横顔など、粗悪な時期のシシリア貨幣から抜け出してきたようだ。

「粗悪な時期」って、日本語として変ですよね。「粗悪」を「貨幣」にかけているつもりなら、悪文の見本です(^^;




翻訳家に必要なのものとは・・・?

語学力より日本語力だよ(笑)




2005.03.07 mon

指揮者がリハーサル中、オーケストラの団員に総譜の練習番号を指示するとき、「Nの何番」とは言いません。「エヌ」と言うと「エル」「エス」などと聞き間違えることがあるからですね。こういうときは、その文字で始まる単語を言います。電話で電報を頼むときの要領ですね。以前、小澤征爾が「ナポレオンのエヌ」と言っているのを聞きました。

ところがここでわざと変な単語を使う指揮者がいて、最近ではホルスト・シュタインが得意(?)なんだそうですが、じつは昔からそんなひとはおりまして、ハンス・クナッパーツブッシュという、Wagner演奏のすばらしい録音を残している指揮者は、たびたび“ArschlochのA!”とやったとか。

伝統的な罵倒語ですね(-_-*

そうそう、ある劇場で、同じく指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンがトイレの扉に「カラヤン氏専用」と張り紙をしたら、クナッパーツブッシュがその下にひと言書き足したんだそうだ―「そしてその隣はその他みんなのArschloch専用!」



このひとですヾ(^_^;)


“Arschloch”を独英辞典で引くと“ass hole”ですね(^o^;

なお、Hoffmannはこの指揮者のWagner演奏は大好きですが、某評論家のような、なんとかのひとつ覚え的な常軌を逸した信者ではないので、念のため(笑)




2005.03.06 sun

いまにはじまったことじゃないが、会話というものは、はじまったところからは思いもよらないところに辿り着いてしまうよね(^^;

表題を(仮)の段階で、既に一度変更してますよね。このままでいいんですか?(^^*






2005.03.05 sat

クラシック音楽を聴く醍醐味に、同曲異演盤の聴き比べがあります。同じ作品でも、演奏家によって解釈や表現はさまざま、とくに、好きな音楽であれば、いろいろな演奏を聴くのは愉しいものです。

ところが、正規録音だけでなく、各種放送用録音を音源としたものや、ライヴ録音も手を出していると、ジャケットのデザインが変わったり、会社(レーベル)が違っていたりすると、ショップで見つけたときに、持っているのか持っていないのか分からなって、音源の同じものを2組も3組も買い込んでしまうことがあるんですね。そこで、ある作曲家の作品で手元にあるLP・CD・DVDのリストを作ってみることにしました。

思ったより時間がかかって、最初にできあがった作品のリストを見ると・・・演奏は20通り、そのうち3つがLP2種またはLPとCDといった組み合わせでダブって所有していました。もっとも、古い録音の復刻などの場合、レーベルが異なると音質(あるいは音の傾向)に結構違いがあるんですよね。




まったく同じCDがふたつ出てきたものもありますよね〜(*^o^)σσ))~0~)/プニプニッ♪




2005.03.04 fri

(どことなく、昨日の続き)
よく、子供が(安易に?)自殺することについて、あるいは他人の生命を奪うことについて、ゲームやドラマなどで死が日常的に扱われているためではないかというひとがいますよね。

これ、逆だと思います。現代では身内の人間も病院(院内)で死亡するのがふつうで、家庭内から死がなくなりました。また、幼児の死亡率が激減して、老人の寿命が延び、その老人も核家族化で家庭内から姿を消し、ますます死は日常から遠いところに離れています。

死が意識されない、ということは、死(自分の死、家族や親しいひとの死の悲しみ)を克服しようとするやむにやまれぬ欲求も生じない。そんな社会では、哲学・思想も必要とはされません。


ネオ・プラトニズムについてお話しになったのは、その反動ですか?




2005.03.03 thurs

ジャン=ポール・サルトルが没して四半世紀が過ぎようとしています。サルトルが来日したのは1966年、この頃が日本においてのみならず、世界的にもサルトルの絶頂期だったとみていいでしょう。このとき中学生だったというひとから、サルトルの来日が、当時のとくに若者にとって、いかに大事件であったかを聞いたことがあります。

ところが、1980年に亡くなったとき、ある雑誌の特集記事には「二十世紀保たなかった旗手」などというタイトルが付けられていました・・・サルトルは亡くなる以前から「死んだも同然」だった、とはおそらく多くのひとに共通する思いではないでしょうか。失明などの肉体的な衰えのことではなく、イデオロギーが忘れられ、葬られていたということです。

哲学者の老耄も含めて、ここにはひじょうに興味深い問題があると思います。


じつは、20世紀に生まれた思想は、なにひとつ21世紀まで保たなかった?




2005.03.02 wed

Hoffmannも半ば忘れかけていました(^^;)2005.02.10の映画、どなたからもご指摘いただいておりませんが、リリアーナ・カヴァーニ監督の映画「愛の嵐」(原題“Il Portiere Di Notte”英語なら“Night Porter”)でした。シャーロット・ランプリングとダーク・ボガードの主演ですね。


有名なシーンですね

レビューなど検索してみましたら、「ママゴトみたいな代物」「精神的な汚らしさはどうだ」「この映画は腐敗している」・・・など、いかにこの映画が名作であるかがよくわかります。このような評価をきけば、さぞ監督も満足することでしょう(いうまでもなく、これは誰に対する皮肉でもありませんよ)。

人間精神の醜い側面や、人間の人格が統一的なものではないということからは、誰しも目をそむけたいんですね。まあ、概ね「ご都合主義・予定調和・きれいごと」映画の方が、一般には人気を得られやすいものです。

おもしろいのは、「決して好きなタイプの映画ではないのですが・・・惹きつけられてしまいます」「『好きな映画』というよりはむしろ、『「印象的な映画』『気になる映画』」といったひとが意外に多いことですね。正直な感想だと思います。


以下に、このページから、ふたつほど引いておきましょうか(笑)

あらゆる芸術は不道徳である

民衆が健康なと呼んでいる流行小説はつねにあくまで不健康な作品であり、民衆が不健康と呼んでいる小説はつねに美しい健康な芸術作品である




2005.03.01 tues

(昨日の続き)
・・・てなことを言いながら、Hoffmannは世に言うオーディオマニアではありません。

超高額商品を並べて、評論屋評論家が絶賛したり、結構ほめたり、そこそこほめたり(決してけなしたりはしません)、そのくせ絶賛しても当の評論家(複数)の誰もその機械を使っていないという「ステレ○○ウンド」誌にはつくづく怖気をふるい身震いするほど感動して、あるいは部屋の壁にコイン大のなんとかいう4個で18,000円もする神がかり的なものを貼り付けたら音が改善されたなんていうひとの登場する「オーディ○○ーシック」なんて、宗教じみて恐ろしいくらいです。もちろん、Hoffmannの方がオーディオに関して「非常識」なんでしょう。オーディオに限りませんが、雑誌なんて広告費で成り立っているようなもんですから、どんな商品(あえて製品とは言わず)でもけなすことはないわけです。大人の世界ですね。

装置の一部を替えれば音は変わる、ラックを替えたって、ケーブル1本替えたって変わるのは事実ですが、ケーブルをとっかえひっかえ試聴するなんていうヒマな律儀なことはまったくやりません。ましてや、それぞれのケーブルについて「厚く力があり透明、切れがよくスピードのあるレスポンス」だの「高域にスパイスを利かせた華やかな音調、軽やかでかつしなやか」だのと宣伝評価することなんかできないし、する気もありません。

以上の「」内は某誌のケーブル評価記事からの引用なんですが、いやはや、さすが評論家と呼ばれる方々は、耳もスゴイ、文章の表現力もスゴイもんです。Hoffmannは表現力に欠けているので、スゴイとしか言いようがありません、とにかくスゴイったらすんごい・・・。

Hoffmannはとうていオーディオマニアにはなれませんね。




音楽好きってことでいいじゃないですか〜(^^*

じゃ、なんか聴こ♪




2005.02.28 mon

すてごまさんフォノイコラーザーアンプ導入記念特別企画)
かつてオーディオにおけるソースの中心がアナログレコードであった時代には、アンプメーカー各社ともフォノイコライザーアンプ(以下phono-EQ)に力を入れて開発していたものです。また、その他の入力系統では、AUXなんていう入力端子よりも、tapeモニター(入力)端子が重視されていました。テープデッキは多くのひとが持っていたからですね。

