monologue 2006.01〜2006.03

2005.01〜03 2005.04〜06 2005.07〜09 2005.10〜2005.12

2004.12




2006.03.28 tues

2006.03.26 sunのクイズはDie Toteninselさんから正解をいただきました(^^*サスガー

---ここから---
代表作
ううあああえいお 『海市』
おあいおい 『真空地帯』
おあああいうい 『エロ事師たち』
いあおいお 『楡家の人びと』
おいあうお 『聖家族』

---ここまで---

上から順に福永武彦、野間宏、野坂昭如、北杜夫、堀辰雄ですねヾ(^^*パチパチ

海外篇はなさらないんですか?

「ン」とか「ー」とか「ュ」なんて入るひとが多いからね

「うあんうあうあ」・・・「あうえーうあいぅ」・・・ホントですね(^o^;

その作家の代表作は・・・「アンパイヤ」に「黒死病」だね(^o^*

「あういおあお」とか・・・

そのひとの名前は正しくは「おあいあんあううぉんうおあお」だぞ(笑)




ひさしぶりの登場です〜(^^*




2006.03.26 sun

学生時代に友人の間で流行ったクイズ。母音だけ発音した作家の名前です。誰でしょう? (すべて日本の作家)

ううあああえいお

おあいおい

おあああいうい

いあおいお

おいあうお





2006.03.25 sat

ちょいとアナグラムで遊んでみました。

また皆すぐ書く
南方熊楠(みなかたくまぐす)

赤珊瑚痴愚
坂口安吾(さかぐちあんご)

箱らしく見ゆ
倉橋由美子(くらはしゆみこ)

まだ風呂歌うや?
山田風太郎(やまだふうたろう)

縁側ポ(ー)ランド
江戸川乱歩(えどがわらんぽ)


どれもイマイチ・・・(^^;




2006.03.23 thurs

職場の女の子が「ウチのパソコン、マウスにぜんぜん反応しなくなっちゃったんです〜;;」とか。若いのが「設定がどうなっているか調べてみて。そしたら原因が分かるかも」と。そこで「どんなマウス?」と訊いてみたらコードレスのやつだと言うから「電池入れ替えてみた?」と言っておいたんですよ。そしたら次の日「動きました〜♪」

別な日、老父から電話があって、ビデオデッキのリモコンが効かなくなったとか。だから「電池電池」と。数分後「直った」

みなさん、単純・・・というより、考えすぎなんですね(^^;

そういえば、モニタの色や輝度がおかしいというので修理に出して、戻ってきたら画質がすべての点で完璧というくらいの状態になっていたという話がある

修理内容はなんだったんですか?

「画面のクリーニング」・・・早い話が拭いただけ(笑)

# ワタシじゃありませんよ(^o^*





2006.03.22 wed

けふは仕事を早めに切り上げてとっとと帰ってきたんですが、さてPCを起動して・・・おやおやぜんぜんネットにつながらない。いままでもたまにこういうことはあって、たいがいしばらくするとなにもなかったかのようにつながるもの。「あらあら思春期かしら」とか言いながらときどき再試行していたんですが、いつまでたってもつながらない。そういや近所のドラ息子が光にするとか言ってたが、光ケーブルの影響でメタル回線が不具合を起こすなんて聞いたことがあるのを思い出して・・・いやいや、あれは同じ建物の場合だよねと気を取り直し・・・やっぱりつながりませんな。ISPが悪いのか、NTTが悪いのか・・・まさか昨日悪口書いたカンチョーさんの呪いでもあるまい。ADSLモデムは正常に動作している模様、念のためルーターの設定画面も確認しましたが、そもそも最近設定なんかいじってないし、ここで設定を変えたりするとロクなことはない。えーいもう一度・・・つながんねー(怒・不安)

無理矢理気分を変えて夕飯食って、ニューヨーク、じゃなくて入浴。風呂からタオルを巻いて出てきて「アナタ〜もう機嫌なおして〜(はあと)」とか言いながら・・・おお、つながったあ!(^0^*

優美お姉ちゃん! Hoffmannさんがヘンですっヾ(・∇・; (/^^)/バンザーイ♪




2006.03.21 tues

某audio雑誌を読んでいたら、例によってウィーン・フィル礼賛の文章が目にとまりました。たしかにウィーン・フィルといえばクラシック音楽に興味のないひとでも名前は知っている有名なオーケストラですね。でも、好みの問題を別としても「ウィーン・フィルは世界最高の性能を誇っている」とは贔屓の引き倒しじゃないでしょうか。古いタイプの楽器を使っている点についても、ムカシからよく言われることですが、単純に、だからよいのだ、とやられると、どうもなんとかのひとつおぼえ的な印象ですね。

・・・音程調節ペダルを欠くティンパニーは幽玄で深みのあるサウンドをもつ。

「幽玄」てのも、古くから評論屋の多用する用語なんだよね(^^;

「幽玄」と「のびやか」でたいがいなんとかなるんですよね(^^;

そしてニューイヤーコンサートを振った指揮者マリス・ヤンソンスについて―


コンサート全体を通じてダイナミックさと繊細さが並存するヤンソンスらしい音楽作りが聴けるのだが・・・

それじゃあ、ダイナミックさと繊細さを持ち合わせない指揮者って誰ですか?(笑)てなことはともかく・・・

前者は細部のフレージングひとつひとつが完結した小さなストーリーになっており、それらの集積が大きなストーリーを構築している。後者はおなじみのモーツァルトのメロディが、ウィーン特有の三拍子のリズムに乗って踊り出す。

なにか言っているようで、じつはなにも言っていないという見本のような文章ですね(小林秀雄もびっくりです〜;;)。読んでいて、プロは原稿用紙をこうやって埋めるのさ、と言われているような気がします(いまどき原稿用紙でもないかもしれんが・笑)

ちなみに「前者」とはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲だよ

細部のフレージングが・・・それらの集積がって・・・よくわかりませんねぜんぜんわかりませんね〜(^_^;

このコメント、クレンペラー指揮のブルックナーだろうが、クーベリック指揮のヤナーチェクだろうが、作品と演奏を問わずどこにでも使えるね〜(笑)こういう表現をいくつか考えてカード化しておけば、このくらいのものは誰でも書けるだろう・・・と、おもふ(^^;あと、「後者」というのはランナーの「モーツァルティアン」だ。どんな演奏でやられようと、たいした意味も意義もない、どうってことない音楽だなあ


この文章、その後もツッコミどころ満載ですね〜ウィーン・フィルならではの音楽に対応するには、「ピカピカの高級新鋭機を並べただけではだめ」、「だからといってビンテージ機をずらりと並べただけではウィーン・フィルの音色やテクニックはうまく再現できない」・・・「要は使いこなしの問題である」って・・・(^o^;;

だれかこのひとに、ただことばをずらりと並べただけではだめだよ、っておしえてあげてください(^o^;;




2006.03.19 sun



1993年のバイロイト音楽祭における「ラインの黄金」、演出はハリー・クプファー、指揮はバレンボイム。かつてLDで出ていたもの。昨年DVD化第一弾として「ワルキューレ」が発売されていたんですが、「ホントに続けて全曲出すんだろうな」とちょっと疑って買い控えていたんですね(笑)今般「ラインの黄金」が出たので、安心して「ワルキューレ」とともに購入しました。

さてさて・・・(-_-;

さてさて・・・(^o^*

サテサテ〜(^∇^*

これはこれで・・・でもね・・・(^^;

1955年とくらべちゃダメですよ〜(笑)




2006.03.18 sat

Der fliegende Hollaenderを文字どおりmonologueにしたんですが、いかがでしょうか? 全部この調子に直そうかと思っているんですが・・・(-_-*




2006.03.17 fri

ロマン派の音楽、近代、現代の音楽と、音楽はどんどん「形式」を失ってきた。「形式」のない音楽はだめだ・・・って言うひとがいるんですが、バロック時代のムカシから、音楽に限らずすべての芸術はそれまでの形式(調和)から脱してきたわけですよね。現代のたとえば図形楽譜だって、演奏者はちゃんと読み方に規則を与えるのであって、なにもデタラメに音を出したり伸ばしたりしているわけではないのです。




2006.03.16 thurs

ポオの詩作はたいしたことないんですが、散文はすばらしい詩になってますよね(「詩的」ということばは使いたくないので)。




2006.03.15 wed

R.L.Stevensonの「ジキル博士とハイド氏」とかH.G.Wellsの「モロー博士の島」といった小説は、一種のユートピア物語なんですね(-_-*ナットク・・・




2006.03.14 tues

(なんとなく、昨日の続き)



まあこの映画、なんだかんだと言いましたが、名優ブルーノ・ガンツのおかげでまずまずの出来と言っていいでしょう。



ちなみにこれは「ノスフェラトゥ」(1978独・仏)におけるジョナサン・ハーカー役のブルーノ・ガンツ(手前)。奥はもちろん怪優クラウス・キンスキー。



おっと、これは違った(^o^;

このひとは「ヒンケル」さんでしたね(^^*




2006.03.13 mon

カメラとレンズの話はお休みして映画の話―「ヒトラー〜最期の12日間〜」(2004独)のDVDです。



オリヴァー・ヒルシュヴィーゲル監督。ヒトラーがベルリンの地下壕で自殺を遂げるまでの約2年半、その個人秘書として働いていたトラウドゥル・ユンゲの手記をもとにした映画です。原題は“Der Untergang”。



邦題からしてヒトラーが主人公の映画かと思って観たんですが、ちょいと違いました。次に、これはベルリン陥落を叙事詩的に描いたものかなとも思ったんですが・・・これも違いますね、歴史的事実を並べたわけでもない。添付の解説書には評論家が「第三帝国崩壊を目前としたナチスの面々の群像劇」と書いてますが、この映画をひと言で説明するにはそんなところが妥当でしょうか。



ヒムラー・・・は後頭部しかキャプチャしてないや(^^;


こちらゲッベルス夫妻。


これ、エヴァ・ブラウン。こういった女性だったんでしょうか?(右)

写真で見ることのできる当人たちと、なかなかよく似ています。でも、ヒトラーを別にすると、その他の面々の描き方はとおりいっぺんで、格別深くも鋭くもなし・・・群像劇というにはちょっと物足りないですね。マグダ・ゲッベルスが6人のわが子たちを次々と毒殺していく無言劇がもっとも印象的だったんですが・・・それだけにヨーゼフ・ゲッベルスの描き方などはあまりに紋切り型で類型的、がっかりです。

どうも焦点が定まらないといった印象なのは、この映画がもともとヒトラーの秘書による手記を原作にしているためかもしれません。



言うまでもなく、この映画で賞賛されるべきはヒトラーを演じる俳優ブルーノ・ガンツでしょう。このひとのおかげで、なんとか邦題負けしないですんだのでは?




地下壕を歩いたり、部屋を移動したりする人物を追うカメラワークは、はじめのうちはおもしろいと思っていたんですが、延々と繰り返されると「またか・・・」の感も。



ヒトラーがエヴァ・ブラウンとともに自殺するところは、「地獄に堕ちた勇者ども」を思い出してしまいました。

ちなみに原題の“Der Untergang”とは、没落、滅亡、破滅といった意味ですね。




2006.03.12 sun

(無理矢理昨日の続き〜)
またドイツには世界最古のカメラメーカーと言われるVoigtlaenderがありました。創業は1756年ウィーン、モーツァルトの生まれた年ですね。もちろん当時はカメラなんてまだありませんから、創業者ヨハン・クリストフ・フォクトレンダーは、鉱山採鉱用のコンパスなどの製品を作っていたらしいんですが、1800年代からは眼鏡や測定機器などを製作するようになり、とくにオペラグラスを開発したことは有名ですね。ヨーロッパじゅうに広まったこの製品は、フォクトレンダーの独占商品となり、当時はオペラグラスのことをフォクトレンダーと呼んでいたとのことです。

1840年には三代目当主の下、カメラ製品第1号である肖像撮影用新ダゲレオタイプ装置を完成させ、翌年から発売を開始・・・まあ、このあたりのことはここを参照していただくとして・・・

20世紀、とくに戦後ドイツに移ってからの同社のカメラは、あまりにも独創的で、口の悪いひとからはゲテモノ扱いされているほどなんですね。とにかく他社の真似は絶対にしないところが最大の特徴といっていいでしょう。おかげでその機構は複雑、故障も多かったみたいです(レンズにはいまでも有名なものがあります)。じっさい、VITOとかVITESSAなんて有名なカメラですが、これで撮影しているひとを見たことがありません(^^;

フォクトレンダーは1925年以来に化学工業会社の大手、シェリングの資本下に入っていたんですが、シェリングも戦後のドイツ分断の中で経営が左前になって、1956年カールツァイス財団にその株式を譲渡します。これ以降、フォクトレンダーはツァイス・グループの一企業となり、1965年にはツァイス・イコン・フォクトレンダーという名前の販売会社が設立され、この2社はブランドをひとつにしてカメラを製造・販売するようになりました。日本製カメラが台頭するなかで徐々に厳しくなりつつあったドイツのカメラ産業界にあって、生き残りをかけた行動だったようですね。その後1969年には、フォクトレンダーはツァイス・イコンに吸収合併されるに至ります。

ところが合併から2年後にはツァイス・イコンはカメラ事業から撤退、これに伴ってフォクトレンダーの商標や生産設備などはフランケ&ハイデッケ(ローライ)にそっくり譲渡されることになるんですが、ローライも1981年に倒産し、再建への道を歩みはじめます。その際にフォクトレンダーの経営は、ドイツの流通業者のプルスフォトに移り・・・

・・・現在は日本のコシナがフォクトレンダーブランドのカメラやレンズを製造・販売しているわけですね

うん。で、ツァイスがカメラ事業から撤退する前、ツァイス・イコン・フォクトレンダーが最後に発売したのがIcarex(イカレックス)という一眼レフなんだな(事実上最後の製品となったSL706は撤退発表の翌年発売)。これはフォクトレンダーの工場で造られていたようで、レンズもウルトロンとかスコパレックスといったフォクトレンダー系の名前のレンズが組み合わされていた・・・

カメラにはZeiss Ikonと刻印されたプレートが?

そう。ところが、Zeiss IkonとVoigtlaenderのダブルネームのものもあるんだね(参考;このへん

ははあ・・・オチが分かりましたよ(笑)そのフォクトレンダーもツァイス・イコンも、いまや日本のコシナが製造しているという・・・

そういうこと。IcarexにはM42screw-mountのものがあるから、コシナの製造で近々発売になるZeissのM42マウントPlanar50mmレンズあたり着けてみたら、おもしろいかも・・・

ちょっと皮肉っぽいんじゃないですか?(^o^;

まあ、カールツァイス財団は健在だし、もともとカメラ事業がばかりやっていたわけではなかったにしても、いまや信州中野市(コシナの本社所在地)は、日本のイエナかゾルムスか・・・(笑)


そして21世紀に至って、Zeiss Ikonとコシナ業務提携によって、ZeissIkonの名を冠したレンジファインダーカメラが生まれたわけですね・・・

・・・・・・

・・・・・・



・・・・・・(ぽや〜ん)

・・・あの・・・花ちゃん?(^^;

・・・ふぁ?・・・Σ(・o・;は、はいっ、すみませんっ、ちょっとぼんやりしてました!



こちらですっヾ(^∇^;;じゃ〜ん♪




2006.03.11 sat

1846年頃、カール・ツァイスというひとがドイツ南東部のイエナで顕微鏡の製作をはじめました。このひとは光学レンズの設計・製作にあたって数学者の応援を必要と考え、エルンスト・アッベという数学者に協力を求めます。ここにはさらにガラス製造の分野でオットー・ショットが協力。それまでのように、経験と勘にもとづく職人技によって製作されていたものではなく、理論的な裏付けのもとに作り上げられた顕微鏡はたいへん優秀なものだったそうです。

カール・ツァイスの死後、共同経営者であったアッベは全経営権を放棄、すべてを財団に委ねて、これがカールツァイス財団の起源となります。1889年のこと。ちなみにアッベは労働者に対する福祉制度の整備に熱心で、その後労働時間短縮のために尽力して、一日8時間労働を実現しています(これが後のナチス政権下で、社会主義的な思想とされて、当局の監視を受ける原因となります)。

またアッベはツァイスの光学レンズを写真機に応用することを考え、1890年には写真部門を設立し、パウル・ルドルフという、これまた数学者(教師?)をめざしていた男を所長に迎え、このルドルフがプラナー、テッサーといったレンズを開発します。アッベは1896年、創業50周年の式典で「次の50年後、ツァイスは100周年を誇るであろう」と言い残して、1905年に永眠。

ところが20世紀に入ってドイツは第一次世界大戦で敗戦、戦後の混乱のなかで、ツァイスはイカ、エルネマン、コンテッサ・ネッテル、ゲルツの4社を吸収合併してツァイス・イコンという会社を設立、財団の下でカメラ製造事業を行わせ、当時30歳の若き技術者ハインツ・キュッペンベンダーがコンタックスI型を開発。この先進的なカメラはライバルをおおいにやきもきさせたようで、ライカ(ライツ社)はその新機能を「ツァイスの実験」などと揶揄したそうです。ところがこのコンタックスにはルートヴィヒ・ベルテレが開発した新レンズ、ゾナーが搭載されており、レンズの性能に関して、ライカは戦後のズミクロンの登場まで、ツァイスの後塵を拝する格好だったようですね(とくに明るいレンズに関して)。

そして第二次世界大戦。ソ連占領予定だったイエナには米軍が先回り、ツァイスの中枢技術者とその家族を避難させ、工場のあったドレスデンは爆撃によって壊滅的な打撃を受けました。戦後ドイツは東西に分割され、ツァイスの技術者の一部はソ連へ(これがソ連でコピー品を製造)、東側イエナでは残った技術者たちによって国営企業として再建され、米軍によって保護されたキュッペンベンダーをはじめとする一部はオーバーコッヘンで活動を再開。ツァイスというブランド名の権利を巡っての争いは法廷闘争にまで発展し、1971年に至って、東西いずれもがそれぞれツァイスブランドを名乗ることとなりました。アッベが夢見たツァイスの100周年は1946年、式典が開かれることもなく、代表者たちが過去に功をなしたひとびとの墓に参拝しただけだったとのことです。

さて、ブランド名の使用については決着がついたものの、ツァイスのカメラ事業を脅かす敵がドイツと同じ第二次大戦の敗戦国から現れ、いつの間にか急成長を遂げていました。つまり日本製一眼レフカメラですね。低価格で性能のよい日本製カメラは世界じゅうを席巻、ついに1971年、ツァイス財団はツァイス・イコンによる民生用カメラの開発・生産事業の全面停止を決定、その後はレンズのみ引き続き生産されることとなります。

そしてそのレンズを活かすためにカメラボディの製造を任せるメーカーとして選ばれたのがほかならぬ宿敵、日本のメーカー、ヤシカであり、後にこれを京セラが吸収合併したのは周知のとおりですね。ここにコンタックスブランドがよみがえったわけですが・・・


京セラって、もう銀塩カメラ事業はやめちゃったんですよね


そう。撤退を発表したとたんに中古市場で価格が高騰したよね。いまでもまだ余波が残っているみたいだ。以前はよく「コンタックスはツァイスレンズはいいんだけど、カメラボディがいまいちね・・・」なんて、言っていたのにね(^^;

みなさん、なくなってからあわてるんですね〜(^o^*

(おまけ 日本製カメラ かくして世界を席巻せり)


以前にも紹介しましたが、ヒッチコック監督の「裏窓」から。1954年公開の映画、ここにに登場したカメラはドイツのExakta。



「007 ダイヤモンドは永遠に」で大写しで登場するのがNikonのF。この映画は1971年公開ですね。この場面はたしかオランダ。



同じ「007」シリーズでも1979年の「007 ムーンレイカー」になると・・・



Canonのロゴが見えますね。場面はリオだったかな?




2006.03.10 fri

(どことなく昨日の続きかも〜)

Hoffmannが2台使っている観音のデジタルカメラって、シャープネスに限らず、カメラ内部での画像処理がじつに巧みですね。画像処理をほとんどやらない(できない)Hoffmannが言っても説得力がないんですが、メディアに記録されたjpg画像は手を付ける余地がないかと思うくらい、完成されちゃってます。

たとえばコントラストは高く、とても見栄えがいい。でもこれ、逆に言うと処理のしようがないんですね。ちょっとおおげさに言うと、シャドウはつぶれやすく、ハイライトはとんじゃってる(もっとおおげさに言うとTV画像みたい)。その部分の階調はもう取り戻せません。

これは銀塩カメラでも現代のレンズには言えることで、ハイコントラストのレンズで撮ったネガは、どう焼き込んでもとんだハイライトはもちろん、ストンと落ちてしまった暗部は再現しきれない。ところがこれが戦前の、あるいはモノクロ時代のレンズだったりすると、どこまでも焼き込みについてくる。こうしたレンズは概してコントラストが低めです。よく銀塩でモノクロ写真を撮るひとがクラシックカメラにこだわるのはこのあたりに理由があるわけですね。

デジタルカメラ写真で銀塩の焼き込み(あるいはプリント作業の前段階)に相当するのがPC上の画像処理といってもいいでしょう。でも、銀塩のネガにない情報はどう焼き込んでも取り戻せないように、データにない情報はどう画像処理したって再現できません。それでは、デジタルカメラも、階調を重視して低コントラストな写真が撮れるようにしたらどうでしょうか。

そんなのまず売れませんよね。Hoffmannの知る限り、そんな(階調重視の)デジタルカメラがかつてあったんですが、雑誌などの批評では(カメラ内部の)画像処理が「いま一歩洗練されていない」「未完成」などと、さんざんな評判だったようです。つまり、撮ったままではいわゆる「ねむい」画像で、見栄えが悪かったんですね。

観音はその点、ユーザーというよりも消費者が求めているものを熟知しているというか、まさに「洗練された」画像処理エンジンを搭載しているというわけです。いや、これは褒めているのでも貶しているのでもありませんよ。悪くとれば、単に売れるもの(だけ)を生産しようという企業の方針(または努力、良心、割り切り)、別な見方をすれば、必要と充分のバランスを重視した、決して悪い意味ばかりではない「妥協」がそこに見てとれるような気がします。ただし、そのために失われたものがあることも事実ですね。


・・・とまあ、妙なゴタクを並べる手合いに限って、写真のうまい奴なんぞおらんものよ。ふぉっふぉっふぉっ・・・

なななんですか〜そのキャラは(^o^;




2006.03.09 thurs

デジタルカメラの画像って、どうもシャープネスが不自然に思えてしかたがないんですが・・・・。
知識がないのに知ったかぶりすると恥をかくので、半ば推測とことわっておきますけれど・・・多少絞り込んで遠景を撮ったときに顕著なんですが、シャープなところとさほどでもないところが距離や明るさに関係なく、かなり無造作に入り交じっているような気がするんですね。これ、カメラ内部での画像処理(ソフト)にとっては距離だの明るさだの関係ないから(わからないから)、シャープネスの効果って、画面全体に均一にかからず、ムラができるのではないかと思います。つまり、効果がかかりやすいところにかかる、かかりにくいところはそのままだから、距離感とのつじつまが合わないことがあるんですね。たいがい、RAWデータをPCで処理する際、シャープネスを弱くした方が自然な画像になる、というのがHoffmannの感想なんですよ。

シャープネスを弱くすると、甘くなりませんか?