その後、CDがソースの主流となったとき、phono-EQにはあまりコストがかけられなくなり、ついにはアンプのなかから消滅してしまいました。アンプによっては、いまでもオプション扱いでモジュールを追加することもできますが、やはりコストのかかっていない「部品」にすぎませんから、音質はそこそこ、場合によってはおまけ程度の音だったりします。アナログレコードを聴くならば、できれば良質な単体phono-EQアンプを用意するに越したことはありません。

必ずしも高級機ならばいいというものではないことは、phono-EQだってスピーカーやアンプと同じです。ラックからはみ出してしまうような大型のphono-EQアンプの蓋を開けてみると、箱の隅にせいぜい名刺大の基盤が載っているだけ、なんてこともあります(ノイズ対策には有効かもしれません)。

そこで、古い(少なくとも20年くらい前の)アンプが家にある方は、そのphono-EQ部を使ってみるのもいいでしょう。一応解説しておくと、アナログプレーヤーから古いアンプのphono入力につないで、このアンプのREC-OUT端子から、常用アンプのtapeモニターなりAUX端子なりにつなげばいいのです。古いアンプの調子が悪くても、phono-EQ部は問題なく動いているかもしれませんよ。現に、Hoffmannは実家でこれを実践しています。20年もののアンプに内蔵されたphono-EQ部は、10年くらい前の20万円クラスのアンプに内蔵されているphono-EQよりも、はるかにいい音でした。


また、お使いのアンプが古いものならば、CDプレーヤーはAUXやCDと表示された端子よりも、tapeモニター端子につないだ方が音がいいことがあります。お試しになってみてはいかがでしょうか。



phono-EQアンプを導入しても、入力端子を変えても、あんまり変化がないという場合はどうしますか?(・・*

機器を替えたら駄目になった、なんてこともあり得るんだぞ。変わらなかったら喜べばいいのさ! 安心して音楽が楽しめるじゃないかヽ(^^*)/♪

Hoffmannさん、ポジティブですね〜(^o^;

まあ、音の変化っていうのは、機器のどこかを替えたらそのまま1週間くらい使ってみるんだよ。いつもの音楽を、いつもの音量で。決して細かいところにこだわったりしないで。それで1週間後に元に戻してみる、そうすると意外と分かるもんだよ




2005.02.27 sun

Hoffmannさん、朝ご飯も食べないでお出かけになったかと思えば・・・(・・;)

ふっふっふっ(^-^*)優美がまだかまだかと急かしたんじゃないか(笑)



じゃ〜ん♪

シューマンの「薔薇の巡礼」フーバー盤ですね! それに、「ウンディーネ」のデュシャン盤ヾ(^^*)/ワーイ

我がHoffmann家秘伝の「物品引き寄せの術」にかかれば、かようなことはブレーキハスト前にござるよ( ̄ー ̄)エヘン


あんまり調子に乗っちゃだめですよ〜(*^o^)σ)~0~)/プニッ♪Die Toteninselさん、どうもありがとうございます〜




2005.02.26 sat

昨日は第一次送別会でへべれけになって深夜のご帰還、そのまま寝てしまいました(^^;

ネクタイくらいほどいてからお寝みになってくださいよ〜(-_-;

まあ、いい気分で楽しく飲んだんだし・・・(笑)

(^o^;)明け方、トイレで大騒ぎ・・・(ムガムガ)しーっ(;-_-)♭(+ +;)



本日の収穫です♪

例によってワーグナーがいっぱいですね〜「さまよえるオランダ人」、「ローエングリン」、「トリスタンとイゾルデ」・・・この楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は1975年ウィーンでのライヴですね

リッダーブッシュがザックスを歌っているものだよ(/^^)/バンザーイ

ウェーバーの歌劇「シルヴァーナ」って、めずらしい作品ですね(/^^)/バンザーイ

シュレーカーは「烙印を押された人々」、「炎」、「からくりの鐘と王女」ですね(/^^)/バンザーイ

それに・・・「ウンディーネ」!(/^^)/バンザーイ(/^^)/バンザーイ

鑑賞はアナログ(LP)が中心です、ってさんざんおっしゃておいて・・・(^^;

ま、メンテナンス後CDプレーヤーも調子がいいからね(^o^)それに、もしLPの初期盤だったら同じ金額でせいぜい2〜3枚しか買えないところだぞ




2005.02.24 thurs

かなり以前に観た映画なんですが、ヴィスコンティの「異邦人」、ご存知「きょう、ママンが死んだ」ではじまるアルベール・カミュの同名の小説が原作ですね。映画化に際しては5人の映画監督が名乗りを上げ、それぞれの脚本を読んだカミュ未亡人が、もっとも原作に忠実なヴィスコンティに映画化を許可したということです。

でもこの映画、つまらないんですよね。どう考えても、原作に忠実であろうとするあまり、制作者の常日頃のインスピレーションも行き場をなくして、ちんまりとまとまってしまった印象です。


オペラの演出も、ただト書きをなぞっただけではおもしろくありません。でもこのことは、即テキストの読替えが必要であるということとは違います。テキストに従いながら、新鮮な舞台を作りあげるという点では、パトリス・シェローなどじつに才能ある演出家だと思います(逆に言うと、シェローの方法は「読み替え」とは異なるものだと思うのです)。



「猫の日」記念画像第3弾ですね〜(笑)




2005.02.23 wed

以前、ラヴクラフトの小説について「怪物を出してしまえば怪奇小説も行き詰まらざるを得ないんじゃないか」と語りましたが、ホラー映画がスプラッターに発展(?)したことや、オペラの演出が作品を大胆に読み替えて前衛的になっていったことも、これと共通するところがあるように思います。とくに、その失敗例における臆面のなさ、節操のなさという点でちょっと似ていないでしょうか。

進歩・発展・前衛と、行き詰まるというより、自ら追いつめていってしまうんですね。



昨日の「猫の日」記念画像の続きですね(^^ )




2005.02.22 tues

今日はちょっと遠出をすることになっていたので、車中で読もうと、およそ10年ぶりくらいでクラシック音楽のレコード・CD専門誌「レコード芸術」を買いました。

しかし・・・つまらん雑誌ですな(-_-;)相も変わらず「決定盤」だの「名盤」だのって、永遠のマンネリズム。よくこれで・・・(略)。それに、まだまだ新興宗教の教祖みたいな旧世代化石時代の批評屋も健在で・・・(略略)。ボキャブラリーも絶望的に貧弱で、前も次もそのまた次も、ぜ〜んぶ「のびやか」「のびやか」「のびやか」とやっているのは、これで原稿料を取っているなんて・・・(略略略)。若いひとのなかにはちゃんと評論してるひとも見受けられるんですが、それでも雑誌全体の印象が退屈なのは編集方針に問題があるからでしょうね。結局広告だけパラパラ眺めて、駅で捨てちゃいました。
ああ、1,250円モッタイナイ・・・(-_-;



若いひとの文章を読んで、読むに値すると感じるとき思うのは、音楽批評だからといって音楽の知識だけあればいいってもんじゃないんだということだね

今晩は「のびやか」にうなされそうですね(笑)




2005.02.21 mon

フジテレビの日枝会長が、「株でなんでもコン トロールできるという考え方はおかしい」とか言ったそうですが、こいつ、かつて株の力で創業家からフジサンケイグループを乗っ取ったんですよね。

今日は今日で日本経団連の奥田碩会長が「金さえあれば世の中何とでもなるという考えは、日本社会で一番まずい話なので、道徳的におかしいと政財界から非難が出た。堀江さんも甘んじて受けないといけない」と批判、おまけに「そもそもどういう動機で買ったのか。純粋な気持ちなのか、金もうけなのか、はっきりさせる必要がある」と言ったんだとか。

ホリエの肩持つつもりはないんだが、これ、単なる新参イジメとしか見えません。ホリエはともかくとして、日本にベンチャーが育たないわけですね。

株の操作が日本経済を動かし、企業の命運を左右していると言っても言い過ぎじゃないでしょ。日枝だって、(一応は)正当な手続き踏んで株をコントロールして、クーデターを成功させたからいまの地位があるわけ。もともと株っていうものにはそうした要素があるんですよ。ある意味、持ち株会社の存在が認められた時点で、公認されちゃったといってもいい。金儲けだったとしても、それはちっとも非難されるようなことじゃない、というか、非難できるような連中じゃない。それを「純粋な気持ちなのか、金儲けなのか」って・・・特権階級意識におぼれたじじいが若いのをイジメているという単純な図式です。もしも本気で言ったのなら、こいつら自分のやった(やってる)ことも忘れちゃうほど耄碌して、もはや廃人ですね。