切るとか弱くするといっても、べつに元画像をソフトフォーカスにする(変えてしまう)わけではないんだよ。あえてシャープにする画像処理をしない、または弱めに処理をかける、ということなんだ

なんとなく、video映像よりもmovie映像の方が好きというHoffmannさんらしいご意見ですね(笑)

銀塩でオールドレンズなんか使ってきたせいもあるかな(笑)マクロ撮影なら話はまた違ってくるんだけどね。それでもシャープネスの追及なら絞り操作で充分な気がする




2006.03.08 wed

(調子ンのって昨日の続き)

さて、BBCモニタースピーカーを語るうえで欠かせないメーカーがいくつかあります。

そのひとつがSpendor社。BBC技術研究所でモニタースピーカの開発に従事していたスペンサー・ヒューズがH・D・ハーウッドらとともにベクストレンコーン・ウーファーを完成させたんですが、BBCも研究所員から買い上げるわけにもいかず、1969年にヒューズの夫人であるドロシー名義で会社をつくらせた・・・というのがSpendor社設立の裏話だそうです。ちなみにSpendorという社名は、スペンサーとドロシーという夫妻に名前にちなんだもの。

もうひとつがHarbeth。ハーベス・アコースティックス社はレイモンド・クックと同じくBBC技術研究所のチーフエンジニアを勤めたH・D・ハーウッドが1977年に独立して設立したメーカー。Harbethという社名は、これまたハーウッドと夫人の名前エリザベス(一説によるとクリスチャンネーム?)にちなんだもの・・・みなさん、愛妻家ですね(^^*

ベクストレンコーンはKEFのレイモンド・クックによる協力のもと、ハーウッド、ヒューズらが開発したプラスチック系の振動板ですね。組成が紙よりもシンプルで均一なためバラつきがなく品質管理が容易、とくに高域の反応は紙よりもすぐれていると言われています。これが当時KEFによって製造されたのは昨日も話したとおり。その後各国のメーカーにも採用され、Spendorもこのユニットを使った名器BCIIというモデルを製造してベストセラーとなりました。ただしベクストレンには欠点もあって、固有の鳴きがあるためにダンプ材を塗布する必要があり(コーン表面を見るとすぐに分かります)、これがために質量の増加は避けられず、その結果音圧レベルが低下して、早い話があまり大音量は出せなかったんですね(パワーアンプの出力が10w/chとか20w/chといった時代の話です。とはいうものの家庭では充分実用範囲)。

そこでベクストレンに代わる高分子素材として注目されたのがポリプロピレン。これをシート状にしたポリプロピレンコーンはダンプ材の塗布が不要で、より高い音圧レベル得られ、とくに低域の再生能力がベクストレンを上回るとされています(軽くて反応のよい低音です)。欠点はエッジの接着が難しいこと。

このポリプロピレンという素材はその後世界じゅうのメーカーで採用されることとなりますが、忘れられないのがHarbethのHLモニターというスピーカーですね。これはSpendorのBCIIとほぼ同じサイズで、いずれもBBCモニタースピーカーのLS3/6というモデルのコンシュマー用にあたるものと言っていいでしょう。

ちなみにこのHLモニター、その後HL MkIV(マーク・フォー)、HL5とモデルチェンジしましたが、初期に日本に入ってきていたのは私の知る限り(カタログ・雑誌広告等ではそれと表示はされていなかったようですが)HL MkIII(マーク・スリー)でした。MkII(マーク・ツー)やそれ以前の初期型が日本に輸入されていたのかどうかは寡聞にして不明なんですが、状態のよい初期型があったらぜひ聴いてみたい(鳴らしてみたい)と思っています。

なお、ベクストレンの名誉のために付け加えておくと、必ずしもポリプロピレンコーンのユニットを使ったスピーカーの方がすぐれている(音がよい)とは言えないようです。やはりシステムというものは、その振動板の素材だけで音が決まるわけではないのですね。Spendorもその後SP1という、BCIIのウーファーをポリプロピレン製に変更したようなモデルを発売していますが、私はBCIIの方が好きでした。かなり長い間併売されていたところを見ると、SP1が発表されてからもBCIIの人気に陰りはなかったものと思われます。

現在ではSpendorはヒューズの息子デレクが代表となっており、その製品はドイツ各地の放送局のモニタースピーカーに採用されているようです。コンシュマー用のモデルは最近あまり注目されないんですが、あまり現代的ではなく、悪く言うと古くさいんですね。逆に言うと、じつはSpendorこそ、現代では貴重な古き良きBritish Soundの香りをいまに伝えているスピーカーメーカーなのではないかと思っています。

一方Harbethは、もともと同社のスピーカーのユーザーであったアラン・ショウがハーウッドから会社を譲り受けて活動を継続してます。このアラン・ショウが開発したスピーカーではHL Compactというモデルが日本でも評判になりましたね。上記HLモニターではHL5がアラン・ショウによる改良型です(個人的にはHL5は私の好きなHLとはまったく別のスピーカーだと思っていますが)。


えーと、ヒューズさんのBCIIとハーウッドさんのHLって、音の傾向はどう違うんですか?

BCIIの方は日のあたった部分よりも陰りの部分を描き出すような音ってよく言われるね。ほんの少し、低域の音色が暗い感じで、それが落ち着きに通じるところがある

渋いんですね

渋いんだけどものすごく清楚で、メゾソプラノの歌手も若返ったように、ソプラノみたいな可愛い声に聴こえるところがある。これは現行のSpendor製スピーカーにも言えることだね

Harbethは?

HLは低域の反応がよくて鈍重にならない。軽めの低音でBCIIよりもわずかに肉付きがいい。全体に明るめの、ほんのりと暖かい音色だよ。それにアンプを代えると敏感に反応するあたり特筆ものだ(この点、多くのaudio評論家の評価・意見とは正反対だけどね)





2006.03.07 tues

すてごまさん新スピーカー導入記念企画)



KEF・エレクトロニクス社は1961年、英国でももっとも歴史の古いスピーカーメーカーのひとつであるWharfedale社のチーフエンジニアであったRaymond Cooke(レイモンド・クック)が、ロンドンの東南60km、ケント州メイドストーンに設立した会社です。創業当時のスタッフはわずか6名。

KEFというと、我が国では比較的古くから馴染みのあるメーカーなので、いかにも伝統的なスピーカー造りをイメージしているひとがいるようですが、じつは創業時から新しい技術を積極的に取り入れ、科学的な解析によってスピーカーの設計・製造を行ってきた会社なんですね。

当時はスピーカーユニットの振動板(コーン)といえばパルプ(紙)が主流でしたが、いち早くプラスチック素材に着目し、これを実用化して安定した品質管理を実現、会社設立の年からコンシュマー用ハイファイスピーカーを発表しています。じっさいにはクックはWharfedale社時代にプラスチック素材のスピーカーユニットを完成させていたんですが、Wharfedale社がこれを採用しなかったとのことです。

イギリスではBBC放送局の技術研究所がスタジオモニタースピーカーの開発を行っていることがよく知られていますが、こちらの分野でも、KEFはBBCモニタースピーカーLS5/1Aの製造ライセンスを取得、さらには1966年にBBC研究所のH.D.ハーウッドが開発したベクストレン・コーンの製造を開始、このユニットを使った小型スピーカーがBBCに採用されます。これが有名なLS3/5Aで、Goodman、Chartwell、Rogers、Spendorといったメーカーがライセンスを取得してKEFからユニットの供給を受けて製造・販売していたんですね。KEFは長らくユニットの供給のみを行っていたんですが、後年、ほんの短い期間自社でシステムとして生産した時期がありました。

余談ながらこのLS3/5Aというモデルは、BBCモニターのなかでも、もっともコンパクトなシステムで、アナウンサーの声などのモニター用だったんですね。ところがこれが音楽を聴いてもすばらしいと騒ぎ出したのはどうも我が国のオーディオ好きだったようで、おかげでこのスピーカーはすっかり有名になってしまいました。この目利きぶりは日本人としてちょっと自慢してもいいんじゃないでしょうか。

その後もKEFはBBC研究所との良好な関係を保ち、得られたノウハウは同社のシステム設計に活かされ、最新設備を導入した生産ラインから104aB、105、105.2といった優れたスピーカーが生まれます。最近日本でもよく売れているB&Wのスピーカーが、各ユニットの位相を整合させるためにトゥイーターをキャビネットの上部に独立させていますが、これなんか、KEFは105の時点(1977年)でやっていたことなんですよ。さらにこうした理詰めの開発姿勢から、音楽を聴いて愉しい、いかにも聴かせどころを心得た製品が生み出されるあたり、さすが伝統あるメーカーといっていいでしょう。

一時期、KEFのスピーカーはあまり評判にならなくなった期間もありましたが、Uni-Qドライバー採用のシステムあたりから猛然と盛り返してきましたね。とくに高域から低域までの音色がよく揃っていて、しかも音離れがいいのでいくつものユニットが鳴っているような印象はなく、超広帯域の良質なフルレンジユニットが鳴っているように聴こえるんですよ。さらに、繰り返しになりますが、過度に分析的に聴かせるのではなく、音楽を愉しく聴かせてくれるのがいいですね。KEFのスピーカーは、旧モデルも魅力的なら現行モデルもじつにすばらしい、英国でも希有な存在のスピーカーメーカーではないかと思います。




いずれ劣らぬ・・・ヾ(^o^*(^o^*いいですね〜♪




2006.02.11 sat

なにはともあれ開設三周年。今日は水入らずですごせましたよ。




2006.02.09 thurs

(上に書かないと見落とすひともいそうなので)
しばらく更新を停止します。




2006.02.08 wed

音楽を聴くのも、その音楽を聴くためのaudioも、また写真を撮るのもその写真を撮るcameraも趣味のひとつなんですが、「こだわりがある」とか「こだわりを持ったひと」と言われるのはあまり好きじゃないんですね。どうも、「こだわり」ということばには馴染めません。