2005.02.20 sun

>シベリウスのヴァイオリン協奏曲では、現行のFinal1905VersionとOriginal1903/04Versionを収録した Leonidas KavakosのCDが演奏・録音ともにすばらしいものです(BIS:CD-500) 。あとはなぜか女流ヴァイオリニストによる演奏が好きで(^^* ジネット・ヌヴー(英EMI:RLS739)、カミラ・ウィックス(米Capital:P8175)、 石川静(Supraphon:1110 2289)、潮田益子(英EMI:SXLP30137)、男性ではTossy Spivakovsky(米Everest:SDBR3045)とか・・・。

以上は先日Hoffmannがbbsに書いたことなんですが、その後手元にある同曲のレコード・CDを聴いてみましたよ。

すでに挙げたLPのなかでは、ヌヴー、ウィックスは別格で、石川静が強烈な個性というものではないけれど、自然体の演奏で好き。潮田盤はちょっと落ちる。バックの小澤征爾指揮、(旧)日本フィルハーモニー管弦楽団はなかなかいい演奏。同じ小澤指揮、ボストン交響楽団でヴィクトリア・ムローヴァのLP(蘭Philips:416 821-1)も印象希薄。クーレンカンプ(東芝:WF60058)は、フルトヴェングラーのシベリウスであることでばかり注目されるが、禁欲的なまでに厳しい音でありながら、現代の感覚からすると、意外に表情の濃いヴァイオリンは一聴の価値あり。ただし、クーレンカンプを聴くならTelefunkenにもっといいレコードがある。このほかクレーメル、パールマンなど、とくに語ることもなし。

CDは5点、イダ・ヘンデル(東芝:TOCE-9113-20)、Jascha Heifetz(Biddulph:018)、Miriam Fried(Finlandia:4509-95856-2)、Pekka Kuusisto(Ondine:ODE878-2)、Regis Pasquier(Auvidis Valois:V4746)。このなかでは1935年録音のハイフェッツがすばらしい、このひとはテクニシャンであるためか「冷たい」というのが定評だったが、いま聴くとじつに情熱的な演奏である。音質も1935年とは思えないすぐれたもの。ついでに言うと、ハイフェッツはステレオ期の録音よりもこの頃が最高。比較的新しい録音ではレジ・パスキエも美しい。

LPで忘れていたのがIvry Gitlis(英VOX:PL9660)。作品をデフォルメしているんじゃないかというくらい個性的なギトリスだが、この頃(1950年代)はそれほど極端ではなく、個人的には愛聴盤のなかではヌヴー、ウィックス、(トッシ・)スピヴァコフスキーをも超えて最高としたい・・・ただしひとにおすすめするのはカヴァコスのCD(BIS)、このあたりが微妙なところ(笑)




今日は思い切り趣味に走りましたね〜(^^;

昨日は、ちょっとCDプレーヤーに悪いこと言っちゃったかと思って・・・(^^;

それでCDをあれこれ聴いたんですね(笑)




2005.02.19 sat

2005.01.31に書いたとおり、CDプレーヤーも修理されて戻ってきまして、再生できなかった(読めなかった)CD・SACDハイブリッド盤も、そのCD層が読めるようになりました。

今回ドライブメカを交換されたのですが、じっさいにメカの不良なのかどうかわかりません。その意味ではCDプレーヤーというものはブラック・ボックスですよね。

Hoffmannの経験では、レンズの汚れというのがトラブルの原因であることが多いようです。市販のクリーナーはさらなるトラブルのもととなることがあり、まして蓋を開けて綿棒なんて危険すぎます。ある友人は、綿棒に消毒用アルコールでレンズをクリーニングするとのことですが、レンズのコーティングがはがれてしまうんじゃないでしょうか。

それにしても、CDの信号面を読めないと、「NO DISC」などと表示して止まってしまうCDプレーヤーって、「気合い」が足りないんじゃないですか。アナログなら針が跳んだってちょいと指で先に進めてやれば続きは聴けますよ。

さらに、SP盤ならdialogue#43で話したとおり、割れたって接着剤でくっつければ聴くことができるんですからね。




「気合い」が違うってもんだ( ̄- ̄)

「すべて偉大なものは単純である」―とは、20世紀の大指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーのことばですね

* * * * * * * * *

(本日のボツネタ)
過去の犯罪行為をペラペラ喋るってこと自体、どうかと思うんですが、半年間集団窃盗して店潰しておいて・・・(以下略)

我が家にはふさわしくない話題ですな。それに、考えてみればテレビ見ないのであびるとかなんとかいう女のこと、なにも知らないんです。まだ時効じゃないらしいから被害者は訴えたら?





2005.02.18 fri

大型書店、S堂の売り場は辞書の棚の前で、若い男女の店員の会話―

女店員「お客さんがラテン語の辞書はあるかって・・・」
男店員「ラテン語? どれだろう?」
(二人、しばし棚から葡和辞典、西和辞典、露和辞典などを次々引っ張り出し、中を確認している。女の方の手がほとんど「羅和辞典」に触れたのだが、なぜかこれは確認しない)
男店員「・・・そもそもラテン語って、どこの国の言葉なんだ?」
女店員「ええと・・・ラテンアメリカじゃないの?」
(/_ _)/ドテ←これはHoffmann


信じられないかもしれんが、実話だ(-_-;)「反省堂」と改名しなさい

S堂って、辞書の出版もしてるんですよね〜(^o^;;




2005.02.17 thurs


bbsで話題になった、ウェーバーの歌劇「オイリアンテ」のDVDから。Teatro Lirico di Cagliariでの上演のライヴ収録。オーケストラは必ずしも完璧ではなく、歌手も国際的な知名度という点では超一流ではないものの、奏者・歌手ともに自発性に富んでおり、こうしためずらしい作品の高レベルな上演が楽しめる聴衆がうらやましいですね。



ウェーバーの歌劇といえば「魔弾の射手」ばかりが有名だけど、音楽的にはこの「オイリアンテ」のほうがよくできてるね

台本が悪いというのが定説ですが・・・

「魔弾の射手」だって、それほどたいした台本じゃないよ(^o^;


それにしてもHoffmannさん、これ、毎日観てませんか〜(^^*




2005.02.16 wed

朝起きたとき、あるいは酔っぱらったとき、ふと思想とまではいわないにせよ、警句らしきものを思いつくことがあります。そんなとき、Hoffmannは手近にある紙にその思いついたことを書きとめておくのですが、これ、起きたときや酔っぱらったときというのは意識もモーローとしているので、後で見てみると、ほとんどはたわいもないことなんですね。それどころか、なんのことだかさっぱりわからないものもあります。

今日、本棚の間に見つかった紙片には―「これに対し、推理小説は居合い抜きの如し」と書いてありました。いったい、なにに対して、どうして推理小説が居合い抜きなんでしょうか(^o^;




それ以前に、ご自分で書いた字を判読するのに、ずいぶん苦労なさってましたよね〜(笑)




2005.02.15 tues

今日になってチョコレートが来ましたよ。今年は2個でした。昨年も2個だったんですが、毎年相手が違うんですよね。共通するのは、チョコをくれる相手は必ず結婚してて(もちろんHoffmannと、じゃないですよ)お子さんもいる女性だということ(^^;



言っとくけど母親や姉妹じゃないよ。それにしても、なんでかなー(^^;

うふふふふ・・・(^^*




2005.02.14 mon

先日、銀座の中古カメラ店から移転通知mailが送信されてきましたよ。

ふむふむ、委託品募集中と・・・新しい店舗のビル名は・・・ 
便座○○○ビルぅ?