「これでなければだめだ」とか「こうあらねばならない」といった、「・・・べきである」、「・・・ねばならない」というような、言ってみればこわばった思考は、Hoffmannの場合、自由な軽やかさを失って、楽しみということからどんどん離れてしまっていくような気がします。

たとえば、Hoffmannは休日にはカメラを持って街に出たりします(べつに山でも海でもかまわないんですが)。これがプロなら、当然のことに仕事の質は問われるし、納品についてはその量から期限まで決まっているわけで、そのため「これは撮らねば」とか「ここは撮るべきでない」といった判断も必要でしょう。でもHoffmannは仕事で撮ら「ねばならない」プロではないんですから、好きなときにシャッターを切ればいい。なにも追い立てられるように写真を撮る必要はないし、なによりもまず自分が楽しみたいんですね。

cameraでもaudioでもそうなんですが、その種の趣味人には「プロ志向」、あるいは「プロ(機材)への憧れ」って、ほとんどコンプレックスかと思うくらいに根強くあるんですね。だからしゃべることにも、猛烈な「こだわり」をことさらに印象づけるような発言が目立ちます。ひとつには、ひじょうに日本的な、「重厚壮大」「真剣」「深刻」といったものに対する崇拝の念のあらわれなんじゃないかと思っています。この国では「自由な軽やかさ」っていうのは「軽薄」に通じるものか、文字どおり軽んじられるというか、へたすると軽蔑の対象となるんですね。あと、そこには日本独特の村社会の構図も見えてくるようです。

「もっと真剣に、いい『作品』づくりを心がけてシャッターを切れ」なんて言われることがあります。たまにはそんな気分になることもないわけではないんですが、それはそれ。Hoffmannは楽しみながら写真を撮りたいのであって、そんな自分の枷になるようなものからはできる限り自由でいたいんですね。

「そんな安もののレンズを使って思ったような写真が撮れるのか」なんて言われたこともあります。これに対するこたえは、なにもこだわりがあるとかないとかの問題ではありません。あるいは逆に「そんな値段も現像代も高いフィルムを使って、そこまでの必要があるのか」と言われても同じこと。

このmonologueでもなんども書いていることなんですが、趣味というのは自己満足ですから、自分が必要としているものが満たされていればそれでいい、もちろん、必要であればだれがなんと言おうと、手間やお値段の問題なんかではなく、断然として入手(使用)すればいいんです。なにも「こだわり」なんていう強迫観念みたいなものに突き動かされてのことではなく、自分が自分の趣味を自由に楽しむためなんですから。


どうも、みんながみんな同じ方向を向いて同じことをしていないと気が済まない、家畜みたいに群れをなしていないとなにもできない、それでいて排他的な精神的「いなかもの」はどの世界にもいるものですね。悪意がないんだとすれば新興宗教と同じで、なおさらたちが悪い。




2006.02.07 tues

(2006.01.27 friの続き)

やっとfilm10本ばかり再scanしたが、また10本撮ってきてしまった・・・。





2006.02.06 mon

「花」をお迎えできましたのも、皆様のおかげであります。折に触れて「蹴り」、背中を押してくださいました方々には心から感謝しております。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。

ありがとうございました〜(^^*

よろしくおねがいいたします〜(^^*




さあ、更新作業中ページが待っている!

がんばれ〜ヽ(^o^*がんばれ〜ヾ(^∇^*




2006.02.04 sat

・・・と、いうわけでとりあえずtop写真に登場ですヾ(^^*




2006.02.03 fri

年度末を控えて、平日はかなり「忙」なんですが・・・準備中です(笑)




2006.02.02 thurs

参勤交代・・・と。東京は江戸の昔から単身赴任のメッカだったんですね。そう考えると、一膳飯屋も遊郭も、「独身者の機械」の一種と考えてもあながち誤りではないでしょう。

独身者が暮らしやすいように発展してきているわけですね(^^;

発展と言えるかどうか・・・すべてがコストダウンと効率化だけをめざすサービス業になっているからね

東京って、どんどん「真新しい廃墟」になりつつありますよね

そういえば先日街を歩いていて出会ったお婆さんが、「昔は朝から子供たちが外で遊んで騒いでいて、おちおち寝てもいられなかったもんだけど・・・いまはこのあたりも一日じゅう静かになっちゃって・・・」なんて、寂しそうに話していたっけね

そういう老人がいなくなってしまったとき、その街も、もうおしまいですね




2006.02.01 wed

「花」来る。




2006.01.31 tues

ひさしぶりに小型スピーカーをスタンドにのせて聴いているところ。ふだん鳴らしているフロア型と同じT社の製品なんですが、これ、我が家でいちばん安価なスピーカーです。なにしろキャビネットはプラスチック、片手で軽々と持てます。持てすぎちゃってモーテルが建ちます。もともと数年前に、PC用に使おうと思って購入したんですが、発売がかなり以前であったためか、防磁型じゃなかったんですね。モニタの横に置いたとたん、画面がサイケになりました。しょうがないからPC用には別のスピーカーを購入して、こちらは別室であくびをしていたんですよ。ところが、これ、なかなかの製品で、さすがT社と思えるのはユニットが2way同軸型である点と、「結構聴ける」音質です。

予想なんですが、このユニットをはずして別な箱に入れたら、化けそうな気もします。現に「ユニットだけ使う」と言って2ペアだか3ペアだか買っていったひともいたそうです・・・が、Hoffmannは不器用で不精ですから(ちなみに「不」の字の付くことばならたいていあてはまる人間です)、そんなことはしません、そのまま聴きます( ̄へ ̄)エヘン

なにも威張らなくても・・・(^o^;いま鳴らしているアンプは真空管式ですね

そう、なかなかいいでしょ・・・といっても(^^;片chあたり1wもない、これまた超の字か付くほどの安物だ。CDプレーヤーはポータブル、といっても(^^;;イギリスのメーカーのもの、といっても(^o^;;;どうせ中国あたりの工場で作ってるんだろうけど・・・(笑)

細かなニュアンスの再現には限界がありますけれど、これはこれで聴いていて愉しい音ですね(^^*♪

そうそう、よく安物とか入門機ってばかにするひとがいるけど、長所があるならできるだけ愉しんじゃったほうが幸せになれるよね(^^*


なんでもかんでも、やたらと「あんなのは使えない」「こんなのはダメ」って言うひとがいますけど・・・

「わかっている自分」を演出しているんだろう、そういう発言はたいがいコンプレックスから発するものだけど・・・自分を偉く見せたいという、単なる見栄っ張りかもしれんな。オタクとイナカモノに多いんだ(笑)この二種類の人種が合体したようなのが自信満々でやってきたら、なにを言っても無駄、手に負えない・・・(苦笑)





2006.01.30 mon

某audio shopの店長―Hoffmannと年齢同じ、どんなお客からのどんな相談でも、端から見ていて「そこまでするか」というくらい、面倒見のいいひと―このひとから聞いた話です。

平日の昼下がり、無精ひげの目立つ、草履かなんか履いて「きったねえ」格好して来る客、これが「どれがいいの?」とかなんとか言って、こちらの説明も聞いているんだかいないんだか・・・結局来たときと同じようにふらりと帰ってしまう。ところがこの客、夜になって電話してきて注文総額が数百万とか一千万・・・。配送に行ったら医者だった、と。

一方、ネクタイにスーツ、それも誰が見ても分かる一流品のきちんとした身なり、黒革靴はピカピカ、喋ることはといえば、いま使ってるのはあのマーク・レヴィンソンが新しく作った会社のやつを出たばっかりのときに試しに買ってみた、評論家の誰それははじめあのキカイのよさが分からなかったんだよなあ、マッキントッシュのアンプは趣味に合わねえの、ジムランは昔の方が良かったの・・・どれにしようかな、考えてまた来るわ・・・「こういう客はひやかし専門、二度と来ません(笑)」


あらあらあら・・・(^o^;

まあ、いまどきスーツにネクタイだなんてきちんとした身なりをしているのは詐欺師くらいのもんだろう

政治家とか・・・

じゃあ、「詐欺師とペテン師」( ̄- ̄)♭

さすが偏見大魔王ですね〜(^_^;

もっとも昔はshopの店員にもヘンなのがいて、「某社の新機種○○は、評論家の××(呼び捨て)とおれがアイデアを出してやって、ようやく製品化されたんですよ」なんて何度も聞いたことがあるよ(笑)





2006.01.29 sun



倒叙法ミステリとも言うべき映画、ヒッチコック監督による「ロープ」(1948)のDVDです。

この映画の特徴は、上の絞殺シーンにはじまる全編約80分間を長廻しのワンショットで撮っていることです。もちろん、当時のfilmは1巻が約10分間だったので、filmが切り替わるところでは、カメラが登場人物の背中など通過して、あたかも連続して撮られたように見せかけているんですね。カメラは延々と前進したり後退したり、あるいは移動したりして、なんでも、カメラの移動のためにセットをどかしたり組み立てたりしながらの撮影だったとか。




物語は、超人は凡人を殺すことが許されるという理論を実践しようと友人を絞殺した二人の男が、死体を入れた衣装箱をテーブル代わりに、被害者の知人たちを集めてパーティを行うのですが、キャデル教授によってその犯行を見破られるというもの。キャデル教授役はジェームズ・スチュワート。



ジェームズ・スチュワートといえばこれも。同じくヒッチコック監督の「裏窓」(1954)です。事故で脚を骨折したカメラマンが自宅静養中、窓から向かいのアパートを眺めていて、ある部屋の男の行動がおかしいと気が付きます。彼は妻を殺したのではないか・・・。安楽椅子探偵ならぬ車椅子探偵ですね。恋人のリザ役はグレース・ケリー。これも(映画撮影の)カメラは部屋から一歩も出ません。



手にしているカメラはExaktaですね。「のぞき」をしている男がこんなに立派な望遠レンズを構えていると、ついフロイト的な解釈をしたくなっちゃいます(笑)

現に、向かいのアパートにはかなり刺激的な恰好の若い娘さんもいるんですよね(^^*



主人公もこれを望遠レンズでのぞいているわけじゃないんですが、一応upしときましょヾ(^^*さーびす




2006.01.28 sat

よく使われる言い回しなんですが、「男は頭で考えて、女は子宮で考える」と言われますよね。これ、「女は自分を客観視できない」と言い換えてもいいと思います。なぜ女性は自分を客観視できないのか、理由は簡単、性器が内部に埋没しているからでしょう。いや、むしろ男性の場合、性器が外部に突出していて、しかも自分の意思で動かすことができない、幼児期からこんなものを自分の肉体の一部として扱わなければならないのですから、自分を客観視するための視点が自然と身に付いてしまっているんですね。

別にふざけているわけではなくて、なんだかいまさら当たり前すぎるような話でした(笑)


その意味では最近、社会全体が女性化しているんじゃないですか?

自分を客観視できない、女性化した男性というのは最悪だね(・・・と言ってみる)

なんだかOtto Weiningerみたいですね〜(^^;

ガチガチの女性蔑視論者と思われても困るけど、Weiningerは嫌いじゃないんだよ

一般には、あまりにも独断と偏見に満ちていると言われていますが・・・

独断と偏見のない思想なんかあるもんか(笑)





2006.01.27 fri

昨夜、買ってからまだ1ヶ月もたっていないHDDがブッとんで、データが破損・・・どころかHDDが認識さえされなくなってしまいました。OSの異なる別マシンにつないでも駄目。ちなみにこのHDDは銀塩写真フィルムスキャン用マシンの2nd discで、数十本のスキャン済みフィルムの写真がパアです。

・・・で、本日新しいHDDを買ってきて、淡々とスキャンをやり直しはじめたんですが、時間と手間は(相当)かかるものの、フィルムという「原版」があれば取り戻せるデータなればこそ、まだしも落ち着いていられるわけです。これがデジタルカメラのデータで、バックアップがなかったら一巻の終わりですよね。

スキャンのやり直しって・・・かなりお時間がかかりますね(・・;

フィルムはきちんと整理してあるからまだしも・・・あわてて作業が雑にならないように、のんびりやるよ(笑)

デジタルカメラのデータはバックアップがあるんですよね

デジタルカメラ写真専用マシンのデータ領域はRAIDでミラーリングしてあるうえに、さらに別マシンのHDDにコピーしているよ。優美の写真が消えちゃったら、ちょっと立ち直れないからね(^_^;


ハードディスクが壊れてしまったのもひさしぶりのことじゃないですか?


まあ、いつかは壊れるものだと理解しているつもりなんだけど・・・壊れるやつは、たいがい買って(使いはじめて)から、あまり日をおかずに壊れちゃうんだよね。でも、「カマス」が壊れたのははじめてかも〜(^o^A;マイッタマイッタ・・・





2006.01.26 thurs

ふるーいレコード雑誌をぱらぱらめくっていたら、読者の投稿ページに、「聴き手はもっと主体的になれ」という文章があって、ちょっと笑っちゃいましたよ。その投稿の趣旨は、レコード評論家の批評を鵜呑みにしてレコードを買ったり、その評価を疑うことなくレコードを聴くのはおやめなさい、もっと自分の判断でレコードを選び、その演奏を評価しなさい、というもの。

いまどきは評論家の妄言をアタマから鵜呑みにするひともあまりいないとは思うんですが、まあそんなことはどうでもよろしい。

Hoffmannが笑ったのは、「主体的になれ」という呼びかけです。なんとも秀逸なパラドックスじゃないですか(^0^)




「私はウソしか申しません」とか・・・(^^*




2006.01.25 wed

(2006.01.21の続きかも)

銀塩カメラとデジタルカメラの違いって、アナログLPとCDの違いにに似てますね。いや、正確に言うとレコードプレーヤーとCDプレーヤーの違いと似ていると思います。

いずれが画質や音質がすぐれているか、という問題にはあえて触れませんが・・・。

アナログプレーヤーにはいろいろ約束事があって、ある程度の強度を持った台に設置しないといけない。もちろん水準器で水平であることを確認しなければいけません。さらにトーンアームはレコード盤に(基本的には)水平に、ゼロバランスをとった後にカートリッジの針圧も適正に調整すること・・・これに比べればCDプレーヤーはもっと気軽に使えます。もちろん置台によって音は変化しますが、アナログのようにハウリングを起こしてスピーカを壊しそうになるなんてことはありません。

銀塩カメラもそう。なにもフルマニュアルのクラシックカメラでなくたって、デーライトとタングステンタイプのフィルムを間違えたら、写真が真っ青か真っ黄っ黄になっちゃいます。さらにフィルムの選択だけでも、カラーで撮るのか、モノクロでいくのか、これは撮る前に決めておかないといけません。その日の天候や条件によってフィルム感度も選ばないと、ぶれた写真ばっかりになってしまうかも・・・。ところがデジタルカメラならオートホワイトバランスがありますから、光源が太陽でも電球でも蛍光灯でも、気にしないで続けて撮ることができます。なんなら途中でモノクロに切り替えることもできるし、あとでいくつかのカットをモノクロにする、なんてお茶の子です。日が陰ってきたら、途中から感度を切り替えることだって簡単にできます。つまり撮影時の条件がどうあっても柔軟に対応できるんですよ。ことばは悪いかもしれませんが、気軽に持ち出せるんですね。

まあ、いろいろ並べ立ててますが、こうしたデジタルのメリットに疑義を差し挟むひとっていますよね。銀塩カメラでも、単焦点レンズが主流だった時代にズームレンズが登場したときには、みなさん、似たような感想を持ったんじゃないでしょうか。つまり、「便利だけど、それでいいのか」といった、ありがちな反応ですね。

Hoffmannは上に挙げたようなデジタルカメラのメリットは、じつに画期的で賞賛に値すると思います。もちろん、撮ったその場で写りを確認できるという点も(あえて言うまでもなく)便利なことであり、その日に1カットしか撮らなくても、家に帰ればPCで観ることができるという点もたいへんよろしい。もちろん、デジタルの利点はこういった「手軽」とか「便利」のひと言で片付けられるものばかりではありません。悪条件下における撮影でも、(レタッチの手間を厭わなければ)銀塩以上の画質(描写・描写力に非ず)が得られるというメリットもあります。

月刊誌「写真工業」2005年8月号に「6人のプロ作家にたずねた 私はフィルムとデジタルをこう使い分ける」という記事がありました。これを読むと、雑誌の性格もあるんでしょうが、みなさん「適材適所で使い分け」という優等生的な方ばかり(笑)「けっ、デジタルなんぞ使えるか!」とか「いまさらフィルムでもないでしょ」なんてひとはいません(そういった発言をするのは、はたいがい半可通のアマチュアです)。プロにしてみればデータ納品の仕事が増えているのが現実ですから、デジタルを無視することはできないでしょう。でも、「自分のために撮るなら」「個人製作なら」フィルムを使う、使いたい、という声が目立つのも分かるような気がします。ちなみにプロならでは視点でおもしろいなと思ったのは・・・フィルムだと海外取材のときX線対策に神経を使うがデジタルならその心配はない、デジタルのおかげで膨大なフィルムの管理から開放される・・・一方で、フィルムなら古いものを出して参照もできるが、CD-RやDVD保存ではいざというとき目的の写真を探し出すなど気が遠くなる作業だ、だいたいCD-R・DVDなんて永年変化を起こさないものなのか、コンピューターが変わったらどうなるんだ・・・といった声ですね。

まあ、一般にプロは機材にこだわらない、いや、道具としてはこだわるんでしょうが、別の言い方をすると、道具は道具として、これに淫するようなセンチメンタルな思い入れは持たないものだと言いますが・・・。

どうも「趣味性」という点で、デジタルカメラは銀塩カメラに一歩も二歩も譲るような気がします。レコードプレーヤーなら数十年前の機械が、(適切なメンテナンスさえ受けていれば)いまでも最新機種に劣らない、どころかそれをも上回る音を聴かせてくれます。銀塩カメラもそう、80年も前のカメラやレンズが、最新のフィルムですばらしい写りを見せてくれるんですね。ところが初期のCDプレーヤーや初期のデジタルカメラで、いまでも最新機種に劣らないものなんて、ありますか? あらゆるスペックはもとより、肝心の画質の点でも、1年か2年で新機種に追い越されちゃいますよね。あるプロカメラマンは、「(デジタル)カメラを買い替えるために仕事をしているみたいだ」なんて発言をしていました。実用品としても、実用を超えたところでも、銀塩カメラのコレクターズアイテムってのはよく聞きますけど、デジタルカメラのコレクターズアイテムなんてあるんでしょうか?

いやカメラなんて実用品だよ、というひとはそもそも「趣味性」なんて曖昧なものとは無縁なわけですから、こんな戯れ言は気にしないでください。Hoffmannだって、オーディオ機器にしてもカメラにしても、これに過度な思い入れを抱くのは好きじゃありません。ましてや使わないで飾っておくなんて絶対にしたくないことですね。でも、徹頭徹尾「道具」と割り切ってしまうことも難しい―というか、そこまで徹底しなくてもいいんじゃないかなと思っています。Hoffmannは「音楽が聴きたい!」と気合いが入っていると、やはりCDよりもアナログレコードを聴きたくなり、「写真が撮りたい!」と気合いが入っていると銀塩カメラを持ち出しちゃう傾向があるんですよ。「趣味性」って、使い手のモチベーションを高める効果があるような気がします。Hoffmannは別に仕事で写真を撮っているわけじゃありません、「半可通」未満のシロートですから、機材によって気分が変わったってぜんぜん問題ないんですよ(笑)

さて、フィルムとデジタル、Hoffmannはどう使い分けているのかというと、これはじつに単純。基本的に室内はデジタル、屋外は銀塩です。

それでは、もっとも気に入ってよくお使いになるカメラは?

それはそのときどきで変わるなあ、その時点でいちばん最近買ったやつ・・・かな?(^o^;


じゃあお前にとって、「趣味性」の高い、いいカメラはなんなんだ・・・って訊かれるとちょっと困ります。そんなのはひとそれぞれ、自分で分かっていればいいのであって、あるひとにとってそれがデジタルカメラであったならば、それはそれでいいのです。いや、むしろそういうひとが出てくれば、新しい時代の到来と歓迎するべきかもしれません。

もったいぶらないで、Hoffmannさんにとってのいいカメラ、おしえてくださいよ(^^;

ゴルフはべつに下品なスポーツじゃないけれど、「ゴルフは紳士のスポーツだ」っていうやつは絶対に「紳士」じゃないからね。自分が使っているものや持っているものを特別扱いして語ることには慎重でありたいなあ


それにしても、デジタル擁護、あるいはデジタル礼賛の内容にしようと思ったのに、なぜかこうなっちゃう・・・デジタルカメラに必要なのは、所有欲・使うことの快さを満たすような「なにか」なのかもしれません。これはダメだ、と言ってるんじゃなくて、「期待」なんですよ。




2006.01.24 tues

昨日は前半の文章をカットしてupしちゃったので、どうしていきなりブランコの話がはじまったのか、さっぱりわかりませんな〜(^o^A;



それはともかく、もうひとつブランコの絵をあしらったレコードジャケットが見つかりましたよ〜

3人乗りで前後ではなく左右に漕ぐ(?)タイプだね

Johann Erdmann Hummelの“Junge Leute im Garten”とありますね




2006.01.23 mon



ブランコを見ると、ついフラゴナールあたりのロココ調エロティック絵画を連想しちゃいます(笑)

これもフラゴナールですね。タイトルはそのまんま”Die Schaukel”―ブランコを口実に、スカートがまくれあがる「事故」が好んで描かれたんですね(^^*

このレコードはいわゆる「ジャケ買い」したひとも結構いたんじゃないかな(笑)

そういえば、翼を持った空中ブランコ乗りの小説がありましたよね




2006.01.22 sun

澁澤龍彦が「ブリキの太鼓あるいは退行の意志」というエッセイで、映画「ブリキの太鼓」について、ウナギのシーンを除くと「オブジェ感覚」が「映画の全体に偏在していなかったことが不満」、と書いています。Hoffmannならウナギのシーンのほかに、はじめの方の、オスカルの叫び声で病室の胎児の標本のガラスが砕け散る場面もなかなか秀逸であると付け加えたいところですが、「総じて物に対するカメラの偏執が稀薄」という指摘は頷けますね。

でもね、この映画を観ているとじつに多彩なイメージやシンボル(らしきもの)が、次から次へと発見できるんですよ。オスカルの祖父である放火魔コリヤイチェクがお祖母さんのスカートのなかに逃げ込んでふたたびそこから現れるとか、オスカルが成長を止めるために地下室に転落するとか、最後には墓穴に落ちて、そこから出てきたらふたたび成長が始まっていたとか・・・まあ、こんなのは誰にもわかる象徴だと思いますが、つい最近もこの映画を観ながら、次のgalleryのテーマのヒントを見つけたんですよ。




この場面ですか?