2日後に訂正mailが来たよ

担当者は・・・さぞかし叱られたんでしょうね(^_^;




2005.02.13 sun

アルベール・カミュの小説だったか、倉橋由美子の小説だったか忘れましたが、登場人物の台詞で、死ぬのは怖くないが、死ぬときに自分が怖がるかどうか分からないのが恐ろしい、というものがありました。なるほどなあ、いざそのときになってみにゃあわからんよなあ、と長らく思っていたのですが・・・。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は狭心症の発作を起こしたとき、妻の節子に、人の苦しがるのを見るのは不愉快だろうからあっちへ行ってなさい、と言ってベッドに横たわり、まもなく息を引き取ったその顔には、微笑の影が残っていたそうです。




劇的であるよりも非・劇的であることのほうが難しいのですね




2005.02.12 sat

ああ、もうとっくに日付が変わっていました。

Hoffmannは、頭で考えていることを無意識のうちに口に出してしまうことがあります。以前、仕事中に―そのときは手が空いてちょっと暇だったのですが―「ションベンでもしてくるか・・・」と口に出してしまい、隣席の同僚に「そんなにやることがないんですか?」と呆れられてしまったことがあります。

今日は今日で、老母の前で「更新しなきゃなあ・・・」と呟いてしまったようで、「どこに?」と不思議そうな貌をされました。




「行進」だと思ったんですね(^^;




2005.02.11 fri

今日は優美のHomepage開設二周年だね

仮のupは2003年1月30日で、正式公開が2月11日でしたね

それでは、例によって古い写真を・・・


(^^*)きゃー

一周年のときから、ちょっと更新のペースが落ちてるね〜

Hoffmannさんがお仕事の部署を変わったころですね

いやいや、そんなの言い訳だよ(^_^A;次の1年はもう少し、がんばるよ〜


これは比較的新しめの写真ですねρ(^^*

(^^*)ハズカシー

おいで頂いている皆様には、これからもよろしくお願いいたしますヾ(^^)(^^)/お願いいたします〜♪




2005.02.10 thurs



またまたアメリカから来た玉手箱。この映画のDVDは日本では廃盤になってしまったようですね。

小説家でも映画監督でも、女流(女性)というのは、表面から隠されている人間の醜さといったものを、ためらいもなく赤裸々に描き出しますね。あざといというか、とくに同性に対しては、じつに意地悪です。しかしこれも人間の真実の姿なのです。わかっていても、ほとんどのひとは目をそむけているのではないでしょうか。

そんじょそこらの映画や小説に見られるような、あまっちょろいご都合主義の予定調和なんぞカケラほどもありません。


真実というものは、ときに残酷で醜悪なものである・・・と(・・;

さてさて、この映画は?




2005.02.09 wed

(きょうの出来事)
いまどき、「日本人にはベートーヴェンのほんとうのところはわからない」などという愚論を聞かされるとは思いませんでした(苦笑)「西洋人に芭蕉はわからない」という発想の裏返しですが、こんなの、発言者の西洋文化に対する無知と劣等感をあらわしているだけですね。

・・・いま、「西洋文化に対する無知と劣等感」なんて書いちゃいましたけど、こうした発言をするひとが、それでははたして芭蕉についてどれだけ深く理解しているものか、これもはなはだあやしいもんですね。

もうひとつ、Hoffmannの嫌いな俗説に、「キリスト教信者でなければ(たとえばバッハの)宗教音楽は理解できない」というもの。カトリックとプロテスタントがまったく区別されていないのも、この俗説が口にされるときの特徴なんですね。




一応付け加えておくと、「音楽に国境はない」というのも、幼稚な愚説だと思うね

今日は語尾がぜんぶ「・・・ですね」ですね〜(^^*

※ この場合の「国境」とは、もちろん政治的な意味の「国境」ではありません





2005.02.08 tues

もうすぐだね〜

開設二周年ですね〜

もうすぐだというのに、ちっとも準備ができていないんだよね(-_-;

まあ、おぼえていらしただけでも・・・(^^*



こうして毎日お話しもできていますし・・・(^-^*

# いつの間にか、ほのぼのラブラブ路線になってますな〜(・・*




2005.02.07 mon

今日は慌ただしい一日でしたよ・・・(@。@)ふは〜


さて、bbsで話題になったブレヒトの名前からHoffmannが連想した映画は、ギュンター・グラスの原作、監督フォルカー・シュレンドルフの「ブリキの太鼓」でした(^o^;

Hoffmannさんの大好きな映画ですね。原題は
“Die Blechtrommel”・・・って、Brechtとはスペルが違いますよ〜(^^;

主人公のオスカルは3歳で成長することを止めてしまい、ブリキの太鼓をたたいて奇声をあげるとガラスを割ることができるという力を身につける。この「永遠の少年」オスカルの視点で、第二次大戦に向かうポーランドの街ダンツィヒと、そこに生きる人々を描いた映画だよ

上の写真はナチス幹部を迎えるブラスバンド演奏をワルツに変えてしまうところですね(^^)

できることなら、オスカルになりたい・・・




2005.02.06 sun

2005.02.01の正解をDie Toteninselさんからいただきました(^^*サスガー

ヾ(^^*)パチパチ


はじめの方の映画は「007 ゴールドフィンガー」。写真は、オリンピック銀メダリストでもあるハワイ出身のプロレスラー、ハロルド坂田でした。

悪役なんですが、なんともいえないいい笑顔ですね(^o^)演技になれていないので、手加減せずに殴られたとショーン・コネリーがこぼしていました。ちなみに、右の感電シーンでは手にやけどを負いながらも、監督が「カット」と言わないので手を離さなかったそうです。



そしてこちらは「007 ロシアより愛をこめて」から、なんとロッテ・レーニャです。作曲家クルト・ワイルの夫人ですね。

この映画ではヒステリックな悪役なんですが、ほんとうはやさしいひとなんだそうです(^^*)

Hoffmannさんがお持ちの、ベルトルト・ブレヒト翻案、クルト・ワイル作曲による「三文オペラ」のオリジナル・ベルリン・キャストによるレコード(1930年録音!)を聴きますと、このロッテ・レーニャがポリー役で、とても可愛いらしい声で歌っていますよね(^^*



主役はこれしかキャプチャしてませんでした(^o^;



さーびす写真(笑)これは「ゴールドフィンガー」からヾ(^^*

「死霊の盆踊り」じゃないんですね(^^;



「タイガー田中」もびっくりです〜(^o^;




2005.02.05 sat

ニーチェがワーグナーをデカダンとして非難したことが、どうしても理解できません。ニーチェが「デカダン」というときには、近代人のあらゆる精神的衰弱の、その無自覚性を指していると私は理解しているのですけれども・・・。

べつにワーグナーに限らなくてもいいんですが、私だったら、どうせならその音楽の魅力に、全身全霊を捕らえられて、まるで麻薬のように酔わされたいもんですね。

マリア・カラスという歌手は、悲劇的な役柄を歌い、演じたときには、すっかり「なりきって」しまっていて、終演後もしばらくは呆然としていたとか。

カラスと同時代に人気を二分していたテバルディという歌手は、舞台で病身の不幸な娘を演じても、幕が下りた直後、コマーシャルソングを口ずさみながら舞台の袖に引っ込んで、上機嫌でカーテンコールに応えたそうです。


人間的に魅力があるのは・・・でも、芸術家として偉大なのは・・・


紫式部と清少納言の違いに似てますね〜



「小説にはだまされてみろ」と言ったのは、石川淳でしたっけ?




2005.02.04 fri


アメリカからやって来た玉手箱(笑)映画史上ロボットが登場したのはこれがはじめて

フリッツ・ラングの「メトロポリス」ですね


物語は度し難いセンチメンタリズム、という評が一般的で、まったくそのとおり(笑)ですが、映画として、映像にはみるべきものがあります

巨大建築や群衆シーンは第三帝国の宣伝様式を彷彿させますね

はからずも・・・フリッツ・ラングはユダヤ人でその後亡命したんだけどね、やっぱり時代に巻き込まれている


これが1927年の映画!