いや、違うけど・・・でもこれも重要なシーンだね





2006.01.21 sat

京セラに続いてコニカミノルタが銀塩カメラ事業からの撤退を発表しましたね。ニコンも「ラインアップ見直し」って、実質的に大幅な縮小です。

京セラのとき、「急激に変化する市場に対応できず」なんてこと言ってましたが、なに、要するにもうからないことはやらないってことです。ニコンだって、MFレンズがエコガラスを使っていないため、これに対応するには設計からやり直さなければならない、しかしその投資に見合うだけの数は出ないだろうという判断である、という事情通の話ですが、結局もうからないからやめるんですよね。

こうなった原因にはデジタルカメラの台頭・普及や、生活のなかでのカメラというものの役割とか位置付けが変わったからだ、という意見がもっぱらなんでしょうが、Hoffmannはちょっと違った側面から考えてみましたよ。

カメラが電池を使わない機械式で、フルマニュアルだった時代には、使い勝手でも、機能面でも、各社個性を出すことができたんですね。巻き上げにしたってノブであったりレバーであったり、そのレバーにしても形や巻き上げ角度、配置など、ひとによって使いやすいと思える形・角度・配置はさまざまですから、正解はひとつじゃなかった。ところが露出は自動化され、ピント合わせまで機械が勝手にやってくれるとなると、どうも正解は限りなくひとつの方向に向かってしまって、つまりどこのメーカーが作っても同じような物になってしまうんですね。

そうなると、あとはレンズによる微妙な描写の違いなんてほとんどの消費者(ユーザーに非ず)にはどうでもいいことですから、売り上げを伸ばすためには、アピールポイントとなる機能を搭載するしかない。たとえば観音の視線入力なんてそのひとつですね(個人的にはこんな機能、どうでもいいと思ってます)。こうした機能の開発となると、開発力に秀でた大メーカーが絶対有利。極端なこと言えば、本来はカメラにとって重要な要素であるレンズなど、たいして性能のよくないものしか作れなくても、消費者を引き寄せる機能を搭載したカメラを開発できればいいんです。言い換えれば、別に「いいもの」を作る必要はなくて、「売れるもの」を作ればいい、さらにコストダウン必須となれば、こうした「作り手の側」(市場に非ず)の急激な(?)変化に対応できるのは開発力を持った大メーカーに限られる、ということです。


オーディオとは事情が違うようですね

オーディオのほうが趣味性が強いんじゃないかな。カメラの場合、ちょっとこだわるひとなら、とっくに中古shopに行っちゃってる

クラシックカメラのブームも一段落したようですが・・・

そりゃあ流行に流されてただけのひとが多かったからだよ





2006.01.18 wed

オーケストラが使うパート譜というのは、これ、某所から借り受けるんですね。つまりレンタルです。ということは、作品にもよるんですが、アメリカならアメリカ各地のオーケストラが同じパート譜を使っているわけで、たとえばある街のオーケストラのティンパニ奏者が、パート譜に「ウチのシェパードが子犬を5匹生んだぜ」と書き込んでおくと、その後別な街の、やはりティンパニ奏者がこれを読んで、「そりゃおめでとう」と書き添える―なんてこともあるそうなんですね。

バレエ上演のときは、舞台上ではバレリーナたちが踊って、オーケストラは客席から見るとその手前、一段低いところ(ピット)のなかに入っているわけですね。打楽器なんかはたいがい舞台の真下です。あるオーケストラがバレエ音楽を演奏していて、打楽器奏者がパート譜を見ていたら、ある箇所に「後ろを見ろ!」と書いてあったので、思わず振り返るとバレリーナがいっせいに脚をあげるところだったとか(笑)


指揮者のスコア(総譜)は?

自分であれこれ書き込みをしたものを持ってくる場合もあるし・・・つねに一からはじめるというひとも(ごく少数ながら)いるみたいだね





2006.01.17 tues

明治14年から第二次世界大戦敗戦まで続いた国家主義団体玄洋社、その系列の壮士に、杉山茂丸という男がいました。一方でアメリカのユダヤ財閥と手を組みロシア帝国やイギリスと対抗することを考えているかと思えば、もう一方ではロシアの革命家と手を組んでソビエト革命を画策する・・・目的を達成するには手段を選ばぬ男、といって策に長けたマキャベリストというよりも、単なるしたい放題やりたい放題の風雲児。その仕事も美術協会、相撲協会、義太夫協会、テキヤから露天商、株式取引、海運業、果ては道楽息子の後始末まで・・・じつはほとんど語られることのない仕事に文筆業があって、Hoffmannはこのひとの著作(とくに「盲目の飜訳」)をぜひ読んでみたいと思っているんですが・・・。

杉山茂丸って、聞いたことがありませんね

ちなみのこのひとの「道楽息子」というのは、夢野久作というひとだ





2006.01.16 mon

15性器―じゃなくて15世紀末(1495年)、フランス軍がイタリア軍をうち負かしナポリに入城、持ち帰ったのはルネサンスの風と全身が膿庖に犯される未知の病気。フランス人はこれを「ナポリ病」と呼び、一方でイタリア人は「フランス病」と呼びました。この病気はまたたくまにヨーロッパ全土に広がって、日本上陸は1512年のことと言われています。

ヨーロッパでは神罰と見なされていたものが、日本では「シナ潰瘍」と呼んで、別段恥じるほどのことでもなかった模様なのが、当時の我が国における一般大衆レベルでの宗教観を考えるうえでひとつのヒントになると思うんですが・・・。

そういえばなにかの本に、尾張藩士の日記「鸚鵡籠中記」に、女の方がこの病気を持っているというので結婚を反対された商家の息子が、この娘と心中した、という話があると書いてありましたが・・・こんな病気でもその女性と一緒になりたいという男性がいたわけですね

いや、岩波文庫版で該当の箇所を読んでみたら、その息子の親にしてみれば、相手はもと遊女だった女だから「そんな崩れ瘡毒(がさ)の娘なんか見たくもない」と、比喩というか罵倒語のように言ったものだったらしい。その娘がじっさいにこの病気にかかってたということではないみたいだね

そうでしたか。それにしてもこの病気の話題、多いですね〜(^^;




2006.01.15 sun

「アウトサイダー」で有名な(H.P.ラヴクラフトではなくて)コリン・ウィルソンといえば、ほとんどの著作が翻訳されており(ただし悪訳もあり)、日本ではお馴染みのひとですね。さすがにHoffmannもこのひとが華々しく登場した「アウトサイダー」あたりになるとリアルタイムでは読んでいないんですが、中学生の頃には結構夢中になって読んだものです。

まあ、ほとんどの読者がそうだったと思うんですが、やがてその思想構造の脆弱さに気が付いて、よく読めばほとんどが先人・他人の―受け売りとまでは言わないにせよ―引用なんですね。コリン・ウィルソンも、もうすこし文体に気を遣って、甘さの目立つ(ややレフト寄りと見えるような)考察など加えることをせず、自分が気に入っている思想家や芸術家、さらには殺人者について、舌の上で転がすように愉しみながら書いていれば、ちょっとした文人気質のひととして評価されたんじゃないでしょうか。

じつはHoffmannは、かつてこのひと著作で翻訳されていたものはほとんど全部本棚に揃えていたんですが、10年ほど前に思うところあって、ごっそり売り飛ばしちゃったんですよ。

・・・で、いまさらながらにちょっと後悔している、と結ぼうと思っていたんですが・・・やっぱりあの判断は正しかったと思わざるを得ないんですな(^o^;hahaha


Hoffmannさん、1冊だけ残ってますよ〜(笑)




2006.01.14 sat

よく、いい歳をした男性について、「彼は少年の心を失わない」などと語ることがありますね。なかには自らを「おれは少年の心を・・・」と言うひともいます。これはおそらく肯定的な意味で使われている表現なんでしょうが、Hoffmannはあまりいいイメージでは受け取れません。

まあ、男性というものはいくつになっても、女性と比較すると幼稚な傾向がありますね。どちらかというと女性の方が大人、地に足がついてます(だから神話で大蛇は母の象徴)。ただし男性には「幼稚」であるが故の知への志向があって、ダジャレじゃありませんが、「幼稚」は「養知」に通ずるところがあるような気もします。別に女性の「大人」が「劣な」に通じるとは言いませんけどね(笑)まあ、地に足がついていない方が、重力から自由であるというのはニーチェを引くまでもなく自明のこと。いつぞや某映画を紹介したときにも、わざわざ「ドライブ」と「フライト」を対比させた台詞部分をupしましたよね。芋虫みたいに地を這うのと、大空へ飛翔するのと、どちらがいいと思います?(笑)

かく言うHoffmann自身も、ひょっとしたら「少年の・・・」かもしれんな、とは思っているんですが、この場合「少年の心」とは、少年期から青年期に至る束の間の「危険な時期」の衝動かもしれません。

よくわかりませんけど・・・(^o^;




2006.01.13 fri

ちょっとブラームスの交響曲第4番のレコードを聴いていて思い出したんですが、ブラームスのことを「古い器に新しい生命を注ぐことができるひと」と評したのはワーグナーでしたね。この評言は「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」についてものですから、「古い器」というのはヘンデルの主題のことなのかもしれませんが、「古い伝統的な作曲技法を使いながらも、新しいすぐれた作品を作曲できるひと」と読み替えてもいいでしょう。

こういう思いつきから連想がふくらんで、ジュリアン・グラックの「アルゴールの城」、永井荷風の「腕くらべ」などを取り出して読みはじめる・・・と(笑)

「アルゴールの城」と「腕くらべ」ですね・・・ヾ(..*パラパラ




2006.01.12 thurs

かつて、Hoffmannにはクラシック音楽とaudio趣味の共通する年長の友人がいたんですよ。ところが、あるとき「これこれこんなレコードを入手しましたよ」というmailを送ったところ、このひとからちょいと皮肉混じりのmailが返信されてきたんですね。そこにはこんなことが書いてありました―

・・・私も毎月レコード、CDには10万くらいかけていますが、Hoffmannさんの買うような「名盤」は一切なし。別に世に名高い名盤でなくても、音が良くて、良い演奏だったら満足です。

まあ、笑ってすませればよかったんでしょうが、このままHoffmannが自分の買い物を自慢しているととられても嫌なので、次のような返信をしたんですね。

---ここから---
>音が良くて、良い演奏だったら満足です。

もちろん、私もそうです(いや、音は少々悪くてもかまいません)。

>但し、Hoffmannさんの買うような「名盤」は一切なし。

これは違います。私は「名盤」を買ったことなどありません。少なくとも、「名盤だから買った」り、「名盤だから愛聴した」りしたことは一度もありません。

とある成金が家を新築して、古書店主を呼び寄せ、「本棚に並べるから見栄えのいいやつを何メートル分持ってこい」と言ったという話がありますが、この本棚にどのような本が並んだところで、名作・名著の愛読書とはなり得ないでしょう。