画質も見事なものですね、このDVD化は大成功ですよ



ちなみにこの俳優グスタフ・フレーリヒ、後にナチス宣伝相ゲッペルスをぶん殴ったんですよね・・・原因は某女優をめぐる三角関係とか(^o^;




2005.02.03 thurs



デジタルカメラだとちょっと雰囲気の出せない被写体・・・じゃないでしょうか

道具に凝っているようでは、まだまだですよ〜(笑)




2005.02.02 wed

 音楽に関して、古くからあるネタですが・・・音楽家になりたいひとは、みんな最初歌手を目指す。ところが歌が下手だったり、あるいは声がよくなかったりすると、仕方がないから楽器を演奏して器楽奏者になろうとする。ところが楽器もうまくできないやつは、しょうがないから指揮者になる。棒もうまく振れなければ作曲家になる・・・作曲もできなかったやつが評論家になりましたとさ・・・。

 だから評論家の言うことなんて・・・というオチなんですが、じっさいの世の中はまことに不思議なもので、ベルリオーズなんて作曲じゃ食えないからって、批評をやってたんですよね。シューマンも似たようなもの。


 以下は某音楽関係の掲示板から、あるクラシックCDについての評―

全く胃が痛くなるほど気分が悪くなる演奏で、聴いていても気持ちが落ち着かず不安な気持ちになります。
と言っても、それが悪い演奏であるとゆうことではなく、実に凄い演奏だとゆうことで、良い気持ちで聴けないにも関わらず何度も聴いています。(中略)音楽もいろいろで、美しい曲、気持ちの良い曲、様々ですが芸術である以上、綺麗事ばかりでもないようで、この演奏を聴いていると素晴らしい芸術に触れている満足感はあるものの決して気分は良くありません。
それはまるでピカソのゲルニカを見ていて不安にかられたり吐き気をもよおしたりするのに似ています。

 これに対するレスが―

雑誌などの何を言ってるのか分からない、評論などより、はるかに分かりやすい批評ですね。


これは皮肉なんだろうなあ、それとも、まさか・・・(^o^;

ふは〜(^o^;;;




2005.02.01 tues

アメリカから来た玉手箱はちょっとお休みして・・・これはHoffmannの老父が「観たい」と言うので買ってきたDVDです。



さて、この映画はなんでしょう?



同じBoxSetからもうひとつ・・・「ええっ、このひとが出演してたの?」とHoffmannが驚いた、この女優さんは誰でしょう?

血湧き肉躍る映画ですね〜(^^*




2005.01.31 mon

じつは寝込んでいる間に届いたのはDVDだけではなく、CDプレーヤーも修理が完了して戻ってきていました。修理内訳はドライブメカニズムの交換とファームウェアの更新です。ドライブメカニズムの部品代が本体価格(定価)のおよそ27分の1というのは、高いのか安いのか・・・微妙(笑)

いずれにせよ、間に合わせに使っていたポータブル機とは次元の違う音ですよね〜



で、ドビュッシーの歌劇「ペレアスとメリザンド」の新旧録音をあれこれ聴き比べてみたんだけど・・・

下段左のふたつがDVDですね。ベストはどれですか?

それぞれにいいとも言えるし・・・一長一短なんだよね〜(-_-;





2005.01.30 sun

体調は昨日までより、かなりよくなりました(*^^)ヽ(^o^*)/バンザーイ

さて、アメリカから来た玉手箱(笑)の続きです。


ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場のワーグナー歌劇「タンホイザー」なんですが・・・音楽が鳴ってなかったら「タンホイザー」だなんて分かりませんな(^^;

Zubin Mehtaの指揮するオーケストラは至極まっとうな演奏で、舞台とのちぐはぐ感は最後まで解消できません。


この演出、おもしろいことはおもしろいのですが、私も好きじゃありません(^^;


こちらはリヨンのドビュッシー「ペレアスとメリザンド」。歌手はC.Alliot-Lugaz、F.Le Roux、J.Van Dam、R.Soyerと豪華、指揮はJ.E.Gardinerとあっておおいに期待して観ましたが・・・

室内劇になっているのですね。左は例の、塔の窓から髪を垂らすシーンなんですよね

舞台はこうして映像で見る限り、たいへん美しいんだけどね。カメラがほとんど180度動くので、視点が定まらない、舞台を収録したというよりも、中途半端な映画仕立てと見えてしまうのが残念だね

歌手は充実していますけれど、オーケストラは・・・この指揮者らしく、ちょっと低カロリーの印象で好みが分かれそうですね




2005.01.29 sat

とりあえず起きあがってPCの前に座ってはみましたが、まだ本調子ではなく、午後は寝ていました

無理はしないでくださいね(^^*

寝込んでいる間にニューヨークから銀色の円盤が飛来しましたので、順次ご紹介♪



Die Toteninselさんに教えていただいた、コルンゴルトの歌劇「死の都」、Strasbourgでの公演を収録したものです。演出はInga Levant

斬新な演出ですね〜(・・;

いわゆる、音楽とテキストの大胆な読み替えだね。これはこれで説得力がある

2005.01.23に話題にしたPeter Konwitschnyのワーグナー演出の場合はお気に召さなかったのですよね? どういった違いがあるのでしょうか?

Peter Konwitschnyの場合は、そもそも作品を全否定することからはじめているよね。だからあれは「読み替え」とはまったく違う。少なくとも、その音楽のなんらかのメッセージを信じて肯定しないことには、再現芸術なんて成立しないんじゃないのかなあ。あそこまで否定するなら、なんでこの仕事(演出)を引き受けたんだい・・・って訊きたくなる




こちらもDie Toteninselさんに教えていただいたもの。まだ全部は観ていません

映画「幻の城」(“Rowing with the Wind”)ですね




2005.01.28 fri

Hoffmannさん、復調傾向ですo(^o^)o

ちょっと薬の副作用がでてるけどね(笑)

Hoffmannさんが寝ている間に、注文していたDVDも届いちゃいましたよ〜




2005.01.27 thurs

悪いことは重なるもので、Hoffmannさんと同時にhomepege作成用PCもダウン、起動しなくなっちゃいました。データはすべてsecondHDDなので、とりあえず起動driveを挿し替え―HoffmannさんのPCはどれもHDDがmobile-Rackを介して接続されているので、交換は簡単です。しかも、ほぼ同じ環境のback-upHDDが用意してあったので、最低限の設定を追加すれば作業は続行できます(^o^)

あとはHoffmannさんの回復を待つばかりなんですが・・・
(_ _)o(^o^*)oふぁいと!




2005.01.26 wed

Hoffmannさん、風邪でダウンです(_ _)ρ(-_-;)つんつん




2005.01.25 tues

 filmカメラで写真を撮るとき、モノクロはネガfilmですが、カラーはポジ(リバーサル)filmを使っています。これは、はじめて自分で買ったカメラではじめて入れたfilmがポジで、以来これで慣れてしまっているから。べつにプロを気取っているわけではありません。だいいち、アマチュアがネガ、プロがポジなんていう世間一般の「常識」なんて知らなかったし、その「常識」自体あやしいもんです。

 そんなHoffmannに、写真に詳しい同僚がアドバイスをしてくれます。

「いまではプロでもネガを使っているひとが結構いるんですよ」
(それがどうしたの? プロがなにしてようとおれには関係ないでしょ)

「ポジよりラチチュード(適正露出の許容範囲)が広いというので、世間ではネガが見直されているんですよ」
(それがどうしたの? 世間ってだれ? どうしておれがその真似をしなきゃならないの? いい歳して世間の動向を気にしてばかりいるから・・・以下略)


で、この男が今度は「もうプロだってデジカメでなきゃ仕事にならない時代ですよ」ときたもんだ#ノ-_-)ノ ┴┴あーもうウルセー

デジカメって、ポジfilmよりラチチュードが狭いんじゃないんですか?(^^;




2005.01.24 mon

 オペラの革新的な演出といえばワーグナーばかりではありません。ひとつだけ例をあげると、ビゼーの「カルメン」が1988年にイタリアのマチェラータ・フェスティヴァルで上演された際は、舞台がニューヨークに移され、カルメンは台本どおりタバコ工場の女工ながら、竜騎兵ドン・ホセは白バイの警官、闘牛士エスカミーリョはボクシングのチャンピオンだったそうです。

 ドン・ホセというのは意志薄弱で女性の誘惑に弱く、あげくの果てに自分を捨てたカルメンを刺殺してしまうのだから、なんだか現代においてもありそうな話ですね。

 こうした演出の是非はともかくとして、某音楽評論家が、「あのような男が勇ましく戦闘に参加しているところなど、想像もできない」という文章を書いていました。

 竜騎兵というのは衛兵であって、現代でいえばお巡りさんのようなもの、べつに戦争や紛争で戦う兵隊ではないんですよ・・・。

 あっ、それじゃ白バイの警官てのもまんざら的はずれじゃないんですね(^o^;




ボクシングのチャンピオンの歌が “♪トーレアドール・・・” って、変ですね〜(^^;

ワーグナーの「ニーベルングの指環」の場合は、そもそもが神々や巨人族の世界からはじまる物語だから、多様な解釈を可能とする素地があるんだよね




2005.01.23 sun


評判の演出家によるワーグナーの楽劇。驚いたことに、ラストのオーケストラによる演奏場面は、幕を下ろしてしまって、スクリーンに、作曲者ワーグナーによるト書きを映し出すというもの(DVDでは字幕)。

解説書には、「スペクタクルショーを演出するつもりはないというメッセージ」か、「結末を音楽のみに委ね、その解釈を観客ひとりひとりに投げかけて終わるということ」か、とある。

後者ならト書きを映写するのも余計だし、こちらもレコードかCDで聴けばよかった、前者ならそもそも演出しなければいいのに、と単純に思うんだが・・・。



こちらのほうがずっとすばらしいですね〜

一時代を画した演出だね。これこそ映像で残す価値があるというものだよ





2005.01.22 sat



いや、ホントは風景写真なんて興味ないんだが・・・

filmが余ったんですね(^^ )

どうせならNature系よりはネーチャン系のほうが・・・(^o^*


(#-_-)σ)~0~)/プニッ♪




2005.01.21 fri

Hoffmannは一眼レフカメラを所有したことがなく、使ったこともありません。手元にあるのはデジタルカメラとコンパクトカメラを除けば、すべてレンジファインダー(距離計内蔵式)カメラです。よく使うレンズは標準50mmと中望遠90mm、というか、それしか持っていません(^^;

どちらかというと90mmを使うことの方が多いのですが、レンジファインダーだと90mmというのはフレームが小さくて、ピント合わせが難しく、精度的にも不安があります。それに、最短撮影距離が70cm〜1m程度と、マクロ撮影ができないのもレンジファインダーの短所です。

この2点のためにのみ、一眼レフカメラを導入するとしたら、85〜105mmのマクロレンズということになります。もちろんボディも必要。あまり大型でない方がいいなあ。

候補にあがったのは、マニュアルフォーカスで手動巻き上げのアレ、シャッターはフルマニュアルでも使えるのがかなり魅力。ところがこれは中央部重点測光のみで、スポット測光がありません。また、小型のボディはいいのですが、さすがに105mmレンズを付けると使いにくい。フォーカシングの際、左手でボディを支えられないのです。

もうひとつの候補は内蔵モーターによる巻き上げですが、スポット測光あり、ファインダーは視度補正機能も内蔵、マニュアルフォーカス。100mmマクロレンズはちょっとお高いけれど、描写には定評があります。ところが、ボディが生産終了になってしまいました。ま、中古という手もあるとはいえ、このメーカー、銀塩カメラに関してはすっかりやる気がないようです。これじゃ、すばらしいレンズが泣くよなー。




これだけで候補にあげたカメラとレンズがわかっちゃうひと、いるんだろうね〜

それで、どちらをお買いになるのですか?

どちらもやめた。再検討中(-_-;





2005.01.20 thurs

保温釜のご飯がちょっと硬くなっていたので、夕食は肉と野菜を入れてドライカレーです・・・と思ったら、油を切らしていました。オリーブオイル、ネギ油、ごま油と、どれもほとんど残っていません。フライパンの上で3つの容器をさかさにして振ってみましたがまだ足りない。なぜかこれだけたっぷり残っていたラー油を追加してなんとかできあがり♪



お味はいかがですか?(^^ )

激烈に辛いね〜(;^o^)=3




2005.01.19 wed

世間では「冬の彼方」以来、純愛ブームだそうですよ〜(^^*

よく知らないけど・・・「冬のアナタ」じゃなかったっけ・・・(・_・ )あ、「冬のその他」かも・・・



私なら、大人の純愛といえば、なんといってもこれヾ(^^*)ですね

「純愛の勝利さ」

まさにそのとおりのセリフもあるね

友情の物語でもありますね(^^*



戦時下における愛国心の物語でもあるんだが・・・そこのところはおいとこう(^^;




2005.01.18 tues

映画の邦題ってえのは、直訳・省略・変更とさまざまです。思いつくまま例をあげると―

“Fruehlings Sinfonie”(「春の交響曲」)→「哀愁のトロイメライ」

前にもちょっと書いた、作曲家シューマンとクララの愛を描いた映画。蛇足ながら解説すると、シューマンの交響曲第1番が「春」という標題なんですね。映画のラストシーンで演奏されています。クララを演じているのはナスターシャ・キンスキー。しかしながら、邦題が甘ったるくって、これじゃ観る気がしません(観たけど・・・)。

“Surprise Party”(「びっくりパーティー」または「押しかけパーティー」)→「さよなら夏のリセ」

こうして入力していても恥ずかしい・・・(-_-*)これはロジェ・ヴァディムが主役を息子に演じさせて、終戦後間もないフランスの高校生たちを描いた青春映画。この監督にしては、めずらしく(笑)いい映画なんだけどなあ。

“Hiroshima mon Amour”(「ヒロシマ 我が愛」または「ヒロシマ 私の恋人」)→「二十四時間の情事」

原作は「ヒロシマ 私の恋人」として出版されています。映画公開当時から話題になったようですが、どうしてこんな邦題にしたのか、「私の恋人」っていうのもちょっと・・・(^^;
いや、間違っちゃいないんだが



どれもよくありませんね〜(^o^;

ま、なんてったって史上最強の邦題といえば、B級映画どころかZ級の呼び声も高い
「死霊の盆踊り」(原題“Orgy of the Dead”)だろうね(^_^;




2005.01.17 mon

VHSテープの頃は、レンタルしてきたビデオを片っ端からダビングしてコレクションに加えていたものです。お気に入りの映画はもちろん、たいして興味のないものまでダビングして、そのまま観ていないものも少なからず(笑)まあ、これは複製だからそれでもよかったのですが・・・。

ところが、DVDソフトを購入するとなると、一回観たらおしまいという程度の興味だと、購入を控えてしまいます。それに、Hoffmannはなんでも気に入らないとなると手元に置いておくのも嫌なタチので、やはり「厳選」してしまいますね。

まして日本語字幕がない映画となると・・・(^^;




まあ、オペラを含めて音楽ものなら無問題だし、映画も字幕の英語は意外と簡単だし・・・(^^*

・・・と、いうことは?(笑)

* * * * * * * * *

以下は一度upしたけど没にしたもの。ところが、すてごまさんの「日記」を読んだら、微妙に同じようなことが書かれておりまして、「これは偶然!」と再upすることにしましたよ(笑)

アラン・ロンバールという、日本ではまったく人気のない指揮者がおりまして、手元にはモーツァルトのオペラのレコードが二組あります。1977年録音の「コシ・ファン・トゥッテ」と1978年録音の「魔笛」、いずれもフランス盤なんですが、当時日本でも発売されたようですね。歌手の名前を見ると、前者にはキリ・テ・カナワ、後者にはキリ・テ・カナワのほかにキャスリーン・バトル、ペーター・ホフマンの名前があります。いずれも後に国際的に活躍するようになった歌手たちですが、当時はまだ無名に近く、日本ではほとんど知られていなかったはず。聴いてみると、このころはたいして上手くないんですね。とくに「魔笛」でのバトルの台詞など、ほほえましいくらいにへたくそ・・・(^o^;

古いレコードを聴く愉しみは、こんなところにもあるんですね。




2005.01.16 sun



指揮者・作曲家のレナード・バーンスタインです。

作曲家にしてすぐれた指揮者でもあったといえばグスタフ・マーラーもそうでしたね。マーラーがブダペスト王立歌劇場の監督として上演したモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」は、当時高い評価を得て、ブラームスも「真の『ドン・ジョヴァンニ』が聴きたければブダペストへ行け」と言ったとか。また当時はマーラーに対して、つまらない自作の交響曲なんかどうでもいいから、もっと指揮をしてくれという声もあったそうです。

現代の我々にしてみれば、指揮よりも、もっと作曲をして一曲でも多くの作品を残してくれていたら、ということになるのですが、バーンスタインの場合は指揮者としても多くの録音が残されていますよね。それでも将来、バーンスタインの作品がより広く聴かれるようになって、もっと作曲をしてくれていたら、なんてことになるのでしょうか。

bbsですてごまさんがご指摘ですね(^^*

クラシックにあまり馴染みのないひとにもおすすめなのが、バーンスタイン、ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団による、自作「ウェスト・サイド・ストーリー」とガーシュウィンの「ラプソディー・イン・ブルー」のCDだね