レコードは自分で選び、購入して、聴き込むことによって「名盤」となるのであって、私にとってあらかじめ「名盤」として予定され、用意されていたものなど1枚として存在しません。
「名盤」とは繰り返し聴き込み、愛聴し、特別な感情を持つに至ったひとが、そのレコードを「名盤」とするのであって、そのレコードを「名盤」と呼ぶことができるのも、そのひとだけだと思います。
ひとにはそれぞれ異なる人生があり、その生き方とわかちがたく結びついた各人各様の忘れがたいレコードがあるでしょう。私とまったく同じレコードを所有しているひとがいたとしても、そのひとの「愛聴盤」、そのひとにとっての「名盤」は、私の場合とは違うものになると思います。
私はそうして、自分のレコード棚のなかから、いくつかの「名盤」を自ら作ってきたと思っています。

したがって昨日今日レコードを買い始めたひとが、いくら評論家のほめるレコードを、そのオリジナル盤を棚に並べたところで、それは「名盤」でもなんでもない、ただの凡庸な1枚と変わるところはありません。

また、値段の高いレコードは「稀少盤」であって、べつに「名盤」「名曲」「名演奏」とは限らない、くだらない作品の、愚にもつかぬ演奏であっても、「稀少盤」で需要が多ければ値段は高くなるし、当然その逆もあります。これは古書でも同じですね。

いかに高価で珍しく、世評の高いレコードであっても、私にとって興味のないものであればただの凡庸な1枚のレコードにすぎません。それが「名盤」であるかどうかは、私が決めるのでもなく、ましてや評論家や世論が決めるのでもありません、そのレコードを聴く、一人一人が決めることです。
---ここまで---

まあ、世評の高い名盤なんて、単に「世評が高い」だけであってね。必ずしもいい演奏とは限らない

趣味に理屈を持ち込むひとって、結構いますよね

うん(笑)これまでにHoffmannが聞いたものにはこんなのがある・・・曰く「ベートーヴェンは音楽史上もっとも重要な革新を行ったからエライ」、曰く「バッハの音楽には形式があるから好きだ」、曰く「ワーグナーのオペラは(歌詞が)韻を踏んでいるからいい」・・・

ちょっと独善的ですね(^o^;それにツッコミどころ満載ですよ〜

まあなんだな、学校の授業で読書感想文なんか書かされたとき、じっさいに自分が感じた(本音の)感想よりも、「いい点を付けてもらえる感想文」を書いちゃうようなものか(笑)好きな作曲家は、と訊かれたらバッハぐらい答えとかないと・・・っていう発想だろう

知識先行なんですね

でも、たいがいその知識が誤りであったり、不正確であったりする。つまり、「知識先行」=「知ったかぶり」なんだな

そういうのって、いわゆるスノッブ―スノビズムと呼ばれるものなんでしょうか?

そうかもね。そもそも、「世に名高い名盤」(十把一絡げに!)に関心があるとかないとかなんて、「わかったふり」をするか、さもなきゃ「わかったふりしたうえで反対の立場を表明(強調)する」かの違いだよ。前者は見栄であって、後者はコンプレックスとより強い見栄のチャンポンだ

たとえば「ウィーン」と名が付けばとにかく一流と思っているひとって、多いんじゃないですか?


そうそう(笑)普段音楽なんて聴かない手合いに限って「ヨーロッパ旅行でウィーン・フィルを聴いた」なんて、自慢するんだよね。曲がなんだったか、演奏がどうだったかなんて分からなくっても、関係ない。こうなると、ウィーン・フィルもバーバリーのコートも同じだね(^^;


ところで、この方とはその後、どうなりました?

それっきり、mailも来なくなった(^o^;





2006.01.11 wed

写真を撮っていて、逆光状態のとき、光源とは違う場所に光の玉が出てくることありますよね。いわゆるゴーストです。コーティングが施されていない戦前の古いレンズや、レンズ鏡胴内の内面反射対策に不備があった場合、あるいはフードを装着しないで撮影した場合にもこれが発生することがあります。

このゴーストや、あるいはもう少し程度の軽い光のにじみ(フレア)を写真表現に利用するテクニックもありますが、一般的にはどんなゴーストが出るかなんて予測できませんから、悪者扱いされる現象ですね。

でも考えてみれば、ひとが光に向かっているとき、つまり逆光状態のときには、顔をしかめて目を細め、あまりちゃんとものを見ているとはいえない状況ですよね。

ちゃんと見てないから気が付かないだけで、じつはそこにはゴースト(幽霊)が姿を現しているのかもしれませんよ。




これはPhotoshop(Elements)で作ったものですよ〜ヾ(^^*




2006.01.10 tues

立花隆が(最近は毀誉褒貶甚だしいようですが)、このジャーナリストの代表的な仕事と呼ぶべき「文藝春秋」に連載した「田中角栄研究」について、自分はあの田中角栄に関する仕事に時間をかけすぎたのではないか、なんて書いていたのを読んだことがあります。

日夏耿之介、このひとも偉大な業績である「明治大正詩史」について、その執筆に深入りして詩作がおろそかになってしまったと悔いていたということです。

いつのころからか、指揮者の小澤征爾も、仕事は本当にやりたいものだけにしたい、といった発言を繰り返しています。

山田風太郎にもその晩年に「あと千回の晩飯」という新聞連載がありました。

「あとどれだけの本が読めるのか」「どれだけの音楽を聴くことができるのか」・・・こういった考えの土台には、「当分は死なない、目も見える、耳も聞こえる」という前提があるからなんですが、いつかは「あとどれだけの本しか読めないのか」と意識しなくてはならなくなるでしょう。

時間が限られているということは、刻々と残り時間が少なくなりつつあるということです。Hoffmannの場合やりたいことははっきりと自覚できていますから、あとは、したくないことはぜったいにしたくないですね。


○○○○の話でもあったんですか?(・・;

まさか(^o^*



それでは、これからはやりたいことに優先順位を付けて・・・?

ただね、目標に向かって一直線に突き進む・・・っていうのも性に合わないんだな。「無用の用」って言うじゃない、あちこち寄り道して、あたかも漫遊するような人生が理想なんだけどね(笑)





2006.01.09 mon

「ベートーヴェンの交響曲は主食のようなもの」と発言している俵なんとかいうひとが聞いたらなにを言われるか分かりませんが、HoffmannはBeethovenの交響曲、あまり好きじゃありません。別にクラシック好きだからといって、Beethovenを特別視する必要はないわけで、世のなかにはBeethovenなんか興味ない、というひとの方が多いはずですね。

まあ、演奏次第で愉しめることもあるし、また子供の頃からさんざん聴いてきたので、ちょっと飽きちゃったという面もありますが、どうも押しつけがましいのが耳に障ります。通ぶったひとなら(べつに「ぶって」なくても)後期の弦楽四重奏曲あたりをBeethovenの神髄、と称揚するかもしれませんが、Hoffmannの耳にはこれが交響曲以上に押しつけがましく聴こえます。

とか言いながら、交響曲だってdiscはいろいろお持ちじゃないですか・・・(^^;

資料・・・と言っておこう(^o^A;だから演奏次第だって

Hoffmannさんはオペラがお好きですから、「フィデリオ」なんか、いかがですか?

昔上演を観に行って、目が覚めたら終わってた(^o^;

それなら、比較的お気に入りの作品というのはありますか?

ピアノ協奏曲の第1番とヴァイオリン協奏曲だな。でもこれ、特定のレコードのことだよ。その演奏と結びついてこそ「好きな作品」と言えるものだ

そういう意味での好きな作品って、微妙な位置付けですね




2006.01.08 sun

板垣退助といえば、暴漢に襲われ負傷した際に「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだというので有名ですね。さすがにいまではこれが板垣最期のことばだと思っているひとはいないと思いますが(このときは死ななかったから)、じっさいにはこれ、板垣の発言じゃないんですね。この事件の直後、小室信介(案外堂)というジャーナリストが行った演説の題名が「板垣死ストモ自由ハ死セズ」だったんだそうです。

それはともかく、臨終に際しての最期のことばなんですが、山田風太郎は勝海舟の「コレデオシマイ」をベストとしてあげていました。

「Mehr Licht!もっと光を!」というのはゲーテ。このことば、エラク深読みされて認識論の次元にまで敷衍しているひとがいますが、じっさいには「暗いから窓を開けてくれ(カーテンを引いてくれ?)」というような意味だったとも言われていますね。

Hoffmannなら、なんて言いましょうかね。できるだけ喜劇的で滑稽なのが望ましいんですが・・・

「ヤットオシマイ」、「諸君、喝采を。喜劇は終わった」

いかん、パクリだ(-_-;

「めしはまだか?」

これじゃボケ老人ですね(^^A;

「そろそろ行くか・・・」


う〜ん(-_-

「そろそろ行(逝)くか・・・なに、すぐそこなんだよ」

これなら、まあまあいい鴨・・・


ななななんのハナシですか〜(^o^A;

「なあに、心配するな。片棒はおれが担ぐ」てのも捨てがたい(笑)

それじゃ落語ですよ〜(^o^;




2006.01.07 sat

母親が病気でとか、気の毒な身の上話をしていた女が、なんとこれがたちの悪い詐欺師で、すっかり騙されていた・・・

よりによって給料日にチンピラにからまれて、有り金巻き上げられた・・・

30年のローンで購入したマンションが耐震偽装の物件だった・・・

山に登ったら吹雪になって見事に遭難、百人規模の捜索隊に救助されたものの、その捜索費用を請求された・・・

次の宿場に向かって夜の山道を歩いていたところ、山賊に出くわして身ぐるみはがれた・・・


・・・そう思えば安いもんだ、とおっしゃりたいんですね(*^o^)σ)~0~)/プニッ♪



いいいいいいや、今回はボディだけにしたよ(^o^A;;;上のレンズは手持ちのだ( ̄ー ̄;;オホン

手持ちって、これだってつい先日お買いになったばかりのものですよねっ((*^o^)σσ))~0~)/プニプニッ♪




2006.01.06 fri

先日本棚の整理をしていて出てきた「吾輩は蚤である」を読みました。原題は"Autobiography of a Flea”、すなわち「蚤の自叙伝」。作者不詳、1877年London刊と言われているヴィクトリア朝古典ポルノ小説です。内容は題名のとおり、蚤の視点から、好奇心旺盛な若い男女や好色な聖職者を風刺的に描いたもの。

「吾輩・・・」という訳題は、この小説を読んだ最初の日本人が漱石ではないかという説があるためなんですね

翻訳で読む限り、書き出しはよく似ていて、漱石もここからアイデアを頂戴した可能性は高いかもしれないね。しかし・・・

しかし?