ガーシュウィンではピアノもバーンスタインが弾いていますね

バックはオーケストラ版だね。ガーシュウィンではほかにもアンドレ・プレヴィンや、マイケル・ティルソン・トーマスによるジャズ・バンド版のいい録音もあるんだけど、「ブルー(憂鬱)」な気分はこのバーンスタインのドイツ・グラモフォン盤がいちばんだと思うよ

さりげなくおすすめしてますね〜(^o^;あんまり気にしないでくださいね




2005.01.15 sat

よく、評論家にも「クラシックしか聴かないというのは理解できない」なんて言うひとがいますけれど、これは「価値相対主義は価値相対主義に反する」という論理の基本を理解できていないから。

音楽にジャンルなんて無意味だというなら、結果としてそのうちのひとつのジャンルしか聴かないひとの場合も、なんら特殊な事例ではないわけです。

そもそもこんなことを言っている評論家自身が、「私はバッハが嫌いなので聴かない」なんて書いていたりして、自分の発言が破綻していることに気が付かないんでしょうか。

クラシックといっても好みはさまざま。オペラしか興味のないひともいれば、もっぱらピアノばっかりというひともいるし、バロック音楽しか聴かないでロマン派なんて莫迦にしているひともいます。

ジャズでもロックでも好みはひとそれぞれでしょう。Hoffmannの友人にジャズ好きがいますが、彼の好みはカウント・ベイシーとアート・ペッパー(だったかな?)、ジャズのレコードを聴かせてあげるよと言って、阿川○子(でいいのかな?)を聴かせたって、仏頂面してるだけです(^^;

それを「○○しか聴かないなんて・・・」と批判的に見ることがそもそも間違っているわけですね。

ついでに言っておくと、趣味なんてものは多分に感覚的なもので、「教養だから」「カッコ良いから」「おしゃれだから」なんていう理由でクラシックを聴き続けているひとなんか、いやしませんよ。




この映画は、まったくHoffmannの好みからは遠いけど、音楽は好き



このひとが作曲したんですよね(^^*




2005.01.14 fri

・・・とまあ、妙ちきりんな理屈をこねる手合いに写真の上手いやつはいないもんですσ(^^;)ワタシ






2005.01.13 thurs

「ある瞬間を空間的に定着したいという願望」、「ある時間を停止させて永続性を与えたいという願望」、つまり「自分の能力の拡大の願望」を実現させたのがカメラであると言っているひとがいたけれど・・・

・・・いたけれど?

これ、あたりまえだよね。道具っていうものはさ、つねに手や脚の延長であって、その能力を拡大したものに決まってるじゃない? ノーベル文学賞の候補にもなった作家にしては、あまりに紋切り型の発言だよ。

さらにこれに続けて、カメラが普及して「写真を撮るなんてことは珍しくもなんともなくなった、この状態が、写真というものが自己表現し始める一つの前提ではないか」とも言っている・・・



普及したから、今度はこれでなにができるのか・・・というわけですね、それはそのとおりかもしれませんね

でもね、「ある時間を停止させて永続性を与えたいという願望」なんて、それ自体がもう自己表現だと思うんだよ。多くのひとの願望は「・・・定着したい」、「・・・永続性を与えたい」ではなくて、単に「・・・定着して(あるいは永続性を与えて)、安心したい(だけ)」なんだと思うね




2005.01.12 wed

音楽は気に入ったものならば、何度でも繰り返し聴く。音楽はその瞬間、聴いている間だけしか存在していない。文章はどんなにおもしろくても、それほど頻繁に何度も繰り返し読むことはない。文章(たとえば小説)は読み終わった後に存在しはじめる。

それでは映画は?



書くことには集中があり、対話には挑発があり、談話には自由がある・・・

どこかで聞いたことがあることばですね〜(^o^*

(笑)この三つを同時に実現できていればいいんだけどね



それでは、私の写真は?ヾ(^^*)




2005.01.11 tues

頂いた情報、またオーディオ雑誌のバックナンバーなどでユニバーサル・プレーヤーについて調べてみました。ユニバーサル・プレーヤーといっても、はっきりした定義はなく、DVDビデオ、DVDオーディオ、SACD、CDなどが再生できるものと考えていいようです(ほかにDTS-CDなどもあり)。

さて考えてみると・・・マルチチャンネルについては、いま使っているスピーカーと同等品をさらに数本追加するなど現実的でない、だいいち部屋が狭いし、面倒くさい。また、CDプレーヤーに関しては、現在使っているもの(修理中)がこれ以上ないくらい気に入っている。DVDビデオに関しては、TVを持っていないのでPCで観る生活である・・・

・・・となると、さほど食指は動かないんですが、結局ソフト次第でしょうか。CD・SACDのハイブリッド盤が手元に数十枚、となったら導入してもいいかもしれません(いまのところ1枚)。逆にソフトが出揃えば、その将来性についても信頼できるというものです。

それまでの間、とりあえず、PC内蔵型のユニバーサル・ドライブがあったらいいのですが(^^;PCじゃろくな音は出ないだろうと思われるかもしれませんが、サウンド・カード(PCI)によってはかなりいい音のするものもあり、また音質対策に真空管が挿さったM/Bのマシンからは、所詮PCと侮れないような音を聴くことができます。




このマシンのsound出力は0.8w/chの真空管アンプで受けているのですね

そう。で、イギリス製の小型SPを鳴らしているの

出力は充分足りてますね

SPはモニタの両側で、ほとんど目の前だからね。でも、このSPを鳴らしきっているとは言えないなあ(^_^;

PC内蔵型のユニバーサル・ドライブって・・・まだ発売されてませんよね(^^;

知らない・・・(^o^*最近自作から遠ざかっているもんで(笑)




2005.01.10 mon

CDプレーヤーを修理に出しました。

Hoffmannが家で音楽を聴くときは、gallery#75で優美にも言われたとおり、LP(アナログ)レコードが中心です。CDも聴かないことはないのですが、CDプレーヤーの調子が悪くても、それならポータブルで聴けばいいや、とサブのシステムで聴いていました(もっとも、このポータブルは英国Goodmans社製で、たいへんいい音がするんですが―製造国は不明)。

ところが、最近のbbsをお読みになった方ならお察しかと思いますが、最近、CDでしか発売されていないものにも、いろいろ聴いてみたいものがあるんですね。これは真剣に聴こうかなというわけで、修理に出すことにしました。それでもメインはアナログであることに変わりはありません・・・(^^*

ところで、SACDなんてまるで興味がなかったんですが、先日購入したのがSACDとCDのハイブリッド盤だったんですよ。ところがこいつのCD層が、CDプレーヤーでもGoodmansでも読めず、panasonicのポータブルでようやく読み出せたんですね。修理に出したCDプレーヤーが戻ってきたらちゃんと再生できるようになっているのでしょうか。もしだめなら・・・




SACD対応のプレーヤーをお買いになるのですか? すてごまさんのお宅では、なかなかいいらしいですよ

う〜ん、まだソフトが出そろってないよね。それにクラシックの場合、どうせはじめのうちはSACD化されるのも通俗名曲ばかりだろう(^^;




2005.01.09 sun

Hoffmannさん、この本・・・



それは昭和40年代に平凡社が出した「世界名詩集」のうちの第26巻、ゴーチエとネルヴァルの巻だね。ゴーチエの翻訳は齋藤磯雄、ネルヴァルが中村真一郎だ。ずいぶん前に買った本だよ

その、ゴーチエの部の扉のページなんですけど、翻訳者から贈られたものみたいですよ、しかも贈られたのが・・・(・_・;



ああ、これか(笑)献辞が書いてあるのは、買ってから気が付いたんだけど、本物なのかなあ・・・(^^;




2005.01.08 sat


水の精のオペラです。原作は「青い鳥」で有名なあのひとの戯曲。

じつはこの作品を軸に、水の精(と19世紀末)について、galleryページで優美と話そうと思ったことがありました。幸い、本棚を探したら参考になる本もあったのですが、この本があまりにもこのテーマにうってつけで、かえって話すことがなくなっちゃいまして、そのままになっています(^^;


そういえば「髪の毛フェチシズム」のオペラがもうひとつありました。あれも、原作はフランスの世紀末文学でしたね。



水の精といえば、オペラ“Undine”のCD、LPはまだ見つかりません・・・

物品引き寄せの術はどうしたんですか?(^o^ )

簡単に言うけどね、あの秘術はいちど使うと寿命が1年縮むんだよ(・_・;

マサカ・・・(^^;




2005.01.07 fri

今日は笑う話(^o^)



た、楽しそうですね〜(^o^;

評論とか批評が名文となっているのは、やはりけなしているときよりも褒めているときであるように、小説などでひとの表情が美しく描写されているのは、その登場人物が笑顔でいるときが多いものです。

先日bbsでちょっとだけ話題になったある小説では、現世に思い残したことのある幽霊が、その望みがかなって、「世にも不思議な微笑」を浮かべ、このとき語り手は「なんともいいようのない表情の美しさ」と語っています。

こういった人間の美しい表情が重要な要素になっている物語はほかにもあって、別なある小説では、主人公のおかげで登場人物が微笑んだ瞬間、その悪人面から「すべての邪悪さが消え去ってしまった」とあります。

また、おもしろくもおかしくもないのに、無理にでもほほえみを浮かべると・・・やっぱりいいことがある(^o^)という小説を見つけましたが、このお話は次回のgalleryページにて(^^*




はい、優美も笑って笑って〜(^^)

(*^-^)nikoカシャ♪




2005.01.06 thurs

腹の立つ相手を思い切り罵倒するのは気持ちのいいものですヾ(・・;)ヲイ

平井呈一が翻訳したエラリー・クイーンの「Yの悲劇」のなかで、登場人物のひとりの発言に「やい、このおったんちん!」というものがあるのは以前にもお話ししましたね。

「サザエさん」の古〜い巻(戦時中?)を読んでいたら、警察で一日体験婦人警官をしているサザエさんが、闇屋(知ってます?)の男を「オンタンチン!」と罵倒しているシーンがありました。

「おったんちん」と「オンタンチン」のどちらが正しいか、とういう話ではなく、いまどきこんなことばはあまり使いませんね。ほかに思いつくままあげると、「オタンコナス」、「唐変木」、「スットコドッコイ」なんてのもありますよね・・・これ、「バ○」だの「ア○」だのと言うよりも、なんだか芝居がかっていて、そこはかとなくユーモアが感じられ、決定的な侮辱にまで至らないような気がします。現代に復活させたい罵倒語ですね(笑)

Hoffmannは以前、上司に「シッチャカメッチャカなやつ・・・」と言われたことがありますが、言われたとき「なんだかフランス語で罵倒されているみたいだなあ・・・」とぼんやり考えていたものです(^o^;




sitzschakatmetzchakat・・・とか?(^o^;

※ むやみにひとを罵倒してはいけませんよ(^^;




2005.01.05 wed

「さがすと見つからないの法則」、すなわちある本やレコード・CDなどを、何度も見かけた覚えがあるのに、いざ購入を決意するとどこにもないという法則ですね。

で、本日ケーゲル指揮ハイドン「四季」とシェーンベルク「モーゼとアロン」、それにE.T.A.Hoffmannのレコードを入手しまして、これは「物品引き寄せの術」。欲しい欲しいと念じていると、向こうから目の前に現れるようになるという、奥義中の奥義です(^-^)エヘン

あと、「昨日見つけたけど買わずに帰って、翌日行ったらもうないの法則」というのがありまして、Hoffmannは以前、これに対して「がっかりして帰ったら、家にあったの秘術」で辛くも逆転勝利したことがあります(^0^)ノ




つまり、前日買ったことをすっかり忘れていたんですね(-_-;;




2005.01.04 tues

 今日から仕事です。早めに起きて、朝食の用意・・・。

 ヨーグルトといえばブルガリア。ところがヨーグルトというのはじつはトルコ語からきたことばで、トルコの食文化の重要な素材なんだそうです。日本ではプレーンヨーグルトを買うと、よく砂糖の袋が付いてきますが、アチラの方によれば、甘いものをさらに甘くするなど考えられないとか。また彼の国では、ヨーグルトはデザートではなくて、焼く前に肉を漬け込んだり、ニンニクと混ぜて揚げ物用のソースを作ったりするということです。

 Hoffmannの場合、ヨーグルトは朝食代わりに、ドライフルーツをのせて食べることが多いですね。ただ盛りつけるだけですから簡単で、朝時間がなくても大丈夫ヽ(^o^)/オシャレー




・・・で、そのあと駅で立食いソバを食べるんですよねっ((( ^o^)σ)~0~)/プニッ♪




2005.01.03 mon

 レコードの初買い、と思って出かけたがめぼしいもの見あたらず、CDを数点購入。

 まずはシューマン「薔薇の巡礼」、Die Toteninselさんおすすめのフーバー盤見つからないので、とりあえずChristopher Spering盤(OPS30-190)。これはバックが古楽器によるオーケストラ版。

 ケーゲルのハイドン「四季」もない。何度か店頭で見かけた記憶があるが・・・「探すと見つからない」の法則か(^_^;

 あと、これもDie Toteninselさんに教えていただいたE.T.A.Hoffmannの“Arlequin Ballet・Overtures”(cpo999 606-2)。ジャケットの絵は定番Caspar David Friedrich。

 そのほか、ドイツ・ロマン派初期のHeinrich Marschnerのオペラ“Hans Heiling”と“Der Vampyr”など。後者「吸血鬼」は別演奏でLPとCD各1組手元にある。いやいや、この忘れられた(?)名曲が3種類の演奏で聴けるなんて、まったくいい時代ですなあ(^o^*



“Hans Heiling”のCDも、すでにひと組お持ちでしたよね

どうも長い間に、聴く音楽が固まってきてしまっていたみたいだね

売り場で、お好きな作品の棚ばかり見て、聴いてみたい演奏のものがあると買ってくる、ということが多いのですよね

うん。だから、知らない作品を教えてもらえると刺激になるよね・・・というのは、シューマンの「薔薇の巡礼」なんだけどね、こんな作品をいままで知らなかったなんて、とんでもないことだったよ(-_-*


Die Toteninselさん、どうもありがとうございます(^^)



Hoffmannさん、「薔薇の巡礼」はフーバー盤もぜひ聴いてみたいのですが・・・(・_・*

探してくるよ、きっと手に入れてみせるぞ( ^^)(^^*)♪




2005.01.02 sun

 本年最初のDVDは、大晦日に買ってきたこれρ(^^ )


 映画ではなくて、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」、1973年オランジュ音楽祭のライヴ。指揮はカール・ベーム、オーケストラはO.R.T.F.(フランス国立放送O.)、トリスタンがジョン・ヴィッカース、イゾルデはビルギット・ニルソン。

 野外劇場での公演とあって、録音・録画ともに苛酷な条件下で行われており、じっさい、音質も画質もかなり劣悪。音のみはかつてLPでも発売されたことがあるが、「余程の物好でもない限り、この種のレコードを買うばかもいないと思われる」なんて評しているひとがいた(笑)




 Hoffmannはその「物好き」でσ(^^;LP、LDに続いて今回のDVDが3度目の購入。ジョン・ヴィッカースは例によって海の荒くれ男みたいな声だが、ベームの指揮とニルソンのイゾルデがすばらしい。とくにニルソンの「愛の死」は、貧しい音質を超越して感動的である。この場面で風が吹きはじめ、ニルソンのドレスをひるがえすのが印象的、南仏の大気をも震撼させたか・・・


ベーム、ニルソンといえばバイロイト音楽祭の録音も名演ですが、これもいいですね(^^)

舞台装置なんてないようなものだけどね(笑)

それでもこうして映像付きの記録が残されているのは、喜ばしいことですね




ところで、今日は夕食に、大根1本煮てぜんぶ食べちゃいました(^^;もちろん大根だけじゃないが・・・

Hoffmannさんって、半分だけ使うとか、明日に残しておくことができないひとなんですよね(笑)それにしても、あんなに太〜い大根を(^o^;

太いったって、優美のフトモモよりは・・・(^o^)

(((#-_-)σ)~0~)/プニッ♪

(*^o^A;;あわわ・・・いや、その、不器用だから皮むくと体積が5分の1くらいになっちゃうんだよ〜

まさか・・・(^_^;




2005.01.01 sat

あけましておめでとうございます(^-^)本年もヨロピコお願いいたします〜(^o^)



・・・・・・

今日は一歩も外に出ませんでしたね

うん、友だちは寄生虫だしね

帰省中でしょう?(^o^;;;

ともあれ、更新作業とその準備で元旦はすぎてしまった・・・

これでいいのか、と?

・・・もちろん、いいに決まっとる!(^0^*
カンラカラカラ

ずいぶん古い笑い声ですね〜(^^;