くだらない(-_-;ホント、徹頭徹尾通俗的で低級なポルノとしかいいようがない。文学的な価値は限りなくゼロだ


・・・でも、ちゃんとまた本棚にしまっておくんですね(^o^;くだらないとか言って・・・

資料!(笑)





2006.01.05 thurs

サドの「獄中からの書簡集」英訳本を読んでいたら、序文のなかに“Sade as one of the seminal thinkers not only of the eighteenth century but of all time,・・・”という一節がありました。

“seminal thinkers”ねえ・・・(^^;無学なHoffmannには自信がないんですが、英語ではこういう言い回しがあるんでしょうか。サドにうってつけのことばですね。


“・・・”のあとはどう続いているんですか?(^^;

“a precursor to Nietzsche,Stirner,Freud,Krafft-Ebing,and the surrealists.”だよ。別に新味のある意見ではない。まあ、序文はともかく、本文については澁澤龍彦のすぐれた翻訳があるからそれで読めばいいよ





2006.01.04 wed

ちょっと思いついてA.Schoenbergの“Pierrot lunaire”を聴いていました。邦訳題名は「月に憑かれたピエロ」、一般にはそのまま「ピエロ・リュネール」と呼ばれることの多いこの作品の正確な題名は「オットー・エーリヒ・ハルトレーベンのドイツ語訳によるアルベール・ジローの<月に憑かれたピエロ>からの七編の詩の三倍。語り手一人、ピアノ、フルート(ピッコロ持替)、クラリネット(バス・クラリネット持替)、ヴァイオリン(ヴィオラ持替)、チェロのための」という、長ったらしいものです(ふう)。

これは、いわゆる“Sprechgesang(Sprechstimme)”―朗誦というものですね

そう、半ば語るように、半ば歌うように・・・えーと(歌うというか語るというか)演奏するものだね。Schoenbergの無調時代を代表する作品とされている。この音楽、昔から「音楽と詩にギャップがある」とか、「悪趣味」とかさんざんな言われようだけど・・・

よくわかりませんけど・・・あまり繰り返し聴きたくなるような音楽ではありませんね(^^;

(笑)ドナルド・キーンだったかな、この音楽は月食の晩に聴くのにふさわしいとか言ってたね。もっとも、次の月食の晩が待ち遠しくはないとも・・・

Hoffmannさんはいかがですか?

うん? たま〜に聴きたくなるよ・・・だって、月とピエロだよ、(19)世紀末文学のお好みの題材じゃないか(^o^*

手もとにあるLPレコード(CBS;76720)、Yvonne Minton,P.Boulez,P.Zukerman,L.Harrell,M.Debost,A..Pay,D.Barenboimによる演奏はあまり評判がよくないんですね。器楽奏者はいずれも知名度の高いひとたちですが、同時に細かなニュアンスを表現するのが苦手なひとばかり(^o^;それ以上に、Y.Mintonは「歌いすぎ」ているかも・・・。


ただし(ついでに言っておくと)、Hoffmannはこの作品に関しては、できるだけ客観的に演奏して欲しいと思います。舞台でトランス状態と見まがうばかりの歌手がピエロの扮装をして・・・なんて、勘弁してもらいたいですね。それこそ音楽とギャップがありすぎますよ。さらに付け加えれば、この作品をファッション化されてはたまらんな、と思っています。あんまりポピュラーにならないで欲しい音楽です。


Ernest Dowson“The Pierrot of the Minutte”Drawn by Aubrey Beadsley(1897) ヾ(^^;あんまり関係ないけどピエロ画像(誰ですか、エロ画像なんて読んだひとは?)・・・って、これ、以前にもupしたことありましたね(汗)

私はSchoenbergなら“Gurrelieder”のほうが・・・(^o^;

「グレの歌」か、あれは後期ロマン派の音楽だよ、でもいいよね(^^*大曲大好き♪

* * * * * * * * *

Die Toteninselさんがbbsにパウル・クレーとマリア・マルクの「月に憑かれたピエロ」のミュンヘン初演に関する寸評を翻訳して投稿してくださいましたので、ここに再録します。

---ここから---
monologueでも話題になっていますので、以前一寸触れた、「月に憑かれたピエロ」のミュンヘン初演に関するパウル・クレーとマリア・マルクの寸評を訳しておきます。

クレーの「アルペン」誌評(1912年12月号)
「シェーンベルク・アーベントに触れることで、ようやくこの報告を終えることができる。私は残念ながら、失望を隠すことができない。彼の作品は、ジローの詩『ピエロ・リュネール』に基づくものだが、その音楽はメロドラマ的であり、やや一本調子で変わった味わいのものというほかはなかった。それは、確かに面白くもあり、風変わりで、滑稽で、グロテスクだったが、ともかくシェーンベルクのもっと本式の作品を聴くべきだろう。」

マリアの報告はクレー以上に具体的です。

「私たちはちょっとがっかりしました。全体の筋立てが、緑の眼のシェーンベルクの容貌と同じように――エゴン・シーレ、クリムト――、あまりにヴィーン風だったからです。私たちはもちろんそれをたいへん興味深く聴きましたし、多くの箇所では素晴らしいとさえ感じました。しかし、作品には不純なものも混じっていたのです。作品にひそむ一かけらの感傷が、他の大部分に好意的な聴衆にさえ、作品を何となくいかがわしいものに感じさせてしまうのです。」

 ここで興味深いのは、彼らがともにシェーンベルクの作品にヴィーン風の情緒と感傷を感じ取りその不徹底さに不快を表明しているのであって、その表現主義的な革新性に拒絶反応を起こして反発しているのではないという点ですね。とくにクレーはグロテスクな作品を多く物していて壁に突き当たり、そこから抜け出す方法を模索していた時期だけに、シェーンベルクの作品へのこの反応には興味をそそられます。

---ここまで---

Die Toteninselさん、どうもありがとうございました!




2006.01.03 tues

休みの最終日。本日はレコードの整理。

レコードの整理はわりあい頻繁にやっているんだけどね。イタリアオペラなんか軒並み実家へ左遷だぞ〜(-_-;

左遷ですか(^o^;

地図上で左方向にあるからまさしく左遷だ(これ、以前にもどこかで使ったフレーズ・・・?)もっとも、手もとには置いておけなくても売りとばしたり捨てたりはできないってことだから、そんなに邪険にするわけではないんだよ

Hoffmannさん、このKarajanのレコードはとっておかれるんですか?(・・?イタリアオペラですよ〜

おッと、それはmono時代のMaria Callasとの共演だな。めったに聴きゃアしないけど、そいつァはいい演奏だぞ


なんで急に坂口安吾ふうになるんですか(^o^;

(ここで1950年代前半頃までのKarajanについて喋ろうかと思ったんですが、整理が終わらないのでまた後日)



Hoffmannさん、「通俗名曲」の最たるものですよヾ(^^*

こらこら、それは貴重な盤だ(^o^;演奏もすばらしい




2006.01.02 mon

天気悪いので外出せず、家で本の整理―というより本棚の整理。かれこれ8年くらい前か、スチールの本棚10本分の本を家から追い出し、以来できるだけ本を買わないようにはしていたんですが、そろそろまた限界に達しつつあり。

一回読んで終わりという本は買わないようにしているんだけどね

新刊書店にはほとんど行かれませんし、最近は洋書も控えめでしたよね

昔、本を買うたびにノートに付けていたことがある。多い年で約700冊、いちばん少なかった年が50冊程度だったかな(雑誌類除く)。ところが、どちらにしても使った金額は同じくらいなんだよね(^^;

年間700冊じゃ全部読み切れませんよね(^o^;

それでも、本によっては自分のものにして、手に取ってみないとダメなんだよね〜(^o^A;


まあ、そのおかげで私は退屈しませんけどね*^^)(^^*

“The Anatomy of Tobacco”(1884)

それは大切な本だぞヾ(^^;(^^*




2006.01.01 sun

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします(^^*

さて、このところ連日Wagnerばかり聴いていたので、ここらでひと息。

ニーチェじゃありませんが、Bizetの歌劇“Carmen”です。2002年Glyndebourne Opera festivalのlive収録DVD。カルメンはAnne Sofie von Otter、ホセにMarcus Haddock、エスカミーリョにLaurent Nauri、指揮はPhilippe Jordan。



von Otterは日本でも人気の歌手ですが、これまで興味を引くdiscもなく、Hoffmannは今回はじめて聴きました。かなり知的にコントロールされた歌唱ですね。

コケティッシュな悪女―ただし決して下品ではない―といったところでしょうか、演技もとても上手いですね


Marcus Haddockも、純情で意志薄弱なドン・ホセを好演してますね

これは、誘惑されたらひとたまりもないのもよくわかる・・・(笑)

ここではカルメンも魅力的ですからね



Laurent Nauriはやや弱いですね

エスカミーリョって、レコードでもなかなかいい歌手がいないんだよね

どうでもいいことですが、この顔、Hoffmannの友人の某君にクリソツ(^o^;


演出もなかなかすぐれたもの。左は第三幕の前奏曲中、ミカエラのパントマイム。右はミカエラがホセを訪ねてきて家に帰るように説得しているのを見守るカルメン。

ある演出(たしかMetropolitan)では右の場面で、ミカエラの涙ながらの訴えとホセのやりとりを聞いているカルメンが嘲るように笑っていました。そういった演技というのはリアリズムかもしれませんが、いかにも「お約束」の反応で陳腐の感を逃れません。さらにドラマを浅薄なものにしてしまうのではないでしょうか。人物像をあたかも「登場人物紹介」の数行で語り尽くせるように単純化してしまうのはディケンズあたりまでのこと。いくらオペラでも予定調和のドラマでは白けちゃいますね。

わざとらしい演技など抜きにしても、その表現は必要充分ですね



演出と演技は称賛に値すると思います。



殺人のシーンはナイフで喉をかき切るというもの。従って、カルメンは悲鳴をあげることもなく死んでしまいます。

ほとんどの演出では刺殺ですよね

そう、それでカルメンが「ぎゃーっ」なんて叫ぶのが嫌だったんだよね。へたくそな演技でこれ見よがしに「ギャーッ」なんてやられると、思わず吹き出しちゃうんだよ。それに、ここはカルメンも覚悟していた、という解釈も成り立つからね

ついでに話すと、ある劇場で本番中、ホセが小道具のナイフを忘れたんだって。で、しょうがないから絞殺した・・・カルメンを演じていた歌手はどうして首を絞められるのか理解できず、必死になって抵抗したとか(^^;

なかなか死ななかったんじゃないですか(^o^;

(いつものことだが脱線が多い;;)

Philippe Jordanの指揮は快活で歯切れのよいもの、表情付けに関してはやや大げさというか、振幅が激しいんですね。アクセントがかなり強くて、同じフレーズを繰り返すところでは「またか」という印象も。生き生きとしたリズムとテンポ、響きがダンゴにならない見通しのよさには好感が持てます。



ひとつだけ気になったのは、この演出の時代設定。衣裳など意外とモダンなんですが・・・というのは、やたらとタバコ(シガレット)が出てくるんですね(ホセも喫ってます!)。もともとこのオペラの舞台である1820年頃には、シガレットは存在しません。タバコ工場といったって、シガー(葉巻)のはずです。

葉巻はカルメンが喫ってますね(・・;

ちなみに当時葉巻は下層階級のもの、貴族はもっぱら嗅ぎタバコだね

さすがHoffmannさん、Brenford大学でLeolinus Siluriensis教授のもと、Fumifical Philosophyを学んだだけのことはありますね!(^o^*

はあ?(・・?